たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

田黒山から三境山、白浜山。雪と鈍足、足指先痛しでまさかの9時間歩きになってしまった。

2019年04月19日 | 近所の群馬県の山
◎2019年4月13日(土)

県道沢入桐生線路肩駐車地(7:52)……田黒山792m(8:54~9:05)……車道(9:30)……三境山(11:56~12:18)……1069m標高点付近(12:59)……白浜山分岐(13:25)……1064m標高点付近(14:02~14:12)……白浜山1125m(15:04~15:13)……952m標高点付近(15:34)……車道(16:28)……車道(16:50)……駐車地(17:01)

 今回の歩きはアカヤシオを期待してというわけではない。先日のヤシオ山やら仙人ヶ岳で小ぶりで元気のないアカヤシオを見て満足もしていたし、今年のツツジはこんなものかと、もうメインのテーマに据えるまでもなかった。日増しに見頃の標高も上がっていく。いずれ、足尾の山の標高の高いところでお祭り騒ぎを見られればそれで十分だ。とはいえ、アカヤシオ鑑賞を度外視したわけではなく、思わぬところで10日に降雪があった。日常的に見える赤城山は翌日、冬の景色に戻っていた。これで山のツツジの開花状況は狂ったかもしれない。道中のついでに見られればラッキーといったところだろう。
 もう四年前になる。田黒山に行き、それきりになっていた。三境山まで足を延ばすこともなく、ただ周回をしただけで終わっている。以来、せめて尾根筋にその先の三境山までは行っておきたいと思っていた。瀑泉さんルートでは、三境山から南下して残馬山、座間峠経由になっている。北側の歩きはどんなものだろう。自転車を使わない限りは白浜山経由ということになる。長い車道歩きは勘弁だ。せっかく自転車を買ったのにといった気分は起きないし、それでは面白みもない。それをやってみようか。
 田黒山に北側から登るとどういうことになる? 地図を見ると、途中までの実線路があった。今回の課題はあくまでも田黒山から先のことで、田黒山には難儀して登りたくはない。この実線路を使って田黒山山頂まで行ってみたいが、気になるのは、周辺の尾根にやたらとガケマークがあることだ。これは、現場に行ってみないとわからない。実際はなかったり、位置がかなりずれている場合もある。

 黒保根を過ぎたあたりから、右手に見える山並みの上は白くなっていた。これではチェーンスパイクは必携だなと、バッグからチェーンスパイクを取り出し、ザックの中に移そうとしたが、運転しながらのこと。ましてカーブが続くし、信号もないに等しい。上の空でやったことも、頭の中では、チェーンスパイクをザックに入れたつもりでいた。以降、チェーンスパイクのことは頭から抜けていた。これが今回の失態の一つになった。

(先祖代々の墓碑。ここから裏に回って実践路に入る)


(実線路は林道のようだ)


 実線路の入口には民家があり、その先の路肩に車を駐めた。民家には車もあったし、テレビの音も聞こえていた。正面から入るわけにもいかず、脇から入り込む。苔むした石碑がずらりと並んでいる。その脇には現役の墓。つまり石碑は墓碑だ。他人の家の代々の墓碑を調査するつもりはなく、すぐに実線路に向かう。

(「餓鬼道」の碑)


(地図上の実践路終点。実際はまだ続いている。おそらく左からだろう)


 未舗装だった道もなぜか途中から舗装になり、人気のない家やら物置が数軒ある。新しいポストが置かれた家があって、ここにだれかが住んでいるとしたら何とも不思議だ。未舗装に戻ったら忽然と石碑が現れた。よく見かける開墾碑と思ったら、<餓鬼道>と記されているのを見て驚いた。その下には「野口赫宙(張赫宙)生誕百年記念碑」とある。この野口赫宙(かくちゅう)という人は何者なのか。その時は、宗教施設でもここにあったのかと思ったが、帰ってから調べると、この方は在日の小説家だったらしく、その作品の一つに『餓鬼道』というのがあった。一時的に、いわゆるブロレタリア小説作家だったらしい。1905年生まれだから、石碑の建立は2005年ということになる。まだ14年前のこと。何でこんなところに碑があるのか、勢田東村との関わりはわからずのままで、自分には勢多東は『うさぎとかめ』の作詞家の出生地であることは知っているが、野口赫宙のことは知らない。余談だが、星野富弘美術館の星野氏は高校の先輩にあたる。ただそれだけの関係だが。
 <餓鬼道>碑から左に道が続いていたので従うと、ちょっとした荒れた広場で、物置のようなものもあって、ここが実線の終点らしい。周囲は岩々している。さて、ここからどうやって田黒山を攻めるのか。どうも地図どおりにはいかないようだ。目の前には巨岩がデーンと構えている。実線終点に岩マークはない。見込みが狂った。

(巨岩は仰天して撮り忘れた。この溝っぽいところを登って行く)


