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[国際人] 時代の啓示を知ること、それには自分を旅させるしかない

2013-01-24 | Weblog

本ブログ管理人の一言:自分がどういう時代の中に生かされているかを早く知ることだ。そこから自分の生きる道がおのずとみえてくるからだ。しかしこの日本にいてはそれがみえてこない。だから大いに海外にでて自分を旅させ、多種多様な価値観を有する人との交わりのなかで自分の本能的な感性を研ぎすますいがいにはない。

----------以下に現代ビジネスからの記事を引用。

「あたし、ちょっと海外に行ってくる」

「いいねぇ。で、いつ帰ってくるの?」

「分かんない。とりあえず、3年かな」

海外に生活の拠点を移す日本の若者が急増している。なぜいま日本脱出なのか。 

この国に希望はあるのか

このたび、私は日本を離れ、オーストラリアに移り住むことにしました。ついては、携帯を解約しますので、以後のご連絡先は・・・・・・』 『ご報告

これは30歳の本誌記者の携帯電話に、高校時代の同級生から突然、送られてきたメールだ。 

日本が、少子高齢化の時代に入ったと言われて久しい。若者の人口は減少の一途を辿り、経済を支える労働力も減っている。働いて稼ぐ人間が減れば、ものを買って消費する人間も減る。構造的な不況のなかで、景気が根本的に回復していく見込みは立っていない。 

ところがいま、日本の若者たちは次々と海外に生活の場を移し、現地の外国企業に就職しているという。 

外務省の海外在留邦人数調査統計(平成24年速報版・平成23年10月1日現在)によると、海外に生活の本拠を移した日本人(永住者)数は前年調査から約1万5000人増の39万9907人。 

また、3ヵ月以上海外に長期滞在する日本人の総数は78万2650人で、1年間で2万3862人増加している。平成23年の調査では前年からわずか540人増だったのと比較すれば、海外に出る日本人が急増していることが分かるだろう。 

何を隠そう、本誌記者の中学・高校の同窓生だけでも、すでに5人が、この2年間に日本を離れ、生活の拠点を海外に移している。 

そのひとり、冒頭のメールの送り主である30歳独身女性は、福島第一原発事故後の'11年4月、単身オーストラリアに移住した。 

そろばんの有段者で、十数桁の掛け算も暗算でこなす天才肌の彼女は、名門私立大学の法学部を卒業後、社会人生活を経て、ロースクール(法科大学院)に進学。'10年に卒業したばかりだった。 

法曹界入りを目前にしたエリートが、なぜすべてを捨てて移住を選んだのか。メールで理由を問うた。 

『法律を勉強してきたのは国民の生命や財産を守る仕事につきたいと思ったから。でも原発事故への対応を見ていると、そもそもこの国は、それらを大切にしていない。全部、虚しくなった』

両親や兄弟にも海外に出ようと呼びかけたが、反応は鈍かったという。『それなら仕方ない。あの人たちが選んだ道だから』 

『日本を捨てていくのかと非難する人もいるけど、それも仕方ない。私はもう日本を信じられない』
彼女のなかにあるのは、日本社会への激しい不信感だ。だが取材を進めると、若者が日本を離れる理由には、さまざまなものがあることが分かってきた。 

長期滞在する邦人数が世界第1位(24万1910人)の米国。'11年秋、高野ゆきさん(30歳・仮名)は夫(30歳)とともに、自動車産業で知られる都市・デトロイトに近いミシガン州の大学町に移り住んだ。 

白百合女子大学在学中に知り合った夫は東京大学を卒業、大手証券会社に就職。ゆきさん自身も大手銀行に入行、25歳での結婚後も仕事を続けた。1年後には5000万円台のマンションを夫のローンで購入。人並み以上の幸せに、生活への不満は何ひとつなかった。 

「でも、子供はどうしようかなどと将来設計を夫と考えるようになって気がついたんです。『どうもこの先、日本にいても人生で起こることは見えているね』と」

エリートのレールに乗った瞬間、夫は会社での出世競争、妻には家事・子育てという日本的な将来像が現実味を持って迫ってきた。老後の暮らしまで想像できてしまう社会の無味乾燥さに、脱力したという。 

「なんてつまらない国なんだろう。私たちはもっといろんな経験をしたいし、将来、生まれる子供にも自由に生きてほしいと思った」

夫は米国への社費留学に応募。F-1と呼ばれる学生ビザを取得し、MBAの資格取得を目指して大学のビジネス・スクールに通うこととなった。卒業後は1年間の実地訓練(プラクティカル・トレーニング)での滞在を申請でき、その間に現地企業に転職して就労ビザ(H‐1B)の取得を目指すことができる。だがこの計画はもちろん、夫婦だけの秘密だ。 

明確に成功への野心を持って海外進出する若者もいる。長期滞在邦人数が世界第2位(13万8829人)の中国。その首都・北京で7年前、わずか26歳で起業したのが、北京ログラス有限公司総経理(CEO)の山本達郎氏(32歳)だ。 

