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北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

今年は何の年

2015年01月10日 17時27分21秒 | Weblog

2015年、今年は何の年と言われると、未年ということである。だが、羊にイメ
ージされるような平穏さは感じられない。
 今年は、敗戦・被ばく70周年である。日本帝国主義による侵略戦争で、2000万
人のアジアの人々と310万人の日本人が命を奪われた。
 その2年後には、基本的人権の尊重、国民主権、戦争の放棄を定めた日本国憲法が施
行された。
 以来70年、殺し殺される戦争には参加せず、平和な日々が続いてきた。
 年頭にあたって安倍首相は、「大胆にスピーディーに改革を断行する」と表明した。
 昨年末の総選挙の「大勝」で信任を得たとして、戦後レジュームからの脱却と戦争を
する国づくりを推進しようとでもいうのだろう。
 今年は、日韓国交回復50周年でもある。従軍慰安婦をはじめ、侵略戦争が行なった
犯罪の事実は、国際社会が一致する歴史認識である。日本の一部右翼勢力がこれを否定
するキャンペーンを行なっている。
 これでは、国際社会から孤立するだけだ。侵略戦争の反省に立って、憲法9条を活か
した平和外交でこそ、国際社会の信頼が得られる。
 また、今年は国際土壌年でもある。人類の成せる業によって、土壌の汚染や流失が拡
大し、食糧・農業・環境の危機に拍車をかけるという悪循環に陥っている。
 日本政府は、昨年の国連が提唱した国際家族農業年にも全く取り組まなかった。今年
はどうだろうか。期待はできないだろう。
 家族農業も土壌も、持続可能な社会のために大事にしなければならないテーマである

 わがヒューマン・ファーマーズでは、家族農業や土壌をテーマにして、創作と演奏活
動を持続したい。
 そして、笠木透さん亡き後の決意を新たにした活動の始まりでもある。「歌ったら歌
ったように生きろ」という笠木さんの言葉を胸に刻み付け、ヒューマン・ファーマーズ
は今後も歩み続ける。
 雑花塾の仲間たちと協力しあって、そしてヒューマン・ファーマーズとしても笠木透追
悼コンサートを開いていく。

笠木透とピート・シーガー逝く 2014年

2014年12月31日 23時43分46秒 | Weblog

 笠木透さんと、奇しくも笠木さんがあこがれていたピート・シーガーが逝ってしまった
2014年が終わる。
 今年1月にピート・シーガーが亡くなり、その追悼と、この国の政府による戦争への
道を止めるために、9月には笠木透と雑花塾によるCD文庫「平和の暦」を制作した。
 その制作記念の「平和の暦コンサート」を結城市で開催したのは9月21日であった

 私が笠木さんと演奏をともにさせていただいたのは、この日が最後になった。
 体力の衰弱を心配はしていたものの、こんなに早く逝ってしまうとは。
 12月6日には、岐阜県で笠木さんの喜寿祝いを兼ねて大忘年会が行われた。
 行きたいのはやまやまだったが、地元の仲間とのコンサートなどがあり、これも外す
わけにはいかなかった。
 常日頃から、「私との付き合いもいいが、地元の人たちや活動は大切にしろよ」と、
笠木さんには言われているので、事情は分かってくれたと思っている。
 笠木さんとの思い出は多々あるが、今は語るのはよそう。
笠木さんがやり残したことはたくさんあるし、わがヒューマン・ファーマーズもまだまだ
やることがある。
 笠木透は逝ってしまっても、その存在感はさんは失われるどころか、私たちをますま
す叱咤激励することだろう。
 来年初めには、恒例の笠木さんからの年間活動計画は送られてくることはないが、今
度は自ら計画をたてていくことになる。
 来年も、雑花塾とヒューマン・ファーマーズとともにたたかおう。