(途中で袈裟丸連峰)


(下を覗く。大した傾斜は感じない)


(苦痛の形相で登ると、こんな道があった)


 砂地に人の足跡があった。大岩に向かっている。それを追ってみる。急斜面になり、砂地だからなかなか先に進まない。大岩の間を縫う形になった。つかむ木はボキボキと折れ、四つん這いで木が生きているのかを確認してつかみながら登る。すぐにここを下れと言われたらご容赦をということになるが、生きた心地のないままに這って登った。上に行くほどに急斜面になる。この先で二進も三進もいかなくなったらどうするのかといった思いは浮かばない。成り行きでこうなっている。もうがむしゃらに田黒山に行くしかないだろう。まさかいきなりこんな展開になるとは想像もしていなかった。「今なら戻れる」が「もはや戻れない」になっていた。
 大岩の上に出て、左に尾根が見えたところで予想外の平らになり、ようやく息つぎができた。久しぶりにノドカラを体験した。ところがどっこいだ。左からしっかりした道が上がってきていた。人をバカにするなよと怒鳴りたかった。体力と気力の半分をここで消耗した。何でこんな試練を受けなきゃならないの? 取り付きの周辺をじっくりと観察するのを怠ったのだから自業自得としか言いようがない。左に視線を向ければ解答が出ていた。何とも情けないが、こんなことはよくあることだ。

(道沿いに行くと)


(こんな感じになった)


(右尾根に登ると)


(こんな尾根になっていた。バランスを崩したらおさらば)


(かなり以前に設置されたらしいフェンスが出てくる)


 結局、この道を辿ることになった。時間も無駄にしてしまったなぁ。道は歩きやすかったが、谷状のところに出て吸収される形で消滅した。両サイドはヤセた尾根になっている。このまま窪地を登って行くと、右手の尾根が開けているようなので、途中から尾根に移る。
 やはりヤセで急な尾根だった。眼下に草木ダム湖が見え、背後には白くなった赤城山やら袈裟丸連峰を望める。スリリングに楽しめる展望だが、そのうちに右際に有刺鉄線が出てきてほっとした。この有刺鉄線だが、頼りにはならず、ズルッといった瞬間に手をかけたらあっさり切れ、支柱すら曲がってしまった。

(ここでアカヤシオ)


 左からの尾根が合流して一本になる。その先のピークが田黒山かと思ったが、まだ先があった。ここで本日第一号のアカヤシオ。例外なく元気はない。それでいて花落ちはなし。先日の雪をかぶったからだろうか。ツボミのままのもある。

(登り返して)


(田黒山。左下にRKさんの標高板)


(やはりこの位置でしょう)


 下って登り返す。先のピークが田黒山のはずだ。ここを歩く人もいるのか、おそらくは林業関係者かと思うが、左に巻き道の跡が続いている。山頂を巻いたのでは意味がない。ここもまた細尾根の急な登り。すぐ山頂というところで、枝に帽子を取られ、下に転がって行った。帽子は半端な位置に止まっている。落ちるならあきらめのつくところまで持ち去って欲しかった。山頂にザックをおろして取りに行く。また危なっかしく下っては戻る。
 四年ぶりの素っ気ない山頂。RKさんの標識が下に落ちていたので上に結わえてやった。その際、何気なく裏を見たら「2004.8.5」と記されていた。その一週間前に来る予定でいたらしく、日付は書き直されている。(木)とあるところから、RKさんは木曜日が定休日なのだろうか。少なくとも15年前は。
 落ち着いたところで、三角点に腰かけて水をがぶ飲みした。今日は幸先が悪い。この先、不安を覚える所がいくつかある。三境林道と接するところと白浜山分岐。歩いている人もいるのだから心配する必要はないと思う。それと、三境山にこちらから登る場合、山頂直下の等高線は狭まっているが、あそこは直登するのだろうか。もしくは、破線が西側にあり、それを南に巻いて登り上げる形になるのか。直登の場合、雪があったらやばいなと思い、念のために入れたはずのチェーンスパイクを確認する。なかった。やはりザックには入れたつもりが入っていなかった。この時点では、なけりゃないでどうにかなるだろう。雪山に来たわけでもないんだし、雪も少ないだろうとあまり深刻にはなっていない。

(結構な下り)


(そして登り)


(中禅寺湖南岸尾根をバックに)


(こちらの方がまだ元気か)


(南岸尾根)


 ノドカラも癒えたので三境山に向かう。もうこんなのはないだろうな。ただ、こういうのは想定外に起きることだしなぁ。
 あまり良い尾根とは言えない。起伏が多いし、樹の根も張り出したり、岩があったりする。部分的にヤセてもいる。だが、ちらりと見える真っ白な足尾の中禅寺湖南岸尾根の景観は遠望するだけで気持ちもいいし、アカヤシオは続いている。出来損ないのアカヤシオといった状態ではあるが、ツボミもあったり、花びらが欠けていたりしているところからして、これからなのか、これで終わりなのかさっぱりわからない。

