人生、消去法
世捨て人のつぶやき




以前読んだ『世界史読書案内』(津野田 興一)(岩波ジュニア新書)で取り上げられていた本。



2002/10/25出版。



絶版のため、Amazonにて古書で購入したもの。



合同出版。



アメリカ建国から紐解き、9・11後のテロとの戦いまでの「アメリカの軍国主義」の経緯を描く。



さすがに内容は古びてしまってはいるが、得られるものはあった。



ただ、こういう極左アクティヴィスト系のものはどうも苦手だなぁと思った次第。




中国が台頭し、トランプ現象が過ぎ去ったあとでは、この本で描かれる図式は崩れてしまったのではないかと思われる。



トランプは戦争から引き下がり、それによってアメリカは世界の警察官であることをやめた。



一方で、中国が覇権を狙う現代。



戦争が絶えたわけはないが、「反戦」は今や「SDGs」に置き換わったのではないか。



そして、「脱炭素」が新たな利権の源泉となりつつあるのではないか。



日本のSDGs推進派には反原発が多いが、欧米のSDGsを標榜する人物・団体は原発に肯定的だ。



左派アクティヴィズムにも構造転換が必要とされる時代に突入したのではないか、などと愚考。



愚考を促してくれたのだから、ある意味、良書だったのかも。



 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




積読歴11年にしてようやく読めた。



理系の天才、岡潔と、文系の天才、小林秀雄の対談、というか高度に知的な雑談。



小編だが、一読しただけでは掴みきれないものがある。



ふたりとも世が低落しつつあるという状況認識を共有している。



彼らが今の日本を見たら何と言うだろうかと思いを巡らした。



最後の方で出てくる「素読教育の必要」は我が意を得たりだった。



というのも、大学時代に漱石や鴎外の文体の秘密は漢文の素養にあったと考え、素読は重要なのではないかと考えたことがあったからだ。



岡は数学も「情緒」が肝だという。それがなければ、人間は取り組まないと。



そこで、未読本の『虚数の情緒』(吉田武)を思い出した。



大型辞書並みの本で、死ぬまでに読めるかどうか心もとない一冊のひとつ。



どこで購入したものだろう?と、Amazonなどの過去の購入履歴を見たが入ってない。



ということは、郷里に戻る前に、おそらく大阪梅田の紀伊國屋書店あたりで購入したものかと遠い目・・・。



あぁ、大型書店に行きたいなぁ。



そして、20冊くらい大人買いしたい。



岩波文庫・岩波新書・ちくま文庫・ちくま学芸文庫・ちくま新書、その他の文庫や新書類に思想系の単行本etc. 



ま、買ってもなかなか読めないだろうけど。




 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




はや、年の瀬も押し迫ってきた。


去年のブログエントリを見ると、今頃はもうフリースのパジャマを着ていたようだ。


それが、今年はまだ春秋物のパジャマのままである。


今年の冬は暖かいのだろうか。


今朝はだいぶ冷え込み、−3.9℃まで下がった。


朝の5時ちょうどにエアコンを入れたところ、暖かいのを通り越して、少し暑く感じてしまった。


その後、今日はいい天気で気温も上がり、エアコンなしでも過ごせる。


しかし、週末は冷え込むそうである。


ホワイト・クリスマスとなるだろうか。


さて。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




小林慶一郎vs.中野剛志「激突!「矢野論文」バラマキか否か」を読了。



いわゆる主流派経済学者である小林と、MMTを日本に紹介した立役者の一人である中野の対談。



もう笑ってしまうくらいの中野無双。



中野 では、過去に、そんなふうに財政出動をしすぎて通貨が信任を失い、制御できないほどのインフレになった具体例はありますか。

小林 たしかに変動相場制かつ自国通貨だけの債務でハイパーインフレになった例はあまりありませんね。

中野 「あまり」じゃなくて「ない」んです」



(笑)



小林がいわゆる「お金のプール論」に捕まっていて、中野の言う



「単に政府が通貨を創造して供給しているだけだということです。実は、国民が政府にお金を貸しているわけではないのです。お金を発行できる政府が、そのお金を国民から借りなきゃいけないという方が不合理でしょう」



