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北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

8・30戦争法廃案国会包囲行動

2015年11月18日 17時11分21秒 | Weblog

戦争か平和か、その歴史的な分岐点友いえる選択を、今や国民自身が問われている。
 そんな時に、いわゆる60年安保闘争以後、国民運動としては最大の規模となった。
 国会が大詰めが迫る8月30日、全国的には雨も降る中、8・30国民運動が、国会周辺
はもとより全国津々浦々を揺り動かした。
 国会周辺には12万人、全国1000か所以上には数十万人が参加したとのことであ
る。前日に集会とデモを行なったわが結城市からも、20人程度が参加した模様である。
 結果としては、国民の理解は得られないまま、数の横暴による19日未明の強行採決と
なった。許せない暴挙だが、憲法による民主主義の下、国民運動が暴走内閣を厳しく追
い詰めたことは疑いない。
 採決強行後の国会前で、戦争法の廃止させる運動が提起された。たたかいはこれから
が本番だということだ。
 ところで、今回の行動に対して、この国のメディアの報道は、体制にへつらうもの、
沈黙するもの?など、ジャーナリズムの良心は何処へ行ったのか、と問いたいほどの情
けなさだった。
 その中の話題の一つとなったのが、NHKや一部新聞社などが、国会包囲の参加者の
数を、主催者発表の12万と警察発表の3万人を併記したことだ。
 この警察発表というのが曲者であったが、国会質問によって、どのようなものなのか
内容が判明した。
 警察当局の答弁では、全体の数字を把握するものではなく、一定エリアの一時点の数
だということなのだ。
 つまりは、ある時間の国会議事堂前に限った数字であれば、まんざらインチキの数で
はないということなのか。そうなれば、国会周辺ということになれば、12万人といいい
うことになるし、延べ人数では、シールズの調査によれば30万人ということになる。
 主催者発表と警察発表の格差が大きければ大きいほど、権力側の重視度の目安になる
のだという。
 ということは、戦争法反対の国民運動の高揚の前に、安倍内閣が恐れをなしたことの
表れなのだろう。だがこのことは、還って国民運動の一層の高揚を招くことになるに違
いない。

8・29 戦争法反対集会&デモin結城

2015年11月18日 17時07分56秒 | Weblog

戦争法をごり押しする安倍内閣に対し、国民運動がいよいよ列島騒然の如く広がって
きている。30日には、国会周辺での大講堂と、全国各地での統一行動が呼びかけられ
ている。
 これに呼応して、結城市でも何か行動を起こそうと、戦争法に反対する結城市民の会
を結成し、8・29NOWARデモin結城を開催した。
 緊急の取り組みだが、戦争への危機感が市民を突き動かしたのだろう、集会やデモを
主催することなど不慣れな顔ぶれでも、必死になれば何とかなった。
 私自身としても、結城市民が重い腰を上げたとなれば、他の大事な会議もキャンセル
して臨むことにした。
 集会当日は、予報では心配されていた雨も避けられて幸いだった。最初の文化行事で
は、わがヒューマン・ファーマーズの演奏と平和のうたごえで和やかに交流した。
 市民文化センター内での集会では、市内の各界各層からのあいさつがあり、それぞれ
に戦争法反対の想いを発言した。
 最後のデモ行進は、市民のデモとしては、この30年間で、売上税反対運動と馬
券場建設反対運動に続く三回目という画期的なものとなった。
 デモのコースは、結城駅南を一時間弱ほど行進し、沿道からは手を振り声援を送る人
たちもいた。
 かつての団体や労働組合主導から、一般の主婦やクリスチャンの方が参加するなど、
個人が呼びかけ合った参加者が多数のように思われた。
 こうなれば、必ずや息の長い運動として定着するものである。「国民の理解が得られ
なくてもやる」などと暴言をはく安倍内閣に、主権者国民の大運動で、痛烈な反撃を加
えて、暴走をストップさせよう。

