大学の頃、結構音楽にも文学にも理解のある人でさえ
「悪いひとたち」については、「ベンジーっていい人だよねー」という感想で
なんか、まぁ、そりゃそうなんだが、
やっぱ分かってねーな、こいつら、と思っていたわけです(えらそーでスマソ)。
どういうことかと申し上げますとですね
確かに初めのほうの歌詞には太平洋戦争での日本軍をちょっと連想させるところがあって
ま、そこから最後のほうまでずっとベンジーの視線は、
繊細なヒューマニズムを感じさせるものなわけですよ。
で、これだけをもって「ベンジーっていい人だよねー」というのは
間違っているわけではないですが
この歌の芯の部分を理解していることになってないんじゃないだろうか、と思うわけです。
じゃあ具体的にどうこの歌はすごいのか?
まず、全体の展開の仕方を見ると大きく三つに分けられると思うんですよ。
つまり、ちょっと無理矢理名前を付けるとすると
1、過去の絶望
2、現在の絶望
3、未来の・・・?
という感じ。
1、の過去の絶望では、先程も書いたように
先の戦争を思わせる、そしてそのあとの推移については日本を連想させる、そんな光景が描かれる。
とはいっても、日本のことだけではなくもっと一般的な、
人間の歴史への絶望ととらえたほうがいいでしょうが。
そこから場面は、徐々に現代に近づいていく(2、へフェードインしていく)。
「あの過去の出来事」と地続きに「今」というものあるのであり
そして、また、違った形での絶望を生み出しながら営まれているということ。
「山は削られ 川は死に」高度成長のなかでひずみゆく世界
そこで「求められたのは発明家と娼婦」・・・
普通「発明家」と言えば、ポジティブな意味に聞こえるもの。
でも、ここでは娼婦と並べられることで、
発明家による「発明」の負の側面が暗示されている(この辺のセンスはさすがベンジーと思ってしまうな)。
さらに内容はつい最近(当時の最近ね、って今も当てはまるか・・・)に近づいてゆく。
幼女誘拐事件、そしてそんな残酷な事件を退屈しのぎに「消費」する人々・・・
さらにここからベンジー独特のイメージの世界へ(2、から3、へ)
そんな社会で残酷な事件をネタに暴利をむさぼる、高級車の後部座席に座る男は
「第3次世界大戦のシナリオライターを目指してる」
その車に今まさにひき殺されようとする黒人少年
その一方では「日傘を差して歩く彼の恋人は妊娠中で
お腹のなかの赤ちゃんはきっと可愛い女の子さ」
何かがおかしい。
今までも、そして今もそうだ。
そして、これからもずっとそうなのか?・・・勘弁してくれ。
どこまでも救いのない光景がこれでもかこれでもかと続く。
「第3次世界大戦のシナリオライターを目指してる」男になんでかわいい女の子が生まれにゃならんのか?
不条理だ。納得いかない。でも、それはありえることだ。
でも、この最後のところで過去、現在へと続いて来た流れが「未来」へと接続されている、とも言える。
「未来」=「お腹のなかの赤ちゃん」なのだが
ここで少しこれまでとは状況が変わっていることにお気づきだろうか?
確かに不条理としか言いようのない展開なワケだけれども
実はここに「未来」の希望(って言っちゃうとちょっとニュアンスが違うんだけど・・・)があるのではないか。
この「赤ちゃん」は「第3次世界大戦のシナリオライターを目指してる」男の子供である。
だけど、「きっとかわいい女の子」なのだ。
ここでの「かわいい」っていうのはいわゆる顔が可愛いか不細工かとかそういう意味ではなくって
「第3次世界大戦のシナリオライターを目指」すことの対極なるものを表している。
戦争や残酷な事件の正反対にあるもの(平和とか幸せとか)の象徴なのだ。
ことほどさように、未来は絶望だけではない。
かといって希望だけでもない。
それぞれが別に存在しているわけでもない。
ぴったりとその二つは背中合わせになっていて
どちらかだけを取り出すということは出来ない。
これまでの経過を見れば、およそその希望とやらもすぐに打ち砕かれるのかも知れない。
でも、それは未来(=未だ来らず)であるが故に、端的に「分からない」ものだ。
もう一度歌詞に戻って見てみれば、この赤ちゃんはまだ生まれていない。
だから、当然実際には男の子が生まれるかも知れないわけだ。
それはわからない。
じゃあ、なぜ、きっとかわいい女の子なのか?
