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人生、消去法
世捨て人のつぶやき




ギター・マガジンを読むのは何年ぶりだろう?


久しぶりに手にとったのは他でもない"My Bloody Valentine"特集だったから。


90年代に一世を風靡したシューゲイザーサウンドの元祖マイブラ。


メディアにはほとんど露出してこなかった中心人物のケヴィン・シールズのロングインタビューと詳しい機材紹介が見もの。


そのページ数、実に105ページ!!!


読みながら数少ないアルバム"Isn't Anything"、"Loveless"を聴き直したが、その独創性は30年近くを経ても変わらない。


マイブラの音の秘密を知りたい人には必読の文献だ。


 


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およそ全体の3分の2程度はトマス・アクィナスに関する叙述が占める。


残りの3分の1は、イスラム・朱子学・鎌倉仏教・ユダヤ哲学。


で、本論とは別にコラムが4つあるのだが、その1つ目の著者が「佐藤 優」...。


え? あの「佐藤 優」? 同姓同名の人かな? となって、あわてて執筆者紹介を確認すると、なんとあの元「外務省のラスプーチン」! 


一体どういう経路で繋がったのかは全くわからないが、あまりにも意外な人選で驚いた(氏が同志社の神学部出身というのは承知していたが)。


 


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日本の近代を作り上げることに影響を与えた25人について、各6ページを用いて簡明に述べた本。


吉田松陰・坂本龍馬・福沢諭吉などの当然と言える人選に加えて、天理教の開祖中山みきと、大本教の開祖出口なおが取り上げられている点が目を引く。


また、アナーキストを取り上げている点もタイトルからは予想できない。


記述の端々に著者の篤実な人柄が忍ばれて、背筋が伸びる思い。


続いて、兄弟編の『近代社会と格闘した思想家たち』(同じく岩波ジュニア新書)を読む。


 


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西洋・イスラム・中国・インド・日本とまさに世界哲学史の様相を見せるシリーズ第三篇、中世 I 。


目次は以下の通り。


第1章 普遍と超越への知(山内志朗)

第2章 東方神学の系譜(袴田 玲)

第3章 教父哲学と修道院(山崎裕子)

第4章 存在の問題と中世論理学(永嶋哲也)

第5章 自由学芸と文法学(関沢和泉)

第6章 イスラームにおける正統と異端(菊地達也)

第7章 ギリシア哲学の伝統と継承(須藤多紀)

第8章 仏教・道教・儒教(志野好伸)

第9章 インドの形而上学(片岡 啓)

第10章 日本密教の世界観(阿部龍一)


第1章で説かれるように、「古代文化の継承としての中世」が世界全体において展開していたことを物語る一冊。


とはいえ、やはり西洋の比率が高い。


第1章、P.21でドゥンス・スコトゥスの「存在の一義性」が出てきて、学生時代を懐かしく思い出した。


スコトゥスといえば「ハエケイタス(このモノ性)」の議論に頭がくらくらした思い出。


あれからもう四半世紀の月日が流れてしまった。嗚呼、無常。


日本から代表されるのは空海の思想。


この書での空海の位置づけは、仏教と儒教を調停する天才としてのもの。


全体に特徴とされるのは形而上学的志向が強いということだろうか。


続編となる「中世 II」が楽しみだ。



 


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Kindleにて。


Amazonで何冊か仏教関連の本を買った後、おすすめに出てきてレビューで評価が高かったので買った本。


たいへん平易に書かれており、ひじょうに読みやすい。


基本は、昨今流行りのテーラワーダ系のようだが、筆者は特定の宗派には属しておらず、単身で活動しているらしい。


「こころ」が「反応」しないようするにはどうすればよいか。


基本は、
①言葉で確認する。②感覚を意識する。③分類する

       
その上で、
(1) 貪欲、(2)怒り、(3)妄想、の三つに分類する
       

であるという。


「言葉で確認する」というのは、ヴィパッサナー瞑想でいうところのラベリングであり、「感覚を意識する」というのもヴィパッサナー瞑想の基本だ。


今まで読んだヴィパッサナー瞑想やテーラワーダ系の本と違うのは、その後に「分類する」が来るところだ(ひょっとしたらこれも基本のうちなのかもしれないが)。


いくつか引用しよう。


「悩みはいつも「心の内側」に生じます。だから、悩みを抜けるには、「心の外」にあるカラダの感覚に意識を向けることがベストの方法なのです。」


「ブッダの考え方をまとめると、「反応する前に、まず理解する」ということになります。」

「正しい理解」に「反応」はありません。ただ見ているだけです。動揺しない。何も考えない。じっと見つめているだけです。そういう徹底したクリアな心で、自分を、相手を、世界を理解することを、「正しい理解」と表現しています。」


等々。


筆者はヴィパッサナーという言葉は使わないが、その説くところは同じようなものと言ってよいだろう。


また、個人的に目を引いたのは、自己啓発よく言われるアファメーションについては批判的で、端的に「わたしはわたしを肯定する」でいいと説く。
       

さらに、次の指摘は平易な表現ながらも慧眼だなと思った。


「過去を引きずる」というのは、仏教的には「記憶に反応している」状態


また、ユニークなこんな主張もあった。


目を閉じる──これは人生の基本にすえるべき、重要な心がけ


確かに視覚情報があふれる現代に、目を閉じるというのは案外大切なことかもしれない。


実践的な仏教を求める人にはとても向いている本だと思う。



 


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書名からかなりヘビーなものを予期して読んだので、若干肩透かし(ユーモアのセンスのない私が悪い)。


実際は、4人の鼎談の形を取る読書会の記録。


語り口はかなりライト。


メンバーは江永泉・木澤佐登志・ひでシス・役所暁の4名。


主に江永と木澤が議論を引っ張っていく(あとの二人は合いの手という感じ)。


思想・哲学からサブカルと話題の範囲は広いが、主だったところには哲学・思想系の話が絡んでくる印象。


個人的には、第1章のダークウェブが興味深い。


ダークウェブのところで言及されるニック・ランドについては、木澤氏が寄稿されている『現代思想2019年6月号 特集=加速主義–––資本主義への疾走、未来への〈脱出〉–––』を読んでいて、不気味な思想だという印象を持っていたが、やはりこの本でもその印象は深まるばかりだった。


第1章に限らない話だが、現状を変革するのではなく、いま出てきているものを突き詰めて(「加速」して)、いわば資本主義や文化・思想を内破(implode)させようとする戦略である。


行き詰まっているのはわかるが、夢はないなぁと・・・。


在野にこれだけの人材がいることはいいことのようでもあるし、反面、アカデミアに居場所(職)がないという悪い事のようでもあるし、複雑な気持ち。



 


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なかなかに野心的な訳業である。


ただ訳すのではなく、歌謡曲・演歌を彷彿させる現代語に訳すのは、かなりアクロバティックであり、かつ面白い試みと言える。


惜しむらくは、若い人に届くだろうか、という要らぬ心配が残ることである。


なんと言っても「昭和」の匂いの立ち込める言葉の数々であるからだ。


なお、全訳ではなく、100首に絞った抄訳である。



 


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