障害者と戦争

2015年11月18日 17時04分44秒 | Weblog

8月27日、東京は永田町の憲政会館で、JD(日本障害者センター)主催の夏季セミ
ナーが開かれた。
 戦後70年、歴史に埋もれかけていた戦時下の障害者たちの生活はどうであったか。
 障害者は災害弱者として、先の東日本大震災と原発事故時には、死亡率が健常者の倍
にも達するなど、痛苦の体験を新たにしたばかりだ。
 この日は、JDの藤井代表が、ナチスから迫害された障害者をテーマに講演した。
ナチスドイツによる20万人の障害者虐殺が、その後のユダヤ人300万人虐殺の、所
謂ホロコーストにつながっていったとのことである。
 何れにしても、多くの命を奪い、障害者を作る戦争には反対である。
 9月には、戦争法案に反対する視覚障害者アピールが発表される予定で、私も賛同者
として名前を連ね、この危機的情勢にあって、改めて意思表示をする。

敗戦の日のお言葉と式辞

2015年08月17日 19時29分27秒 | Weblog

 8月15日、恒例の全国戦没者追悼式典で、対象的な内容のあいさつがあった。
 その一つは、天皇のお言葉だ。「過去を顧み、先の対戦に対する深い反省とともに、
再び戦争の惨禍が起こらないことを節に願います。」「戦争による荒廃からの復興と発
展に向けた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我
が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。」と述べた。
 主権在民を規定した憲法の下での、象徴天皇として、全国民とともに平和を希求する
姿勢である。
 もう一つの安倍首相の式辞は、反省の言葉はなく、無味無臭。ごくありきたりの追悼
のあいさつだった。
 しかも権力者らしく、上から目線の安倍さんらしいあいさつだった。
 この前日、14日に発表された安倍首相談話では、既にその本音ともいうべき思いが
表明されていた。
 侵略戦争や植民地支配といった文言はあったが、羅列されただけで全くの他人事。過
去の誤りとしての反省はなかった。
 ただ、その過去の誤りについては、「痛切な反省と心からのお詫びをくり返し表明(
歴代政権が)してきた。」と過去形で述べ、今後は謝る必要はないという姿勢。
 侵略戦争と植民地支配に、反省とお詫びをした上に、憲法九条を活かした平和外交を
広げ、近隣諸国からの信頼を回復した人の」言葉なら理解もできるだろう。
 だが、侵略を認めず、反省もお詫びもない人のセリフではない。
 そして最後には、日米同盟による戦争をする国づくりを意味する、積極的平和主義を
掲げて歩むと、本音を述べてまとめた。
 天皇と安倍首相の姿勢の違いは、立憲主義の下にあるかどうかという見方もできる。
 日本は立憲君主制で、日本国憲法では、天皇の権限は、象徴天皇としての国事行為の
みと規定されている。
 一方の安倍首相は、立法・司法・行政の三権のうち、行政の府である内閣総理大臣と
いう権力者である。
 二人の共通項は、憲法99条(憲法擁護の義務)「天皇または摂政及び国務大臣、国
会議員、裁判官、その他の公務員は、これを尊重し擁護する義務を負う。」ということ
にある。
 憲法に照らしてみると、天皇は憲法の規定通り、これを忠実に遵守した言動を心掛け
ているようである。
 しかし一方の安倍首相は、立憲主義を否定し、憲法を擁護するどころか、解釈改憲を
推し進め、憲法九条の破壊につながる新安保法案の強行採決を企てている。
 まったく憲法九条も九十九条もあったものではない。これが、法の支配の下にある内
閣とは、とても信じられない。
 もちろん、安倍首相の目標は、これに留まらず、現憲法を改悪し、新憲法の制定で、
自衛軍を創設し、大手を振って戦争をする国にすることである。
 日本国憲法前文に記述されている「再び政府の行為によって戦争の惨禍が起こること
のないように」に、危険信号が点灯している状態だ。
 ただ、天皇の平和を願う姿勢は、単なる憲法の遵守ということだけではないように想
う。安倍首相による、憲法破壊、立憲主義の否定の姿勢にこそ、危機感を覚え、これを
牽制しようとする思いの表れではないのか。そう考えるのは、私だけだろうか。