ここでベンジーは希望を語っているのではない。
「第3次世界大戦のシナリオライターを目指してる」男からきっと平和の象徴が生まれてくるよ、なんて
そんな寝ぼけたことを言っているのではない。
では、一体なんなのか?
端的に言うと、これは「祈り」だと思う。
(ここでの「祈り」とは特定の宗教とは関係ない。私も無宗教だし)
絶望でも希望でもなく、未来に対して「祈る」こと。
これは、最後の最後に(←ここ重要)人がとることのできる出来るただひとつのことなのだ。
終わりそうもない闇の中で、それでも生きていくこと。
そのことをベンジーはおそらく胸をかきむしる思いで言葉にしてこの歌に刻み付けたんじゃないだろうか。
最後のリフレインでベンジーは繰り返す。
「きっとかわいい女の子だから
きっとかわいい女の子だから
・・・」
ベンジーは誰に向かってこの言葉を言っているのだろう?
恐らくは自分自身に対して。
恐らくはこの不条理に満ちた世界に対して。
そして恐らくはこれから訪れる未来に対して。
この言葉を言うことで、ベンジーは何をしようとしているのか?
不条理の告発?未来への希望を持つこと?・・・どれでもないだろう。
祈っている。それも祈るしかないから祈っている。
最後の最後に、絶望で崩れ落ちそうになる自分を・世界を・未来を支えるために。
この世界は残酷で、タフじゃない奴にはキツすぎる。
ベンジーはタフじゃない。
言うまでもなく、この僕たちも。
そんなタフじゃない僕たちは、このどうしようもない世界の中でもがき苦しみ
あるいは現実から眼を背けることでなんとか一日一日をやり過ごしている。
もう、どんな正義も倫理もないし、人はみなバラバラだし、未来の見通しだって立ってない。
もう絶望することしかできることがない、そんな風にしか思えないとき、この歌を思い出そう。
どこか別世界のパラダイスや、理想の世界に逃げ込むことなく
現実のこの絶望の中で、それでも生きていくこと(=メタ絶望)。
ほとんど無理なことだけれども、そうするしかない。
そんなときにも祈ることは出来る、と言いたいけどそれもむなしい。
強がってみても、それは絶望の上塗りにしかならない。
でも、続いていかなきゃならない。なぜだか分からないけれど。
そんなときは、心の中でこのフレーズを繰り返そう。
「きっとかわいい女の子だから」
「きっとかわいい女の子だから」
・
・
・
そう、最後の最後に僕たちにできることは、「祈る」ことだけだから。
東芝EMIの「自主規制」に反発して、インディーズで発売された「完全版」シングル
 | 悪いひとたち |
The Blankey Jet City |
インディペンデントレーベル |
完全バージョンが収録されたベスト的アルバム
 | THE SIX |
Blankey Jet City |
EMIミュージック・ジャパン |
歌詞からするとアメリカのお話だと思うけど、日本だってそんなもんだしそう思えば世界中全部がそうやってできてる。
この歌は英開拓民によるアメリカインディアン虐殺の歌だ
馬鹿め
そして最後の最後は祈ることしかって自分で無宗教とか言ってるのに宗教家かって思いました。
最後の最後は何もできないでしょう。
最後の上に更に最後を重ねるくせに祈るだなんて最後という言葉をやすうりしすぎでしょう。
アメリカだアメリカだーてあなた方の国籍かは存じませんが日本を始め数多の国がしてきた事なのですよ(内戦も含めればむしろしてない国などありませんね)
それでも未来は……………と願う
祈りと言う結論に達した管理人さんは少なくともアメリカだ、で思考を止めた方々より深いですね 長文失礼しました
どこをどう解釈しても前の大戦における日本兵に繋がる部分が見受けられないのですが?