(下に林道が見えてきた)


(左から下って来て)


(ここから登る)


 右下に車道が見えてくる。当初、これが第一関門と思っていたところだが、大きく迂回しながらも車道には難なく降り立つことができ、尾根続きへもまた、擁壁の左側はどうなっているかは確認もしなかったが、目の前の右側から特別に困難なく登り上がることができた。

(同じような尾根の顔。延長だから当たり前か)


(たまにこんなスポットもある)


(またアカヤシオ。見えづらいか)


(青空を背景にすれば少しは映える)


 袈裟丸連峰が左手に広がった。見た目はかなりの残雪だ。あれでは、アカヤシオまであと何日といった状態ではない。高い山は平年よりも遅い咲きになるかも。
 尾根の景観に変化はない。これまでの尾根の延長の状態が続く。アカヤシオもまばらだが、ここで花びらが落ちているのに気づく。ツボミだけのもある。この尾根でアカヤシオを楽しむことはできないようだ。これだけははっきりした。と思っていたら、見事な株を見つけたが、これもまたアップには堪えられなかった。ただ、先日の降雪がなかったら、今日あたりはきれいだったろう。標高870mあたり。これを最後にアカヤシオを山中で見ることはなく、あってもツボミ状態。むしろ、尾根下斜面に先日の雪を見かけるようになってくる。

(岩はあっても障害というほどでもなし)


(標高930m)


 岩が目立つようになった。この尾根、林道を過ぎると、三境山までの間に三角点はおろか標高点もない。あれば、それを区切りにして休憩をとりたいが、ないのでは適当なピークで休むしかない。手ごろな小高いピークがあった。標高930m。ここには石標が置かれていた。「一七」の番号が彫られている。何の石標かは知らないが、頭には+がある。測量用なのだろうか。ここで菓子パンを食べ、メガネをサングラスに換えて一服した。ついでに、足の傷口に痛みのような鈍い前兆が出てきたのでロキソニンを一錠。地図を見ているだけでも三境山までは長い。標高差は150m程度のものだが、その間にやたらと起伏が続いている。10分休憩して出発。

(白浜山かと思う)


(感じは良い尾根だが変化には乏しい)


 左側に三角形の山が見えてきた。あれは白浜山だろう。白くなっている。瞬時、あっちまで回るのはやめっかなと思った。林道歩きはしたくはない。三境山到着は12時が目途だ。大幅に過ぎるようならやめておこう。あれが三境山かなと思えるピークが奥に見えている。まだまだ遠いわ。

(この先目障りになってしまった標石)


 アカヤシオがなくなると、つい標石の数字が気になってくる。さっきの一七の標石がどこの尾根から入り込んだのか。気づいたのは930mで、以降、標石の形態は変わりながらも尾根上に続いている。次が一八〇。ということは、前の一七の下には「〇」か「九」が隠れていたのか。掘り返して確認しておくべきだった。そして一八三だか一八五で、しばらく行くと一九五になった。まったくくだらないこだわりではあるが、例えば五単位基準なら一七五、一八〇、一八五、一九〇、一九五で、一九〇は見逃したで済ませられる。数字のつながりには当然、規則性があるもの。こういうことには気になってしまう。次に二〇〇の標石を見た時にはほっとした。どうも悪いクセが出てきた。ただ、設置の間隔基準がどこにあるのかはすっきりしないままだ。歩数を数えてみようかと思ったがやめた。

(斜面に雪が目立つようになった)


(帰路でもそうだったが、鋭利な岩は少ない)


(三境山だろう)


(残馬山か)


 その間にも、尾根上にはまだないが、下斜面の雪が多くなり、右手に残馬山らしき山が見えてきた。当初は根本山と熊鷹山かと思ったりしたが、こちらから見えたとしても三境山の向こう側に位置するし、残馬山だろう。土台、根本山は方向が違う。
 同じ風景のアップダウンが続く。二〇九の標石を見た時はむかついた。否定してもそんなことを気にし続けている己に嫌気がさした。ちなみに、この二〇九の標石の傍らにはこんもりと熊フンが置かれていた。新鮮なものではないが、この山域は要注意だ。ポケットに納めてあるスプレーをつかんで再確認する。横道に逸れるが、今日は最後までカラスとキジ以外の生き物を見ることはなかったが、帰りがけに草木ダムにさしかかるところでイノシシが車道を横切るのを見た。単独の一頭だったが、エサにありつけないのか、痩せこけていた。

(尾根上の雪)


 950mを過ぎて(先ほどの休憩ポイントは930mで20mしか上がっていないが、上り下りが続くので時間的に歩いているわりには標高を稼げない)から登山道に尾根上に雪が出てくる。最初は散発的だったが、次第に断続的になる。足がうもれるほどのものではなく歩行に差し支えはない。まして傾斜はなだらかだ。

