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人生、消去法
世捨て人のつぶやき




ナショナリズムについてふと思いついたのでメモ。



ごくごく大雑把な話としてだが、いわゆるナショナリズムというものには、右翼は親和的であり、左翼は否定的だと思う(左派ナショナリズムがあることは承知しているが、ここでは措く)。



左翼=リベラルは、戦前への批判的精神から、「素朴なナショナリズム」を徹底的に拒否する。



私個人は、「なんとなくリベラル」だったが、誰に教えられるともなく(まぁ、学校教育の影響は大きかっただろうが)、「素朴なナショナリズム」を敵視してきたし、それに対する形での「個人主義」あるいは「自由」や「(個人の)独立」を重要視してきた。




そして、その帰結として、左翼=リベラルは「ナショナリズムを否定している」と考えてきた。



しかし、どうも違うのではないかと考えるようになった。



どういうことか。



左翼=リベラルは、日本の第二次大戦時の悪行(植民地支配、慰安婦問題等)を批判する際には、必ず「日本人」という集団的持続性を前提として批判を展開する。



そうであるがゆえに、まずはじめは「自己批判」の形を取り、そこから範囲を拡大して現代の「日本人全般」に反省を強いる。



これは言わば「負のナショナリズム」なのではないか?



もちろんそこには但し書きがつく。



左翼=リベラルは「個人」を重んじるから、「そうやって過去の負の遺産を引き受け、かつ同胞に反省を促している『今現在のこの私個人は集団としての日本人に対して優越している』」と考えるのだ。



おそらく、左翼=リベラルの人々の多くは、このようなことを自覚していない。



彼らは「自分たちはナショナリズムから解き放たれている」と考えている。



ここでは、「ナショナリズム」という言葉を使うことが不適切なのかもしれない。



うまく言えないが、「帰属性」みたいな感じが適当か。



「ナショナリズム」は「国」単位のものであるから、より普遍的に、あるレベルでの集団への「帰属意識」というものを問題にしたい。



政治というものは、集団だからこそ発生する。



山奥に一人暮らしていれば、政治などない。



うーん、うまく考えがまとまらない。



今回はここまで。


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年がまた開けてしまった。



言うまでもないことだが、元旦には能登半島を中心にした大地震があり、翌日には、羽田空港で飛行機の衝突事故という、これまたショッキングな出来事があった。



年々、年をとるごとに私の心は乱されやすくなり(情けないことだがそれは事実だ)、正月三が日は泣き暮らしていた。



思い返してみれば、私は阪神淡路大震災の被災者だった。



被災者だったのだが、当時の私はあらゆるものに対して心を閉ざしており、「面倒なことに巻き込まれたなぁ」という感想はあったものの、心理的にはいたって平板というか冷静さを保っていた。



それが変化を来たしたのは、東日本大震災においてだった。



津波に飲み込まれてゆく仙台の街並みに、なぜだか私の心は大いに乱れ、はらはらと涙が流れた。



もうこれ以上の動揺はないだろうと高をくくっていたら今回の震災が起こった。



わからないものなのはわかっているのだが、この私一人の短い人生の中で、三度も大震災を経験しようとは思ってもみなかった。



さて、前途多難な年初となった。



少しでも幸多き一年となりますようにと祈るしかない。



人間の小ささ、自分の非力さ。



祈ることを意味がないと嗤う向きもあるだろうが、そのような人は若いのだろう。



良き一年となりますように。


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寒かったと思ったら、やはり今季の最低気温を更新していた。



年が明ける前からこの調子だと、先が思いやられるなぁ。


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昨晩は、夜中に3度も津波警報のアラートで叩き起こされ、ただでさえ良くない睡眠の状態がさらに悪化してしまった。