許すな戦争をする国づくり

2014年11月22日 00時26分15秒 | Weblog

 11月8日の土曜日、水戸市の三の丸公園で、許すな戦争をする国づくり11・8県民秋の
大集会が開かれた。
 10月19日のいわき街中コンサートに出演して以後のこの間、演奏活動その他で特に
ハードな日々が続いてきた。
 そのために、これは自業自得ともいうべきか、ブログを書くことどころか、何も手に
つかず、仕事・社会活動・少ない睡眠時間の毎日を繰り返すのみとなっていた。
 もちろん、望んでしていることなので、これまで何のことはないとおもっていたが、
近頃は年のせいか、やや疲れが残るのかもしれない。
 主なものとしては、22日の音声パソコン交流会、25日のはばたき友の会については既
に書いたが、この辺は組織づくりの渦中とはいえ、まだ楽しみが上回っているように思
う。
 26日には、映画「渡されたバトン」結城実行委員会主催の「霞ケ浦の水問題と放射能
汚染学習会」を開き、放射能汚染はもとより、それ以前の環境破壊や、霞ヶ浦導水事業
などの大型公共事業の無駄遣いについて学んだ。
 29日、結城市文化協会理事会の、映画「天心」実行委員会が行なわれた。
11月2日には、夢の島公園での赤旗まつりに参加し、恒例の「虫干しコンサート」を、
農民連ふるさと産直通りの一角で、三部に渡って3時間半の演奏を行なった。
 何かと好条件に恵まれて、8万人の参加者の下、ファンが集いCDも普及できた。
 3日は、これまた恒例の地元結城市あすなろ園希望祭に出演した。昨年からは、観客
が少ない最終演奏から、それ以前の演奏へと出演時間が配慮されて、鑑賞できた人たち
の評判は良かった。
 また今回から、茨城県視覚障害者協会結城支部有志による「マッサージと音楽のボラ
ンティア」としても参加した。
 5日は、九条の会・ゆうきの事務局会議があった。
 これらの活動の多くが、皮肉にも安倍内閣の暴走政治によって、やりがい?のある活
発な活動を助長する結果となっている。
 8日の集会は、戦争する国づくりをはじめとして、国民のいのちと暮らしを脅かす安
倍内閣打倒を、共同のテーマとして取り組まれた。
 ヒューマン・ファーマーズは、プレ企画としての集会前一時間の演奏を担当し、食と農
、原発、九条などをテーマに、8曲演奏した。
 情勢に対応したレパートリーの創作を、何とか最低限のペースでは行ないたいところ
だ。だが、メインの百姓フォークですら、まだまだ不足している。
 また、情勢はどんどん変化する。私自身も含めて、もっと旺盛に創作が進むようでな
いといけないのだが。
 メンバーの参加率が低いのは、それぞれの生活が当然あり、止むを得ないことである
。ただ、いつ参加しても一体感のある演奏が出きるようにはしたいものである。
 ピート・シーガーやウッディー・ガスリーらが組んでいたオールマナック・シンガー
ズのように。
 とにかく、戦争をする国づくりを止めさせ、「戦争だけはしてはならない」という戦
争体験者の声と、憲法第九条を後世に伝えていく、そういった創作と演奏をしたいもの
である。

