たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

三峯神社から雲取山

2008年12月21日 | 秩父の山
◎2008年12月20日(土)─1人

 秩父の三峯神社までこんなに時間がかかるとは思わなかった。家からせいぜい1時間半程度の予測でいたら、気付かずのままに入り込んでしまった寄居の有料道路を使っても時間の短縮はされず、2時間以上かかってしまった。家を出る時もモタモタしていたせいで、6時半歩き出し予定が7時半になった。日が短いこの時期、こんな時間の出発での日帰りはちょっと厳しい。批判されても致し方ない。小屋に泊まるつもりはさらさらないし、最悪、途中でUターンを覚悟で歩き出した。雲取山荘に12時に着けないようだったら帰ることにする。標準タイムは、昭文社版で5時間10分+3時間45分、これが、山の便利帳になると、5時間30分+4時間40分になる。いずれにせよ、往復9時間はかかると覚悟しなきゃならない。事前に雲取山荘のHPで確認したら、小屋周辺は20cmの積雪、軽アイゼンは必要。余談ながら、20日は小屋でクリスマスがあるとかで、シャンペンとケーキがつくそうな。ということは、今日は雲取山に入る人もきっと多いことだろう。

 雲取山は今日で4回目。いずれも三峯神社が起点。うち10年前の3回目の時は、雨が本降りになり、お清平まで行って戻った。1回目の22年前には、雲取山荘と雁坂小屋で1泊ずつし、雁坂峠から川又に下り、あとは延々と神社まで歩いた。車に戻ることを前提にすれば、雁坂峠が限界だろう。十文字峠からではかなりきつい。この時、甲武信往復を予定に入れていたが、起きたのが9時ではどうしようもない。そのまま下った。その6か月後の11月に行った時は昼過ぎに出て、白岩山でテントを張った。著名な山岳会で鍛えた天狗の足取りをするようなヤツがいっしょだったから、ついて行くのがしんどかった。その一つ一つが、奥宮への参道を歩きながら鮮明に蘇る。20年前、秩父の山ばかりを歩き、アルプスや八ヶ岳といったメジャーな山を好まない自分の山歩きスタイルは、他のそれに比べてかなり異質なものであることを自覚はしたが、これはこれでいいんだと開き直っていた。この偏屈さゆえか、今でもマイナーな山ばかりを選んでは歩いている傾向が出てきてしまう。

 奥宮への道を分け、登山道に入る。ところどころに雪があるものの、まだまばら。今日は晴天のはずだが、まだ曇った感じの空模様。枯葉がうず高く積もった道がずっと続く。8時27分地蔵峠。歩き出しから1時間。北西方向の展望が開け、両神山の武骨な山容が正面に見える。その後ろには、真白な浅間山。山の写真を整理していたら、わけの分からないセピア調の写真があったが、ここから見た両神山だったのかとようやく今になって気付いた。晴れてきた。同時に気温も上がり、出発時は0℃だったが、後は、雲取山頂も含め、3℃~5℃で一定した。10分もかからず、すぐに霧藻ヶ峰。秩父宮レリーフの説明板を読むと、秩父宮は、昭和8年にここで「霧藻ヶ峰」を命名とのこと。昭和8年といったら、確か、国際連盟を脱退した年。軍部の横暴が目に付き、戦争の足音が聞こえ、民間人が治安維持法で次々とパクられている世相の中で、この方は、風流にも山歩きを楽しんでいたわけだ。兄は一人、帝国の先行きを悩んでいたということか。出がけのバナナ2本分のエネルギーもここで使い果たし、クリームパンを1個食べる。ポットのお湯がぬるくなりかけている。

 霧藻ヶ峰から下り気味に行ってお清平8時51分。雪が続くようになったが、ここからは上りだから、アイゼンはまだいいだろう。先行者が2人ほどいるようだが、アイゼンはもう装着している。2人のうち1人は12本爪。随分と大げさな。ところどころ、まだ土や石ころが出ているので、爪を傷めてはもったいないだろう。その他に歩いている人はいないようだ。駐車場にいっしょに入った群馬ナンバーのワゴン車から4人程降り立ち、山歩きの準備をしていたが、まだ来る気配がない。さて、前白岩山までの上りがつらい。お清平から約200mの標高差がある。ようやく前白岩の肩に着いた。山頂まではさらに10分。前白岩山着9時39分。とりあえずスパッツを付けたが、足元の通風が悪くなり、何となくむれ出した感じがして不快。だからスパッツは嫌いなんだ。アイゼンはまだ早い。杖もザックの脇にくくりつけてはいるが、今のところ出番はない。