警報の一度目の段階では、特に地震の情報はなく、「はて、また誤報か?」と思ったが、二度目の段階でようやくフィリピン沖での大地震ということがわかった。



そんなこんなで、今朝の気温には気が向いていなかった。



ところが、そんなときに限って、確かめてみたら、今季の最低気温を更新していた。



また一段と寒さが深まったわけだ。



そして、いよいよ師走である。



ときの経つのがとても早い。



年齢を重ねるごとに、時間の経過が早くなり、そして、一年があっという間に過ぎるようになる。



この一年、ほぼ完全に読書ができなくなった。



それにもかかわらず、月に1、2冊は本は購入していた。



もともと積読の癖は大いにあったので、まぁ仕方ないと思っていたが、いよいよ1年を超えるに及んで、これはもう購入するのを控えたほうが良いのではと考えるようになった。



本の山も収拾できない事態になった。



その一方で、無意識のうちには勉強したい欲があるのか、夢によく大学が出てくる。



身体は勉強を求めているのだが、同じその身体が言うことを聞かない。



世事はままならぬものである。


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朝は冷え込んでいたようだ。



「ようだ」というのは、その前の晩は生暖かく、掛毛布を使わずに就寝し、そのまま朝を迎えたからだ。



寒いのやら暖かいのやらよくわからない気候で、体の調子が狂い気味だ。



先週も、暖かい夜が2日ほど続いて、その後体調を崩してしまった。



それも、久々の「どーん」と来るやつだ。



やっと回復してきたと思ったら、また同じような気候になった。



今度は体調崩れませんように。


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今朝、何気なくブログの管理画面を開いたら、そこには「ブログ開設から6,800日」の文字列が。



もうそんなに経つのか、と遠い目になった。



ブログというメディアがもてはやされたのは、もうはるか昔のこと。



いまや、YouTuberが人気となった。



もちろん、私にそんな状況変化に適応する能力などなく、ただダラダラとブログを続けている。



私淑するfinalvent氏も、いまやほとんどブログは書かれなくなった。



寂しいものだ。



残された時間は短い。



どうにかしたいが、どうにもならない。



つらいなぁ。


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また一段と冷え込んだ。



寒さが身体にこたえる歳になってしまった。



参ったなぁ。


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数日、暖かい日が続いたあとにぐっと冷え込んだ。


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昨日、ようやくというかついにというか、最低気温が氷点下になった。



去年はもう少し早かったようで、11/7に氷点下を記録している。



私の住む地域は盆地ということもあり、冬場には底冷えのする気候である。



これからさらに寒さが強まっていく。



鬱々とした気分も強まりがちだ。



気をつけねば、と思う。


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今日こそ氷点下かと思ったのだが、残念ながら未達。



また、「今朝」と書いたものの、正確には0:55の気温なので、未明の気温ということになる。



昨日は法事でクタクタに疲れたこともあって、夜19:30に床に就いた。



今日は朝からQPコーワゴールドαを2錠飲み、午後さらに加えて、タウリン3000mgの栄養ドリンクを飲んだ。



まだ、疲れはスッキリしない。



身体の衰えを感じる今日このごろ。



いやはや。


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うっかり記録するのを忘れていた。



てっきり零下になると予想していたのだが外れた。


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今朝は冷え込んだというよりも、昨晩からの冷え込みがひどかった。



ちょうど真夜中に当たる午前0:33に今日の最低気温を記録した。



ただ、去年の記録を見ると、すでに11月の初旬に零下を記録していたようである。



とすると、今年はまだ暖かいということになる。



とはいえ、明日はまたさらに冷え込むそうだ。



となると、零下になるのはほぼ確実のようだ。



寒さには人一倍強いと考えていた私だが、寄る年波には勝てないのか、だいぶ寒さへの耐性が衰えてしまった。



掛毛布は出しているのだが、敷毛布はまだなのだが、昨晩は少し寒く感じた。



話は変わるが、昨年はじめにアモキサンをやめてから(正確には発売停止になり使用できなくなってから)、どうにも体調が良くない。



アモキサンという薬は劇的に聞くような類の薬ではないのだが、じんわりと気力の底を支えてくれていたのだなと感じる。



昨年秋ごろからもう1年以上、夜は20時ごろには床に就く日々が続いている。



アモキサン服用中には、23時くらいまでは起きていられたのに、である。



19時半頃から20時ごろには、もう椅子に座っているのもつらくなってくる。



ほうほうの体で床に就くのだが、そこから眠りがやってくるまでがまたつらい。



眠剤が早く聞いてくれる日は良いのだが、うまく効いてくれない日には布団の上で寝苦しさにのたうち回ることになる。



というわけで、この一年余りは踏んだり蹴ったりの日々だった。



なんだかなぁ。


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昨日から天気がよく、それによる放射冷却の効果か、今朝の気温はぐっと下がった。