楽しんだ友の会

2014年11月22日 00時21分19秒 | Weblog

先日、茨城県最大?といわれている水戸翔合同法律事務所、その友の会が発足した。
 所長の谷萩陽一弁護士との最初の出会いは、かれこれ23年ほど前にもなるであろうか
。私が茨城県農協青年連盟委員長をしていた頃、当時も吹き荒れていた自民党農政批判
を自ら行動で示すため、参議院茨城選挙区補欠選挙で、日本共産党候補者の演説会に登
壇した時のことである。
 その場にいたのは、谷萩さんの他、不破哲三委員長(当時)、今でも文化運動や平和
運動などで活躍中の候補者の奈良達雄さん。また、金丸自民党副総裁襲撃事件の直後だ
ったために、数名の鋭い眼光のSPが、間近にまできて物々しい警備をしていたことを記
憶している。
 この時の、面白いエピソードが多々あるのだが、後に譲るとする。
 その他、九条の会が立ち上がる以前から開いていた「憲法九条と平和を守るトーク&
コンサート」で講演をお願いしたり、私が会長をしていた頃に茨城県西農民センターの
顧問弁護士お願いしたり、その後も憲法ネットワークや市民オンブズマンなど、何かと
お世話になってきた。
 前置きが長すぎたが、要はこの事務所の広範な関係者で作る「はばたき友の会」の交
流会が開かれたのである。
 人権問題や社会問題など、日常はお堅いお付き合いの関係者が、裃を脱いで交流し、
より人間関係を深める集いとのふれこみだったので、大いに楽しみにしていた。
 10月25日、会場は茨城町にある「ポケットファームどきどき」。
 このところ講演会やら集会、演奏活動などが引っ切り無しだっただけに、「バーベキ
ュー交流会」ならば、今日は堅い話は無しで、のんびり食べて飲んでと思っていた。
 ところが、数日前に事務局から連絡が入り、「せっかく遠くから来てくれるのだから
、ギターを持参して一、二曲やってくれないだろうか。」とお願いされてしまった。
 会場に着くと、貸し切りバスと乗用車に乗り合わせて、参加者は60名ほどになったで
あろうか。
 それぞれのテーブルは、たちまちいっぱいになり、私のそばで立ち話をしていた常陸
野農民センターの会長副会長は、同じテーブルに付くことができなかった。
 そして、私の正面に座っていた人物は、何とこの会の代表、I大学のT名誉教授であっ
たのだ。
 早速乾杯という時、進行役の一人の男性が、既にビールをやり始めていた。すると、
司会の女性が「ルールを守ってくださいね。」と男性をソフトに叱りつけたのである。
 そこで私が、間髪をおかずに、「法律は守っても、ルールは守らない人たちなんです
ね。」とギャグをとばすと、さすがはインテリの名誉教授、「法律は国が決めるもの、
ルールは地域が云々」と、講義調で語り始めた。
 自己紹介に入ると、ある男性が「私は○○会の事務局次長を務め、××会でも事務局
次長を務めているので多忙なのです。と発言した。
 そこで私がすかさず、「これはちょっとジチョーしなければいけませんね。」と駄洒落
をとばすと、さすがに知識人のT名誉教授は、「うまい!」と俊敏に対応した。駄
洒落のわかるT名誉教授である。
 宴もたけなわとなって、演奏を求められて、リクエストに応えて「米を作って飯が食
えねえ」と「よみがえれ浜通り」の二曲を披露した。
 クライマックス?のビンゴゲームでは、何と珍しく私がビンゴ完成の一番乗りで、賞
品として本場宮崎県の高級焼酎を手中にした。
 最後に、谷萩さんを囲んで記念撮影。髪の毛の薄さを自覚する私は、谷萩さんの隣り
に自分が座ったものと思い込み、「ヤハギさんの隣はヤハゲさん。」と、ここでも駄洒
落を一発。
 ところが、谷萩さんと私の間には、何と実際にはT名誉教授が座っていたのである。
 そこはさすがに人格者のT名誉教授、「ヤハギさんの隣りはヤハゲさんではなく、ヤ
ヤハゲさん。と、軽快に自虐的ジョークをとばした。
 そして、帰りの貸し切りバスの中でも、さすがは人権活動家のT名誉教授である。「
酔い覚ましにどうぞ。」と、みかんを一個一個、皆にサービスしてくれた。
 社会正義と人権の守り手である水戸翔合同法律事務所と、楽しい「はばたき友の会」
の更なる発展を祈っている。