永住する覚悟はない

「慶応大学に入学した頃は弁護士になりたいと思っていました。しかしバイトで勤めた学習塾が、授業料は高いのにバイト代が安かった。これなら自分で経営したほうがいいと思い、友人たちと塾を開いた。それが想像以上にうまくいった」

ビジネスへの興味をかき立てられた山本氏は、ベンチャーを研究する勉強会などに参加。仲間たちとアジアや中国各地を訪問し、ビジネス環境を見て回った。語学と経営の勉強のため、米国と中国にも留学した。 

「ビジネスをやるからには成長する市場で成長する分野の事業をやりたかった。それで、中国でインターネット関連の事業を起こそうと考えたんです」

外国人が中国で起業するのは手続きが煩雑な上、当時は開業時に約100万元(約1500万円)を用意しなければならなかった。 

そこで留学時代の中国の友人名義で会社を設立してもらった。手続きが簡素で、準備する資金も半額(約750万円)で済んだからだ。これには学生時代に経営していた塾の経営権を売却した資金と、家族や友人からの出資金を当てた。 

中国に渡ることに、両親はさして反対しなかった。 

「弁護士からベンチャーに進路を変えるときのほうが抵抗は大きかったですね」

日本語・中国語・英語に対応できる企業は'06年の起業当時は少なく、無印良品やキューピーなど大手企業のホームページ作成などを受注。ネット広告やネットショップの開設・運営支援などにも進出して業績を伸ばし、若手企業家として中国のビジネス誌やテレビ番組でコメントするまでになっている。 

「でも、このまま中国に骨をうずめる覚悟、という感じではありませんね。結婚もこれからですが、ご縁があれば中国人でも日本人でもこだわりはありません。世界のどこにいてもボーダーレスというか、国の違いはあまり関係ないかなというのが正直なところです」

一方、日本でやりたい仕事を定められずにいるうち、いつの間にか中国に辿り着いた若者もいる。昨年末、北京に渡った鈴木友樹さん(仮名・32歳)はこう話す。 

「あの、私はどうも、日本の企業文化というか社会の堅苦しい感じがしっくりこなかったんですね。国内でも何回か転職しているんですが、内定をいただいても本当にそこが自分に合うのか、考えてしまったりして・・・・・・。悩んでいたとき、転職サイトで中国で働くという中国企業の募集を見つけまして、なるほど、そういう方法もあるのか、と」

世界で就職活動する

東洋大学国際地域学部を卒業していたが、在学中とくに海外ビジネスを勉強していたわけではない。英語も人並み、中国語はまったくできない状態だったが、「日本語だけできればいい」という募集条件だったため、応募。業務内容は世界で展開する中国系旅行代理店の、日本人顧客からの問い合わせに応対するコールセンター勤務だった。 

「まだ研修期間なので、取得しやすい30日間の観光ビザで入っています。あとで会社が就労ビザを取ってくれるはずです。ただ就労ビザを取れるまでの滞在延長に銀行の残高証明がいるんですね。2万元、日本円で30万円弱ですが、会社から事前のアナウンスがなく困りました。こちらで家を借りると、敷金はすべて現金払い。それで手持ちの現金がなくなって。たまたま中国に来る用事のあった知人に頼んで用立ててもらいました」

日本には、お互い結婚も意識している20代の恋人がおり、彼女も中国に来ることを考えているという。結婚し、配偶者としてビザを申請するのかと問うと、

「うーん、まだそこまではっきりしていないので。語学留学のような形になるのかなあと・・・・・・」

ゾウやキリンが闊歩する広大なアフリカの大地。ケニアの首都ナイロビで現地の旅行会社に勤める31歳の女性は、都内の有名私立大学卒業後、日本でOL生活をしていたという。 

「日本には会社員があんなに多いんだから、会社員というのはやはり面白いのに違いない。そう思って就職したんです。それなりに毎日楽しかったんですが、別にこの生活がずっと続いてほしいとは思えなかった」

何となく会社を辞め、乳牛の牧場で働くなど気の向くまま職を転々としながら、子供の頃、親の仕事の都合で3年間住んだケニアにたびたび旅行するようになった。当初、働くつもりはなかったが、知人から現在の仕事のオファーを受け、そのまま居ついてしまった。 

「治安も悪いし、役所や銀行もいい加減。でも日本がしっかりしているということは逆に自分もピシッとしていなければならない。働く分にはここは楽ですね」

ビザの面で有利になるので、ケニア人との結婚も考えた。だが戸籍制度のないケニアでは、庶民は法律上の結婚など滅多にしない。法的な手続きをすること自体が面倒らしく、なかなか相手は見つからなかった。 