(宮標石)


 980mあたりで宮標石を見かける。この辺はかつて宮内省御用達の林だったのか。標石に刻された宮マークは、なぜか<ステーキ宮>のロゴマークに似ている。皇室が出たついでに話を逸らす。新元号の「令和」は概ね好評のようだが、自分には発表時に違和感があった。見た瞬間にあれっと思った。「令」には立派、良いという意味がある反面(これは、普通、令嬢、令室のように、高い身分の者に対して使われるが)、命令、指令、号令、政令というように、命じるや決まり、掟といった意味合いもある。「巧言令色」の令色は表情を取り繕うことだ。忖度に近いものがある。新聞に識者の感想が出ていたが、大方がベタ褒めしているのに対し、高村薫だけは自分と同じ印象を持ったことを記していた。自分は識者ではないから賛同する立場になる。

(三境山が近づき平らになる。そして雪も増える)


(三境山)


(直登)


(見下ろす)


 そんなことはともかく、三境山の下に近づいた。尾根は消えて広い空間になり、雪もまたくるぶし超えになってきた。ふと、ここまでに余計なテープやリボンも見なかったことに気づいた。何で今さらにそのことが気になったのかといえば、前述のように、三境山へは破線路経巻きで登るのかなと思っていたし、そうなれば、目印テープもあるはずだ。まずは探してみたがなかった。だからここに至って気づいた次第だ。どなたか奇特なハイカーが掃除してくれたのだろうが、雪で踏み跡すら隠れているし、先行者もいない。斜面を見上げ、これくらいならと直登することにしたが、これはきつかった。
 見た目以上に急で、とにかく雪で滑った。田黒山の北側からとの違いは、つかめる樹が多いこと。そして、根張りもしっかりしていることだろう。万一滑り落ちても樹に引っかかってくれるはず。ノドカラにはならずに登りきったが、ここは下る気にはなれない。ところで破線路はどこをどう通じているのだろう。

(三境山山頂)


(定番の石祠)


 意外にも山頂の雪には踏み跡がなかった。田黒山ならいざ知らず、時節的に三境山ならアカヤシオ目当てで登るか経由するハイカーもいるはずだが、皆んな、咲いていないのがわかっているから来ないのか。だとすれば、期待を打ち消しながらも期待して歩いている自分はかなりずれている。
 おにぎりを一個食べて休憩した。頭の中は、この先どうすっかなぁという思いだけが巡っている。この先は雪も多かろう。チェーンスパイクすら忘れている。破線ルートを何とか見つけて長そうな林道歩きをするのは気が引ける。しかしなぁ、白浜山は結構、雪がありそうだったし…。やはり、この先まで行き、様子見をしながら、場合によっては適当な尾根から林道を目指して下るしかないか。
 それにしても、ここの三境山、何で山名板がないんだ? 実はこの三境山に来たのは13年ぶりのことで、今は桐工の山岳部が設置した標識の柱が残っているだけだ。山名を示すものは破片すらどこにもない。13年前の4月28日、5月4日と続けて来ている。帰宅後に当時の写真を確認すると、桐工の標識は相変わらずにないが、山名板は2枚あった。今はいずれもない。ちなみに、両日ともに見映えのするアカヤシオを撮っている。ということは、花見に来るには二週間は早かったということになるのか。

(白浜山分岐に向かう)


 とりあえず稜線を根本山方面に向かう。白浜山に行くのなら、1069m標高点の先から尾根を乗り換えることになる。ここでスパッツをしようか迷ったが、裾はもうすでに濡れていて今さらといったところもあり、そのままで行く。ここでスパッツをしたら、少しは展開も違ったかもしれない。
 掃除し忘れたらしき赤テープが同じ枝に2巻き。それきりテープを見ることはなく、今回の山行では、この先、白浜山で見かけたテープを含めて2本だけだった。
 下りかけるといきなりやってしまった。滑って尻もち。綿のトレパンを履いて来ているから、尻があっという間にグッショリ。下りはやばそうだなと、以降、下りにかなりの時間をかけることになるが、三境山から先になっても尾根の様相に変化はなく、せいぜい尾根幅が広くなった程度のもので、起伏続きは相変わらずだ。下りになると神経が緊張で高ぶってしまう。

