◎2020年4月19日(日)
駐車地(8:55)……取り付き(8:58)……尾根に乗る(9:19)……市境稜線(10:23)……△797.3m・十二山(10:34~10:51)……稜線から離れる(11:09)……川に出る(11:39)……逡巡して林道に出る(11:46)……駐車地(12:03)
県外に出るのはよそう。そして、混んでいる山は密集、密接にもつながるから行かない。うつされるどころか、うつす立場になるかもしれないし。だれも歩かない地味なルートで地味な山に行くのなら、他人と接触することもなく問題なかろう。そんなことをぶつくさ言っていられるのも今のうちで、いざ陽性になったら確実に危ない。血圧は普段から高い。禁煙してもいまさら遅い。だが、不要不急を心がけ、三密を厳守して、家の中に閉じこもって十万円が届くのを首を長くして待っている間に感染でもしていたら目もあてられない。それどころか、自分の職場は営業職を除いて休業・自宅待機の態勢にはなっていず、いつものようにせいぜい1.5m間隔の周囲の隣席に人がいる密な事務所に出かけては、外に出る用事もないままにマスクを着用してウダウダと時間を費やしている。日々、危険性は高まっていて、先が見えないのではいっそのこと、これを期に会社を辞めようかとすら思ってしまう。毎年、何十年も有給休暇が40日でスタートしていた事実は遙か昔。5月いっぱいで更新する手持ち休暇の残りはわずか5日。欠勤扱いになれば給与の4割が削られる。
ということで、ふみふみぃさんの記事をもとに、すでに二週間経過後の大間々小友の山にアカヤシオ見物に出かけたのだが、記事には中腹歩きで5日から一週間早いとあったし、一昨日、鳴神山に行った方のレポでは山頂付近はまだツボミだとあった。十二山は鳴神山よりも二百メートルほど低い。中腹は終わっても稜線上は見頃かもと勝手に判断した結果での選択。
これもまた、ふみふみぃさんの二番煎じの歩きではあったが、昨年の4月27日に十二山を経由して鳴神山に行った。結果として、アカヤシオ見物なら、余計な歩きはせずに、ストレートに駒形なりから楽なコースで鳴神山に行っていれば良かったかもで終わったが、それはさておき、その際、登るつもりでいた尾根、つまり去年、小友から十二山に登った尾根とは違う尾根、沢を挟んで隣り合わせの南側の尾根を今回は登ってみることにする。
(狸原橋を渡って左から取り付く)
(上に岩が見える。それを越えて尾根らしい)
林道が幅広になった路肩に車をとめる。去年と同じ場所だ。ガードレール越しに川を見下ろす。やはり無理。昨日の雨のせいか、川幅も広くなって足元を濡らさずに尾根末端に取り付くのは不可能。水没したら、今日の山行はこれで終わりとなって、小平周辺の石仏巡りの散歩になる。その点はしっかりと用心していた。林道を引き返し、橋(「狸原橋」とあった)を渡る。未練がましく末端の方を見ると、ここからはガケ状でトラバースは難しい。目の前の脇斜面から尾根に出るしかない。
(岩場の脇を通過)
(途中で本日初のツツジ)
こういうところは急斜面が道理というもの。間もなく四つん這いになった。つかむ木も軽く折れる。見上げると、目的の尾根下は大きな岩場になっている。地面は落葉の堆積で、雨で余計に滑る。傾斜の少し緩い、安全地帯を選んではトラバースしながら登る。さして好みでもないミツバツツジらしきツツジが現れる。不安定なところをそちらに向かいカメラで撮る。これが次第にノルマになって、いつもなら見向きもしない冴えないツツジまでカメラに収めてしまうことになる。
(遠くから見る分には問題ない。メガネをかけても近眼だし)
(岩を越えて)
(尾根に出る)
こんなことを繰り返しながら右往左往して、岩場を巻いて尾根に出た。今度は赤いヤマツツジ。この表現だけなら、さもツツジの楽園といった感じはするが、雨後の影響かどうかは知らない。すっきりと花を開いて咲いているのはなく、すべてがくたびれたか早い咲き具合で、アップには耐えられない。こんな具合のミツバやヤマツツジを見て、ふみふみぃさんの頃に中腹を席巻していたらしいアカヤシオの時季はすでに去り、やはり、居残り組に期待するのは無理があった。下部がこうでは、中腹も想像がつく。
尾根に出る。尾根の様相は去年の北側とそう変わらない。ただ、ここから並行して見える北側尾根は同じ位置でここよりも高く、その先はなだらか。下部が急登であることが窺い知れる。あの尾根は十二山までストレートにつながっていた。こちらは赤柴山脈なる市境稜線に出るから、この先の険しさはさほどのものではないだろう。以前にも記したことがあるが、この赤柴山脈という名称。そう物々しい呼び名にせずとも、どうしても「赤柴」という地名を入れたいのなら、せいぜい赤柴尾根、赤柴稜線レベルにしておけばいいのにといつもながらに思う。今では多くの方が尾根の固有名詞として赤柴山脈と記載する。ここでも、これからも自分は市境尾根、市境稜線で通す。山脈を縦走するほどの荘重な歩きはしていないし、それ以前に山脈のイメージからは程遠い。
(こんなものでも撮ってしまった)
(わりと急だった)
(赤いのもあるにはある。向こうが昨年歩いた尾根)
(なんだかなぁ…)
(これもなんだかなぁ…)
