今日から6月。
早いものだ。
愛用のほぼ日手帳の6月1日の欄外には、谷川俊太郎の『詩人の気持ち。』という本からの引用が書いてある。
そこでふと、谷川俊太郎のことを思い返した。
谷川さんはかなり「わかりやすい」詩を書く人だ。
読者層も厚い。
谷川さんの言葉の伝わる力は大したものだ。
概して、現代詩人の現代詩人の書く言葉は「理解を拒絶する」ようなところがあり、読み手にかなりの負担をかける。
対して、谷川さんの書く詩は、驚くほどに読み手に負担をかけない。
スラスラ読めてしまうのだ。
それでいて、心を動かすものがある。
ときにそれは、読もうと思っていない人の心をも突き動かすほどのものだ。
ここで、ふと思った。
これは、ひとつの「暴力性」ではないだろうかと。
読み手の気持ちの如何に関わらず、読み手を巻き込んでしまうほどの言葉の強さ。
それが谷川さんの持つ「暴力性」だ。
私は良い読み手ではないので、高校くらいのときに文庫で(当時の)全集を読んだだけで、その後は新聞で取り上げられているのを時折目にするくらいで、著書は追っていない。
久しぶりに谷川さんの暴力性に巻き込まれてみたくなった。