これからも憲法フォークジャンボリー

2015年08月17日 19時27分32秒 | Weblog

 笠木透さんの提唱で始まった憲法フォークジャンボリーだが、彼のいなくなった後も
、彼の創作した歌はますます歌われていくだろうし、歌づくりや憲法フォークジャンボ
リーをはじめとして、彼の企画や運動は、仲間たちがそれぞれのスタイルで継承してい
くに違いない。
 8月2日には、憲法フォークジャンボリーin東京の第三日目が、新宿区の東京労音大
久保会館で行なわれた。
 わがヒューマン・ファーマーズは、ここのところ恒例?の少数精鋭で、北嶋誠、佐藤
せいごう、久保田秀幸、大泉和美の四名の出演であった。
 各チームの出演時間として10分間が設定され、この間に何をどう表現するのか、そ
れぞれの個性や創造性が発揮される。
 今回のヒューマン・ファーマーズは、情勢に照らして「米を作って飯が食えねえ」と
「平和の暦」の二曲を演奏した。
 安全保障関連法案という戦争法案が、国民世論を軽視して、今国会で何が何でも成立
させようとする安倍内閣の暴走政治がまかり通っている。
 今後、これがさらに狂暴化するのか、国民運動でこれにストップをかけるのか、いよ
いよ正念場である。
 この情勢に対応して必要なのは、戦争法案ストップの集会やコンサートであり、憲法
ジャンボリーなどの場合ではない、という議論もある
 もちろん情勢に対応した行動は、真に機会を逃さずに機敏にというのが鉄則である。
 しかも、この安保法案が、この8月にも強行採決されたと仮定すると、早ければ来年
にも、米軍の引き起こす戦争に自衛隊が手下となって参戦し、殺し殺されることになる

これは、実質的な憲法九条の破壊となるため、今はこれをすとっぷさせるのが最重要だ
と思う。
 しかし、当面の戦争法をめぐる状況がどんな方向に動いたとしても、安倍内閣の狙う
ところはここに留まらない。
 究極の目標は、憲法九条と戦争の放棄を規定した日本国憲法そのものを破壊し、安全
保障の名の下に、問答無用に正々堂々と戦争を遂行するための新憲法を制定することに
ある。
 だから、無力とか微力とかいわれる私たちにとっては、文化でたたかう手法の一つと
して、憲法フォークジャンボリーは、これからも草の根運動として、各地で行なわれて
いくだろう。

本音の暴言が相次ぐ

2015年08月17日 19時24分51秒 | Weblog

 安保法案、沖縄の米軍基地移設、川内原発再稼働、TPPなどをめぐり、暴走する安
倍内閣にも、国民世論と運動の広がりを受けて、やや焦りも出てきたのだろうか。ここ
のところ、安倍首相の取り巻きのお友だちさんから暴言や湿原が相次いでいる。
 ましてや、安倍首相自身が、衆議院委員会開会中に、質問する野党議員に大して「早
くしろよ」などとヤジをとばして、後で陳謝したり、「国民の理解が進んでいない」と
しながら強行採決するなどのお手本を見せているので、お友たちの皆さんもいつになく
張り切っているようにもみえる。
 また党首討論では、「ポツダム宣言はつまびらかに読んでいない」「安保法案の説明
は正しい、私は総理大臣だから。」などと国民無視の傲慢な発言が繰り返されている。
 元NHK放送委員の百田直樹氏は、NHK委員当時から暴言マンとして著名だったが
、自民党の若手国会議員の勉強会で、「沖縄の二つの新聞社はつぶせ」などと発言、そ
の直後には「あれは冗談だった。本当につぶしたいのは朝日、毎日、東京だ。」などと
言いたい放題だ。その自由な言論で、言論の自由に露骨な圧力をかけてきた。
 磯崎首相補佐官は、「法的安定性は関係ない」と発言し、立憲主義を否定する安倍首
相の、真に立派に補佐役を貫いている。
 「戦争には行きたくないなどと、安保法制に反対する学生は利己的だ。」とか「基本
的人権、平和主義などの戦後教育が間違っていた」などと発言した自民党の武藤孝也代
議士。まさに生存の自由も言論集会の自由も許さない、まるで「戦争に協力しないのは
非国民」とした戦中の暗黒政治家の思想そのものである。
 こうした暴言失言について、簡単に区別してみると、暴言は故意に、失言はついうっ
かりということなのかも知れない。ただ、暴言であろうが失言であろうが、判っている
ことは、何れにしても彼らの本音であることには違いないということだ。
 このような立憲主義否定、国民不在の人々が、国を牛耳り、いわば極右やファシズ
ムの台頭といった危険な方向に進んでいることを、アジア諸国のみならず、欧米のメデ
ィアや政界までもが懸念している。
 この国の主権者国民自身が、運動を起こすなどの明快な意思表示をすることで、今後
の展開がきまっていくだろうし、海外からの信頼も獲得できるだろう。

