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北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

春の兆し 

2012年02月27日 22時11分44秒 | Weblog
二日ほど前からようやく寒さも緩みはじめ、僅かながらも春に向かう兆しを感じるよ
うになってきた。
 それもそうである。もう二月下旬だ。水戸の偕楽園では恒例の梅祭りも始まるころで
ある。ただし、今冬の寒さの影響で、開花が遅れ気味とのことではあるが。
 それにつけても、先ずは正月早々に、笠木透と雑花塾cd文庫vol・5「私の子ども
たちへ・東日本大震災」のレコーディングなどから、今年もあわただしく一年が始まっ
たかと思うと、もう二月も終わろうとしている。
 ここ数日来、風邪とも花粉症ともつかぬくしゃみもやや出てはいるが、この冬はなん
とかインフルエンザも大きな風邪もひかずに乗り越せそうなところまできている。もち
ろん、インフルエンザの流行はまだ峠を越えた程度のところなのだそうで、まだまだ油
断は禁物ではあるのだが。
 世間では、あいも変わらず大はずれの民主党政府のもとで、国民は騙され翻弄され続
けている。
 こんな時の、うつ病逃れのストレス解消法としては、派手な滑動に打って出るという
作戦もあるが、ひたすら好物を食べ続けていやなことは忘れるという手もある。
 そうは言っても、金には糸目をつけずにということも不可能なことなので、つましく
も季節の伝統食郷土色で腹を満たそうということになる。
 そうなると正月からこの方、御節、餅、雑煮、七種粥、赤飯、しもつかれなどが、こ
の辺の主な伝統食である。
 お葬式と法事があったので、団子やツボ饅頭、結城市の名物?である「すだれぶ」と
称されるきしめんに似たような食べ物も賞味できることになる。
 だが、家族の誕生日ともなると、お寿司などは伝統食の部類には入るだろうが、ケー
キなどともなると違ってくる。
 また、節分の恵方巻きなどは、大阪方面の食習慣であったものが、業界の売り込みの
せいか、関東にも流行してきているという傾向にある。
 さらに、バレンタインデーのチョコレートともなると、国際化と言えば聞こえは良い
が、やはり食の国籍喪失状態のこの国ということになるのだろう。
 こうなると、食べ物で春の兆しを感じるなどというような、風情とか情緒などという
ものも消え失せてゆくのだろうか。

政府のお年玉はいつも

2012年01月29日 17時39分00秒 | Weblog
毎日の仕事は相変わらずの酪農業だが、原発事故による実害や風評被害あり、tpp参加を強引に推進しようとする首相もいて、あまり良いニュースはない。
 原発事故の損害賠償請求は、生乳廃棄の被害分などは支払われつつあり、徐々に成果はあがりつつあるが、風評被害は現在も続き、今後も当分治まる見通しはない。
 正月からのレコーディングや一連の新年会は、昨年から予定されていたもので、ハードではあってもわりと充実していたせいか、さほど疲労感はなかった。
 それでも、親戚などでお葬式や入院という出来事が続くと、あわただしくなるだけではなく、寒さも身にしみてくる。
 そんな最中でも、民主党政府や野田首相による国民への背信行為はまだまだ続いている。
 今度は障害者制度改革の問題で、障害者自立支援法を廃止して、障害者総合福祉法を制定するという基本合意が反故にされようとしている。
 障害の責任は障害者にあるとした障害者自立支援法は、憲法違反であるとして、違憲訴訟が取り組まれた。
 その結果国が謝罪し、障害者自立支援法を廃止して、2013年8月までに、障害者総合福祉法を制定するという基本合意に達し和解した。
 政府内に、障害者制度改革委員会が設けられ、議論が重ねられてきた。
 だが、ここにきて、廃止ではなく、改正法でお茶を濁そうとする雲行きになってきている。違憲訴訟に国が謝罪し、基本合意した、まさにこれ以上の公約はないとは思うのだが、これを民主党政府はホゴニしようとしている。
 訴訟に基づく基本合意が守れないことなどあってはならないことである。それでも、毒を喰らわば皿までということもある。民主党は落ちるところまで落ちるのか。いやそれよりも、自民党とは大差がなかったわけで、期待をしていたとしたら、そんな自分の評価ミスを反省すべきだろう。
 何れにしても、政府からのお年玉が、例年こうだと、われわれ国民の生活はいよいよどん底に向かってしまうのだろうか。