ケーブルTV来たる

2014年11月22日 00時17分18秒 | Weblog

 10月22日、恒例の茨城視覚障害者協会結城支部のパソコン交流会が、市役所駅前分
庁舎研修室にて行なわれた。
 交流会を始めてから、慌ただしく時は過ぎて、もう半年になる。最初は、結城市内で
針灸師を開いている植田さんと二人だったが、市の広報誌で紹介していただいたり、個
別に勧誘するなどの効果もあってか、今回初参加の人も含めて五人に増えた。
 一方、指導援助するスタッフは、メカに強い元パソボラいばらきの高田さんと、植田
さんの知り合いでパソコンに詳しい塚田さんの二人である。
 参加者が増えるとともに、それなりに課題も増えてきた。そろそろPCトーカーのスペ
シャリストである水戸の大内さんに、ご足労をいただかなければならない時がきたのか
もしれない。
 何れにしても、会員と指導者ともども、もう少しの拡大をすることで、会の運営が、
より安定していくようにも思う。
 これから、会員拡大に向けて、更に策を練ろうという時、先日要請しておいた結城ケ
ーブルTVによる取材が行われた。
 ケーブルTVの、市内での普及率は、まだまだとのことだが、PRのためには何でも活用
させていただく以外にない。
 とりあえずは、約一分間のニュース番組で取り上げていただくことになり、五日間で
30回近い放映とのことで、大きなPRにはなる。
 また後日、6分間程度のサークル紹介番組での取材もあり得るとのことで、この会を
持続発展させ、社会的認知度を高めるという張合いもできた。
 視覚障害者三つの不自由の一つ、情報・通信の不自由解消のためにも、市内及び近隣
(オブザーバーとして参加可能)の参加を強く呼びかけたい。
 そのためには、本人の要望はもとより、社会や家族の理解と支援が求められる。

いわき街中コンサート 今年は晴天でした

2014年10月25日 12時33分42秒 | Weblog

10月19日、今年のいわき街中コンサートは晴天に恵まれた。
 今年は、恒例の百里稲刈り交流会、阿見産直祭り、朝市まつり&収穫祭などでの演奏
がなかったが、米価大暴落対策要求やTPP反対運動の集会、許すな戦争をする国づく
り集会など、情勢に対応したタイムリーな演奏を行う機会を得た。
 一方、恒例のステージで参加したのは、いわき街中コンサートである。
 いわき雑魚塾の比佐さんから紹介されて参加するようになってから、今年で三回目の
出演である。昨年は大雨に見舞われ、最悪の環境のもとでの演奏とはなったが、復興支
援のイベントでもあり、いわき市や浜通りの被災者の思いに立てば、この程度の試練ご
ときは何するものぞの姿勢で臨んだ。
 ただそれにしても、観衆が少ないことは、演奏意欲を損なうことには違いない。
 希少価値のある観衆の内訳は、いわき雑魚塾、その応援団である山百合の会の皆さん
などであった。その他、ヒューマン・ファーマーズがかつてお世話になったことのある
いわき演劇鑑賞会の事務局長さんが、雨を避けてステージの置かれたっショッピングセ
ンターの中から聴いていてくれた。
 そんな状況から一転して、今年の町コンは天候には恵まれた。会場は、これまでと違
って、市の中心街で、他に数か所のステージが近くにあったが、着席した客が多少いた
他、道路には人の流れもあった。
 ここで、コンサートとして成立させるか、単なるイベントのアトラクションとして終
わってしまうのか、私たち自身の演奏如何が、それを左右する決め手となる。
 会場となった特設ステージでのヒューマン・ファーマーズの出番は、最終の9番目で
あった。7番目までの出演者は、エレクトリックサウンドが主体野ロック系のチームが
続いていたので、歌とアコースティック楽器による表現者たるフォークソングチームと
は雲泥の差があったに違いない。
 それでも、8番目にいわき雑魚塾が控えていたので、そのカラーとパワーで、一気に
フォークソングの世界に引き込んでいった。
 大震災と原発事故をテーマに、時間オーバーの7曲を熱延してくれたために、その後
のわがチームの演奏へと繋ぎ易かった。
 そして登場の、ヒューマン・ファーマーズの持ち時間は35分間。いわき雑魚塾との交
流を基にして生まれた「ふるさとを汚したのは誰」を皮切りに、情勢に照らして「米を
作って飯が食えねえ」などの百姓フォークを三曲ほど演奏。
 次いで、昨年の田中正造没後100年に創作し、足尾鉱毒事件から水俣病、そして福島
原発事故に至るこの国の留まるところを知らぬ人災を告発する「いつの日か」(作詞 
笠木透 作曲 北嶋誠)を演奏。
 最後は、雑魚塾をはじめ、浜通りの友人たちの怒りと叫びを表現した「よみがえれ浜
通り」を、みんなで歌って締めくくった。
 浜通り地方の、幾つかの地名が登場するこの歌に、足を止めて聞き入る人もいた。

