memory of caprice

浮世離れしたTOKYO女子の浮世の覚書。
気まぐれ更新。

片岡義男の新作

2014-07-27 09:40:56 | BOOK
2014年7月20日の書評欄に、片岡義男の本2冊の紹介が載っていた。
女子高生、大学生の頃、その頃、圧倒的に影響力のあった雑誌「JJ」に連載されていた小説が片岡義男によるもので、完璧な美貌の女性がシャワーを浴びた後フルーツオブザルームの3枚1パックの白Tシャツの新品に腕を通し、京紅の貝殻から指で唇を彩り、バイクで朝の海岸線を疾走するといったライフスタイルが都会的なタッチで描かれ、安西水丸の簡潔な挿絵がそんなムードを盛り上げていた。

流行作家なのだと思っていた彼の新作が今もまだ、ということに目を惹かれ、読んでみた。

早大教授、佐々木敦氏による書評を紹介させていただきます。

片岡義男の筆にかかると、東京はまるで外国の都市みたいに見えてくる。登場人物は皆、几帳面に姓と名を持たされており、女性の多くは下の名前がカタカナで、男達は作家か編集者か俳優、女性の職業のバリエーションは多彩だ。彼ら彼女らの人生の一場面、連続しているような、そうでもないような出来事たちが、字義通りの意味でハードボイルド的というべき筆致で、鮮やかに切り取られる。
『短編を七つ、書いた順』は「作家生活40周年書き下ろし」。「せっかくですもの」では、二十八歳で実家に戻った「宮崎恵理子」が二年後に就職が決まって再び家を出る準備をしていた或る日、最寄駅のドトールと駅の改札で二度、父親と出くわす。二度の偶然の間に彼女は友人の「倉本香織」とスペイン料理を食べ、2人で新居を見に行き、電車を乗り継いで還ってくる。題名はそのまま父と家には戻らずに寄った店で、バーテンダーが彼女に言う一言だ。「なぜ抱いてくれなかったの」は五十三歳で独身、作家の「三輪紀彦」が高校時代のクラスメイトの「中条美砂子」と再会する。卒業後2人は一度だけデートをした。彼女はその後、女剣劇の世界に入り、引退後の今は喫茶店を営んでいる。題名は彼女が彼に言う台詞である。彼が返答を思いついたところで、小説は終わる。
『ミッキーは谷中で六時三十分』の表題作は、二十八歳独身でフリーライターの「柴田耕平」が偶々入った喫茶店のマスターから、娘付きでこの店を切りまわさないかと持ちかけられる。その娘は「楠木ナオミ」といい、ビリヤードが上手い。ナオミは柴田をかつてはポルノ女優をしていた母親がやっている食堂に連れていく。以下、作者いわく「コメディの試み」の七編が収められている。2冊を足して14編、どの人物も実に「小説の登場人物」らしい。だがその”らしさ”は他の作家が書くそれとは全然違っている。

あの独特の感覚を想起させようと、それぞれの短編の設定を延々連ねて観たものの、やはり伝わっていないことに気付いて、これじゃない、と一言
(笑)
そう、あの独特の間や流れる雰囲気を再現するのは難しかろう。
ふと、時間があれば読んでみたいな、この新作、と思わせただけ成功している書評なのかも。

『短編を七つ』 幻戯書房 2052円
『ミッキー』 講談社 1836円 片岡義男 40年生まれ 作家




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