 前白岩山から白岩山にかけては、また上りとなる。前白岩山は1,776mで白岩山は1,921m。途中、白岩小屋がある。20年前、小屋の前に倒れかけたトイレがあり、ドアもないようなすさまじいものであった。中のものも、便器から顔を出しているような始末だった。今はもう、トイレも小屋の裏に移動しているようだ。煙突もあるから、中に薪でもあるのだろう。だとすれば、この時期は結構、快適な避難小屋かもしれない。雲取山荘で、お上品にシャンペンでメリークリスマスもいいだろうが、この小屋で、雪見酒を楽しみながら、飲んだくれている方が自分には似合っている。白岩山10時31分。さらにパンを1個食べる。ここでようやくアイゼンを付ける。6本爪。雲取山荘のHPでは、4本爪でもいいようなことが記されてはいたが、4本よりは6本がまだいいだろう。雪の付き方は断続的になってきている。風が音を立てて吹いているが、日が出て、空は青空だから、寒さは感じない。ただ、出発してから手袋はずっとしているが、外すとさすがに冷たい。歩き始めから3時間。そろそろ疲れが出てきた。

 ここからはずっと、嫌になるくらいの下りになる。芋ノ木ドッケを通過し、大ダワに至るまで、せっかく登った白岩山から200m以上も下ることになる。疲れた身体には心地よいものだが、今日はこれを登り返ししないといけない。大ダワ11時21分。振り返ると、白岩山が聳え立っている。ここまで、だれとも会わない。日原から来るルートには、雪の上に足跡があるが、ここ数日のものではない。大ダワから、雲取山荘までは2ルートがある。表示板に、一方は男坂と記されていたが、急ながらも近いのだろうと、一旦、男坂に踏み出してみたものの、途中でトレースが戻ってきていたから、こっちも戻って、無難なルートに切り替えた。雲取ヒュッテの残骸が見えたので、ヒュッテに上がってみた。22年前、ここを歩いた時、この小屋は閉鎖されたばかりだった。その際、このヒュッテは風呂に入れる小屋のようだったので、ここに泊まるつもりでいた。しかし、着いたら、閉鎖(というよりも「休業」となっていたが)だったため、雲取山荘に泊まることになった。ヒュッテで風呂に入れるのだから、山荘でも同じだろうと、着くやいなや、「風呂に入れますか?」と聞いたら、ご主人の新井さんに、「山で風呂に入るなんて甘い」とたしなめられたことを覚えている。その頃、山歩きも日帰りばかりで、唯一の小屋泊まりの経験は尾瀬の長蔵小屋だった。そのため、山小屋でも場所によっては、風呂に入れるといった錯覚を持っていた。木々の間から雲取山がようやく見えてきたが、かなり高く見える。ウンザリする。

 雲取山荘11時46分。疲れた。本音のところ、泊まりの着替えを持ってきていたら泊まりたいぐらいだった。ここまで4時間少々。昭文社版よりも幾分早いのだが、数字の問題ではない。帰りの体力を考慮すると、かなり限界に近づいている。しばらく休む。小屋に人の気配はなかったが、オッサンが出て来て、すぐに戻った。ようやく人に会った。これからラスト、雲取山に向かう。足が上がらない。確かに積雪20cmクラスだろうが、風が強い。粉雪の表面が飛ばされ、顔が冷たくなってくる。ジクザグに登りながら、時計の高度計を絶えず気にしている。あと20m、あと10m。ようやく雲取山頂。12時20分。広がる眺望。富士山がすっきりと見える。飛龍山に続くクネクネした尾根。ゴジラの背中といった譬えが納得できる。山頂にはオッサンが2人。しきりにカメラのシャッターを切っている。お仲間かなと思ったが、そうではないらしい。同じような行動をとりながら、会話がない。写真を撮ろうとしても、どっちかが常に視界のじゃまになる。それ程、派手に動き回っている。富士山をバックにした写真をセルフで撮ろうとしたが、おもちゃのようなミニ三脚では風で飛ばされてしまう。2人はいずれも頼みやすいタイプではない。失礼ながら、何というか、自分のことしか考えないような感じ。写真を撮り終わったら、1人はさっさと避難小屋の方に向かって行った。鴨沢往復だろう。そうしているうちに、どこからか現れた夫婦者に、「撮ってくれ」と頼まれ、ついでにこちらも撮ってもらった。しばらくは山頂にいたかったが、寒くて、食事もできそうにもない。さぞ寒いのかと思って温度計を見ると、せいぜい5℃。体感がかなり低くなっている。さっさと下山することにした。

