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中根東里の「本の読み方」

2017-02-05 10:25:23 | 折々の随想
些か古い本ですが、先日FBの記事をある目的で参照していたら、筆者が当時読んだ「無私の日本人」(磯田道史著)-2012年10月刊-の中で触れられている江戸時代の儒学者、中根東里の本の読み方について記事にしておりました。今一度、肝に銘じるべき言葉がちりばめられておりましたので、このブログに引用してみました。-以下、引用文-

中根東里っていう江戸時代の儒者、この人の生きてきた軌跡を50ページほどで綴った本を読んで、珍しく最後には少し涙腺が緩みました。

加賀百万石の御儒者への士官の道を自ら捨て、汚い裏長屋で、最後は水だけ飲んで機巧(からくり)仕掛けのように読書する東里に対し、あるとき不思議に思った長屋の住人が、「あんたは、一体、なんのために、そんなに本を読みなさるのかね」と尋ねると、東里はおもむろにおもてをあげ、「わたしが本を読むのは、きっとこの人生を満たすためでしょう。欲が深いのか、本を読んでいなければ自分が保てない。うまいものが喰いたくなったり、銭がなくなるのを心配したりしてしまうのです。でも、ほんとうは、いたずらに本を読んで娯しんでいるだけではいけない。もっと思索しなければいけない。そうすれば、いけないことをしたときに、恥ずかしいと思える。本を読んだだけで、人格を完成できる人は素晴らしい。そこまでいかなくても、本を読むと、いけないことをしたとき、恥ずかしいと思えるようになる。わたしのように、本をただ読んで娯しむだけではいけないのですが・・・・」

貧しい長屋の庶民に対してこれだけ平易に読書をする目的を語っている人物が、かつての日本にいたんですね。

また、乞われて佐野の地で王陽明の「伝収録」を講義したとき、それを聴きに来た少年に対して、東里は、本の読み方について、こう言い放ったという。

「みなさん。書物には読み方というものがあります。書を読む人は、読むまえに、まず大どころはどこかを考え、そこをきちんと読むことを心掛けてください。・・・真実、道を志すということは、飢えて食をさがすようなものです。・・・みなさんは道を得るために、まっしぐらに、書物のなかの大切なところをみつけて読んでいかなくてはなりません・・・」それで、結局は「聖人の学は、なにも難しいものではない。ただ、ひとつのことがわかればよい。」と戸板をなぎ倒すような迫力で、東里は-天地万物一体の理がわかれば、それでよい、というのである。

-以上、引用文-

なんと、あの時代において「天地万物一体の理」さえ分かれば良いと言ってます。そしてその心が仁だと。。

この著者のあとがきの次のような文章にも感動。

「ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。」
コメント
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