(これはいいと思ったが)
(これでは下りられない。右下に本体が見える)
余談が長過ぎた。尾根に出ると、強風にさらされた。思わず帽子を飛ばされないように抑える。冷たい風でないだけましだ。風があるからというわけでもないが、傾斜も緩やかになったので四つん這い歩きも不要で、ここでダブルストック歩きにした。滑るのは相変わらずで、その筋の方には批判を受けるだろうが先端のゴムキャップは外した。さて、ここでようやくアカヤシオを目にする。一株見つければ、あっちにもこっちにもとなるが、いずれも尾根上ではない脇の下斜面。近づくのは危険が伴うので上から眺める。ノルマ写真は忘れない。群れているというわけではない。ふみふみぃさんの記事からして、この辺の中腹のアカヤシオはすでに盛りを過ぎている。まばらに見ることができるといったレベルだ。肝心な咲きっぷりだが、たまたま尾根上にあったのを間近に見ると、さっきまでのミツバツツジやヤマツツジ同様に痛んでいて、花びらのアップは撮れず、小さくしてピンクの塊にせざるを得ない。昨日の雨で大分落ちたり、痛みが加速したのかもと思ったりしたが、地面に落ちたピンクの花びらを見ることはなく、まして雨のあたった花びらだ。この強風で飛ばされるまでにはまだ乾ききっているはずもない。中腹はすでに終了し、遅咲き分がそろそろ終わりかけているのだろうと判断するしかない。
(気分はすっきりしない)
(これなんか終わりだよ)
(しばらく無色)
(見かけてもこれだ)
(そろそろ市境尾根に出る)
こんな気分で登っていると、確かに、今目に入るツツジの大方はやはりそうだろうと思えるようになる。葉だけ残っているのもあるので、上に出てもあまり期待はできないかもと悲観的になってきた。それでいて、ツボミだけのがあったりで、頭は都度に混乱する。ただ、歩いていてちっとも楽しくないことは確かで、立ち休み以外で足を止めたのは、ある程度すっきりした視界の中に浅間山と赤城山が見えた時だけだった。そして、一時的にピンクも赤も消え、前方に市境稜線との合流部にある小ピークが見えてくる。あの右肩の尾根は608m標高点を経由して登り上げているようだが、その下の一帯は採石場なのか、地図では広範囲のガケ状になっている。
(その前に赤芝山脈の支脈に合流だったか)
(袈裟丸山)
(こちらは赤城)
小ピークに出ると、樹に巻かれた古い赤テープが目に付いた。自分がやって来た尾根にはなかったから、おそらく608m経由尾根からのだろうが、あのガケマーク地帯は歩けるのか。歩けたとしても、すでにこんなところの尾根を今を含めて二本も歩いているから、これ以上は興味も出てこない。末梢尾根へのこだわりはもういいだろう。
少し下ると右手に植林が現れる。接することはない。登りにかかると左手に袈裟丸山。雪がまだかぶっている。昨日の雨は一時的に雪にでもなったのか。赤城山は黒檜の山頂直下がまばらに白いだけ。山頂そのものは雲に隠れている。登りきると市境稜線に合流した。
かろうじて生気のあるアカヤシオが咲いていた。惜しいのは、花が小さめでやや痛みかけていること。これは終わりつつあるのだろうが、下に花は落ちてはいない。そういえば、稜線に上がった途端に風が止んでいた。おかしなことを記す。花びらに雨があたれば、それだけ水を含むわけで、陽が出て暖かくなり、水分が蒸発すれば、少しは元気な花に戻るのだろうか。素人的な発想だ。そんなことはあるまい。やられたらこのまま弱る一方だろうな。
(ここもまた色はないが、そんな所だと思っている)
(まぁ何とか)
(4~5日は遅かったようだ)
(十二山までの間で。その1)
(その2)
(その3)
(その4。もはやここまでか)
十二山までの間のヤセ尾根に5~6株のアカヤシオが続く。見るには耐えられる。ようやく鑑賞目的で足止めができるようになった。だが、あくまでも「きれい」ではあっても「見事」の言葉は出てこない。もしかすれば、これが今日の最後かもしれない。
(十二山山頂)
(ハイトスさんの見回り代わりに。ただしメンテはなし)
十二山の山頂にアカヤシオはなかった。ここで休んで菓子パンを食べて一服。ハイトスさんの山名板は去年の台風19号でも飛ばされていない。他に山名板が一枚と三角点標石。木立ですっきりした展望はない。
この後のことはとりあえずこのまま市境稜線を東に向かい、その間にアカヤシオの咲き具合で昨年の下りコースで周回でもしようかと思っていた。鳴神山に向かってもムダ。一昨日の時点でツボミ、昨日は終日の雨。今日になって突如として満開になるわけがない。
(あっちの尾根を下るわけだったが)
(オレの視野が狭いわけではないと思うが、茶色と白と青以外は目に入らない)
(鳴神山。後でアップで見ると、かろうじてピンクぽい部分が見えていた。一週間後だね)
腰を上げて東に向かう。いきなり間違えた。北東に行くべきを南東に下っていた。すぐに気づいたからトラバースして本来尾根に向かったが、これは厳しかった。落葉の下の土が濡れていてかなり滑った。急斜面ではなかっただけでも幸いだった。