 何回か尻もちをついたせいか、靴の中に雪が入り込み、その影響か、靴が窮屈になり、指先が痛くなってきた。それでなくとも、左足に関してはいまだにスリムに戻ってはいず、足首周りに至っては左足が1cm太いままだし、甲幅も5mm余計になっている。右指先は何ともないのに左だけが痛い。発作的に靴下だけで歩こうかという気分になったりで、これが最後まで続く。久しぶりに履いたメンテ忘れの革靴だったから余計か。
 まぁそんなことで、この先の歩きには苦痛がプラスされたが、意識としてこのまま根本山に行くわけでもなく、途中から尾根を外れるわけだし、どこからでも林道に逃げられる。足指の痛みも、雪で滑って転んでもさしてここで表現するほどの塗炭の苦しみではないから、目をつぶって歩き続けるしかないと半ば惰性気分になってしまっている。
 雪がないところもあるが、あるところはヒザ下になるところもある。確実に雪は増えてきている。標石のナンバリングがまた規則性のないものになった。「ホノ二」の次がただの「五八〇」になったりするが、その上の〇囲みの「大」の字は共通だ。これは大間々営林署の目印だろう。律義に見ては確認している立場としてはイライラが募る。まして、さっきまでナンバリングの続きでないことが腹立たしい。

(1069m標高点の小ピーク)


(下りには滑らないようにかなり気を遣う。ここは雪も深かった)


 だらだらと歩いて、ようやく1069m標高点ピークが見えてきた。登りきると、そこには図根点標石と五七七標石が置かれ、さらに奥にピークがある。1069mはまだかいなとがっくり。ここで、右手のストックが金属音を発したのでストック先を見るとキャップが外れていた。アマゾンで、外れにくいキャップという触れ込みで買ったものだが、高い代金を支払ったわりにはあっさりと外れていた。もったいないのでしばらく戻って探したが見つけることはできなかった。
 1069mには五七一標石。こちらは三境山に向かって逆からきているのか。本当に気にするとキリがない。もう見ないようにしようと何度も思う。標石調べに来ているわけではない。

(桐生市水準点)


(分岐点の標識)


(こちらに向かう)


 傾斜は緩く、起伏もさほどのものではない。雪も少なくなってほっとしたが、また深くなる。白浜山はもう左手の後方にある。桐生市水準点NO.144を見て白浜山分岐の1100mに達した。ここには五六〇の標石に添えられるように、かろうじて読み取れる標識が置かれ、三境山、根本山、白浜山の山名が記されている。そして千切れたビニールヒモが風になびいている。
 ついここまで来てしまったが、来てしまった以上は白浜山まで行くべきだろう。白浜山はこの界隈では1125mと、いや、その手前の1140mピークの方が高いか。確か熊糞山だ。「ゆうふんやま」と読むらしいが、以前来た時にはその山名板を見たような気がする。後述するが、「たぬき山」も含めて、このエリアの山名は、通称山名を嫌う方々もいるので、さり気なく出す程度にしておく。

(これまでの延長だが尾根幅は狭くなった)


(ここでうっかり。正解は向こうの尾根)


 白浜山方面にまずは下る。雪は一時的に消え、尾根上に雪はないのかと思ったが甘かった。足指の痛みを除けば快適な歩きだ、アカヤシオを期待したりしたが、それらしきツツジの芽はまだツブ状だ。標高1100mあたりで図根点を確認する。
 コンパスは尾根のカーブする1050mに合わせていた。行く先が急になっていて、何だかストーンとなっている感じがした。コンパスを見ると、左に寄っていて、右を見るとなだらかな尾根が並行して見えた。どうもここは、手前に北東になだらかな尾根が分岐していたので要注意とは思っていたが、その先で安心しきって失敗した。幸いにも、尾根移りは無理するほどにもなく、戻らずに移動できた。

(伐採地から1)


(伐採地から2)


(伐採地から3)


(合成してみたが、右側が不自然に流れてしまった。元はこうではないのだが)


 まさか、こんな展望地があるとは思わなかった。伐採地で、日光連山の赤薙山から皇海山まで丸見えだ。これにはため息をついてしまった。伐採地様々だ。ということは、伐採地には作業道もあるし、北に逃げられるということだろうが、ここから北に下ったら、黒坂石方面になり、長い林道を歩いて、さらに草木ダムを半周しなきゃならなくなる。ただ、この先で行き詰ったら、ここに戻ればいいという安心感だけはできた。

(伐採地上の尾根道も気持ちが良い)


(男体山の右側も開けた)


 ここでゆっくりしたかった。日光、足尾の大好きな山々がたくさん見えている。何といっても南岸尾根の白さが圧巻だ。ここで時間をつぶしたら、痛みを伴うノロ歩きがさらに遅くなる。このペースでは遅くとも3時に白浜山に着いていないと、林道歩きになってしまうし、その距離もまた半端ではないようだ。今1時45分。分岐から白浜山までのほぼ半分の1064m標高点まで行っていない。先を急ごう。とは思っても、展望地は先にもあった。ボーっとして眺めていると時間がかかる。困ったものだ。この先で、男体山の手前の山並みが見えた。薬師、夕日、地蔵岳あたりだろう。そちらも雪が付いている。ということは、アカヤシオも例年よりも少し遅くなるか。