を理解できない。



主流派経済学者がみなこのレベルなのだから、日本が長年デフレを克服できないのもむべなるかな。




 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




トヨタ自動車の豊田章男社長のインタビューを読了。



世界的にEVだけを喧伝する状況に異を唱え(完全EV化を成し遂げるには原発10基、火力発電所なら20基の増設が必要!)、世界のトヨタとしてのビジョンを示す。



2009年に就任して以来、平穏な年はなかったという。



その激動の中で培われた”勘”はあるのだろうなと感じた。



先日のEV車16車種一気見せ&14車種発売予定発表も記憶に新しいが、氏のリーダーシップは本物だと感じた。



 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




昨日エントリを書こうとして忘れていたが、一昨日の晩(昨日の未明)に今冬の初雪が降った。



朝、起きてみると、屋根に1センチもないくらいの雪だった。



今年は寒さがあまり厳しくないので、初雪は年明けになるだろうかと思っていたところだった。



雪が降って、冬が一段深まったようで、寒さも厳しくなった。



雪は一日で溶け、今日はまずまずの天気。



しかし、冷え込みは続く。



年の瀬が迫ってきて、何かしら落ち着かない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




Kindleにて(Kindleでデジタル積読していたのだが、何故か現在Kindle版はなくなっている。絶版になったのか?)。


2016/3/28刊。


2018/11/29購入。


なんと3年以上積読だった・・・。


読むきっかけはYouTubeの公式養老孟司チャンネルで養老さんが落合氏について「デジタル・ネイチャー」という概念がすごいという趣旨の発言をしていて、これは読まねばとなった。


※動画内で言及されるのはこの本ではなく、『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』


内容は、若者向け自己啓発書といった感じで、IT時代の生き方指南。


齢四十七の私なぞには、まぶしいなぁといった感じの一冊(老害並感)。


養老さんが注目していたデジタル・ネイチャーとは、


「唯一の知的生命としての人間が世界を解き明かしていくような世界観から、物質、精神、身体、波動、あらゆるものをコンピュータの視座で統一的に記述していくような計算機的自然観がデジタル・ネイチャーです」


と説明される。


今となってはありきたりなシンギュラリティ論的な趣きもあるが、2016/3/28刊なので当時はまだ新しかったのだろう。


いわばデジタル一元論と言っても良さそう。


面白い指摘としては、


「あらゆる知識がインターネット上で探せる時代に、「出来の悪いウィキペディア」や「出来損ないの食べログ」を目指しても、その人に未来はありません。平均顔は美人を作りますが、平均知能人間はウィキペディアの劣化コピーにしかなりません。」




「コンピュータに負けないために持つべきなのは、根性やガッツではありません。コンピュータになくて人間にあるのは、「モチベーション」です。」


などがある。


また、


「一方で、いまの時代のIT企業は物理的なリソースが不要なので、親がお金持ちでも子は「能力的な」資本家にはなれません。必要な資本は「能力の高い人間」であって、これは世代間で継承されるのではなく、遺伝子演算と教育の結果で、比較的どこからともなくランダムに湧いてきます。つまり、「麦」を貯めなくても資本家階級になることができる。これによって、マルクスが考えた「階級闘争」の大前提が、ある部分で崩れ去りました。その意味で、IT革命は「革命」だったわけです。」


という指摘も興味深い(「遺伝子演算と教育の結果」はランダムではないと思うが・・・)。


さらに、落合氏は「システム」ということに言及する。


この世は個人としての人間が動かしていることを指摘しつつ、


「ところが多くの人々は、それを「お上の決めたことだから」と思い込んでいて、個々の人間ではなく、何か得体の知れない「システム」が世の中を動かしていると思い込んでいます。」


と批判。


そして、


「ところが世界が「システム」だと思い込んでいる人は、それを人間のせいだとは考えません。うまく稼働すれば「システムの優秀さ」、うまく稼働しなければ「システムの不都合や故障」のようなものだと受け止めている人は多いはずです。そしてひいては自分も社会の主体であるにもかかわらず、「社会のせい」にしていってしまいます。」


という視点を語りだす。


ここで私は、2009年のエルサレム賞受賞時の村上春樹のスピーチを連想せずにはおれなかった。


村上春樹は言う。


「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。」


落合陽一氏は、この村上春樹の主張に異を唱えるもののように思う。


IT技術によって個人がエンパワメントされた時代にあって、そういう主張もたしかに可能なのかもなとは考えられる。


しかし、私の直感は村上春樹に寄り添う。


古い人間だと言われればそうなのかもしれない。


新しい時代が到来しつつあるのは事実だろう。


だからといって、村上が言うところの「システム」に当たる、社会の匿名的な暴力性というのはなくならないのではないか。


落合氏のオプティミスティックな論には、氷河期世代の人間として今ひとつという感慨を抱かざるを得なかった。



 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする


   記事一覧画像一覧読者一覧フォトチャンネル一覧