展開を変えた歌づくりと東日本被災者支援コンサート

2012年01月01日 01時36分00秒 | Weblog
今年の東日本大震災では、我が家も種々の被害を受けた。そのために仕事もヒューマンファーマーズの演奏活動もとんでもないというか、想定外という展開になってしまったといえる。
 tppだけでもとんだ迷惑なはなしだったのに、3・11以後は、文字通りの大激震が奔った。
 建物や墓石などの損壊は、墓石5基の修復が成ったのみで、あとは全く手賀着いていない。
 酪農経営は、停電と放射能汚染問題で生乳の出荷停止対策が採られ、これについては、東電への損害賠償請求が現在も継続され、一部は賠償金が支払われている。
 ヒューマンファーマーズの演奏活動が攻勢的な展開に向かったのは、大震災と原発をテーマに創作を進めたことと、大震災被災者支援コンサートをはじめ、旺盛に演奏活動を行なったことからだろう。
 創作は5月から初めて、6月から7月にかけて僅か4曲しか出来ていない。しかも、実際に演奏されているのは、「よみがえれ浜通り」と「ふるさとを汚したのは誰」の2曲である。
 それが思いのほか好評なのではあるが、特に作詞作曲について深く考えていたわけではない。ただ歌詞については、東北の被災者の心情は計り知れないものであり、また人それぞれであり、それを表現することは難しいと思っていた。
 そこで「海が押し寄せてきた」「水田は海の底」「空を汚したのは誰」などの語句は、福島県浜通りの友人たちの言葉をそのまま使用しただけである。
 これらの歌を演奏した会場には、ほとんどといって良いほど福島県の被災者の存在があり、演奏後にお礼や感激の言葉をいただいたことも何度かある。
 それで多少は自身がでてきたのだが、決定的だったのは、10月22日に結城市で開いた東日本大震災被災者支援コンサートである。
 ここから、なくせ原発10・30福島大集会への出演、笠木透と雑花塾cd文庫への「よみがえれ浜通り」収録の話や、日本のうたごえ祭典代音楽界での「ふるさとを汚したのは誰」の演奏、などへと展開して言ったのである。
 大した才能はないにしても、私たちにできることとして、攻勢的に創作と演奏をすすめたことがこういう展開をよんだものと思う。
 さて来年はどうしたものだろう。もう引っ込みはつかないだろうし、かと言って大きな期待をされても困る。
 当面cdの収録もあるし、演奏の予定も入ってきている。今年の貯金はいくらでもない。
 ただ、既存のオリジナル曲もあるし未発表曲もある。更なる創作もしたい。また、メンバーも過信満々であってはいけないので、多少はレッスンもして行かなければならないだろう。

今年の私的重大ニュース

2011年12月31日 01時04分36秒 | Weblog
今年2011年は、仕事の方はともかくとして、ヒューマンファーマーズの滑動やら
社会滑動については、多少は時間的余裕も取れるかなとも期待をしていたが、天災人災
悪政によって、それは脆くも外れとなった。
 それでも、師走も押し詰まった12月下旬になって、何十年ぶりかに、忘年会などを
除いては、社会的無用の日々が数日続いた。
 何となく寂しいような、肩の力が抜けたような、煩わしいことは忘れて、心のゆとり
が持てたような気もした。
 それもつかの間、諸々と来年の滑動の相談やら、原稿や作文の類が入ってきて、この
まま来年に繋がって行きそうである。
 だがこの瞬間に、この一年を振り返ってみることができたようにも思う。
 やはり、大地震と大津波、原発事故と放射能汚染の天災人災、この国の政治経済社会
的矛盾の激化を含めて、今年は歴史の転換点として、後世にも語り継がれ書き記されて
行くことだろう。
 その一方で、一人娘が大学生になったり、私が23年ぶりに農民連の役員を退いたこ
と、ヒューマンファーマーズに久々に新メンバーが2名(大泉和美・加藤浩一)が加入
したこと、視覚障害者をはじめ障害者との交流が広がったこと、結城うたごえ喫茶を始
めたこと等、思い返せば数々あった。大震災と原発事故に翻弄された一年だったが、
 傍から見ればささやかなことでも、こういうことこそが、私にとっての2011年の
重大ニュースになるのだろう。