TPP運動交流集会で歌うヒューマン・ファーマーズ

2014年10月25日 12時28分43秒 | Weblog

国益に反するTPPからは撤退するとか、守るべきものは守るなどと、選挙公約や国
会決議があるにも関わらず、安倍政権は、関係会議の度に譲歩案を出し続けているよう
だ。
 これでは、むしろ日本政府こそが積極的に、米国との妥結を画策していると言わざる
をえない。
 国会決議違反や公約違反は、最早日常茶飯事のようで、この国では日本国憲法第九条
の戦争の放棄だけではなく、国民主権や基本的人権、三権分立、地方自治など、全ての
条項が形骸化されつつあるようにも思う。
 また、TPPを先取りする政策も、外交や国内政策をとわず、続々と打ち出されてき
ている。
 特に安倍政権になってから、BSE、遺伝子組み換え食品、残留農薬、食品添加物な
ど、食品輸入に関する大幅な規制緩和が進められている。農業特区、生産調整政策の廃
止、日豪EPAの合意、農政改革と称する農協・農業委員会の解体など、露骨な居直り政
治だと言いたい。
 内外の多国籍企業などの利益のために、国内農業や地域が壊されていくのをみすみす
手をこまねいている訳にはいかない。北海道では、経済界も含めたオール北海道で、反
TPPの一点共同運動が広がっている。
 9月27日には、全国的な運動を進めている大学教員の会、弁護士ネットワーク、主婦
連合会、全国食健連など広範な人々が明治大学に集い、「TPPをめぐる運動のこれから
を考える9・27全国交流集会」という、長い名称の集会が開かれた。
 前置きは長いが、言いたいことはこの集会後の懇親会で、ヒューマン・ファーマーズ
の演奏が行われたことである。
 以前に記したように、9・18米価要求中央行動での演奏を受けて、この集会での演
奏以来へと繋がった。
 会場は、明治大学から10分ほど歩いた「在日本韓国YMCA・アジア青少年センター」で
あった。
 私と佐藤正剛の2名で、「米を作って飯がくえねえ」と「これでいいのかTPP」の2曲
を演奏した。
 何れの曲も、情勢や運動に対応して創作したもので、もとよりこのような集会などで
演奏することを念頭に置いていた。
 それでも、参加者を激励したり、参加者の共感を呼ぶ演奏が出きるかどうかには、幾
つかの条件をクリアーしなければならない。
 楽曲の出来の良しあしはもちろんだが、会場の物理的条件、参加者の雰囲気、そして
何よりもテクニックに頼るのではなく、伝わる演奏が出きるかどうかにある。
 いつもどう展開するかは判らない。まだまだ修行が足りないわがチームではあるが、
とにかく現状の能力を最大限に発揮して臨むしかない。
 今回も、酒の入った歓談の最中に演奏開始となった。「米を作って飯が食えねえ」で
は、さすがに、いきなりの反応は少ない。それでもマイクを通しての演奏は、歌詞が届
くと思われ、徐々に集中してきた。
 そして「これでいいのかTPP」では、集会のメインテーマであるだけに、「そうだ!
」などの掛け声もかかり、エンディングまでには一体感を醸し出して終了することがで
きた。
 ここに取材に来ていた農政ジャーナリストの方が、日本農業新聞誌上(10月7日付)
に、詳しく取り上げてくれたので、是非一読していただくと幸いである。

