まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

おいでませ清流線…3

2007年08月28日 | 廊下から
『とことこトレイン』にも満足したし、来る途中に気になった駅で途中下車をしながら帰ることにしました。


河山駅

最初に降り立ったのがここ『河山駅』でした。今では単なる無人駅ですが、開通当時は貨物扱い駅で、広い構内から当時を偲ぶ事が出来ます。後で判ったのですが、『河山鉱山』から産出される鉱石を運んでいたそうです。鉱山からここまでどうやって運んだのかは謎ですが…

それより驚いたのが、この駅だけ腕木式信号機の残骸が残っています。下り場内が2本、上り場内が1本の計3本が屋羽根を撤去されただけの状態で残っています。そして駅舎横には、信号てこが放置されており、ワイヤーを通した滑車も残っています。


信号てこ

動くかどうか試してみましたが、ビクともしませんでした。もっと力を入れてとも思ったのですが、テコではなく腰の方が反位に向きそうで…(笑)


下り場内信号機

横を通過するNT-3001

場内信号機が2本あるとなると、構内にはそれなりの数の線路があったのでしょうね…

そして、次に降りたのが『御庄駅』。ここは山陽新幹線『新岩国駅』の連絡駅でもあり、新岩国駅の隣に位置しています。ここの駅の待合室には、コキフの車掌室部分が再利用してあることで有名(地元では…笑)で、1度見てみたかったんです。


昔は通路の屋根が無かったんでしょうね…


反対側

実物をよく見ると、車掌室を単に背中合わせにしたのではなく、トイレ部分を切断の上、接合しています。よく見ると雨樋部分に接合した跡が残ってます。更に笑ったのが改造銘板が付いている事です。遊び心があるなぁ…(笑)


一応、改造…(爆)

外装は塗り直してありますが、銘板をきっちり塗別けているのがご立派!


二重窓も当時のまま固定…っていうか動かない(笑)

錦川鉄道といえば、やっぱり御庄駅のこの待合室を見ておくべきでしょう。私はやっと念願叶いました。今度は新幹線の保線機械車両でも撮って見たいな…

まだまだ公休日が何かと忙しくて、やっと出来たの暇な1日で、近くて遠かった錦川鉄道清流線を楽しんできました。錦川沿いの谷にへばり付いて走る姿は、どことなく三江線の雰囲気にも似ているような感じさえもします。また乗ってみたいし、沿線でのんびり撮影もしてみたいですね…

『おいでませ清流線』…皆様もいかがですか?

5 コメント

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Unknown (青列車)
2007-09-01 22:48:44
幼い頃、まだココが岩日線だった頃には訪ねる機会を得ず、長じては故郷を離れてまた縁が遠くなっていました。今再び県内で暮らす事になりましたが、まだ縁がありません(泣)。
一度は乗ってみたいものです。
(ただ…終点の先は嫂の実家のある町で、只今同居中の母と嫂の関係が「リアル橋田寿賀子ドラマ」モードとあっては、沿線に近づくのも躊躇われる状況です)
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Unknown (まろねふ)
2007-09-02 19:42:51
>青列車さま
私は岩日線を知らないのですが、どのような雰囲気だったのでしょうか?
錦川鉄道も、広島在住20年目にして初めて訪れました。あと乗ったこと無いのは、『スカイレール』だけです。これこそ、きっかけが…
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Unknown (あっくん)
2007-11-08 21:40:55
父が河山鉱山で働いてました。鉱石はトラックで岩国方面に運んでましたね。
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Unknown (まろねふ)
2007-11-08 22:03:12
>あっくんさま
はじめまして…でしょうか? 貴重なお話をありがとうございました。河山鉱山の鉱石は、当初は岩日線で運び、後にトラック輸送になった事を、後日に美川町史で知りました。
トラックから貨車に載せる手間を考えたら、トラックで運んだ方が、コスト的にも良かったのでしょうか?
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Unknown (あっくん)
2007-11-10 07:20:40
私もそうだと思います。鉱山は河山駅から一旦県道に出ますが、藤井旅館先からさらに、本郷方面に2キロ上流にありましたから、コスト的にはトラックが良かったとおもいます。因みに沿道のニワトリの産む卵の数も減ったそうですよ。
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