たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

これは金山ハイキングというよりも新田神社詣でだろうね。

2018年10月06日 | 近所の群馬県の山
◎2018年10月4日(木)

 今、日課として朝夕に家の周辺の散歩をしている。距離にして合わせて2.5kmくらいか。どれほどの効果があるかは知れたものだが、少なくとも、病院での足の上げ下げ、全身モミモミだけのリハビリメニューよりはずっとマシではあるだろう。できれば犬の散歩も絡めたいが、松葉杖が一本になっても犬二匹の連れ歩きは無理。ウンチの始末が難儀だ。さりとて、一匹ずつだと犬が嫌がる。松葉杖をついている限り、犬の散歩は不可能。
 日課の散歩も、顔見知りに「どうしたの?」と聞かれては答えるのが鬱陶しくなり、朝はコースを毎日変えているし、夕方分は陽が落ちてからになってしまった。
 実は、家の中やごく近くを歩く時は、杖なしや山用のストックで歩いている。ただ、これは自分の勝手な判断でやっているのであって、決めるのは医者だ。来週の診察で、いくらかの進展はあるのだろうか。埋め込んだボルトとプレートは順調に固定してはいるようだが。
 家でじっとしているのが嫌で、散歩以外に、本屋、映画館、寺巡りは日常的に出かけている。朱印に至っては、さざえ堂以降、四寺分が加わったが、正直のところさして面白みやありがたみは感じていない。新たな趣味にはなるまい。
 そろそろ自然の中を歩いてみたくなった。これは必然的なものだろう。取りあえず地元の金山あたりにハイキングに行きたいところだが、下から登るのはまずは無理。ただ、かなり上まで車道は続いているので、上の駐車場から歩く分には問題はないだろう。これも勝手な判断だ。
 ということで、金山ハイキングとはならないが、金山城址見物と新田神社参りということで出かけた。今日の天気予報は午後から雨の気配。車で向かう途中でポツリと落ちたが、すぐに止んだ。念のため、小型のリュックの中には傘を入れている。ちなみに、右足はスニーカー、左足はサンダルといったスタイルになっている。両膝にはバンテリンのサポータを巻いた。

(今日の金山はここから)


(今の自分には、この階段がつらかった。上にはハイキングコースが通っている)


 大光院の脇を通ったら、下山して来るハイカーを数人見かけた。平日だ。いつものように、決まって若いハイカーはいない。上の駐車場には車が2台ほど。ここに車を置いて登るのは、今日の自分のような物見遊山目的でしかないだろう。別にこれを反則だとは思わない。山だけならともかく、山頂は神社でもあるし、城址でもあるのだから。金山愛好者には怒られるかもしれないが、金山はその程度の山なのだ。神社までは600mとある。往復しても1.2kmの歩き。
 駐車場隅の石段を登ると、素知らぬ顔で大光院から上がって来るハイキングコースに出られる。この石段、松葉杖を使って登るのは正直のところきつかった。家の階段よりも段差があり過ぎる。まして、まだ自然の中の歩きに慣れていず、杖をストックのような使い方をすれば良いのに、脇下に挟んだままだったからなおさらだ。以降、階段が出てくると、ストック使いをするようにしたが、こちらの方がかなり楽。やはり松葉杖ではなくストックを持ってくれば良かったようだ。

(歩きやすいが地味な下りになっている)


(それでいて、こういうところは歩きやすい)


 ハイキングコースに入ったからとはいっても、自分には安泰ではない。下から上がって来たハイカーにとっては、ようやく楽な歩きになったというところだ。この先は下りになり、さっき車で通った車道をかすめる。日課の散歩コースはずっと平坦だ。アップダウンがない。勝手が違い過ぎる。足への負担がかかり、バランス取りに手間が要る。作業用の車が通る半舗装みたいな道だし、見た目は問題もないが、最後まで、上り下りの傾斜だけは慣れることがなかった。だからといって、松葉杖を解放する自信はない。下りではつんのめる恐れもある。本当にトボトボ歩きになってしまった。雨が降っていたら絶対に松葉杖の先が滑って転ぶ。むしろ、コツを覚えた階段やら、土くれの道の方が上下の傾斜があってもサクサクと歩けた。

(石垣が出てくる。左上に物見台が見えているが、ここからの直登はロープでふさがれている)