(ここもアップダウンが続く)


(1064m標高点ピーク)


 尾根が次第に荒れてきて、倒木で歩きづらいところも出てくる。ようやく1064m標高点。ここにもステーキ宮の標石。そういえば、いらつきの原因になっているナンバリング標石は分岐から見ていない。宮標石には「奉四」とでも読める字が見える。
 また雪が深くなった。起伏は続き、もう転ぶことはなくなったが(ゆっくりと慎重に歩けば自然そうなる)、下りは爪先が痛くてどうにもならない。下りに入るとうんざりする。しかし、こう登っては下るを繰り返しているとかなり飽きてくる。標高差は20m程度だからまだいいが、これが50mくらいになったらかなり厳しい。

(どうもはっきりしないが、ここがかつて熊糞山と呼ばれていたピークかと思う)


 知らずのうちに通称・熊糞山に至っていた。山頂は狭く、以前は山名板もあったような気がしたが、今は目印のテープすらない。以前、ここが白浜山南峰とも呼ばれていたような気がする。これは自分の勘違いだろうか。
 目の前にピークが見える。これが白浜山。ようやくといったところだが、タイムリミットの3時までは20分しかない。ちょっとあせる。ここの下りはかなりきつかった。雪のあるせいか急に見え、さらに立木はまばら。ここを滑り止めも付けずに下るのはかなり無謀。白浜山は谷を挟んで向こうのピークといった感じになる。

(ここの下りは本日で一番神経を遣った)


(白浜山)


(ようやく山頂)


(熊糞山と呼ばれていた山を振り返る)


(白浜山山頂)


 何とか下りきったと思ったら、地図には出ていない小ピーク。これを乗り越えてまた急斜面下り。登りにかかった時にはほっとした。滑る危険は半減し、指先の痛みも一時的に消える。
 雪がかなり少なくなっている白浜山に到着。三角点があるだけで山名板は見あたらない。以前は「白濱山(狸山)」と「たぬき山」だけの二枚の板があった。もしかして、白浜山そのものも俗称、通称として忌み嫌われて撤去されたのか。自分の通称だか俗称の「台石山」板もすぐに消えている。わざわざ標高を入れて「二子山東峰」とまで書いたのにだ。
 到着は3時4分。少し予定オーバーした。倒木を引っ張って来て樹の前に置いて寄りかかった。この先は予定通りに尾根通しで下ろう。想定ルートは2つあった。一つは西に向かって、614m標高点北部から発生する林道に出るルート。もう一つは南下して952mを通過し、ずっと西に向かうルート。後者の方が車道歩きは少なくて済むし、何らかのトラブルがあっても、952mから林道を歩ける(かなり長いが)から、このコースを下ることにする。地形図上の傾斜は緩そうだ。

(西に下る)


(雪は少なくなった)


 下ろうとした尾根には新しいピンクテープがひらめいていた。以降見たのはこれだけだから、このテープそのものも存在感はまったくない。一旦下って登り上げると、ここで予定二案の尾根が分岐する。ここは左の尾根を下る。どこにでもある左植林、右自然林の尾根だが、尾根上に植林が少しばかり入り込むところもある。

(三境山)


(施設のようなものが見え)


(広場に出た)


 あっという間に雪は消えた。下る方向には三境山が見え、左にはフェンスが現れた。明瞭な踏み跡になり、左下から作業道が入り込んで広場に出た。ここが地図上の標高952m地点で林道起点だ。作業道は林道のように広かったから、実際の林道はもっと北に入り込んでいるのだろう。フェンスが出てきたあたりはさも植林地帯といった感じだったし。
 広場には物置のようなものが数軒立っていて、農工大が建てた「フィールドミュージアム(FM)草木─見晴土場」の看板が置かれている。よくは知らないが、周囲は農工大の実習林ということだろう。さて、ここから林道を歩くつもりはなく、尾根の続きを探す。広場の外れにあった。

(こんな岩が点々とある)


(左植林の尾根)


(これは)


(ここを通過して巻いた)


(また出てきた。支障なし)


 ここも植林と自然林が区分けされた尾根で、実は、雪もなくなったし、再びアカヤシオを期待したのは事実だが、ツツジはおろか、色のある草花を見ることは里に着くまでなかった。なぜか、丸くて大きな石があちこちにゴロゴロ転がっているのは不思議な光景だ。
 目の前に巨岩が登場した。これも丸みがあって手がかりもなく登れない。左手の植林側は急。右も急だが、何気なく覗き込むと、踏み跡がある。恐々とこれを辿ると、あっさりと岩の向こう側に出られた。

(右を大巻きして下ってしまった)


 次第にヤブめいてくると、下に林道が見えてきた。この林道は第一案の林道の延長だが、下を覗くと高い法面になっていてこれは無理。さっさと奥のヤブ斜面を滑りながら下って林道に出たが、見上げると、法面の上に沿って下ることもできたようだ。ただ、おそらく恐い。

