Kindleにて。
先に『<仏教3.0>を哲学する』(藤田一照、永井均、山下良道)を読み出してから、こちらの本が前提されていることを知り購入。
2013年刊。
大乗仏教の流れを受け継ぎつつも形骸化してしまっている現状の日本仏教のあり方を「仏教1.0」、近年日本でも広まりを見せつつある現代の上座部系(メソッド化されたヴィパッサナー瞑想をその特徴とする)を「仏教2.0」とし、それらをいわば止揚するもとしての「仏教3.0」へのアップデートを提唱する書。
対話形式で大変刺激的な論考が展開される。
「仏教1.0」として語られる既存の日本の仏教宗派に対する批判は重い。
いわく、今の日本仏教は、病院(寺院)があり、医者と看護師(僧侶)も、患者(信徒および救済を求める苦しむ民衆)もたくさんいるのにも関わらず、そこでは「治療」がまったく行われていないというのが現状なのだと。
それゆえ、「治療」を目指す人々は明確な「治療」を提示してくれる「仏教2.0」に必然的に流れてしまう。
しかし、その「仏教2.0」も万能ではない。メソッド化されているがゆえに、一見たやすく救済が得られそうに見るものの、実際は厳しい。
「仏教2.0」は確かにメソッド化されているので、「煩悩即菩提」、「即身成仏」などという曖昧模糊とした(=わかったようでわからない)概念で人をはぐらかすかのように見える「仏教1.0」よりも頼りにしやすい。
しかし、現代人の自我/意識構造に深く根付いた「主客二分」の構造により、そのメソッドは無効化されてしまう。
では、そのアポリアを乗り越えるためにはどうすればよいか?
二人の著者はそれぞれ別の人生行路と理路をたどり、同じ結論に達する。
その結論は、何も新しいものではなく、すでに釈迦や道元がすでに示してくれていたもの。
始祖に還るのだ。
ただし、始祖に還るとは言っても、事は容易ではない。
「仏教1.0」である日本仏教も、「仏教2.0」である上座部系(テーラワーダ系)仏教も、ともに始祖の勘所を見失ってしまっているのだ。
藤田氏と山下氏の対話から「仏教3.0」というビジョンが生まれた。
それは、来たるべき新たな仏教でもあり、同時にかつ復古するべき失われたいにしえの真の道でもある。
その含意するところは、哲学的深度を持っており、つづく『<仏教3.0>を哲学する』と『<仏教3.0>を哲学する バージョンII』において、哲学者:永井均を交えて展開されることになる。