お盆も終わり、疲れ切ってダラダラと過ごしていたら、うっかり自分が五十路に入ってしまったことに気づかずにいた。
いやはや、四十代が終わってしまったのだ。
40歳になったとき、父に「初老」と言われショックだったのが、もう10年も前のことになるというのだ。
まいったなぁ。
正直、実感はあまりないのだが、そうはいっても、身体の衰えは感じる。
先日は、それまで無駄な抵抗をしていた老眼に屈して、遠近両用眼鏡を新調した。
また、例年の夏にはエアコンで冷房をガンガンつけていて平気だったのだが、今年は時折肌寒く感じるようになり、「あぁ、年を取ってきているのだなぁ」と慨嘆した。
そういえば、今年の夏は、(外にあまり出ていないこともあるとはいえ)汗をあまりかいていない。
これもひとつの老化現象なのだろう。
しかし、まぁ、ここまで生きられるとは思っていなかったので、良しとしなければならない。
年々、白髪が増え、生え際も後退してきた。
スーパーの入口のドアガラスに映る自分の姿は、認めたくはないのだが、うら悲しくみすぼらしいものだ。
いよいよ老年に差し掛かってきた。
今年は体調も悪く、ほとんど何もできていない。
本も読めず、記憶力も明らかに落ちたなぁと感じる。
むなしいものである。
せめて、自分のやりたいことができればいいのだが、それもなかなか叶わない。
そういえば、私淑するfinalvent氏が49歳になられたとき、夏目漱石と並んでしまったという趣旨のことをブログに書いておられた。
すっかり忘れてしまっていたわけだが、とうとう私は夏目漱石の没年を超えてしまったのだ。
やれやれ。
無意味な生。
無意味な人生。
何も残らない時間の浪費。
朽ちていく自分をただ眺めるしかない。
歯がゆいのはもちろんであるのだが、受け入れていくしかないのもまた事実である。
さて、あと何年生きられるか。
いや、あと何年生きなければいけないのか。
苦しみと懊悩は尽きない。
夏の終わり。
ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声。
日が短くなり、残暑の中にも秋が感じられるようになってきた。
自然の巡る季節の秋と、人生の終末としての秋。
いよいよ終わるのだなぁと感じる。
そして、結局私は生きることには最後まで適応できなかったのだなぁと嘆じざるを得ない。
擱筆。