しかも、ケニアでは男の浮気は当たり前。収入が多い日本人は結婚に際して、相手の一族や浮気相手、浮気相手の子供など100人の面倒を見る覚悟が必要だと知って断念した。 

「日本を捨てたつもりはないんですよ。この先どうなるかとか、あまり考えはありません。日本にもケニアにも友人がいるので、どちらかを選ばなければならないとしたら悲しいですね」

日本に絶望するエリート、野心的な企業家、そして日本社会に馴染めなかった若者たち。具体的な理由はバラバラでも、彼らに共通するのは、日本の現状への強い違和感と言えるだろう。 

この状況を識者たちはどう考えているのだろうか。 

教育評論家で法政大学教授の尾木直樹氏は、この1~2年、海外での就職を目指す学生が急増していると肌で感じているという。 

「世界で就職活動をする、『セカ就』が当たり前になってきています。30~40代の先輩たちが、大卒でも非正規雇用で、周囲の空気を読みながら生活していることも大きな要因ですが、目の前にある就職戦線の状況が最大の原因でしょう」

尾木氏は'11年度にパナソニックが新規採用の80%を外国、主にアジアからの若者にする方針を採ったことが象徴的だという。

「世界展開するような大企業はグローバル化を掲げている。そうした企業の'13年の採用では75%が外国の若者になる可能性があるといいます。東大、京大のようなブランド大学の学生でも必死です。まして中堅以下の大学にいる学生には状況は非常に過酷です」

企業側が海外からの雇用に傾く以上、若者が海外に働き口を求めることは必然だと尾木氏は言う。 

「そもそも、日本は先進国のなかでも突出して、外国企業に就職する若者が少なかった国なのです。グローバル化と情報化のなかにあって、島国的状況というか、20年前から世界の孤児だった。いいも悪いもなく、これから日本の若者は海外に出ざるを得ないのです」

淑徳大学非常勤講師で、海外で働く日本人女性の姿を紹介するサイト『なでしこVoice』を運営する濱田真里氏はこう話す。 

「海外で活躍する若い女性のなかには、学生時代やOL時代に旅行したアジアなどの途上国の熱気に憧れたという人が多いですね。

さらに、現地に行ってみると、日本人コミュニティでの助け合いがしっかりしている。いま、日本本国では失われたコミュニティの結びつきがあって、却って人の温かさを感じる。 

日本を捨てるのかと言う人もいるでしょうが、海外にいる日本人のほうが日本の現状には真剣な危機感を抱いていますね。先行きも見えないのに、ただただ毎日深夜まで働いて、体を壊して・・・・・・。そんな社会で大丈夫なのか、と感じている人が多いと思います」 

一方、思想家の内田樹氏は、若者たちが本当に海外で実力を発揮できるかには疑問が残る、と指摘する。 

「若者たちの海外就業は、企業のグローバル化と、若年労働者の雇用環境が底なしの劣化を続けている現状に対する、ひとつの適応のかたちだと思います。その限りでは合理的な判断だと言えるでしょう」

ただし、海外進出は年齢や学歴がかなり限定された一部の集団内での徴候で、若者全体に拡がることはないのではと感じるという。 

日本で頑張るという選択

「国内にも、条件は悪くともやりがいのある職業がまだ探せばいくらでもあります。それに、労働者のパフォーマンスは、帰属する社会に対する忠誠心を大きな駆動力にするのです。

私たちはしばしば『日本の未来のために』といった集団的な目標を持つときに『火事場の馬鹿力』を発揮します。海外の職場でも、現地での集団的な目標が駆動力になりえますが、はたして現地社会にどこまで強い帰属感情を持ち続けられるか。海外に出る決断をする前に、それを吟味しておいたほうがいい」(内田氏)

では若者が海外に出て行ってしまう日本に未来はあるのか。政治や経済を多角的に論じる哲学者で、フランス生活の経験もある津田塾大学国際関係学科准教授の萱野稔人氏はこう語る。 

「若者の雇用を考えるフォーラムなどに出ると、必ず『財政破綻の恐れもあるし年金も払い損になりそう。もう日本を捨てて海外に出たらどうでしょうか』という質問を受けるんです。

しかし、海外で日本人が就ける仕事は日系企業の現地採用や日本人観光客相手の商売などが大半。日常生活でも日本人の仲間とつるんでいく。結局は日本との間で循環するお金で生活し、精神的にも言語的にも日本文化に頼って暮らしていくのです。本当に日本と縁を切って生きていくことなど、まずできない。 

そう考えれば、若者の海外進出で日本という国の形が解けて崩壊してしまうとは思いません。日本経済へのダメージも少ないでしょう。 

海外がいろいろと魅力的なことは確かですが、私は先ほどのような質問に対して、『結局は日本経済と一蓮托生なのだから、海外で頑張るくらいなら、日本で頑張ってみたら』と答えていますよ」 

若者たちの行動は、日本をいかに変えていくのか。変化の波は確実に、足元まで迫っている。 

 


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