〈仏教3.0〉を提唱する二人の僧侶と一人の哲学者による鼎談集。
〈仏教3.0〉とは、まず大乗仏教の系譜を引き継ぎながらも形骸化してしまっている日本仏教を〈仏教1.0〉、欧米で注目され、近年は日本でも大きな広がりを見せるテーラワーダ系仏教(ヴィパッサナー瞑想をその特徴とする)を〈仏教2.0〉、そしてその両者を止揚する形で構想されつつある新しい仏教を〈仏教3.0〉と呼んだことが始まり。
では、それを「哲学する」とはいかなることか。
一言で言うと「自己」についての考究となるだろうか。
「自己」というのはエゴイズムの「エゴ」にも通ずる、ある種の謎めいた問題系である。
二人の僧侶の共通の師匠であった内山興正は「自己ぎりの自己」という言葉で、大乗仏教が到達した「自己」についての思想の頂点を表現しようとした。
そこに、哲学者の永井は全くの別経路をたどって、哲学的に同じ境位に達していた。
そこからスリリングな考察が始まる。
「自己ぎりの自己」とは、永井の言うところの「比類なき〈私〉」であり、それは哲学概念ではなく、直接経験されるものだ。
そして、そこには始まりもなければ「死」さえもない。
「自己」というものが大乗仏教的に言えば「空」であり、その境位でなければ本当の悟りにつながる「瞑想」にはならない。
〈仏教2.0〉であるテーラワーダ系仏教では、そのような「自己」を想定しておらず、手段的な瞑想を提供することで人気を博しているが、そこには大きな陥穽があり、二人の僧侶はそれを日本に伝わっている大乗の教えと接合することによってアップデートしようとする。
原始仏教 → 大乗仏教 → 〈仏教3.0〉という見取り図は、なかなかに大胆な宣言ではあるが、この書を読むとあながち誇張と言えなくもないことがわかる。