尾根の上にはもはやアカヤシオは存在しなかった。迷った。さらに上にあるとは思えない。鳴神山の山肌は黒いままだ。去年は27日でピンクに染まっていた。微妙なところだがやはり一週間後か。やめるか。地図を見る。今、緩い登りになっている。先の小ピークから北西に一本尾根が下っていて、林道につながっている。果たして、林道にすんなり出られるのか。林道の実線と水線がくっついたり離れたりしていて、確実に実線が手前になっているところはない。どうせ帰路だ。濡らしてもいいか。
(ここを下る)
(尾根型が明瞭になる)
(ミツバも見事とは言えんわ)
(疲れたアカヤシオには茶色が混じる)
(離れて見た方がよい。手前の株はすでに花が落ちてしまったようだ)
(下に来て、こんなのを見るのも困ったもの)
尾根らしきところを下る。枝ヤブで先が見えないが、次第に薄くなり、尾根型も明瞭になった。林道まではほぼ直線の尾根だから、コンパスも頼りになる。この尾根を選んだのにも訳がある。中段から下は針葉樹のようであるが、上が広葉樹のようだったから。下段はもはやツツジが咲いているわけもない。植林に入っても問題はない。つまり、少しの期待が残っているということ。
ミツバツツジが目に付いた。しおれた花とツボミが同居して、終わりなのかこれからなのか、自分には判断もできない。これは例外だったのか、花を開いたミツバがあちこちに咲いてはいる。そのうちにアカヤシオも入り込む。決して見事に咲いているわけではなく、それでいて、色づきを見かけると尾根は外れて見に行った。気に入った咲き具合のツツジはなく、むしろ同じ株の中に変色しかけた花も同居している。
(すでに思考は下りに徹そうとしている)
(こんなのを見て、結局、尾根の末端まで行ってしまった。こじんまりだが、今日の一番だったかも。ひっそり美人さん)
そろそろ見納めのようだ。川の音も近づいている。経験上、あの音の水量は多く、ツツジ探しに夢中になっている場合でもなくなってきた。尾根は川への下降態勢の形状になり、細くなり、急になりつつある。そろそろ隣の谷側に逃げた方が無難かなと躊躇している間に、ある程度見ごたえのあるアカヤシオを見かけてさらに尾根先に下る。こじんまりしたアカヤシオだったが、ラストとしては良かろう。
(用心して下る)
(川と林道)
(上流。もっと上に行けば活路はあったかも)
(写真では斜めの木に手をかけて渡れそうだが、実際はかなり離れて、体勢も斜めになる)
(見えづらいが橋。左下は合流する小沢。あの岩の下を行けるかなと思ったがやめた。事故以来、かなり臆病になっている)
もはやこれまで。川は下に見えている。ストックを収納して、崩れかけたもろい斜面をそろりそろりと河原に下った。やはりだった。川の向こう側上に林道が通っていた。水に濡れたくないので上流に行ってみた。ジャンプして渉れるところはなく、最悪、あそこだなと目星をつけて今度は下流の偵察。濡れずに済みそうなところはあったが、対岸が石垣で、あれを落ちずに攀じ登る自信はない。パス。丸太の渡しもあるにはあったが、水面から1.5m以上はあり、その下は深い。その丸太自体が苔むして、一歩踏み込んだ時点でバキッといく可能性もある。これもダメ。さらに先に行くと、左から細い沢が流れ込んでいて、ここなら濡れずに行けそうだ。その先はガケ下の岩を通って橋の先に出られそうになっている。それで行くかと決めかけたが、難点があった。岩は斜めで落葉に覆われ、悪いことに、手をかけるものがない。滑って落ちたらかなりヤバい状況になる。
(今日の出で立ちはニッカボッカではない。水を含んで垂れただけ。水温は適度。この写真、わざわざセルフ撮りしたわけではなく、画像処理で180度の反転をしただけだ)
(林道歩き)
(屋根が立派だったから現役かと思った)
(石灯篭。これが一基だけというのは不自然で、最低、もう一基はあったはず)
結局、どうせ濡れるなら安全なところと、当初の目星とは違った幅が狭くなったところに足を入れた。ヒザまできた。一歩目の感触は水の気配がなく、これは行けそうだと思ったのは早とちりで、林道に上がると、地下タビの中は水でガボガボになっていた。
駐車地までは大した距離もない。このまま歩く。ついでに橋の先からガケ下を覗くと、こちらからなら濡れずに行けそうで、これは今さら仕方のない話。
下に大きな家が見えた。廃屋だった。屋根だけは立派な家だ。もったいないものだと思っていたら、こちらの気配を察したのか、家から10頭ほどの猿が出て来て、向かいの斜面を登って行った。猿が棲みついているようだ。この廃屋の手前に通行止めのポールがあった。
そろそろ去年下り着いたところが近づいた。左は墓地で、右には石灯篭があった。この石燈籠には記憶がある。ふみふみぃさんのブログ記事に何度か登場していた。自分が見たのは初めてだ。胴体には篆書体の文字が彫られ、何と書かれているのかは判読しかねるが、下の「大権現」だけはわかった。ということは、この近くに神社なりお宮があったということだろうが、どこにその残骸があるのかは興味のあるところだ。そのすぐ先に、去年、自分が危うい思いをして下った保安林マークのある斜面があった。なるほど、上から直進せずに、左に逸れて石灯篭に出るわけか。納得。
(県道に出て)
(駐車地。本日の収穫は無しに等しかった)