マニュフェストは目標でも思いつきでもない

2011年12月30日 20時57分55秒 | Weblog
2年余り続いている民主党政権の、国民に公約したはずのいわゆるマニュフェストが
すっかり吹っ飛んでしまったようである。
 沖縄米軍基地移転、消費税増税、食糧自給率向上と農業政策、温室効果ガス削減、八
っ場ダム建設中止、etc。様々な課題で総選挙時のマニュフェストや、民主党政権誕生
時の約束をホゴにして、旧政権の自公両党と手に手を取って、大政翼賛会への道を突き
進もうとでもいうのか。
 今年は大地震、大津波、原発事故と放射能汚染、相変わらずの倒産と失業、心の病と
自殺、外国からは不平等条約の押し付け攻勢もあった。
 今は大企業昔は財閥の支配の下、関東大震災と大恐慌があり、侵略戦争を突き進んだ
、そうあの時代に酷似しているのではないだろうか。
 すると次は、極右勢力の台頭か。いやもう始まっていると思う。
 何れにしても、国民不在の政治は最悪の事態に進む。
 この話とは関係ないが、私の今年の目標だった事を思い出した。
 自分自身への公約ではなく、希望だったのだが、今年は当然の如く出来ない事が多か
った。
 ヒューマンファーマーズの滑動は、上星に対応した演奏活動がそれなりに出来たので
、当初の目標が進められなくても仕方がないことだと思う。
 また、障害者の立場で、音声式信号機の設置申請をはじめ、障害者の自由と権利獲得
のための滑動も出来なかった。その一環での、盲導犬の体験会への参加もかなわなかっ
たことも、そうチャンスは無いだけに残念でならない。
 しかし今後も、天災、人災(悪政)は留まるところを知らないだろうそんな中でも、
したたかに生きるしかないのだろうか。。

2011・東京&北関東憲法フォークジャンボリー

2011年12月24日 18時19分08秒 | Weblog
憲法フォークジャンボリーも今年で6年目を迎えた。
 この国の政治情勢は、とても憲法九条改悪を企む余裕はないはずなのだが、国会には
憲法調査会が設置されるなど、着々と道が踏み固められているという現実もある。
 一方、九条の会などは、原発事故と放射能汚染の問題も抱えて、ここは出番と活気づ
いてきている。
 ヒューマンファーマーズとして、今年は東京(東京労音大久保会館rsアートコート
)と北関東(黒磯文化会館)の憲法フォークジャンボリーに出演した。
 7月22日から24日にかけて開かれた東京のジャンボリーでは、さすがに花?の都
だけあって、せいねんも多く、韓国あり、器楽演奏あり、うたごえあり、プロもアマも
入り乱れてというバラエティーにとんだものではあった。
 ただ、大震災と原発事故という未曾有の天才人災のもとで、国民が苦難の中にあると
いう背景を意識した演奏が少なかったようにも思う。
 特に原発事故は、今年複肢まで現実のものとなってしまったが、多くの被曝者がある
ことなど、原爆と同様の惨禍を生むものである。
 さらに、原発のプルサーマル計画は、核兵器開発につながるということもあって、改
憲と核武装を狙う勢力が、原発を推進している理由もここにある。
 したがって原発問題は、憲法第九条と平和を守る運動と大いに関係がある。
 一方12月4日の、北関東憲法フォークジャンボリーは、福島復興チャリティーライ
ブとのサブタイトルの通り、大震災ト原発事故を念等においた行動となっている。
 それでも、ヒューマンファーマーズと雑花塾以外には、それを意識した創作は残念な
がら少なかったように思う。
 ただここでは、一週間前に行われた佐野ピースライブ同様、20台の出演者が多かっ
た。一方で、50代60代の出演者も多いだけに、楽曲や演奏についても世代の違いを
しみじみ感じた。
 こういう世代を超えた交流によって、今後さらに多彩な表現者が誕生してくることに
なれば幸いである。
 ともかく、今回はすっかり地元の小野操さんや大武ゆきえさん、若手の星雅人君やl
augh君などにすっかりおまかせで、ヒューマンファーマーズや連根の会としては、大し
た支援も出来ずに申し訳ないと思っている。たいへんお疲れ様、ただただ感謝するのみ
である。