 雲取山荘前のベンチでカップラーメンとパンを食べる。お湯はかろうじてラーメンを作る程度の熱さは残っていたが、少し固め。あの夫婦者が下りてきた。先行していたのは、やはりあの2人だったのか。ダンナが12本爪を履いている。山頂ではしばらくどこを探索していたのだろう。地図を広げる。霧藻ヶ峰に4時には着いていたい。そこから先は、ライトになったとしても大丈夫だ。問題は白岩山への上り。大ダワからずっと続く。まっ、何とかなるだろうと、1時出発。大ダワで2人をとらえ、先に行く。暑いのか上着を脱いでいる。そのうち、こっちも暑くなり、着替えをしているところを抜かれた。2人がさっさと行ってくれれば、こっちも気楽で助かる。視界に入っている限り、どうも落ち着かない。山荘に向かう人と行き交うようになった。多いグループで16人。都合40人以上と出会う。雪道だから、その都度待っていないといけない。16人グループはダラダラと続いて来る。正直なところ迷惑。三峯から40人だとすれば、鴨沢からはもっと多いのではないか。今夜はさぞ、にぎやかなクリスマス会で盛り上がるだろう。しばらく、ゆっくり歩く。夫婦者と距離をとりたい。ようやく視界から消えた。

 芋ノ木ドッケ14時。夫婦者が休んでいた。かなり疲れた顔をしている。この状態なら、先行した方がいいだろう。距離を保ち、散々に休みながら来たから、ここでは休まない。素通り。白岩山への本番の上りはやはりきつい。白岩山14時10分。4人組が休んでいた。出がけにいっしょだった群馬ナンバーの4人組は彼らだろうか。これまで、4人組とはすれ違っていない。しかしゆっくりした歩きだ。途中で、鍋でもやっていたのだろうか。連中もシャンペン組だったのか。白岩小屋でも3人程休んでいる。オレのアイゼンを見て、不安な顔をしている青年がいたが、あれば不自由しない程度であって、こんなに人が入っていれば、別になくても大丈夫ではないか。「アイゼン無いと、やばいっすかね?」と聞かれると思ったが、聞かれなかった。

 白岩山への登り返しが終わると、気分的に楽になる。しかし、このルートの距離は片道10.7kmもあるのだが、ところどころにある標識を見る限り、終点まではまだ半分以上も残っている。ようやく半分を超えたお清平でしばらく休む。アイゼンとスパッツを外す。アイゼンはザックに括りつける。親子の鹿が現れ、警戒している。霧藻ヶ峰15時23分。目標が4時だったから、ほっとした。後は地蔵峠への登り返しだけだが、10mもないはず。煙の匂いが漂っているのに気づくと同時に、売店のご主人が顔を出した。「まだ、来るかい?」と聞かれたので、2人は来ると思うと伝えた。来たとしても、寄って、何かを買うとは思えないから、店はもう閉めた方がいいんじゃないですか、と言いたかったが、別の安全上の問題もあるだろうから、余計なことは言わなかった。

 地蔵峠を通過し、駐車場に着いたのは16時20分。結局、休憩を入れて行きは5時間弱、帰りは3時間半弱といったところだった。長かった。杖はとうとう使わなかった。もう薄暗い。汗で身体が冷えている。頭痛もし始めた。ちゃっかりと、登山道入口の鳥居にタオル付き500円の神の湯風呂の案内があったので、着替えを持って、神社に向かったが、風呂は遠く、宿泊施設の中にあるもので、フロントは宿泊客で混んでいた。うんざりして、風呂には入らずにそのまま車に戻った。駐車場から10分は歩いた。風呂に入っても、湯冷めして、さらに体調を悪化させてはどうしようもない。もう、まっすぐに帰ることにした。以前、両神山の帰り、小鹿野町の酒屋で秩父ワインを買った。それがおいしくて、一人でいっぺんに2本開けてしまった。せっかくだからと、秩父市内の道の駅でワインを2本買って帰った。

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1 コメント

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体調 (俺だ)
2008-12-23 17:38:25
はどうだ?過労からきてるんだろうな。ところで、「トイレのカレンダー」だが、一両日中に届けておく。何本あればいいか連絡してくれ。

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