本林道に出る。というか、林道のつもりでいたが、ここは県道334号線。通称「小平塩原線」という道路らしく、先で「林道 小平座間線」になるようだ。10分もかからずに駐車地に着いた。その間、車が2台、この道を奥の方に向かって行った。他人様のことをとやかくは言えない。自分と同様に不要不急の外出であることは確かで、いずれも群馬ナンバーだったことが救われる思いがする。これが県外ナンバーなら自分も群馬県民になりきって批判的な気分になるはずだ。
さて、今日の小友のアカヤシオ祭りだが、去年同様に不発に終わり、お祭りはとっくに終わっていたといったところか。もしくは自粛か。引き続き、ふみふみぃさんのかなり遅れての後追いのようなものだった。やはりタイミングの違いだろう。ふみふみぃさんは、どうもこの周辺はよく当たる。そして自分は外れとなる。だが、この一帯が穴場であることはわかった。来年も来るとしたら、人まねばかりをせず、じっくり検討し、タイミングを逃さぬように楽しみたいものだ。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
◎4月20日付けで山岳四団体による共同声明という形で登山の自粛を求める声明が出された。これを読むと、その主旨には複雑な心境になるが、この声明文に「登山」、「クライミング行為」という言葉はあっても「ハイキング」という言葉がない。山岳会だから、ハイキングという概念は元よりないのかもしれないし、友人から聞いた話によると、彼が所属していた精鋭の山岳会ではハイキングは厳禁だったそうだ。それはともかく、ということならハイキングはいいのかということになるが、そもそも登山とハイキングの違いに客観性はなく、あくまでも主観的なものだ。自分にはハイキングのつもりでいても、それは登山だと受けとめる方もいる。今回の小友の歩きは、自分の感覚としては「ハイキングの延長」に過ぎない。声明文に「登山」と「クライミング」と併記するから、ここで言う登山はクライミングに近い高度な登山のことで、ハイキングレベルならいいだろうといった解釈をされても仕方がない。そもそも、「書いていないから●●だったらいいのだろう」といったひねた発想がおかしなもので、そんな誤解と勝手な解釈をしてもらわないためにも、この声明文には「ハイキング」も入れてしかるべきだったのではないだろうか。
後日談になる。定期的にメールで送ってくる<ヤマケイオンラインニュース>の4月23日号には、この声明については一言も触れていない。冒頭にこうあるだけだ。字送り、行送りのみ直してそのまま引用。
「せっかくの行楽日和ですが、緊急事態宣言を受けて、登山に行けないことを腹立たしく感じている人も、多いと思われます。
しかし、そう思って、外出を極力控えているからこそ、健康で暮らせているとも言えます。
現在、首都圏は感染者の広がりを見せている一方で、感染者が少ない地域も数多くあります。
そうした地域に、不必要に我々が行くことは、そこで暮らしている人たちの生活を脅かすことになりかねませんので、ここは、悔しい思いを押し殺して「Stay Home」していただければと思います。」
以上だが、山渓なら、あの声明文に気づかないわけはない。敢えて記さなかったのか、本当に気づいていないのか、いろいろ想定できるが、不思議といえば不思議な話だ。
駐車地(8:55)……取り付き(8:58)……尾根に乗る(9:19)……市境稜線(10:23)……△797.3m・十二山(10:34~10:51)……稜線から離れる(11:09)……川に出る(11:39)……逡巡して林道に出る(11:46)……駐車地(12:03)
県外に出るのはよそう。そして、混んでいる山は密集、密接にもつながるから行かない。うつされるどころか、うつす立場になるかもしれないし。だれも歩かない地味なルートで地味な山に行くのなら、他人と接触することもなく問題なかろう。そんなことをぶつくさ言っていられるのも今のうちで、いざ陽性になったら確実に危ない。血圧は普段から高い。禁煙してもいまさら遅い。だが、不要不急を心がけ、三密を厳守して、家の中に閉じこもって十万円が届くのを首を長くして待っている間に感染でもしていたら目もあてられない。それどころか、自分の職場は営業職を除いて休業・自宅待機の態勢にはなっていず、いつものようにせいぜい1.5m間隔の周囲の隣席に人がいる密な事務所に出かけては、外に出る用事もないままにマスクを着用してウダウダと時間を費やしている。日々、危険性は高まっていて、先が見えないのではいっそのこと、これを期に会社を辞めようかとすら思ってしまう。毎年、何十年も有給休暇が40日でスタートしていた事実は遙か昔。5月いっぱいで更新する手持ち休暇の残りはわずか5日。欠勤扱いになれば給与の4割が削られる。
ということで、ふみふみぃさんの記事をもとに、すでに二週間経過後の大間々小友の山にアカヤシオ見物に出かけたのだが、記事には中腹歩きで5日から一週間早いとあったし、一昨日、鳴神山に行った方のレポでは山頂付近はまだツボミだとあった。十二山は鳴神山よりも二百メートルほど低い。中腹は終わっても稜線上は見頃かもと勝手に判断した結果での選択。