(明らかに道)


 次の尾根の延長部は、もしかして林道の出来る前の旧道だったのか、広い道状になっていた。ラストも近いし、ここで休憩をとる。左足の指先が痛くてどうにもならない。本来なら、ここをずっとサンレイクの方まで下るつもりでいたが、こんな道にもなってしまったし、見切りをつけることにした。

(ヤブをかきわけて)


(林道に出る)


 ちょっと先に行くと、左手に小尾根が見え、おそらく、あれを下れば下の林道に出られるかもしれない。トラバースして尾根に乗ると、ここもまたえらいヤブ。だが、すぐ下に林道が見え、歩きやすいところを選んで林道に降り立った。

(道沿いで)


(遠くから見ていた方が無難)


(到着)


 ここでアカヤシオを見る。標高は500mほどか。道沿いに咲いているというのもまた皮肉だ。もう終わりかけでかなりしおれている。
 舗装道を歩き駐車地に到着。すぐに靴を脱いでスニーカーに履き替えてほっとした。もう5時だ。サンレイク草木の温泉に入って帰るつもりで着替えも持参していたが、こんな時間では泊り客で風呂も混んでいるだろうし、帰りも遅くなる。寄り道せずにそのまま帰ることにした。
 本来は単調なはずのルートだが、自分で苦労を背負ってみたり、雪があったりで、なかなか変化のある歩きを楽しめた感じがするが、この山域も、考えてみれば13年ぶりに歩くほどだから、そんなに面白みのあるところでもないなというのが本音のところである。そうではなかったら、とっくに田黒山と三境山の間は歩いていた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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8 コメント

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Unknown (でん)
2019-04-19 20:47:48
この山域での残雪にはビックリです(@_@)
高い山も降雪は少なくても雪解けは遅いみたいですね。
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でんさん (たそがれオヤジ)
2019-04-21 06:51:20
でんさん、こんにちは。
返信遅れてすみません。
残雪は、何となく嫌な予感はありましたよ。赤城が真っ白でしたから。でも、その赤城も3、4日後には消えていましたね。
昨日も、近くといえば近くの山域をぶらつきましたが、雪はまったくありませんでした。こう暖かいと、雪の消えもあっという間ですね。
昨日歩きながら、この日の下りのびくつきは何だったのだろうと思ってしまいました。
おかげで、アカヤシオは余裕ができたといった感じは残りましたけどね。
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Unknown (ふみふみぃ)
2019-04-21 08:30:09
よじ登ったら登山道や作業道がやってきていた。自分がやるミスを人がしているのを見るとニヤリとします。まあ私は登山道が上に繋がっているのを見ながらもショートカットしようとして逆に疲れるんですが。
以前2月に座間峠-三境山-田黒山を歩いた際は残雪歩きでしたが四月に残雪歩きとなると珍しいやら面白いやら。少なくとも下りの雪はぐずぐずで神経使ったんだろうなと。落ち葉の上に残背差が乗っているのを見るとびくっとしますね。
花弁が落ちていたアカヤシオは気が早い奴らでしょう。昨日この近くと言えば近く、小中駅から北西へ市境を歩いてましたが750-850mくらいが一番良くて950m上はまだ蕾でした。去年より2週間以上遅れてますね。同じく雪は全くなかったです。
三境山から根本山の間歩いていないので展望があるとの情報は嬉しいですね。残雪があると山々の見栄えもしますが下りを考えると面倒でもあるので迷います。

