北嶋誠のブログ

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ヒューマンファーマーズのシーズン 百里田植え交流会の巻

2008年05月24日 08時22分40秒 | Weblog
 小美玉市(旧小川町)内に航空自衛隊百里基地がある。1956年から「自衛隊は憲法違反」をスローガンに基地反対運動が一貫して闘われてきた。

 その西側フェンスに隣接する百里平和農園を舞台に、毎年続けられてきた田植え交流会。そして毎年9月に開かれている稲刈り交流会は、食と農、平和を守る出会いのイベントとして今年で16回目を迎えた。

 提案者は当時は結成間もなかった茨城農民連青年部で、茨城高教組青年部、民生茨城県委員会、茨城のうたごえ協議会、百里平和委員会、百里基地反対同盟の共催となった。

 青年の出会いのイベントとしての成果と言えば、16年間の交流の中で1組のカップルが誕生し、結婚して二人で農業を営んでいる。それ以外には良い話は聞いていない。これでは、日本農業衰退のペースにはとても追いつかないのではないだろうか。

 この田んぼの地主で百里反対同盟の宮沢昭さんは、もう80歳にもなるがすこぶる意気軒昂である。五族協和王道楽土、そして大東亜共栄圏へと繋がる、アジア侵略のための国策に従い、満蒙開拓で、満州(中国東北部)に移住した。だが、日本帝国主義に騙されて命からがら逃げ帰ってきたと言う。

 そのご入植した百里で、荒地を開墾して酪農を始めたが、今度は自衛隊基地を作るから出て行けと言う。2度も国と群体に踏みにじられた宮沢さんの人生。その歴史は、農業と平和を守る闘いの生き字引である。

 私事だが宮沢さんは私の尊敬する4老翁の1人でもある。その他、この百里では、偉人、名人、奇人、変人は多々いるが、紹介は後に譲るとしよう。

 この百里交流会が開始されてから、ヒューマンファーマーズはレギュラー出演している。農業と平和を守るためのイベントならば、2時間かけてやってきて音響準備に2時間、そして30分の演奏でも大いにやりがいがあろうと言う物である。

 ただしメンバーはいつも少数で、大概2人から4人である。私1人ということもあった。

 しかも顔ぶれは様々である。

 初期の頃は、北嶋誠と佐藤せいごうの2人で参加することが多かった。めずらしいところでは1995年の秋、日本テレビで取材に来た時の稲刈り交流会では、あいにくの雨天となったため、宮沢家のビニールハウスの中での飲食、演奏、交流となった。その時のメンバーは、北嶋、武田秀明、亀井秀明の3人であった。テレビに放映されたこの時以外にこのメンバー編成はないと思う。

 そしてこの時、茨城農民連書記局員になりたての吉川路子が、初めてヒューマンファーマーズの演奏を聴いている。後にこのチームの真ん中で自分が歌うことになるとは夢にも思わなかったであろう。

 その他、北嶋、佐藤、佐近加奈子や、北嶋、久保田秀幸、渡辺三智夫ということもあれば、オーソドックスに北嶋、佐藤、吉川路子や、北嶋、佐藤、渡辺という編成も会った。

 そして今回5月17日は、北嶋、渡辺、久保幸子というモダン?な編成であった。

 これだけ顔ぶれが変われば、選曲や歌と楽器のパート分けも考えなければならないが、これもまた楽しみのうちでもある。

 また野外で、基地隣接の田園で、少人数で、掛け合いもあり、くつろいだ雰囲気の中での演奏会は、いかにもフォークソング的で良いと思う。

 なお今回は、昨年の稲刈り交流会に引き続いて、昼休みは、古代米たうえを終えたばかりの茨城農林水産九条の会会員らも合流しての交歓となった。