平和の暦コンサート 結城市

2014年10月25日 12時24分28秒 | Weblog

9月21日には、結城市での笠木透と雑花塾「平和の暦コンサート」を開いた。
 CD文庫「平和の暦 ー オールマナックシンガーズ」発表記念コンサートツアーの
一環で開いたものだが、雑花塾の増田康記さんから連絡をいただいたのが、公演希望日
の約40日前のことだった。
 昨年にも、CD文庫「われここにあり」を制作したが、他でやるだろうと油断があっ
たり、心当たりに打診はしたもののそのままになってしまっていたりして、何だかんだ
で、その発表コンサートの機会を逸してしまっていた。
 それだけに、今回はとりあえず私の地元の結城市では必ずやろうと、即刻に地域コミ
ュニティーセンターを会場として確保した。
 チラシ作りや宣伝は突貫工事で、ファンや文化団体・平和団体などにも、できるだけ
早く告知するようにした。
 財政的にも心細いものがあったので、私たちの活動を支援していただいている団体や
個人に、趣旨を説明し協賛金をいただくことにした。
 結果として、会場を満たすだけの100名を超える参加者で、熱気あふれるコンサート
となった。
 先ず第一部に登場した我がヒューマン・ファーマーズ、館林ロストシティランブラー
ズ、いわき雑魚塾の演奏が、このところのそれぞれのチームの活動の成果が表れたか、
いつになく評判は良好だった。
 メインの雑花塾のコンサートでは、病と闘いながらの笠木さんの演奏は、さすがに座
ってのものになった。それでもユーモアを交えながら、戦中戦後の実体験に基づく非戦
論は、これまで以上に説得力を増していた。
 ここでも、「エンネさんのじゃがいものすりやき」、「The water is wide」、「あ
の日の授業~新しい憲法のはなし」などの歌が、観衆の心を大きく揺さぶるものになっ
た。
 ところで、CD文庫「平和の暦」の小冊子には、歌にもあるじゃがいものすりやきの
レシピが紹介されている。
 戦後のお米のない時代に、これを食べた飢えた笠木少年は、涙が出るほど大感激した
。ドイツ人のエンネさんがお母さんに教えてくれたという、そのじゃがいものすりやき
である。
 この日の開演前のリハーサルの時間に、我が家産のジャガイモと菜種油を持参し、わ
が妻や出演者スタッフたちも、笠木さんの奥さんの指導を受けながら、試作し試食する
ことができた。
 じゃがいもだけで作る料理にしては、想像していた以上にうまかった。
 嘘だと思うなら、「平和の暦」を購入して、是非試してみるといいだろう。

平和の暦コンサート 大洗町

2014年10月25日 12時19分33秒 | Weblog

9月20日に大洗町で、21日には結城市で、笠木透と雑花塾「平和の暦コンサート」を
開いた。
 笠木さんは、この前日の19日には都内で2ステージ行なっているので、三日間で4ステ
ージこなしたことになる。
 プロのミュージシャンならごく当たり前のスケジュールだろうが、笠木さんは大病を
患いまだ退院間もない身である。
 本来、演奏活動どころか、自宅で安静にし養生していただくところなのだが、私たち
は、笠木さんの「今やらねば」という思いに応える以外に選択肢は持たなかった。
 とはいえ、結城で何とか21日の会場を見つけて、開催を決めたが、20日の公園受け入
れ先がなかなか見つからなかった。
 それでも、ギリギリのタイミングで、笠木さんの大ファンだという大洗町の旧おかめ
旅館の主夫婦が、大乗り気でコンサート受け入れを決めてくれた。
 取り壊しを免れた、町の文化遺産にもなるような旧旅館の二階で、家族的な雰囲気の
コンサートになった。
 開演前、床が振動しギシギシと音がする二階に不安の声を上げる人もいたが、私の場
合、自宅と同様な条件だったので、むしろリラックスできた。
 出演は、雑花塾とヒューマン・ファーマーズの二組だったので、わがファーマーズは40
分も演奏時間をいただいた。
 そのため、予定外の「丸腰で行こうぜ」も演奏することになり、いざ本番の時、歌詞
がまるで出てこなかった。
 一番の伴奏が終わるまで、歌詞の手がかりとなる部分すら全く思い出せなかった。そ
れで、ここは居直って、強引に一番を頭から歌いなおした。
 今度は、頭が出てきたのでしめたもの。途中あやふやなところが出てきても、適当に
作詞をしながら歌い切った。笠木さんの話では、雑花塾関係では、「三大歌詞忘れ」の
一つに入るだろうということだ。
 肝心の雑花塾の演奏はというと、笠木さんのトークは相変わらず絶好調だった。「じ
ゃがいものすりやき」や「海は広い(The water is wide)」などの説得力のある歌を
主体にして、高齢者?の多い客席を引き込んでいった。