 タラタラと歩いて行くと、城址エリアに入った。石垣が周囲に積まれ、自分には見慣れた風景だ。今のところだれにも会わない。城跡の発掘調査はそれきりになっているようで、目新しいものはなく、以前目に付いた発掘現場らしいブルーシートも消え、進入禁止のロープが目に付くようになった。以前は歩けたところも入れなくなっている。崩れかけているのだろう。金山城址の調査も、明瞭な痕跡も見あたらず、もはやこれが限度なのだろうか。

(大回りして物見台へ)


 物見台が左手に見えた。帰路は舗装の遊歩道を下るつもりでいるから、数人の姿は見えたが、物見台に寄ることにする。ここには三角点がある。教育委員会関係者だろうか、作業服を着た知的そうなネエちゃんが見回りと清掃をしていた。目が合うと、さすがに松葉杖歩きに驚いたのだろう。ちょっとばかり話をしたが、上の駐車場から歩いて来たことについては一応は納得したようだが、よくやるわといった顔つきはそのままだった。実はこのネエちゃんと改めて話をしたかったが、以降、会うことはなくちょっと残念な感じ。
 年甲斐もない余計なことを記すが、中味はともかく、知的な顔つきの女性が自分には好みだ。年をとると、頭の中味もある程度は顔に出てくる。話は飛躍するが、前に勤めていた会社の女性職員、「見るからに…」といった感じのが多かった。実際に会話をしてもやはりその程度で、主観的な感情が先行する。社内メールはおろか、台所で会社やら上司の、レベルの低い悪口を言い合っているのには閉口したが、そういうのに限ってさっさと辞めないでダラダラと居座っている。同類相哀れむには居心地の良いところなのだろう。今でも思い出す度におぞましくなる。

(物見台から赤城山方面)


 物見台では、ネエちゃんと同じ作業服を着たオッサンが、一見の見物客らしき二人連れを相手に城の説明をしていた。その脇をスミマセンねと言いながら物見台まで上がったが、オッサンは、何だか熱っぽく徳川氏と岩松氏の関係をさも生き証人のように語っていた。聞かされている二人はそのまま右から左へといった感じだったし、本心では有難迷惑だったのかもしれない。去ろう、去ろうとしているのを釘付けにされている感じがあった。
 物見台からは赤城山の裾すら見えなかった。二人に先行されると、今度はこちらがオッサンにつかまりそうだ。さっさと物見台から離れた。

(ここらは楽な歩き)


(色づきの感じはある)


 二人連れと前後するのが続く。男の方がつい寄り道して写真撮りをしてしまうからだ。こちらも、それを避けるように、どうでもいいような石垣や堀の写真を撮って距離を置く。

(月ノ池。ホースが邪魔くさい)


(石段を登って行く)


(こんな幟が以前あったかは記憶にない。どこの紋所なのだろうか)


 月ノ池が見え、本丸エリアに入った。さて、短いながらも石段を登るか、脇の坂道を上がるかで悩んだが、石段を登ることにしよう。何度も来ているので、感心するものや改めての発見といったものはない。まして、城郭の仕組みなんてのは説明板を読んでもからきし理解できない門外漢だ。あくまでも歩きの訓練ということに徹する。前述のようにコツは覚えていたから、スムーズに登って行けた。それにしても改めて思う。よく整備された城址だ。かなりの時間と費用がかかったろう。今は物申す立場にはないが、前の会社にいる時は、かなりな額の住民税を取られていた。

(日ノ池。左に石碑が見える)


(不動明王碑)


(展望地)


 日ノ池の先に物置のようなあり、その脇に石碑のような物が見えた。これまで気づきもしなかった。何だろうかと見に行った。石碑には文字が彫られ、読みづらいが、「涛瀧不動明王」と読めなくもない。両サイドにあるのは五輪塔だろう。こんなところにお不動様が祀られているとは。その昔、この日ノ池には水が湧いていたのだろう。今は汚れた雨水が溜まっていて、ここからヤブ蚊が発生しては刺されまくっている。それはともかく、これが今回の収穫だ。
 休憩舎のある展望地に出た。周囲には数人のハイカーがいる。予定ではここまでだった。新田神社の石段は登れまいと思っていたからだ。だが、ここまで来たのなら、神社詣でもしてしまおうか。まだ、雨になる気配はない。

(大ケヤキ)


(新田神社の石段)


(新田神社)


(そして御嶽神社)


(お稲荷様には行けない)