先日、10/22(日)の3.4℃から0.3℃の低下だ。



さて、今日は「ハッピー・ハロウィーン」ということもあって、都会はにぎやかだろうが、私の住む山村では静かなものである。



そして、なんだかんだで10月がもう終わってしまい、今年も残すところ2ヶ月となってしまった。



まいったなぁ。やれやれ。



そうはいっても、時間は過ぎていく。



今日は午後に30分ほどベッドに横になった。



ここ数日の疲れがどっと出たようだ(このブログでは明かしていないが、親族の不幸があり、バタバタしていて、昨日一段落がついたばかりなのだ)。



現在49歳。



来年はいよいよ五十代である。



五十路(いそじ)というやつだ。



まったくもってそんな自覚を持てないのだから困ったものなのだが、そうはいっても身体はガタついてきている。



年々あちこちに不具合が出るようになった。



正直、この人生に未練というものはもうないのだが、一人残った父を見送るまではなんとか生きねばな、と思う今日このごろ。



父は明日ゴルフに行くそうだ。



元気なことでありがたい。



私は家で静かに過ごすのみ。



この一年全く本が読めていない(絵本は除く)。



それにもかかわらず、毎月一冊は本を購入している。



机の上にも、座席の後ろのワイヤーラックの上にも平積みの本が山をなしている。



まぁ、これでも抑えられているうちであって、もし私が都心に住んでいて、大型書店に通えるような環境にいたとしたら、もっと酷いことになっていたはずである。



そう考えれば、幸か不幸かマシなのかもしれない。



そろそろ余命を考えていかないといけないのかもしれない。



Facebookで繋がっている大学の恩師はそろそろ還暦を迎えられるということもあり、FB上の投稿にも一種の焦りが見られる。



とはいえ、着実に実績を積み上げておられる方なので、何の積み上げもない私の視点からは、なんと贅沢な悩みだろうか、と思うのもまた正直な感想ではある。



まずはなんとか健康を取り戻したいのだが、これがまた難しい。



アモキサンが販売中止になって以降、どんどん夜更かしができなくなり、だいたい平均夜20時には床に就く毎日だ。



少し酒を飲みたい気持ちもあるのだが、身体の不調からそれも叶わない。



元気になりたいなぁ。


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今朝は冷え込んだ。



またもや最低気温を更新である。



朝方はさすがに寒いので、ついにエアコンで暖房を入れた。



足温パネルも出して使い始めた。



夕食時には、父が石油ストーブに火を入れた。



今年の秋は、過ごしやすい時期が短かったように思う。



庭の鉢植えのイチョウも、いつの間にか色づいていた。



時は移ろいゆく。


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私が私淑するネット賢者finalvent氏のブログ、「極東ブログ」が久々に更新された。





このエントリの前のものは8月1日のものである。



ということは、約2ヶ月半ぶりの投稿となる。



氏もブログから遠ざかってしまわれたので、私としては寂しいところ。



そんなところに新しいエントリが来た。



おぉ、と感激した。



お得意の書評である。



私個人は、去年の秋ごろから、とんと凝縮された文章から遠ざかってしまって、読書どころではない日々が続いていることもあって、今回のブログの文章はちょっとしたリハビリになってくれた。



閑話休題。



氏のブログと言えば、かつて夏目漱石の没年になったことを感慨深く書かれていたことを思い出し、そんなこともあったなぁ、と懐かしく思い出したのだが、では、夏目漱石の没年は何歳だったろうとWikipediaを見て驚いた。


なんと漱石の没年は49だったのである。



なぜ、それに驚いたのか。



現在の私の年齢だったからである。



うかつだった。



氏の影響を強く受けていたにも関わらず、この事に全く気が付かなかったからだ。



氏は現在60代の前半だったと思う。



とすると、氏の漱石の没年になったときのエントリは、もう干支がひと回りするほど以前のことなのだ。



まいったなぁ。



今度は私が漱石の没年になった。



喜ばしいことに、氏と同じく私もまたこんな年齢まで生きられると思わなかった人間だ。



「生きられる」というよりは、とっくに死を選んでいた可能性が高いといったほうが正確だろうか。



人生悲喜こもごも。



なんともはや、時の流れはかくも早い。



やれやれ。


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