戦争法より、九条を活かして平和外交

2015年08月17日 19時12分15秒 | Weblog

 暑いし、仕事は忙しいし、睡眠時間も少ないし、疲れる。愚痴ばかりこぼしたい時に
、国会では国民不在の強行採決、しかも戦争法案とは。
 暇もないし、ブログなど書いている場合ではないのだが、立憲主義が否定され憲法九
条が破壊されようとしている情勢にあって、主権者国民の一人としては、手をこまねい
ている場合ではない。
 国会周辺では、戦争法に反対する人々の、怒りの集会やデモが、連日繰り返されてい
る。地方でも、多彩な草の根運動のアクションが繰り広げられている。
 私としては、この運動の中に、できることで積極的に参加している。もちろん、文化
でたたかうヒューマン・ファーマーズの活動もそうだが、このブログも、ささやかだが
自分なりの行動である。
 とにかく、ただ手をこまねいているより、自分にできることで、即刻に行動すること
、表現することが肝心だと思う。
 いよいよ次は、戦争法案が参議院で議論される。国民の理解が進んでいないと、安倍
首相」自身が認めながらも、実際には国民不在の暴走政治を突っ走っている。
 国会での戦争法案をめぐる論議の中で、維新の党や民主党が、衆議院では対案を提出
した。
 集団的自衛権行使の名のもとに、米国が引き起こす世界中での戦争に加担する戦争法
の枠内では、対案というより、与党案がいよいよ行き詰った時のための救済案としか思
えない。
 これでは、維新の党や民主党が、自民党補完勢力と言われても弁明できないだろう。
 国民世論に応えるためには、参議院で徹底的に討論し、戦争法の危険性と憲法違反の
内容を暴露し、廃案に追い込むことだ。
 じゃあ、安全保障のためには何をすればいいのか。答えは明快である。
 戦後70年、憲法施行後68年、戦争を放棄し、平和な日本を保持し続けてきた日本
こそが、日本国憲法第九条を活かして、平和外交を世界に広げ、貫いていくことしかな
い。
 7月18日に、茨城アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)連帯委員会によ
る「バンドン会議60年シンポジウム報告集会」が水戸市内で開かれた。
 この中で取り上げられたのは、アセアン(東南アジア諸国連合)の実践である。
 インドネシア、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシアなど、体制が異なり、これ
まで争いを繰り返してきた東南アジアの10か国が、徹底的な対話外交で、絶対に戦争
をしない共同体づくりを進めてきた。
 アセアンの特筆するべきところは、この流れをさらに北東アジアにも広げ、北東アジ
ア諸国連合づくりを呼びかけていることである。アセアンから、対象国となる日本、中
国、韓国などに呼びかけているのだが、最も反応が悪いのが日本政府である。
 このような、徹底的対話で、戦争をしない平和国家共同体づくりを進めることこそ、
本当の意味での積極的平和主義と言っても良いのではないだろうか。
 このことについては、国内では、東アジア共同体構想として、日本AALAや日本共
産党などが提唱し活動している。他に、海外での実例としては、最近発足した中南米カ
リブ海諸国連合やEU(ヨーロッパ連合)などもあげられる。
 日本こそ、憲法第九条を活かして、積極的平和主義外交としての、東アジア共同体づ
くりを、真に先頭に立って進める立場にあると思う。