これもまた、ふみふみぃさんの二番煎じの歩きではあったが、昨年の4月27日に十二山を経由して鳴神山に行った。結果として、アカヤシオ見物なら、余計な歩きはせずに、ストレートに駒形なりから楽なコースで鳴神山に行っていれば良かったかもで終わったが、それはさておき、その際、登るつもりでいた尾根、つまり去年、小友から十二山に登った尾根とは違う尾根、沢を挟んで隣り合わせの南側の尾根を今回は登ってみることにする。
(狸原橋を渡って左から取り付く)
(上に岩が見える。それを越えて尾根らしい)
林道が幅広になった路肩に車をとめる。去年と同じ場所だ。ガードレール越しに川を見下ろす。やはり無理。昨日の雨のせいか、川幅も広くなって足元を濡らさずに尾根末端に取り付くのは不可能。水没したら、今日の山行はこれで終わりとなって、小平周辺の石仏巡りの散歩になる。その点はしっかりと用心していた。林道を引き返し、橋(「狸原橋」とあった)を渡る。未練がましく末端の方を見ると、ここからはガケ状でトラバースは難しい。目の前の脇斜面から尾根に出るしかない。
(岩場の脇を通過)
(途中で本日初のツツジ)
こういうところは急斜面が道理というもの。間もなく四つん這いになった。つかむ木も軽く折れる。見上げると、目的の尾根下は大きな岩場になっている。地面は落葉の堆積で、雨で余計に滑る。傾斜の少し緩い、安全地帯を選んではトラバースしながら登る。さして好みでもないミツバツツジらしきツツジが現れる。不安定なところをそちらに向かいカメラで撮る。これが次第にノルマになって、いつもなら見向きもしない冴えないツツジまでカメラに収めてしまうことになる。
(遠くから見る分には問題ない。メガネをかけても近眼だし)
(岩を越えて)
(尾根に出る)
こんなことを繰り返しながら右往左往して、岩場を巻いて尾根に出た。今度は赤いヤマツツジ。この表現だけなら、さもツツジの楽園といった感じはするが、雨後の影響かどうかは知らない。すっきりと花を開いて咲いているのはなく、すべてがくたびれたか早い咲き具合で、アップには耐えられない。こんな具合のミツバやヤマツツジを見て、ふみふみぃさんの頃に中腹を席巻していたらしいアカヤシオの時季はすでに去り、やはり、居残り組に期待するのは無理があった。下部がこうでは、中腹も想像がつく。
尾根に出る。尾根の様相は去年の北側とそう変わらない。ただ、ここから並行して見える北側尾根は同じ位置でここよりも高く、その先はなだらか。下部が急登であることが窺い知れる。あの尾根は十二山までストレートにつながっていた。こちらは赤柴山脈なる市境稜線に出るから、この先の険しさはさほどのものではないだろう。以前にも記したことがあるが、この赤柴山脈という名称。そう物々しい呼び名にせずとも、どうしても「赤柴」という地名を入れたいのなら、せいぜい赤柴尾根、赤柴稜線レベルにしておけばいいのにといつもながらに思う。今では多くの方が尾根の固有名詞として赤柴山脈と記載する。ここでも、これからも自分は市境尾根、市境稜線で通す。山脈を縦走するほどの荘重な歩きはしていないし、それ以前に山脈のイメージからは程遠い。
(こんなものでも撮ってしまった)
(わりと急だった)
(赤いのもあるにはある。向こうが昨年歩いた尾根)
(なんだかなぁ…)
(これもなんだかなぁ…)
(これはいいと思ったが)
(これでは下りられない。右下に本体が見える)
余談が長過ぎた。尾根に出ると、強風にさらされた。思わず帽子を飛ばされないように抑える。冷たい風でないだけましだ。風があるからというわけでもないが、傾斜も緩やかになったので四つん這い歩きも不要で、ここでダブルストック歩きにした。滑るのは相変わらずで、その筋の方には批判を受けるだろうが先端のゴムキャップは外した。さて、ここでようやくアカヤシオを目にする。一株見つければ、あっちにもこっちにもとなるが、いずれも尾根上ではない脇の下斜面。近づくのは危険が伴うので上から眺める。ノルマ写真は忘れない。群れているというわけではない。ふみふみぃさんの記事からして、この辺の中腹のアカヤシオはすでに盛りを過ぎている。まばらに見ることができるといったレベルだ。肝心な咲きっぷりだが、たまたま尾根上にあったのを間近に見ると、さっきまでのミツバツツジやヤマツツジ同様に痛んでいて、花びらのアップは撮れず、小さくしてピンクの塊にせざるを得ない。昨日の雨で大分落ちたり、痛みが加速したのかもと思ったりしたが、地面に落ちたピンクの花びらを見ることはなく、まして雨のあたった花びらだ。この強風で飛ばされるまでにはまだ乾ききっているはずもない。中腹はすでに終了し、遅咲き分がそろそろ終わりかけているのだろうと判断するしかない。
(気分はすっきりしない)
(これなんか終わりだよ)
(しばらく無色)
(見かけてもこれだ)
(そろそろ市境尾根に出る)
こんな気分で登っていると、確かに、今目に入るツツジの大方はやはりそうだろうと思えるようになる。葉だけ残っているのもあるので、上に出てもあまり期待はできないかもと悲観的になってきた。それでいて、ツボミだけのがあったりで、頭は都度に混乱する。ただ、歩いていてちっとも楽しくないことは確かで、立ち休み以外で足を止めたのは、ある程度すっきりした視界の中に浅間山と赤城山が見えた時だけだった。そして、一時的にピンクも赤も消え、前方に市境稜線との合流部にある小ピークが見えてくる。あの右肩の尾根は608m標高点を経由して登り上げているようだが、その下の一帯は採石場なのか、地図では広範囲のガケ状になっている。