なくせ原発!10・30福島大集会とヒューマンファーマーズ

2011年12月23日 17時14分16秒 | Weblog
原発事故の深刻さが徐々に判明してくるにつれて、原発関連の集会は7・2集会以外
にも頻繁に開催されるようになっていた。次いで開催された大集会としてはやはり明治
公園での、9・19さようなら原発大集会だろう。
 大江健三郎、坂本隆一、内橋克と、澤地久恵、落合恵子らの各氏が呼びかけたこの集
会は、党派を超え、未組織の一般市民を結集することができた集会となり、6万人の参
加者で大成功した。
 ここでは演奏の機会こそなかったが、誰でも参加できる市民コースのパレードに加わ
ったことで、これらの大集会が、さらに地方へ運動を広げて行く契機として生かされて
行くだろうという実感を持った。
 その後、10・30福島大集会の話題が聞こえてきたが、ヒューマンファーマーズと
しては一連の演奏活動が続き、メンバー各人も余裕がないだろうし、私個人としても2
8日29日と連続して所用が予定されていたため、演奏はおろか、参加することすらも
まったくあきらめていた。
 ところが、10月22日に結城市で開催した東日本大震災被災者支援コンサートで、
公園をお願いしていた福島県飯館村の長谷川健一さんが、ヒューマンファーマーズの演
奏に大感激したところから事情は一変した。
 24日の午前に、福島の集会実行委員会から、茨城農民連を通してヒューマンファー
マーズへの出演依頼があった。
 本番まで6日しかないことから、すぐさま佐藤せいごうに連絡を取ったところ、「国
民的過大なので何とかしましょう」と、予定を変更して参加する意思を確認した。
 その晩、実行委員会事務局である福島農民連のn氏と連絡をとり、「長谷川さんから
熱心な推薦があり、プログラムは決定していたのだが、時間を取りましたので出演でき
ますか。」との話を受けて経過が判った。
 「福島県の長谷川さんのお薦めならばやらせていただきます。」と変時をしたが、n
氏とは旧知の仲間でもあり、過去に何度かヒューマンファーマーズや笠木透と雑花塾を
招いてコンサートをひらいていただいたことがあることも幸いしたかも知れない。
 当日は早朝5時に、迎えに来た佐藤せいごうと我が家を出発し、8時過ぎ頃には会場
の福島氏四季の里に着いた。
 会場で準備をしていた前農民連会長の佐々木建造さんと会った。「最近はマスコミの
報道から、福島や原発事故のことが消えつつある。まだ何も解決していないのに風化を
はかられているのではないか。」と危機感を募らせる。周囲にいた農民たちも、今後も
農業を続けられるのかと真剣に話し合っている。
 そうこうしている間に群集は膨れ上がって、福島県全域はもとより47都道府県から
の参加者で、予想を上回る1万人を超す広範な人たちの共動の大集会となった。
 ヒューマンファーマーズは、その後合流した吉川路子を加えた3人で、オープニング
前、すなわち国会議員の先生方がご挨拶をされる直前の、丁度群集がステージ前に詰め
掛けてきている10分間をいただいて演奏した。
 演奏曲目は、「よみがえれ浜通り」と「ふるさとを汚したのは誰」である。対照的な
2曲だが、福島県民には一定は受け入れていただけたものと思っている。特に「ふるさ
とを汚したのは誰」では、誰からともなく沸き起こった「東電だ!」との怒りのコール
が会場全体に広がっていった。
 もちろん、これはこの会場特有の反応なのかも知れない。苦しみ悲しみの歌、励まし
の歌、怒りの歌、等々。才能が無いのは元々である、数々作ってみないと始まらないこ
ともよく判った。

原発ゼロをめざす7・2緊急行動とヒューマンファーマーズ

2011年12月22日 00時12分23秒 | Weblog
大震災とともに引き起こされた福島原発事故は、その後の原発をなくそうという大き
な運動へと結びついた。
 これらの集会の文化行事の中などで、ヒューマンファーマーズとして演奏の機会を得
たこともある。また、近隣での集会には個人でも可能な限り参加シようとしていた。
 最初の大集会は、明治公園での原発ゼロをめざす7・2緊急行動で、文字通り緊急の
呼びかけにもかかわらず2万人が集った。
 これは、事故の終息も、損害賠償も、除染も遅々として進まず、復旧復興への道はま
ったく展望の見えない中での、多くの人たちの怒りと危機感の意思表示なのだと思う。
 ここでは、交流のステージの中で演奏メニューとして考えていたのは、「食糧主権が
世界を救う」の他に実は新曲の「ふるさとを汚したのは誰」だったのである。
 だが、6日ほど前の多古町のステージで、「よみがえれ浜通り」「米を作って飯が食
えねえ」という新譜2曲の演奏を聴いていた音楽センターのm氏が、何かいらざる不安
感を持ってしまったようである。
 この日には来ていなかったが、この日の担当者であるうたごえ協議会のo事務局長に
、ヒューマンファーマーズにはくれぐれも冒険はさせるなと指図していったとのことで
ある。
 そのことで躊躇したわけでは決してないが、相棒の佐藤せいごうもまったく未知の歌
という事情もあったので、ここは急遽その場で作詞した「箱舟に乗って・原発バージョ
ン」に切り替えて演奏した。
 私たち自身も集会参加者も、まさにズバリと、核だけに核心を突いたものではなかっ
たかも知れないが、そこは会場の熱気でカバーされていたようにも思う。
 ともあれ、これが原発関連集会での初演奏となった。
 結局、「ふるさとを汚したのは誰」は、同月24日の憲法フォークジャンボリーin東
京で初披露となった。