だから、「この歌は○○のことを指している」なんて議論は野暮だとは思います。
思いますが一言だけ。
日本が先の大戦でこういうことをやったというのは、GHQと特定アジアのプロパガンダであり、完全に事実に反します。
百歩譲って多少の差別意識があったとしても、歌詩にあるような虐殺とかはありませんでした。
女からすれば全然希望なんてないよこの歌詞
ここから学ぶべきは無闇に交わらないこと、産まないこと、そしていかに悪い人たちから逃れるかということだね
日本もやっていたと云う方は、戦後のGHQの統治政策等、調べる事をお薦めします。
BJCを聴く人の中にも、こんな人いるんですね。
そんなふうには聞いてなかったので、目から鱗を落としながら読ませて頂きました。
やっぱり普遍的な善悪の葛藤がこの歌の肝なんですよね。たしかに。アメリカがどうとかでなくて。
シナリオライターを目指す男なんかはやっぱり残虐な悪いひとたちの子孫だけど、その子供は憎むことができない、それどころか絶対の純粋であり正義だっていう葛藤が強烈ですよね。
ブランキーのひとたちがインタビューで言ってた通り、悪いひとたちが世界中どこにでもいたのなら、ビルが建ち並ぶ国で暮らすぼくらもその子孫かもしれないし、だとしたら自分の血を呪いたくなるけど、
自分の子供は勿論街で見かける他人の子供を呪うことなんてできませんよね?
現代の残虐なテロリストの子供達だってどうしたって愛するしかない存在なんだと思います。
そう思った時、悪いひとたち許せん!っていう気持ちがぐらりと揺らぎます。
未来と過去現在が背中合わせであるとともに、今この世界の中に、全ての人類の集団の中に究極の悪と究極の善が背中合わせになってるっていうことだとおもうんですよね。
私も一児の父なので自分の子供が大事、つまり日本の主権と安全が大事ですが、中学のときこの歌を聞いて、どこかで戦争が起きるにつけても一面的な物の見方はできないなって思ったものです。
敵を殺す時は敵の子供を殺すつもりで行くんだろうって思ったりすると、中学生には重かったし夜眠れなくなったりしましたね。
さらに未来への祈りだなんて言われると、また眠れなくなりそうです笑
みんなで手を繋ごうっていう平和なメッセージよりも、こうして重い葛藤をぶつけるのはブランキーの真骨頂なんだと思いますよ。
攻撃的なのに純粋なのは若い時の浅井健一の人となりそのものですしね。
奴隷制度、鉄道による発展、発明、第二次世界大戦を意図的に起こした国。歴史を学んだことがあるなら、真っ先にアメリカが頭に浮かぶと思いますけどね。
ブランキーのバンド名の由来とか、他の曲を聴いてもアメリカの架空の都市のことだとわかると思うのですが。
自分がこの曲から感じ取るものもほぼ同じです。
祈りなんですよね。
絶望の中の一筋の希望。
祈らずにいられないとき聴きます。
いろいろコメントでこねくり回す野暮な方もいますが、言葉はあくまで表面で、中に込めたものは伝わる人には伝わります。
良い文章をありがとうございました。
『悪いひとたち』って僕ら日本人のことなんだと思ってた。
コメント欄でこの曲がアメリカへの皮肉なんだって気付かされてもなお、
僕はあくまでも『悪いひとたち』の本当の意味を考えてしまう。
この曲で論文を書くわけではないけれど、どんな情操教育よりもためになって、
改めて自分を見つめ直す素晴らしい機会(Wonderful Opportunity)になった。
ちなみに、自分は『動物実験撲滅ソング』を聴いて彼らの虜になった。必聴の一曲。
どうもありがとう!