戦争への道を止めるのは

2015年08月02日 18時17分46秒 | Weblog

今、どうすれば良いかとなれば、日本国憲法を活かして、「政府の行為によって、ふ
たたび戦争の惨禍が起きようとしている。戦争への道を止めるのは、国民の不断の努力
である。」
 戦争法案を、7月14日の衆議院委員会で強行採決、翌15日の衆議院本会議で強行
採決、という事実だけを見ていると、「またいつもの茶番劇」「不満はあるけど仕方な
い」というような、決して賛成ではないけれど、諦めや無力感が漂いかねないことが、
これまでの慣例だったようにも思う。
 これは多分に、NHKをはじめとする大手メディアによる報道が、国民の視線でという
よりも、権力側に立ったいわば上から目線であることも、大きな要因の一つでもあると
思う。
 しかしこの間、日本の若者たちが、米軍の手下となって、殺し殺される戦争に動員さ
れていくことなど、危険な内容が、国会の論戦などを通して明らかになってきた。
 何よりも、戦争の放棄を規定した日本国憲法に違反し、戦後70年間、そして憲法施
行後68年間、平和主義を貫いて信頼を回復してきた国から、再び戦争をする国になろ
うとすることであり、極めて危険な法案である。
 国会を取り巻く人々の叫び、列島各地に広がる集会やデモなど、今回ばかりは、国
民世論の様相が明らかに違っている。
 各種世論調査をみても、今国会での法案成立に反対が八割前後など、国民大多数の声
となっている。
 憲法学者や裁判官、弁護士など、専門家のほとんどが違憲の法案だと批判している。
 安倍内閣の支持率は、30%台へと、二度目の安倍内閣としては最低ラインにまで急
落している。
 しかも、ルールを守らない安倍首相は、この国の子どもたちには、どのように映って
いるだろうか。
 憲法第九条の平和主義はおろか、基本的人権の尊重、主権在民、三権分立、地方自治
、果ては第九十九条の、憲法擁護の義務に至るまで、憲法のあらゆる条項が踏みつけに
されている。
 一国の総理大臣が、これだけ憲法を守らず、そのうえ子どもたちに、憲法違反の教育
を押し付けようとは。
 まさに憲法は、この安倍首相のようなファシスト権力者が登場し、暴走して国民に苦
難を課すことがないように規定されているのだと思う。
 したがって、戦争をする国づくりをめざす暴走政治を止めるのは、不断の国民世論と
運動以外にない。
 