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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2019-04-22 09:19:59
ふみふみぃさん、こんにちは。
こんなことってよくありますよね。巻き道ならぬ作業道の存在って。最初のうちは損をした感じになりますが、これが繰り返されると、次第にバカにされた気分になり、最後は無感情です。実は、20日の足尾でそれをやってしまいました。こうなると、自分にはついてまわるといるのかなと思いたくもなります。
しかし、この残雪は意外でしたよ。積雪はさほどではなくとも、下り坂では下に何が隠れているかわかったものではない。落葉の堆積だったらあっさりと滑る。あんな程度の残り雪に苦労するとは。むしろ、こんな半端ではなく深い雪をツボ足で下った方がいくらか安全じゃないですかね。
そうですか。アカヤシオ博士に言わせると去年よりも二週間遅れですか。雪の影響もあったのでしょうね。私なんかは、去年に比べて不作かとばかりに思っていましたが、どうも先走って上がり過ぎ、今年はダメだなぁとため息をついているようなものですね。一週間ずれて高いところを登ってはアカヤシオを追い求めていたようです。
さて、三境から先の展望はたいしたことはありませんよ。良好なのは分岐から白浜山の間の伐採地です。あそこでアカヤシオに囲まれでもしたら、動きがとれなくなると思います。
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Unknown (瀑泉)
2019-04-22 12:33:55
三境山直登より,田黒山への取り付きの方がノドカラとは(笑)。確かに,画像を拝見して,よくぞあんな立木も無いような場所を登ったモノだと思いましたヨ。まぁ,三境山直下は,登る分には登りやすかったから,雪があってもそこまで苦戦はしなかったでしょうが。
逆に,熊糞山からの下りは,大変だったでしょう。あそこ,急だし下部は岩めいてましたよネ。雪があるのに良く下れたモノだと,感心いたしました。
山名板,みんな無くなってましたか。少なくとも三境山は2年前,白浜山・熊糞山は4年前まではあったんですケドねェ。
熊糞山の先の伐採地の展望,はてそんなに良かったっけ?と思って自分の記事を見直したら,当時はガスっていて,まったく展望が得られなかったようで,どおおりで記憶に無いと思いましたヨ。
アカヤシオ,やはりふみふみぃさんの仰るように遅れているようですネ。土曜は,みー猫さんの真似をして,袈裟丸山へ行ってきましたが,まだまだ堅い蕾でしたヨ。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2019-04-22 19:02:04
瀑泉さん、こんにちは。
土曜日に袈裟丸山ですか。いくら何でもアカヤシオ目当てではないでしょうね。その日は、私、対岸の山から袈裟丸を眺めていましたけど、袈裟丸の雪も一週間で少なくなったものですね。これでいくと、袈裟丸クラスのアカヤシオは連休中でしょうか。ちなみに、対岸の1100mクラスでもかなり小さいつぼみでした。
ところで、三境山への登り、後でだれかのブログを読むと、破線路経由で南に一旦向かい、それから山頂に登っていました。器用なことをするものだと感心しましたが、あそこは直登でしょう。ただ、下るのは、雪があるのでは勘弁です。雪でしかとは見えませんでしたが、浮石もあったような気がします。
田黒山の北ルートは、作業道を使うか使わないかで、ノドの渇きは両極端といった感じでしょう。地図を信じ切ってそのまま直登しようとするアホもいるし、冷静に作業道を探して楽チンで岩の上に出て、何やっていたのという賢人もいる。その場でまずは先を確認する。良い教訓になりました。とはいっても、同じようなことを土曜日もやらかしているのですけど。
熊糞山からの下りは、今回については田黒山の登りに次いで難所でした。とにかく急でヤセている。そしてつかむ樹もまた少ないときている。どこまで下らすんだよと怒り心頭な気分も出ました。滑り止めもなしに雪の上を下ろうなんて、あれは無謀でしょう。
展望地は熊糞山の先ではなく、手前、分岐の先です。あそこは一見の価値ありかと思います。ついでの折りにでも寄ってください。もっとも、天気が良い日を選んでですけど。
山名板ですが、どこかに「白浜山南峰」という山名板があって、そこに、「白浜山には南も北もありません」というような書き込みがあった記憶があります。それをもう一度見たかったのですが、山名板がないというのもまた寂しいものですね。
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Unknown (瀑泉)
2019-04-22 22:39:20
たびたび,失礼いたします。
土曜の袈裟丸山は,もちろんアカヤシオなどではなく,今シーズン最後の雪遊びで出かけたのですヨ。
ただ,みー猫さんが歩かれた13日と違って,雪が途切れることなく続いたのは,小丸山以降で,一応,山頂直下では,スノ―シューの出番も有りましたケドね。それと,アカヤシオは,5月に入ってからのような気がします。
ところで展望地,「熊糞山の先」は,紛らわしかったですかネ。自分は,黒坂石から白浜山→熊糞山→根本山と,逆回りで歩いたモノですから。
ただ,当時は,展望地から分岐に出る辺りで,猟銃がバンバン鳴り響いていたし,展望も無かったんですヨねぇ。それでも,一応,歩き通しちゃったし,もう一度歩くかと言われると,正直,微妙ですワ。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2019-04-23 23:08:05
瀑泉さん、こんばんは。
そんなことは承知ですよ。みー猫さんの記事も拝見しているし、おそらく雪遊びだとは思っておりました。
しかし、皆さん、雪に対してはすごい執着ですね。感心しますよ。私は、今季は雪なしみたいなもので、それ以前に足のこともあって、まったくその気にはなりませんでしたし、まして、今さらといった感もあります。
この時期にスノーシューですか。当日に向かい側から袈裟丸を眺めた限りでは、雪もほとんどなくなっていてそんな気配は感じませんでしたが、低山と違って、やはり見た目以上に深いところもあったようですね。
そんな情報を聞くと、遅ればせながら行ってもよかったかなぁといった思いになります。
展望地の件は、そうだろうなと思いながら、念のため、敢えて記させていただいた次第です。たまたま日光連山をずらりと見て素晴らしいと感じましたけど、確かに、わさ゜わざそこに行くまでも、他にスポットはありますからね。
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