笠木透と雑花塾「東日本大震災」レコーディングコンサート

2011年12月21日 11時09分56秒 | Weblog
いわき雑魚塾の比佐さんより下記のご案内がありましたのでお知らせします。 

笠木透と雑花塾
東日本大震災・福島原発事故を主題としたcdの収録のためのライブ録音のご案内

 全国の雑花塾のメンバーがそれぞれに、今回の大震災と原発事故のことを歌にしてき
ました。
 それをライブ録音という形で、一枚のcdにします。
 今回の震災や原発事故で、避難し被災された方々に是非来ていただいて、聴いたり歌
ったりしていただきたいと思います。
 よろしくお願いします。

日時  2012年 1月7日 土曜日
    14時 開場  14時30分 開始  2時間程度の予定

場所  いわき市小名浜公民館ホール
    入場無料
    (座席数はそれほど多くはありません。準備の都合上、参加される方々は、
     連絡をいただければ幸いです。)

連絡先  青空学童保育クラブ 0246-54-6062
     比佐 090-7072-1606

出演  笠木透と雑花塾
    いわき雑魚塾
    ヒューマン・ファーマーズ
    ポコ・ア・ポコ
    尾崎ユニット
    他

曲目  ひとつの灯
    山百合の花
    瓦礫
    よみがえれ浜通り
    私の子どもたちへ
    他

 主催  青空学童保育クラブ   共催  いわき雑魚塾


大震災原発事故と創作

2011年12月20日 22時30分02秒 | Weblog
今年は、創作に取り組む時間も多少は取れるものかと、良い作品ができる自信はなか
ったものの、心構えだけはあった。
 だが、1月から2月にかけては野暮用が多くて、思っていたほど時間はつくれなかった

 それでも、笠木透と雑花塾の歌作りが例年より早く始まると、とにかく駄作愚作では
あれども作らなければ始まらないと、久々に作詞をした。
 2月には、にんなの作詞集がドサッと届き、苦手の寒気の中で、数編の歌詞に曲をつ
けた。
 そんな矢先に3・11の大震災である。もう何から手をつけて良いか判断できない状態
である。
 あちこちと、瓦がおちたり壁が崩れたり、墓石も倒れるなど被害が出て、そして停電

 それでも飯は食わねばならない。特に困ったのは、搾乳器やバルククーラーなどが動
かないために、搾乳が出来ないことだ。
 やむなく手搾りをしたがこれは当然出荷は出来ない代物である。
 朝起きて搾乳して捨てる。食事をして少し休むと、もう夜の搾乳の時間である。そし
て終わると、もう寝る時間である。
 その繰り返しが3日続いた。
 電気が通じた後も、自宅の復旧は手がつけられない。
 一方、農民連を初めとして、東北地方の被災者支援活動は、早々に開始されている。
 間もなく、今度は茨城県内の2戸の酪農家の生乳から放射性物質が検出されたとして
、県内の全酪農家の生乳出荷停止となった。これも3ヶ月続いた。
 こんな状態のなかで、創作意欲は薄れていった。だが、この困難や怒りのなかで、復
興支援活動はもちろん取り組まなければならないが、同時に、私たちにも出きる滑動と
して、大震災と原発事故をテーマにした歌作りと演奏活動があるのではないかと思い替
えした。
 追って、雑花塾でも創作を始めたとの常法が入った。
 私自身も被災者であり、東北地方のより甚大な被害を見たとき、ここで創作しなけれ
ば、この夏から秋にかけてのヒューマンファーマーズの演奏活動はピンボケとなり、到
底乗り切れないと察した。
 5月から手がけて、6月から7月にかけて4曲ほど作った。
 6月26日、多古町旬の味空間での食農コンサートで「よみがえれ浜通り」を演奏。
7月24日、東京労音大久保会館rsアートコートでの憲法フォークジャンボリーin東
京で「ふるさとを汚したのは誰」を演奏。8月28日、茨城農民連大会レセプションで
「大地は待っている」を演奏。もう1曲の「サンマノいた町」はリハーサルでしか歌っ
ていない。
 ヒューマンファーマーズとして演奏しているのは、事実上「よみがえれ浜通り」「ふ
るさとを汚したのは誰」である。
 僅か2曲ではあるが、この秋の演奏シーズンや反原発集会などには、辛うじて間に合
ったとはいえるだろう。