私が大学を出たのは2000年である。
丸6年目ももう半ばを過ぎてしまった。
ひげにまで白髪が生え、腹まで出てきた。
むべなるかな、6年だもんな、などとつぶやこうとして
やっぱりやめる。
私が大学を出た2000年は就職氷河期のもっとも厳しい年だった。
私の世代は、子供の頃は世間での働き過ぎ批判を耳にして育ち
そんなにバリバリ働くもんじゃないんだな、というのと
もっと自分の時間を大切にするとか、そういうものに価値があるんだなと
なんとなく思わされて(あえて受動で書くが)きたように思う。
そしたら不況である。
しかし、まだ高校の頃は誰もまさかこんなに長引くとは思わず
まして、それが自分の人生に拭い難い暗い陰を落とすなどとは思いもしなかった。
高校のときある教師が
「君たちが大学を出る頃には不況はもう終わっているから安心して」
というような内容のことを言っていた記憶がある。
が、そうはならなかった。
私は田舎育ちで世間知らずで
親も同様に田舎でずっと暮らしてきたため
そんな激しい競争社会などというものに対する対策など
親子ともども何一つとってきていなかった。
(親は私に勉強しろとも言わなかった。
ま、そこそこの大学でて地元に戻りゃそれでいい、そんな感じだった)
そこそこまじめにしていれば、おのずと誰かが世話してくれて
それなりのというか世間並みの生活ができるようになるものだと
思い込んできた節がある。自分で言うのもなんだが・・・
そして、ほんとに「どうにもならない」という現実がそこにあった。
キツかった・・・
即戦力?
なわけねーだろ、っていう。
いや、同じような思いを経験した人は掃いて捨てるくらいいるだろうが
私にはあとがなかったことが
(つまり親が既に高齢でかつ仲が悪く、引きこもれる場所はなく
田舎の長男(つーか一人っ子)でフリーターなども選択肢としてなかったことが)
幸か不幸か、背に腹は代えられずというか
とんでもないドキュソなところに就職するという
一種の「荒行」(笑)へと私を導くことになった。
なんとかそこは抜け出した。
多少はマシな環境は手に入れることができた。
でも、やはりまだ将来への展望はない。
人と関わるのが苦手なシゾイド型であるのに、いまだに「調整系」業務だし
これが何か「経験」と呼べるほどのものにはなりそうにない。
何でも屋、それは何者でもない。不安だ。
時間が経つのが早い。
意味もなく疲れる。
音楽を聴いても、もう深く入ってこない。
小説も読み続けられない。
景気は戦後最長を超えたそうだが
正直その実感はあまりない。
若干近所の商店街の空気が軽くなった気がするが
それも景気というよりは私の気分次第なのだろうし。
ま、そんなとこ。
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