私は今年44歳になった。
父は81歳になった。
ありがたいことに父は元気だ。
父は月に2,3回ゴルフに行く。
寒くなってきているというのに、今日も次のゴルフの打ち合わせを友人としている。
私の方はといえば、毎日代わり映えのしない毎日だ。
最近、ビタミンDのサプリを飲みだしてから、やや調子が良くなってきているのが救いだ。
2年以上に渡って苦しめられてきた慢性の下痢が治ってきた。
まぁ、プラセボ効果かもしれんが。
さて、父のゴルフに対しては、正直なところ複雑なものがある。
ほぼ一日、顔を合わさずに済むのでいい面もあるのだが、やはり、いい気なものだな、という感は拭えない。
父がゴルフを始めたのは比較的遅く、40歳を過ぎてからだったと思う。
まぁ、いまの私くらいのときにはゴルフをしていたわけだ。
翻って、いまの私にゴルフをする経済的、身体的、精神的余裕はない。
父と自分とのこの違いは何だ、という思いが首をもたげる。
もちろん、鬱を患っている無職の身なのだから仕方ないとはいえ、たとえ、鬱でなく、仕事を続けていたとしても、ゴルフになど縁はなかったであろう。
こんな私を見ていても、父は、自分がゴルフを楽しんでいるのに対して、息子が過去も現在も、そしてこの先の将来に渡っても、ゴルフになど縁がなさそうであることに対して、疑問を感じている様子はない。
私が中学・高校の頃、父に連れられてゴルフの打ちっぱなしに行くことが時々あった。
子供心に、いつかはコースに一緒に行こうと言われるのではないかという思いがあった。
しかし、現実には、私が鬱になる前の元気なときにすら、父は私をゴルフに誘うことはなかった。
自分のお古のゴルフ用品を譲ろうとすることもなかった。
そして、まず間違いなく、このまま私と一度もゴルフをプレーすることなく父は死ぬのだろう。
私には不思議でならない。
もし私が父の立場にあれば、自分がゴルフをするなら、一度くらいは息子とプレーしたいと思うのではないか?
私は2000年に就職した、いわゆるロスジェネ世代だ。
就職氷河期の一番のどん底のときである。
そのロスジェネ世代は、いまや40代になり、その多くが不安定な雇用に置かれたまま、貧困のうちに老年を迎えようとしている。
その親の世代の多くは60代から70代であり、恵まれた雇用環境のもと、家庭を持ち、年金も減ってきているとはいえ、健康で文化的な生活を送るには十分な額をもらいながら、豊かに暮らしている。
その豊かな親世代のおかげで、ロスジェネ世代はなんとか食いつなぎ、生き延びているとも言えるだろう。
私の父は、その世代の中では晩婚で、なおかつ結婚してから子供ができるまでに7年を要したことから、すでに80代なわけだが、状況としては何ら変わるところはない。
事実上、私は父の年金によって養われている。
44歳にもなって父の扶養家族に入れられている。
なんてこった。
さて、このような親子間の世代間格差について敏感なのは親世代だろうか、それとも、子供世代だろうか?
どうも世間的に見ても、親世代は子供たちの不遇をあまりにも低く見積もっているのではなかろうか。
努力すれば、我慢すれば、贅沢さえ言わなければ・・・。
それなりに生きてこれたのが親世代である。
それに比して、子供世代は、努力しても、我慢しても、贅沢も言っていないのに、ろくな目にあっていない。
特にひどいのが全共闘世代の団塊の人々である。
「もう経済成長はいらない」などと嘯いている連中が、くだらないデモに押しかけている。
斜陽であり、どん詰まりである。
もういい。
早く終わりにしてくれ。
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