 寂しげに建っている鳥居。周回のロングコースを歩こうとするとここに出る。その間から見える町の視界はどんよりしている。大ケヤキを右に見ると石段だ。あれっ、右の脇に、仮設のような板の渡しが上に続いている。段差はない。これを使えそうだ。現にこれを下って来る人がいる。だが、これまでの経緯からして、舗装の坂道同様に足に負担がかかって歩きづらいだろう。やはり石段が無難だ。
 別に一段二足にせずともに斜めに登って行けば、途中で停滞することもなく一段一足で難なく神社前に出られた。
 さっきからの二人連れが帰ると、境内にはだれもいなくなった。社務所の中で物音がするだけだ。新田神社と御嶽神社にお参りする。いつもなら左の稲荷神社にもご挨拶なのだが、修復中なのか、ロープが張られて立入禁止になっている。

(神社裏で1)


(神社裏で2)


(神社裏で3)


(帰りは左の仮設の渡しを下る)


 ぐるっと回って裏手に出る。自分のここの楽しみは表より裏なのだ。かなり古そうな石像が二体と石祠があって、いつも立ち寄る。
 表に回って、下る。板の脇道がどんな按配か、試しに下ってみたが、手すり代わりのパイプがなければ、段差がないだけに逆に恐い。

(展望地から)


 広場に戻り、ベンチに腰かけて一服つける。そして水を一口。だれもいないと思っていたが、休憩舎の中には10人くらいのハイカーが食事中。はて、今、何時頃だろうか。携帯を取り出して時間を確認する。12時5分か。たいしたハイキングでもないので、食べ物は持って来なかった。そろそろ下るとするかと、もう一本つける。今、腕時計をするのが鬱陶しくなっている。時間に追われた生活もしていないし、むしろ、腕時計をしていると、時間に縛られた気分になる。だからしない。必要があれば、携帯やら車載の時計で事足りる。まぁ、いずれは腕時計に戻らなきゃいけなくなるだろうが。

(秋の気配)


(寄り道して足休め)


(やはり色づきはじめている)


(何ともない道だが、ここは歩きづらかった)


 遊歩道の下り道を選ぶ。舗装されていて、松葉杖では意外に傾斜がきつく感じる。さりとてステッキ代わりにするには恐い。かなり慎重な歩きになった。休憩がてらにヤブに入り込んでみたりする。たまに、少しばかり色のついた葉が目に入る。この辺も、一か月もすれば紅葉だろう。それなりにきれいだろう。
 上のハイキングコースを団体さんが神社に向かって歩いて行く。手ぶらだから上の駐車場利用だろう。遊歩道を歩いて来る人も数人いる。

(駐車場に戻る)


 駐車場に帰着。やはり東京ナンバーのバスが待機している。藪塚温泉に泊まって、スネークセンター、三日月村のコースだろうか。
 ざっと1時間20分ほどの歩きだった。ちょっと疲れた。この疲れの半分以上は体力的なものではなく、足への気遣いに因るものだ。しかし、山道ではなく、半舗装された坂道で疲労の負担が大きくなるとは思いもしなかった。
 次に金山を歩くとなれば、当然、下からということになるが、いつになることやら…。今日、実際に歩いてみて、何となく、いろんな面で切迫した気分になりつつある。

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2 コメント

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Unknown (でん)
2018-10-09 09:40:30
金山山頂駐車場が懐かしいです。
画像を見ても昔と変わっていないように思います。
昔は、山頂と言ったら駐車場と新田神社があった記憶しかありません。
城址を整備してからというもの金山へ行く機会はなく、既に30年以上経ってしまったかと(笑)
ケガのほうもだいぶ回復されてきたようで、良かったです。
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でんさん (たそがれオヤジ)
2018-10-09 20:27:45
でんさん、こんにちは。
ありがとうございます。大分回復とはいっても、無理に歩いているようなもので、傍から見れば、無茶しているなといった感じがあるのかなと思ったりしていますが、今日、医者に金山の神社まで行ったことを伝えると、特に何も言われませんでしたから、この程度ならといったところでしょう。
まぁ、年内はまっとうな山歩きはできないものと覚悟はしております。今日は覚満淵を一周してきましたが、これが限度でしょう。
30年前の金山ですか。私の記憶もまた同じで、城址なんてものはありませんでしたね。そのうちに石垣だけではなく櫓でも建てるのかなと思ったりしましたが、そのまんまですね。フタを開けたら、それほどのブームにもならなかったといったところもあるかも知れません。
あの駐車場は、確かにそのままですね。トイレなんか、今回、久しぶりに使いましたけど、全然変わっていないような気がしました。
金山も、久しぶりにいかがですかなんて言えないのが、何とももどかしいところですね(笑)。
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