米を作って飯が食えねえ

2014年10月25日 12時13分03秒 | Weblog

9月18日、この秋の米価大暴落にもう我慢ならんと、「米作って飯食えねえ」のノ
ボリを掲げて、農民連などによる米価要求中央行動が行われた。
 ここ数年は、農民連食健連の行動より、障害者団体の行動で永田町や霞が関に来る割
合がやや増加気味だった。
 今の情勢は、米価大暴落のみならず、TPP交渉参加、農協解体の農政改革など、日
本農業つぶしの総仕上げが謀られている重大な危機にあるだけに、今度のこの行動には
何としても参加したいと思っていた。
 もうそれほど余力が残っているわけではないが、これまでの減反政策、農産物輸入自
由化、残留農薬、ガットウルグアイラウンドからWTO、米パニックと外米緊急輸入、
遺伝子組み換え食品、O-157、相次ぐ食品偽装事件、BSE、口蹄疫、汚染枚、原
発事故と放射能汚染、そしてTPP…と、食と農をめぐる幾多の局面でたたかってきた
だけに、家に籠って地団太を踏んでいるわけにはいかなかった。
 ただ、ここは私としてできることは何かと考えた時、「及びじゃないのに現れるヒュ
ーマン・ファーマーズ」という、わが百姓フォークグループ、ヒューマン・ファーマーズの
テーマソングの一フレーズを思わず口ずさんでいた。
 そうこの積極性、戦闘性(とは言っても歌でたたかうこと)こそが、ヒューマン・ファ
ーマーズの何よりもの特徴なのだ。そして、とにかく参加できるメンバーで、時には私
一人でも参加し演奏してきた。
 この期に及んで、遠慮したりたじろぐわけにはいかない。思い立ったのは行動日の三
日前、農民連本部に繋ぎをとり、農水省前で一曲歌いたいとの要望を伝えた。
 しばらく後に連絡があり、昼前の農水省正面玄関前の集会では、発言者がいっぱいで
ちょっと時間が取れない。午後の衆議院会館内での農水省交渉と、決起集会の間に休憩
時間があるので、そこで演奏していただくと有難い。との返答があった。
 結果としてこれが良かったかも知れない。農水省に向かって歌いたかったのはヤマヤ
マだが、衆議院会館内は音声がよく響き渡り、表現者の端くれとしては、比較的演奏は
し易かった。
 一人の弾き語りで、佐藤せいごう作詞、北嶋誠作曲の「米を作って飯が食えねえ」を
演奏した。
 もとより、上手な演奏などできるはずもない。我れながら、よくもここで歌うものだ
とも思うが、ここで歌ってこそフォークシンガーの端くれである。とにかく、歌詞を噛
みしめながら演奏した。
 例によって、出来はさほど良くなかったのだが、演奏を終えて座席に戻ろうとした際
に、農水省前でも議員会館前でも怒りの発言をした福岡県の女性が、「有難うございま
す」と声をかけてくれた。座席の隣に座っていた男性からは、「いい歌ですね」とのお
褒めの言葉をいただいた。
 「お上手ですね」などと評価されることより、集会参加者の思いにかなう演奏が出
きればそれでいいのである。
 集会の翌々日、主催者から電話があり、27日に行なわれるTPP反対運動交流集会
での演奏依頼があった。