平成7年6月9日(金曜日)午後7時52分、衆議院では、わずか2日前に議運に提出された案件が可決されようとしていました。その案件とは、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案」といいます。
このときの総理は社会党委員長村山富一、衆議院議長は土井たか子でした。そして、提案者は、なんと山崎拓(外2名)という売国トリオでした。
しかし、この本会議が開催されるまえに、本日は採択しないとの「通知」があり、多くの議員が退席していました。当然、金曜日なので選挙区に帰る議員が多かったのです。ところが土井たか子議長は、状況を見計らった上で本会議再開のベルを鳴らしたのです。突然の本会議再開を知った議員の多くは、議場に引き返すことが出来ませんでした。すでに新幹線に乗っていたある議員は、途中下車して引き返しましたが採決に間に合いませんでした。なぜなら、山本有二の緊急動議により午後7時52分に始まった本会議は、森井忠良の趣旨弁明のあと採決され、散会するまでわずか7分で終わっていたのです。(その間、村山総理の発言もあり)牛歩戦術が得意だった社会党とは思えないスピードです。
この「終戦50年決議」は、509名の議員のうち、265名もの欠席者を出したまま可決されました。(賛成は230名)
これが、同年8月15日に出された村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)に繋がっているのです。
このときの総理は社会党委員長村山富一、衆議院議長は土井たか子でした。そして、提案者は、なんと山崎拓(外2名)という売国トリオでした。
しかし、この本会議が開催されるまえに、本日は採択しないとの「通知」があり、多くの議員が退席していました。当然、金曜日なので選挙区に帰る議員が多かったのです。ところが土井たか子議長は、状況を見計らった上で本会議再開のベルを鳴らしたのです。突然の本会議再開を知った議員の多くは、議場に引き返すことが出来ませんでした。すでに新幹線に乗っていたある議員は、途中下車して引き返しましたが採決に間に合いませんでした。なぜなら、山本有二の緊急動議により午後7時52分に始まった本会議は、森井忠良の趣旨弁明のあと採決され、散会するまでわずか7分で終わっていたのです。(その間、村山総理の発言もあり)牛歩戦術が得意だった社会党とは思えないスピードです。
この「終戦50年決議」は、509名の議員のうち、265名もの欠席者を出したまま可決されました。(賛成は230名)
これが、同年8月15日に出された村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)に繋がっているのです。