一つ前のエントリで「土の中の子供」について書いたんですが
そこにシゾイド型を思わせる描写があったので。
主人公が子供の頃に世話になった養護施設の長に
借金を申し込みにいって、そこで妄想にとらわれて叫び出す場面。
「彼は「落ち着け」と叫び、両肩を鷲掴みにし、私を酷く揺さぶる。
声が出ず、息が止まり呼吸ができなくなった。
彼は私を両腕で捕え、そのまま締め上げようとした。
彼の肌が、私の肌に重なる。
私は「他人だ」と叫び、逃れようとするが動くことができなかった。他人が、私に密着している。密着し、私の中に、入り込もうとしている。恐怖で身体が震え、肌の内側から染み出るような嫌悪感が、強烈な寒気となって私の身体を浸食する。「他人だ」「他人だ」視界が薄れ、喘ぐように叫びながらもがき続けた。」
(P.74~75)
他にもなんかシゾイドチックな記述があり
そういうのに親和性のある性格なのだろうか、この著者。
しかし、こういう感覚、すごく分かるんだよな。
学生時代、哲学に興味を持ち、その中でも他者問題というのに惹かれた。
高校くらいから、他人というものが良くわからず
初めはコミュニケーションの問題かな、と思っていたが
しばらくすると、どうもそうではない、と思うようになった。
それで、予備校・大学と、それ系の本を読んだりしたが
どうもどれも私の関心とは直接つながらない感じがして・・・。
身体性とか、無意識とか、本能とか
どれも私が考えたい「他人」というものには
ヒットしないのだ。
フッサールの本なんか難しすぎてまともに読めんので
解説書ばかり読んだが
間主観性とか、他我の構成とか、感情移入とか
どれも、根本的に違う気がしていた。
しかし、まぁ、現象学は方向としては間違ってないんじゃないかとも思ったが。
(竹田青嗣の影響かな。結構読んだし)
で、人格障害の本を読んで、シゾイド型人格障害の記述を見て
「これだ!」と思ったという次第。
いままでは、音楽の歌詞とかで「これって俺のことだよな」というのを見つけると
なんか少し楽になれる気がしていたが、
だんだん、そんな曲も見つからなくなり
いつしかどうせ俺は変なんだよ、
どうにも分析できない特殊事例なんだよ、という
息苦しいけどあきらめるしかないんだ、みたいな気持ちでいたんだが
「まさに、俺」という描写がシゾイド型人格障害のところに出てきて
やっと、なんか、落ち着いたというか
説明がついてよかったという安心というか・・・
ま、だからって何も解決しやしないし
「人格障害の時代」岡田尊司(PHP文庫)にもあるように
統合失調症に似た特徴を持つ人格障害
妄想性・シゾイド・スキゾタイパルの3つは
「自我が侵害されやすいため、合わない環境で不適応を起こすと、
精神病状態に移行することもある」(P.50~51)そうで・・・
ま、私も前の部署で上司とけんかして、自律神経失調症となり
それと時期を同じくして、ただでさえ悪い人付き合いがさらに悪化し
いまでは、人とすれ違うときはほとんど顔なんて見れないし
挨拶もほとんどできない。
態度も周りからはかなり変なやつと見られているだろうし
ホント寸前って所にいるような気がする・・・
というか、周りからしたらもう病気だと思われてんじゃないかな。
果たしてこの状態で転職とかして大丈夫だろうか。
今の会社よりドキュンな会社ってなかなかないとは思うので
何とかましにはなると思いたいのだけれど。。。
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