(その前に赤芝山脈の支脈に合流だったか)
(袈裟丸山)
(こちらは赤城)
小ピークに出ると、樹に巻かれた古い赤テープが目に付いた。自分がやって来た尾根にはなかったから、おそらく608m経由尾根からのだろうが、あのガケマーク地帯は歩けるのか。歩けたとしても、すでにこんなところの尾根を今を含めて二本も歩いているから、これ以上は興味も出てこない。末梢尾根へのこだわりはもういいだろう。
少し下ると右手に植林が現れる。接することはない。登りにかかると左手に袈裟丸山。雪がまだかぶっている。昨日の雨は一時的に雪にでもなったのか。赤城山は黒檜の山頂直下がまばらに白いだけ。山頂そのものは雲に隠れている。登りきると市境稜線に合流した。
かろうじて生気のあるアカヤシオが咲いていた。惜しいのは、花が小さめでやや痛みかけていること。これは終わりつつあるのだろうが、下に花は落ちてはいない。そういえば、稜線に上がった途端に風が止んでいた。おかしなことを記す。花びらに雨があたれば、それだけ水を含むわけで、陽が出て暖かくなり、水分が蒸発すれば、少しは元気な花に戻るのだろうか。素人的な発想だ。そんなことはあるまい。やられたらこのまま弱る一方だろうな。
(ここもまた色はないが、そんな所だと思っている)
(まぁ何とか)
(4~5日は遅かったようだ)
(十二山までの間で。その1)
(その2)
(その3)
(その4。もはやここまでか)
十二山までの間のヤセ尾根に5~6株のアカヤシオが続く。見るには耐えられる。ようやく鑑賞目的で足止めができるようになった。だが、あくまでも「きれい」ではあっても「見事」の言葉は出てこない。もしかすれば、これが今日の最後かもしれない。
(十二山山頂)
(ハイトスさんの見回り代わりに。ただしメンテはなし)
十二山の山頂にアカヤシオはなかった。ここで休んで菓子パンを食べて一服。ハイトスさんの山名板は去年の台風19号でも飛ばされていない。他に山名板が一枚と三角点標石。木立ですっきりした展望はない。
この後のことはとりあえずこのまま市境稜線を東に向かい、その間にアカヤシオの咲き具合で昨年の下りコースで周回でもしようかと思っていた。鳴神山に向かってもムダ。一昨日の時点でツボミ、昨日は終日の雨。今日になって突如として満開になるわけがない。
(あっちの尾根を下るわけだったが)
(オレの視野が狭いわけではないと思うが、茶色と白と青以外は目に入らない)
(鳴神山。後でアップで見ると、かろうじてピンクぽい部分が見えていた。一週間後だね)
腰を上げて東に向かう。いきなり間違えた。北東に行くべきを南東に下っていた。すぐに気づいたからトラバースして本来尾根に向かったが、これは厳しかった。落葉の下の土が濡れていてかなり滑った。急斜面ではなかっただけでも幸いだった。
尾根の上にはもはやアカヤシオは存在しなかった。迷った。さらに上にあるとは思えない。鳴神山の山肌は黒いままだ。去年は27日でピンクに染まっていた。微妙なところだがやはり一週間後か。やめるか。地図を見る。今、緩い登りになっている。先の小ピークから北西に一本尾根が下っていて、林道につながっている。果たして、林道にすんなり出られるのか。林道の実線と水線がくっついたり離れたりしていて、確実に実線が手前になっているところはない。どうせ帰路だ。濡らしてもいいか。
(ここを下る)
(尾根型が明瞭になる)
(ミツバも見事とは言えんわ)
(疲れたアカヤシオには茶色が混じる)
(離れて見た方がよい。手前の株はすでに花が落ちてしまったようだ)
(下に来て、こんなのを見るのも困ったもの)
尾根らしきところを下る。枝ヤブで先が見えないが、次第に薄くなり、尾根型も明瞭になった。林道まではほぼ直線の尾根だから、コンパスも頼りになる。この尾根を選んだのにも訳がある。中段から下は針葉樹のようであるが、上が広葉樹のようだったから。下段はもはやツツジが咲いているわけもない。植林に入っても問題はない。つまり、少しの期待が残っているということ。
ミツバツツジが目に付いた。しおれた花とツボミが同居して、終わりなのかこれからなのか、自分には判断もできない。これは例外だったのか、花を開いたミツバがあちこちに咲いてはいる。そのうちにアカヤシオも入り込む。決して見事に咲いているわけではなく、それでいて、色づきを見かけると尾根は外れて見に行った。気に入った咲き具合のツツジはなく、むしろ同じ株の中に変色しかけた花も同居している。
(すでに思考は下りに徹そうとしている)
(こんなのを見て、結局、尾根の末端まで行ってしまった。こじんまりだが、今日の一番だったかも。ひっそり美人さん)
そろそろ見納めのようだ。川の音も近づいている。経験上、あの音の水量は多く、ツツジ探しに夢中になっている場合でもなくなってきた。尾根は川への下降態勢の形状になり、細くなり、急になりつつある。そろそろ隣の谷側に逃げた方が無難かなと躊躇している間に、ある程度見ごたえのあるアカヤシオを見かけてさらに尾根先に下る。こじんまりしたアカヤシオだったが、ラストとしては良かろう。
