私の母は美容師で、私は小学4年生か5年生くらいまで母親に散髪をしてもらっていた。
*記憶というものは何度も思い出され、反復されていくなかで、少しずつ形を変え、その意味合いを、さらにはその具体的な相貌まで変化させてしまうともいわれる。
であるから、これから書くこの私の記憶は既に何ほどか「ほんとうではないもの」になっている可能性はある。
と、留保は付けてはみたものの、ホンネでは、この記憶は確かなものだと思っているんだが・・・念のため。
私の母親は私の髪を刈りながら、おそらく私があまり話さない子どもだったせいもあるのだろう、同じような話題を私に話しかけてきた。
いわく、
頭が歪んでいるので髪が切りにくい(実際確かに歪んでいる)
頭が歪んでいるのは生まれるときに機械を使って生まれたからかもしれない(出産時に羊水が先に出てしまい(破水というやつか)、具体的にどういうものかは聞かされなかったが、とにかく何やら機械を使って引っ張り出した、とのことだった。当時は赤ん坊がどうやって生まれるのかなんて知りもしなかったわけだが、イメージとしてはトイレ掃除用の吸盤(スッポンっ!!ってやつね)のようなものかな、と思っていた。で、その後、といっても最近になってからだが、1年前くらいにネットで調べて「鉗子分娩」というものがあることを知った。金属製の「へら」が二つ汲み合わさったような道具を使い、それを子宮に突っ込んで赤ん坊の頭を挟んで引っ張り出す、というものらしい)
寝かせ方にも注意したのに頭が歪んでしまった
ほんとうはもう一人女の子が欲しかったのに、お前ひとりしかできなかった
自分はほんとうは女の子の子どもが欲しかった
などなど
私の記憶のなかではこれらの話は複数回(実感としてはなんどもなんども)聞かされたもので、「またその話か」と思ったような記憶もある。
どこまで実話なのか自分でもはっきりしない感じがあるが、まったくのでたらめでないのは確かで、少なくとも1度はそういうことを言われているはずである。
今からこれらの発言を振り返ってみると、ひどい話だな、と思う。
頭が歪んでいるのは私のせいではないし、生まれ方だって私が選び取ったものではない。
何も好き好んで歪んだ頭や大変な生まれ方などするわけがないだろう。
腹の中に戻って生まれ直せ、とでもいいたかったのだろうか。
私の次に女の子をほしがっていたのにできなかった、というのも、私に何かできることがあっただろうか。
「お前しかできなかった」という言われ方に対して、私は謝罪するべきだったのだろうか。
それともオカマにでもなるべきだったのか(それはない)。
だいたい、母は私に対してそのようなこということで一体何を伝えたかったのか。
私は現在そこに母の私に対する恨みの感情しか認められないわけだが、そこには何がしかの愛情というものがあって、それを汲み取れない私はやはり冷酷で非情な人間だ、ということになってしまうのだろうか。
で、このような母親の発言に対して私は当時どう感じていたか。
特にどうとも感じていなかった、という気がする。というか、どう、もしくは、何を、感じればいいのかが分からなかった、と言った方が正確かもしれない。
「ふ~ん」というだけで、別段そこで深く傷ついたりというのは、意識の上ではなかったように思う。
そしてこの思い出は特に抑圧されて思い出せなくなったりすることなく、思春期以降折に触れて(というところがヘンなんだけどそれは後述)思い出された。
どうもフロイト流の抑圧の理論では説明できない。
ま、フロイトなんてそもそも・・・という議論はとりあえず措く。
しかし、最近になって改めて当時の感情というものを振り返ってみると、別の意味での抑圧が掛かっていたのではないか、と思うようになった。
それがこのエントリを書こうと思ったきっかけである。
当時私は別段上記のような母親の発言に対して何も感じていなかった。
そしてそれはある種の感覚を遮断するような状態を私にもたらしていたように思う。
その結果、その思い出の事実をあとになって何度も思い出しはするのだが、その「意味するところ」というものに対してずーっと長い間私は無知なままであった。
つまり、上記のような母親の発言を何度も思い出しているにもかかわらず、それが自分を真っ向から否定し去るような性格の発言であるということがまったく見えていなかった、ということである。
確かに、思春期以降、私は極度の自己嫌悪に苛まれ、なぜこんなに私は自分を蔑み貶めるのだろうか、と考えていた。
そして心理学、特に精神分析などを読むようになって、過去を根掘り葉掘り思い出して、どれがトラウマだったんだろうか、ということを考え続けた時期がある。
そうした時期にも、上記の思い出は何の苦労もなく思い出すことができ、どうやらこういった発言を私は内面化し、いわゆる超自我のようなものを作り上げてしまったようだ、というところまでは考えを進めることができた。
結果、親を責めるようなことを言うようになったし、それまでにも些細なことで親を責めるような発言をしていたが、そのそもそもの動機はこういった発言に対する無意識の反発・怒りではないか、と思うようになった。
ところが、意識のレベルにおいては怒りが前景化することがなく、その不自然さについて家族間の力関係や言葉にはされぬ掟やルールのようなものに縛られているために、素直に感情をを表出することができないのではないか、とかなんとか考えるようになったのだが、どうもすっきりしない、という感じが続いていた。
で、最近になって考えるようになったのは、いわゆるフロイト流の抑圧理論で行くと、嫌な記憶はそれを思い出すとそれが嫌な記憶だということが生々しく感じられてしまうが故に、その記憶をなかったものにするという経路をたどる。しかし、どうやら私の場合は、記憶を思い出せなくする替わりに、たとえ思い出してもそれが「嫌な記憶である」という認知をしないようにすることで「抑圧」の働きを代行していたのではないか。というもの。
ま、これもトンデモっちゃあトンデモなわけだが、自分でとにかくなんとか一貫性のある自我を再構築しようという努力ということでご容赦願いたい。
前よりは据わりが良くなったんだから、これでいいのだ。
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