先月、鹿児島市内にある福昌寺跡周辺をお散歩してきました
案内板のとおりに進んでいくと
史跡・福昌寺跡に着きました
玉龍山福昌寺(ぎょくりゅうざんふくしょうじ)は1394(応永元)年に島津元久によって創建され、
代々島津藩主の菩提所となった寺院。最盛期には1,500人を超える僧がいたと言われています。
ザビエルさんは鹿児島滞在時にこの福昌寺を宿所としていたそうで、
この寺院の東堂・忍室和尚(にんしつおしょう)とザビエルさんの異宗教間の対話の様子は、
ルイス・フロイス氏の「日本史」にも描かれていました。
福昌寺は1869(明治2)年に廃仏毀釈によって廃寺となり、
跡地には鹿児島玉龍高校が建てられました。
史跡・福昌寺跡は、その校舎の裏手にあります。
門には島津家の家紋である丸十紋。
中に入ると、墓地の案内図がありました。
この墓地には島津家歴代(6代〜28代)とその一族、並びに福昌寺歴代住職の墓などがあるそうで、
初代から5代までの墓地は、鹿児島市の本立寺跡、出水市の感応寺、神奈川県鎌倉市西御門(初代のみ)の
3箇所に、29代からはこの墓地の西方、常安峯にあるそうです。
一旦外に出て、墓地と玉龍高校の校舎の間にある道を進むと
鹿児島島津家墓所の入口がありました。
さらに先に進むと、キリシタン墓地の案内板がありました。
明治新政府が長崎浦上のキリシタンを弾圧し、改宗を目的として20の藩に分散留置したとき、
薩摩藩には375人が預けられ、福昌寺に収容されたそうです(1870(明治3)年に収容され、1873(明治6)年に帰郷)。
この階段を上った先にあるキリシタン墓地には、滞在中に亡くなられた方々のお墓があるそうです。
来た道を戻り、表通りに出ました
ちょっと歩くといろいろな歴史に触れることのできる町だな〜と実感したお散歩でした