笠木透お別れコンサート 900人以上が別れを惜しむ

2015年04月24日 21時01分30秒 | Weblog

4月4日、今日は笠木透お別れコンサートの日だ。存在感の大きい笠木透だっただけに
、寂しさが湧いてくるものと思っていたが、何故か彼がいないという実感はなく、今か
ら笠木透と雑花塾として、コンサートかレコーディングにでも臨むうような気分になっ
ていた。
 過去十数年に渡って続いてきた日々が、今後は大きく変化してしまうことを、まだ自
分の心の中では受け入れていないからなのだろうか。
 前日の3日は早朝に茨城を出て、午後2時40分には岐阜県中津川文化会館に到着した。
 既にリハーサルが始まっていた。我夢土下座、土着民、SAM、高石ともや、凪の座
、安達元彦など、笠木透とは結びつきの強い馴染みのメンバーが、明日に思いをはせな
がら、本番さながらの音出しを進めた。
 雑花塾の番では、中央に立つべき笠木透は存在せず、増田康記のリードでリハは進ん
だ。それでも笠木透は、いつものようにリハの後半から登場してくるものという雰囲気
でいた。
 そして4日の午前11時頃だったか、昨日から関係者には当日券を求める電話が相次い
でいたので予測はできていたが、開場の中津川文化会館前は、開演を待ちきれない多く
の人たちで溢れていた。
 900人収容のホールは満席で、100人近くが入場できないという事態に、これをうれし
い悲鳴と表現していいのかどうか複雑な思いにもなった。
 本番の演奏は、田中鉦三、我夢土下座、土着民、凪の座、中津川少年少女合唱団、S
AM、安達元彦+岡田京子+鈴木たか子、高石ともや、雑花塾と続き、笠木透から友へ
のラストメッセージが朗読され、「私に人生と言えるものがあるなら」「わが大地の歌
」「これがすべての終わりとしても」のシングアウトで終焉した。
 と思ったのだが、鳴りやまない拍手と歓声そしてスタンディングオベーションに応え
て、予定外のアンコール曲「小さな町」で、時間超過の4時間近いコンサートが、今度
は本当に終焉となった。
 出演者の演奏は、それぞれに思い出を語りながら、笠木透作詞の歌の数々を披露した
。 その内容についてはさまざまな評価があるだろう。中には、「期待外れ」「目を覆
いたくなった」などとの批判が集中した演奏家もあった。
 笠木透がもしこの場にいたなら、もっと手厳しい評価があったのかも知れない。だが
、彼はもう三途の川を渡ってしまっている。向こう岸からのメッセージでは、「歌を作
り、みんなと歌い、バカ話をした。それが私の人生でした。」「みんなと過ごした時間
が私の人生でした。有難うございました。」と語っている。
 今はもう、人生を共にした全ての友人に感謝しているに違いない。そして、「たわけ
!お前ら俺をダシにバカ騒ぎをして楽しむとは、とんでもない連中だ!」と、上ずった
声で叫びながらよろこんでいるに違いない。
 私の率直な感想は、手前味噌にはなるが、今の社会情勢を的確にとらえて、文化でた
たかう姿勢を最もはっきりさせていたのは雑花塾であったと思う。
 集団的自衛権や九条改憲、そして原発再稼働問題などにも心を残しながら、志半ばで
倒れた笠木透に、これからも歌い続け、たたかい続けることを約束する演奏になったと
確信している。

農協つぶしにはたたかう農協であるべき

2015年04月24日 20時58分24秒 | Weblog

TPP交渉の行方は、秘密裏に行なわれているのでどうなることやら。ただ、漏れ伝
わってくる情報によると、日本政府が米国との二国間交渉で、国会決議もしている守る
べき重要五品目について、譲歩に譲歩を重ねているようである。
 それでも米国の要求は、関税ゼロか限りなくゼロに近いものは譲らないだろう。容易
に決着はないだろうが予断を許さない情勢が続いている。
 TPP交渉からの撤退を求める運動も、当面の交渉の起源となる5月までは気を許せない
日々が続く。
 そんな最中の三月中旬、全国農協中央会が久しぶりにTPP関連の集会を開いたよう
である。こじんまりと700人規模でデモはなく、何とも意気の上がらない集会だったよ
うだ。
 政府による農協改革と称する農協つぶしでは、先ずTPP反対運動の纏め役の全中の力
を削ぎ、その後農協組織の解体を狙ったものである。
 その背景には、農協の各種事業に触手を伸ばす日米の大企業の強い要求がある。
 かつての郵政民営化のように、国民にとっては一利なし、一部日米大資本の餌食にす
るだけである。
 しかも、大資本にとっては邪魔者の自主的組織協同組合を、政府がちょっかいを出し
て解体を謀るなどとはとうてい容認できないことである。
 例え農協運営に問題があったとしても、それは農家組合員自身が解決し改革を図るべ
きことだ。
 それにしても、政府による農協改革と称する農協つぶし攻勢に、怖気ずいたのか、所
詮は自民党農協部会なので抵抗するのはもってのほかなのか。
 何れにしてもTPP締結となれば、農協にも日本農業にも未来はないことは明白なのだ
から、ここは仮にも自主的組織の農業協同組合として、農家組合員の経営と暮らし、地
域経済を守りぬくためにたたかうしか道は残っていない。
 組合員や単協からの声をあげ、全中執行部のシリを叩かなければならない時だ。