時間軸のこど含めすごく好きな解釈です。
コメ欄で変な思想や陰謀論を声高に言ってる人がいるけど
モデルはあるにせよ世界のどこにでもあった普遍的な人間の争いの縮図という意見以上のものはないと思うし、
この曲を聴いてなお「悪いひとたち」は自分とは関係ないやつら、違うひとたちのことで、自分は「良いひとたち側」なのだ、
と切り離して思えてしまう人はそもそもこの曲のはらむ大事な部分を全く受け取れていないんだな、という感じはする。
これは言わずもがなブランキージェットシティの名曲中の名曲で、私も若い頃影響を受けた一曲であるのだが、今さらながら歌詞の意図している内容には未だに未解明な部分を秘めている。
筆者の解説を読み、大いに納得をする部分もあるのだが、一箇所だけ明らかに解釈を間違えている部分があるので、ブランキー及び浅井健一氏の名誉の為訂正しておきたい。
歌詞の冒頭の「悪い人たち」を、大東亜戦争の旧日本軍の蛮行のように解釈しているが、これは明らかに間違いである。
これは、19世紀に横行した白人による奴隷制度もしくは植民地政策を指している。しいてはそれを許した全人類とでも言おうか。
人類とは残虐で横暴な罪深い生き物というべきか、全ての人類が十字架を背負っているとも言うべきか…
とにかく、旧日本軍の蛮行などという何の根拠も無いスケールの小さな解釈でこの曲を捉えてはならないし、時代背景的にも間違っている。
旧日本軍の蛮行に関しては、ここではあえて触れないが、特定亜細亜のたかが3国の歴史修正主義、捏造に翻弄され自虐史観に染まった一昔前の日本人のような事を言っているようでは、話にならない。
当人の浅井健一氏は優れた詩人であるが、少なくともここの筆者よりは真実の日本史を知っていて、それを感覚的に理解している。
所謂、天才肌である。
「悪い人たち」は一体誰なのか?
この解釈を間違えるとこの曲の真の意味に辿り着くことなど出来るはずもないと私は思うのである。
正しい解釈もなんもないと思うんだ。
それは、そうすると、
逃げてるだけかな、思考を放棄しただけかな、そんなことを考える。
書いたきっかけも、歴史も、分かってなくても、考える。
なにを共有しようとしたって出来ないもの。
みんな、それぞれが思い上がるだけ。
なにをしたらいいのか分かんないし、それじゃあ、皆、考えればいいの。
悲しくても、苦しくても。
見過ごすしかないの。押し黙るだけ。
そんなの、あんまりだって。そんな事認めないって、俺は信じようって、
これから、何を受け入れて「いかなきゃならない」、どう変わって「いかなきゃならない」、
変わ「れる」だろうか、は、すぐに、変わ「る」か、になって。
なんて俺は考えて。
記事内容とはズレた話かもしれんが。
はあ、何を書こうと同じか。
なんにせよ「凄い曲」だよね。
とても不思議な文章ですね。
もっとキリスト教の布教活動について勉強しろ
インディンアを虐げた白人
かわいい女の子は娼婦であり犯された女達だという皮肉だと思ってる。
大戦のシナリオライターに未来はないよ。
生まれてくる子どもに非は無いのにね。もちろん犯された女達にも非は無い。
初めて聴いた時、かわいい女の子だから、、、と繰り返される度に胸が痛くなったのを思い出す。
ネットでの発言は自由だけどこれじゃ、うん。
この記事書いた人、今何してんだろ笑
まあロックでアメリカのクッソッタレと歌う人がいてもそれはそれで面白いと思いました
ですね