(用心して下る)
(川と林道)
(上流。もっと上に行けば活路はあったかも)
(写真では斜めの木に手をかけて渡れそうだが、実際はかなり離れて、体勢も斜めになる)
(見えづらいが橋。左下は合流する小沢。あの岩の下を行けるかなと思ったがやめた。事故以来、かなり臆病になっている)
もはやこれまで。川は下に見えている。ストックを収納して、崩れかけたもろい斜面をそろりそろりと河原に下った。やはりだった。川の向こう側上に林道が通っていた。水に濡れたくないので上流に行ってみた。ジャンプして渉れるところはなく、最悪、あそこだなと目星をつけて今度は下流の偵察。濡れずに済みそうなところはあったが、対岸が石垣で、あれを落ちずに攀じ登る自信はない。パス。丸太の渡しもあるにはあったが、水面から1.5m以上はあり、その下は深い。その丸太自体が苔むして、一歩踏み込んだ時点でバキッといく可能性もある。これもダメ。さらに先に行くと、左から細い沢が流れ込んでいて、ここなら濡れずに行けそうだ。その先はガケ下の岩を通って橋の先に出られそうになっている。それで行くかと決めかけたが、難点があった。岩は斜めで落葉に覆われ、悪いことに、手をかけるものがない。滑って落ちたらかなりヤバい状況になる。
(今日の出で立ちはニッカボッカではない。水を含んで垂れただけ。水温は適度。この写真、わざわざセルフ撮りしたわけではなく、画像処理で180度の反転をしただけだ)
(林道歩き)
(屋根が立派だったから現役かと思った)
(石灯篭。これが一基だけというのは不自然で、最低、もう一基はあったはず)
結局、どうせ濡れるなら安全なところと、当初の目星とは違った幅が狭くなったところに足を入れた。ヒザまできた。一歩目の感触は水の気配がなく、これは行けそうだと思ったのは早とちりで、林道に上がると、地下タビの中は水でガボガボになっていた。
駐車地までは大した距離もない。このまま歩く。ついでに橋の先からガケ下を覗くと、こちらからなら濡れずに行けそうで、これは今さら仕方のない話。
下に大きな家が見えた。廃屋だった。屋根だけは立派な家だ。もったいないものだと思っていたら、こちらの気配を察したのか、家から10頭ほどの猿が出て来て、向かいの斜面を登って行った。猿が棲みついているようだ。この廃屋の手前に通行止めのポールがあった。
そろそろ去年下り着いたところが近づいた。左は墓地で、右には石灯篭があった。この石燈籠には記憶がある。ふみふみぃさんのブログ記事に何度か登場していた。自分が見たのは初めてだ。胴体には篆書体の文字が彫られ、何と書かれているのかは判読しかねるが、下の「大権現」だけはわかった。ということは、この近くに神社なりお宮があったということだろうが、どこにその残骸があるのかは興味のあるところだ。そのすぐ先に、去年、自分が危うい思いをして下った保安林マークのある斜面があった。なるほど、上から直進せずに、左に逸れて石灯篭に出るわけか。納得。
(県道に出て)
(駐車地。本日の収穫は無しに等しかった)
本林道に出る。というか、林道のつもりでいたが、ここは県道334号線。通称「小平塩原線」という道路らしく、先で「林道 小平座間線」になるようだ。10分もかからずに駐車地に着いた。その間、車が2台、この道を奥の方に向かって行った。他人様のことをとやかくは言えない。自分と同様に不要不急の外出であることは確かで、いずれも群馬ナンバーだったことが救われる思いがする。これが県外ナンバーなら自分も群馬県民になりきって批判的な気分になるはずだ。
さて、今日の小友のアカヤシオ祭りだが、去年同様に不発に終わり、お祭りはとっくに終わっていたといったところか。もしくは自粛か。引き続き、ふみふみぃさんのかなり遅れての後追いのようなものだった。やはりタイミングの違いだろう。ふみふみぃさんは、どうもこの周辺はよく当たる。そして自分は外れとなる。だが、この一帯が穴場であることはわかった。来年も来るとしたら、人まねばかりをせず、じっくり検討し、タイミングを逃さぬように楽しみたいものだ。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
◎4月20日付けで山岳四団体による共同声明という形で登山の自粛を求める声明が出された。これを読むと、その主旨には複雑な心境になるが、この声明文に「登山」、「クライミング行為」という言葉はあっても「ハイキング」という言葉がない。山岳会だから、ハイキングという概念は元よりないのかもしれないし、友人から聞いた話によると、彼が所属していた精鋭の山岳会ではハイキングは厳禁だったそうだ。それはともかく、ということならハイキングはいいのかということになるが、そもそも登山とハイキングの違いに客観性はなく、あくまでも主観的なものだ。自分にはハイキングのつもりでいても、それは登山だと受けとめる方もいる。今回の小友の歩きは、自分の感覚としては「ハイキングの延長」に過ぎない。声明文に「登山」と「クライミング」と併記するから、ここで言う登山はクライミングに近い高度な登山のことで、ハイキングレベルならいいだろうといった解釈をされても仕方がない。そもそも、「書いていないから●●だったらいいのだろう」といったひねた発想がおかしなもので、そんな誤解と勝手な解釈をしてもらわないためにも、この声明文には「ハイキング」も入れてしかるべきだったのではないだろうか。
