memory of caprice

浮世離れしたTOKYO女子の浮世の覚書。
気まぐれ更新。

旅の記憶~中野 ととら亭

2014-08-17 17:10:03 | グルメ
2014年8月10日(日)朝日新聞東京版でのご紹介。

中野の ととら亭。
世界中を旅してきた夫婦が、現地の食事を再現して出すお店があるそうな。
中野区野方5丁目、西武新宿線野方駅近くにある、カウンター4席とテーブル12席のお店。
大手商業施設の運営会社に勤めていた久保栄治さん(50)とフランス料理人だった妻の智子さん(43)が2010年に開いたとか。

お店の方針は
1)現地の美味しいものを再現する
2)日本人向けに味を調整しない
3)日本人の口に合わないものはださない

旅先では安宿に泊まり庶民の食堂を探す・・というスタイルで、料理を研究。
現地の料理人に聞くだけでなく、料理学校に入ることもあるとか。

2人で旅したのは40カ国。
ハンガリー、ジャマイカ、ペルー、ネパール、モロッコ、チュニジア、スリランカ、マレーシア、・・
今年はすでにアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアを訪ねた。一回の旅に2週間をかける。

旅から戻ると、栄治さんが食材や調味料を1g単位で決めてレシピを作り、智子さんが試作を繰り返す。
メニューに加えるまで数カ月。
アラブの「食べるラ―油」を塗った「チキンのアラビア焼き」(1200円)やモロッコ料理の「オリーブのハリッサ和え」(450円)など定番メニューも増えた。
前菜は900円、メインは1500円程度。
旅先の料理を出すのは夜のみ。

詳しくは http://www.totora.jp/

これは行ってみたいですね!


ダニエル・キイス考

2014-08-03 13:14:07 | BOOK
2014年6月に亡くなった「アルジャーノンに花束を」の著者、作家のダニエル・キイスとその仕事から、現代人の「自分探し~自己承認欲求の形」の状況をつづった 朝日新聞読書欄に同年7月27日に精神科医香山リカが寄せた一文を、掲載させていただこうと思います。

人間の精神、知と情のバランスについて、非常に痛切に考えさせられた一冊、20代前半に読んで印象深かったのと、その後ベストセラーになった「24人のビリー・ミリガン」についてはそれほど普遍的な真実を突き付けている、というよりも、興味のある方向にちょっと枝葉を伸ばして深めてしまったなという感じを受けたのを思い出しつつ・・・。


ダニエル・キイスがこの6月に亡くなった。『アルジャーノンに花束を』で知られるSF作家だが、ノンフィクションライターとしての代表作は、実在の解離性同一性障害者を描いた『24人のビリー・ミリガン』だ。
 オハイオ州の強盗強姦事件で逮捕・起訴されたビリー・ミリガンという名の男性が、心理学者と話す中、「ぼくはビリーじゃない」「ビリーは眠っている」と言い出す。弁護士らが精神鑑定を求め、ビリー本人の他に、23人もの人格を持つ解離性同一性障害者(当時は「多重人格者」)であることがわかる。交代人格には女性や子供もいたが、彼の犯行は「フィル」「ケヴィン」など凶暴な人格によるものだったのだ・・。

 裁判の記録や周囲の人たちの証言も交えたビリーの半生記が米国で出版され、日本語版が出たのは1992年だ。当時、精神科臨床の現場で解離性同一性障害の患者さんに会う機会はほとんどなかった。出版社から日本語版の解説を依頼された私は、「こんなに稀有な障害の記録に一般の人が興味を持つのか」と疑問も抱きつつ、不安も感じていた。キイスの筆によるビリーという極端な多面性を持った存在、またそれぞれの交代人格たちが、あまりに生き生きと魅力的に描かれ過ぎていたのだ。中には芸術家肌や外国人もおり、この障害が虐待からのサバイバルを目的として生じることを知らなければ、「ひとりでたくさんの人生を生きている人」というあこがれの対象にもなりかねない。
 この作品が出版される前、80年代半ばから日本ではちょうど「私さがし」と呼ばれる自己探求、自己啓発のブームが起こっていた。しかし、誰も平凡な答えにたどり着きたいわけではない。「私さがし」の潮流は自己愛と連結して次第に「私の中に眠る無限の可能性」を目指すようになり、さらに「多少ブラックであっても”実はすごい人”でありたい」と願う人も出てきた。『羊たちの沈黙』の天才精神科医にして連続殺人鬼でもあるハンニバル・レクタ―が人気者になったのも、「ブラックな私さがし」と関係あるはずだ。
 『24人のビリー・ミリガン』はあっという間にミリオン・セラーとなった。数奇なビリーの人生に興味を惹かれた読者も多かったとは思うが編集者にきくと、「ビリーの気持ちはよくわかる」「私の中にもいくつもの私がいる」など過度に共感、感情移入する手紙が多く届いたと言う。

 そして間もなく、臨床の場にも「私、多重人格かも」と訴える人たちが押し寄せるようになった。その中には、医学的にそう診断出来る人と先ほどの「ブラックな私さがし」の答えとしてそこにたどり着いた人とがいた。しかし、その境目はあいまいで、私は「もしあの本が出なかったら、多重人格はこれほどポピュラーな病にならないままだったのでは」とも想像した。
 「私さがし」のブームは続き、95年には「ソフィーの世界」という哲学入門書がベストセラーとなったが、少女が「あなたはだれ?」と書かれた謎の手紙を受け取って哲学探究の旅に出るという本書も「私さがし本」として読まれたのだろう。
 生きて行くのはつらい。「自分が思っているよりあなたはずっとすごい」と誰かに言ってもらいたい。とはいえ、「私さがし」は本の中の旅にとどめ、現実では平凡な自分をやさしく受け入れるべきではないか。最近はそんなこともよく考える。