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人生、消去法
世捨て人のつぶやき




主義主張を貫くため、押し通そうとするため、ハンガーストライキなるものが行われることがある。
しかし、これは、あくまでも食べるものがある「にもかかわらず」行われて初めて意味がある。
たとえば、アフリカの難民が飢えている上にさらなるハンガーストライキを行うというのはナンセンスだ。

しかし、と振り返って、現代の先進国の一員である日本に住みながら
そして、これといった主義主張を通すためでもなく、人知れず亡くなっていく人々がいる。
何の反社会的思想や主義を持っていないにもかかわらず
社会から見放され、いないことにされ、最終的にほんとうにこの世から消されてしまう。

最低限食べること、控えめに生きることすら、今この国では(他にもあるのだろうが)難しくなっている。
で、その最低限の控えめな人生さえも危うくするものは何だろうかと考えると
月並みながら資本主義なのだろうということになる。

ということは、資本主義にはハンガーストライキは掛けられないのだ。
資本主義に抗してのハンガーストライキはありえないのだ。
ハンガーストライキが意味を持つのは「人間」に対してであり、
「人間」ではない資本主義というものには、痛くも痒くもないのだ。

いや、今更なのは分かっている。
人間、追い詰められないと、なかなか現実というものが直視できないというだけのことなのかもしれない。
そう考えると、マルクスなんかは自分が置かれている「のではない」立場を、よくぞ真剣に分析しようと思ったなぁと、なんだか情けない感想を漏らす自分がいる・・・。

資本の犬になろうとしたがなれなかった。
もちろんその前には、知的に生き抜けないものかと模索もした。
巡り巡って、にっちもさっちも行かないことになった。

さて、どうしたものか。

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母親というものの根本がここに表されていると思った…

http://www.youtube.com/watch?v=Bf9K6SXDkXU

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二年と少し前になくなった私の母は臭いのキツイものが嫌いだった。
隣家がゴミを燃やしたりするのはもちろんのこと
食べ物で臭いのキツイ物、そう、ニンニクなんかは
料理で使ったことがなかった。

例外的にニンニクの味を知ることができたのは
既製品の餃子を食べる時くらいだった。

ニンニクのおいしさというものを知ったのは
もう大学を出てからのことだったかもしれない。

育ちというものがあるせいか、一人暮らしをするようになってからも
どうもニンニクには手が出ないまま過ごしていた。

はじめはパスタで使ったのだと思う。
ペペロンチーノをつくろうと思って、うまく行かなかった。

オリーブオイルでニンニクを炒めて
唐辛子を入れればできるはずだった。

しかし、育ちのせいもあるのか
それはなんだかうまく感じられないものだった。
まぁ、端的に、失敗だった可能性が高いのだが。

それでどうもパスタは苦手だと思うようになった。
食い物関連でネットではパスタは定番なのだが
なんだか、茹でて、それと同時にオイルを温めて、などというのが
どうも面倒臭い感じがしていたのである。おいしくないし。

ところが、その母が亡くなってからなのかどうか
父がニンニクを好んで摂るようになった。
まるごと一個、電子レンジでチンして
それを少しずつほぐしては、日々食べるのだった。

老年の体力低下を補う意味もあったのだろうが
それにしても、それまで馴染みのなかったニンニクをどうして?という思いがあった。

ニンニクの香りというものは、食欲を誘うものである。
しかし、馴染みのない者にとっては
それはもうキツイ強烈な匂いを発するものでもある。

正直に言って、私はニンニクの香りがいい匂いだと思うようになったのは
ほんの4,5年前のことではないかと思う。

ラーメン屋で、おろしニンニクを入れて食べるのが気に入ってからではないか。

それまでは刺激が強すぎると感じて遠ざけていたニンニクを
少しずつではあるものの、食事の中に取り入れるようになっていった。

この、ニンニクの香りが持つ力というのは一体なんなのだろうか?
どこか、異質な感じを持ちつつも、ぐっと惹き込むような力を持つ、
怪しくも幻惑的な、いや、馴染んでいる人にとってはそうでもないのか。

臭いそのものを客観的に判断するとすれば
それはどうしたって「化学的な」臭いのような気がする。
日常には似たような臭いがないからだ。

しかし、この臭いは何か人の深いところの快感中枢を刺激するような
得も言われぬものがあるということに気づくことになった。

結果的に、ニンニクを食べることでスタミナ増強になることはあるのだろう。
しかし、そもそも、食べる時に感じるこの臭いこそが
何らかの快感物質なのではないかということだ。

それから何度かニンニクを買っては使い切れないことが続いた。
最初の一欠片はペペロンチーノなどに使うのだが
気がつくと、残ったニンニクからは青い芽が吹き出しており
房の部分はしわがれて、もう食べれそうに無くなっているのであった。

しかし、最近ようやくのことというか
少しはニンニクを活用できるようになりつつある。

母の呪縛が解けつつあるのだろうか…

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だれだこれ?って、衝撃だなこりゃ。人のことは言えんか・・・


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