後日談になる。定期的にメールで送ってくる<ヤマケイオンラインニュース>の4月23日号には、この声明については一言も触れていない。冒頭にこうあるだけだ。字送り、行送りのみ直してそのまま引用。
「せっかくの行楽日和ですが、緊急事態宣言を受けて、登山に行けないことを腹立たしく感じている人も、多いと思われます。
しかし、そう思って、外出を極力控えているからこそ、健康で暮らせているとも言えます。
現在、首都圏は感染者の広がりを見せている一方で、感染者が少ない地域も数多くあります。
そうした地域に、不必要に我々が行くことは、そこで暮らしている人たちの生活を脅かすことになりかねませんので、ここは、悔しい思いを押し殺して「Stay Home」していただければと思います。」
以上だが、山渓なら、あの声明文に気づかないわけはない。敢えて記さなかったのか、本当に気づいていないのか、いろいろ想定できるが、不思議といえば不思議な話だ。
ホントウに栃木・群馬の方は羨ましいといったところで,来るなと言われても欲求には抗えず,結局は,人様に会わない所へ,こっそりとお邪魔することになるだろうと思います。
そんなワケで,この日は,茨城では見られないアカヤシオ見たさに栗生山へお邪魔をしたのですが,やはり今年の花付きは,小友と似たような感じでした。
一応,山頂の咲きぶりを期待したのですが,標高的にも鳴神山と変わらないためか,大半が蕾でしたヨ。
今年は花付きがよろしくないですか。私なんか、他に比較できるほどに歩いていないのでわかりかねますが、みー猫さんがそうおっしゃるならそうなのでしょう。コロナのこともあり、だとすれば、不幸中の幸いとでも言ったら不謹慎になりますが、少しはほっとします。ガツガツ出かけたところでたかが知れた状態では落胆も大き過ぎますから。むしろ、今年はそうなんだと割り切れば救われもしますよ。
ハイキング云々の件ですが、声明を知っている人はほとんどいず、私とてたまたま見かけたニュースに過ぎません、大方は知らずに、山に行くのなら問題はないだろうと考える方がほとんどではないでしょうか。声明を知ったところで、やめようかということにはならないのではないでしょうか。よほどに、交通規制、制限でもとられたら、話は別でしょうけどね。その辺、週末はどんなものなのか、覗いてみたいものです。
確かにおっしゃるとおりですが、全国知事会が連休中の道路規制を国に求めたりしているとなると、高速を使って行くのは厳しいかもしれませんよ。引き金は先日の鎌倉の渋滞だったのではないでしょうか。まぁ、赤城山でも行ける自分は幸いですが、むしろ、県内ならいいんだろうと、山やらドライブに逃げる人が多くなってしまうような気もします。出るなと言われたら出たくなるものです。むしろ規制ではなく自粛のままにほっとけばいいのになぁとも思いますけどね。
栗生山のアカヤシオですか。目当てで行かれたわけですから、タイミングがずれたということですね。あるいは、今年は不作だったのか。瀑泉さんの一週間前にハイトス隊が栗生山に行って、さっぱりだったようですが、一週間後でも小友でしたか。みー猫さんのコメントではありませんが、今年はよくないんですかね。
鳴神山でふと考えたのですが、たとえば、「駒形口は一時閉鎖」とでもしたら、半分以上は減るんじゃないですかね。地図を見て、この尾根行けそうだななんて考える方は、かなり奇特なハイカーですから(笑)。
ただ私のイメージですが十二山の稜線上部は尾根幅が広いせいかあんまりアカヤシオがいないイメージがあります。一方でその支尾根の下方や対岸の693m地点周辺や北の支尾根は群れていて。やはり岩っぽい細尾根に限るのかなと。対岸の尾根も稜線に出て855m地点から雨量計測計へと歩いていくとさっぱりアカヤシオ見ませんし。
一方で1059m地点からおかぼ平につながる稜線はちらほらアカヤシオが群れていますし、反対の1059m地点から座間峠の間はアカヤシオゾーンが続いてていたりして。これも細尾根だったせいかはあまり記憶にないですが。
まあこの辺りも岩尾根+松の細尾根を歩けばアカヤシオがいる感覚で探せばいいかなと思ってます。
やはりこの辺のアカヤシオ探索は<岩尾根+松の細尾根>のセオリーですか。十二山の稜線は、二年続きで歩き、さっぱりだということはわかりました。
いただいたコメントとふみふみぃさんの記事を参考にして、来年は初物のアカヤシオ探しに行くことにします。
ただ、どこを歩いても、鳴神山の山頂に群れているアカヤシオには負けるでしょう。斜面そのものの色がピンクになっていますからね。ただ、正直のところで、鳴神山は俗っぽく感じるのですよ。みんなが見ているものを見て素晴らしいと思っても、どんなものだろうかなんてね。それでも地味尾根を使って行こうとしたことは確かで、行かずに済ませたのは不作の情報があったからで、むしろ良かったかななんて思ってもいます。
鳴神山も、吾妻やまからの稜線上にアカヤシオのスポットでもあれば、いかような歩きもできるのになぁと思うと残念です。