◎2021年12月18日(土)
道の駅つる(8:40)……池の山コース登山口(8:55)……池ノ山(9:33)……天狗岩(10:10~10:15)……九鬼山(10:30~10:50)……札金峠(11:23)……休憩(12;00~12:12)……馬立山(12:19)……沢井沢ノ頭(12:33)……御前山(12:53~13:11)……舗道(13:37)……大月駅(14:05 14:17)──禾生駅(14:28)……道の駅つる(14:46)
大月、都留方面の18日は強風で寒いものの、終日晴れの予報が出ていた。寒いなら翌日に回せばよかったろうが、晴れの保証はない。悪条件を承知の上で行った。上空が荒れている方が富士山もすっきり見えるかもしれない。予想通りに、道の駅つるで車から出ると冷たい強い風が吹きすさんでいて、気温も2℃だった。青空が広がっていることだけが救われる。
(今回も道の駅つるからの出発)
(登山口に向かう住宅地の高台から。ここに住んでいる方は幸せだ)
(池ノ山コースは右。川を渉る)
九鬼山には、禾生駅側から登る人が多いようだが、田野倉駅寄りの池ノ山を通るコースを歩いてみることにした。特に理由はない。結果としてはそれで良かったのかもしれない。天狗岩までの間に2か所、開けた富士山スポットがあったからだ。もっとも、禾生駅からのコース情報は知らないし、そちらにも展望スポットはあるかもしれない。
これでいいのだろうかと、半信半疑に民家を抜けて山の方に向かうと、川沿いに標識が置かれ、直進は「札金沢コース」、右手は川を渉って「池ノ山コース」とあった。川とはいっても水量は少なく、難なく渉れた。話は戻るが、このコース分岐の手前に広めの駐車場があり、車は一台もなかったが、九鬼山だけに行くには都合の良い駐車地だろう。
(地味に急ではある。写真では表現できないが、強い冷たい風が流れている)
クネクネ道が続いていた。薄暗い杉林を抜けると強風にあおられ、木の葉が踊っている。特に急なわけでもないが、すぐに息切れし、ストックを一本出し、救心を2錠飲む。救心はたまに服用することがある。山歩きの動悸、息切れには効果があるらしく、現に、しばらく経つと楽になった。ブログには出してはいないが、菅峰以来の久しぶりの山行ではない。その後に4回ほど出かけている。12日の日曜日は赤城山に霧氷見物が目的で行ったが、黒檜の山頂こそ積雪はあったものの、気温が高くて霧氷が付く状態ではなく、泥んこの歩きになってしまった。それはともかく、救心頼りの歩きでは、もうきつい歩きはできなくなっている。
あちこちに霜柱を見かける。歩くとザクザクと音を立てる。上りはともかく、下りでは凍結に要注意だ。天気予報では、昨日は雪マークになっていたから、念のためチェーンスパイクだけは持参した。結果は、コース上で雪を見ることはなかった。
(登山道の最初の展望地から)
(なおも登って。ここは乾燥した落葉が乱舞していた)
(次の展望地から)
(アップで。左の雪煙は最後まで消えなかった)
尾根に出た。傾斜は緩い。右手の樹間から富士山がチラチラと見える。無理に写真に撮ろうと、いくらかマシに写りそうなところを探したが、そんな必要はなかった。ポッカリと開けた展望地が先にあった。都留市の街並みが入ったなかなかの富士山だ。高速とリニアの線路も入り込む。高度感はあまりないが、例えば、年賀状に入れる富士山を撮影する程度なら、このスポットで十分かと思う。
先に行く。5分ほど歩くとまた好展望地。5分程度ではたかが知れたものだが、少しは高度が上がった分、気分的には高いところから眺めているといった感じになる。自分には、こちらの眺めが良かった。澄み渡った青空に浮かぶ富士山を見ながら気になったのが左の雪煙。富士山には強風が吹き荒れているようだ。
(池ノ山。平らな中継地)
(先に行くと九鬼山が見えてくる)
(これがずっと続いて、風がなければ良いハイキングだ)
平らなピークに出た。三角点標石が置かれている。ここが637.6m標高の池ノ山かと思う。展望はないが周囲の葉が落ちているせいか明るいところだ。ここから逆光ながら九鬼山らしき山が初めて正面に見えた。標高差は330mほどになる。歩き出しから一時間近い。先を考えるとちょっとうんざりする。
風は相変わらず冷たく、立ち休みをすると寒い。周囲は雑然とした葉が落ちた雑木が続き、陽があたるから、歩き続けている限りは汗すら出てくる。
(ここで禾生駅方面からのコースが入り込む。ここに登ってくるハイカーには出会わなかった)
(コース合流点からの富士山。禾生駅からは、あれを眺めながら登れたのかもしれない)
右からコースが入り込む。地図を見ると、禾生駅、愛宕神社の方から登るコースのようだ。標識には、自分が登って来た方向に「田子倉駅」、右コースは「禾生駅」とあり、コース名としては「愛宕神社コース」となっている。ここからも富士山は見えるが、高い枝ですっきりしない。細い木を2本切るだけですっきりするとは思うが。後で雪田爺さんのブログを改めて確認したが、師はこの愛宕神社コースで登られたようだ。その先は、基本的には同じだ。
(ヒノキ林の中の歩きに入る)
(つい構えてしまう)
(確かに急だ)
(急坂登山道にはガードがあった。下にはなかったから、おそらく、下りハイカー向けかと思う)
ここまで明るい中の歩きが出来たのに、この先からヒノキ林に入り込み、薄暗くなってくる。そして、傾斜もきつくなる。汗をかいた身体はひんやりする。上から青年が走り下って来た。トレランだろう。ザックも小さい。本日初の出会い人。実は、後でYAMAP記事で知ったことだが、自分よりも少し先を歩いている二人連れがいたらしい。
急になった。「これより急坂 要注意」と記された看板が置かれている。確かにしんどい。ストックをもう一本出したが、二段式の一段が空回りしてバカになっているので使い物にならない。一本で行くしかない。
そのうちに急坂は直進の「急坂登山道」と「新登山道」に分かれる。急坂を選択したつもりでいたが、途中で新登山道を歩いていることに気づいた。というのは、急坂の方はまさに直登で、新はクネクネなのだが、その急坂の方はトレースというか歩く人があまりいないのか、踏み跡らしきものも見えていず、ただの窪み状になっていた。これでは分岐標識も意味がない。最後には、その新の方はトラロープでふさがれていた。さっきのトレランの青年、ここを走って下ったのだろうが、よくやるわと思う。
(ほっとしたところで)
(天狗岩に寄ってみる)
(天狗岩から。少なくとも九鬼山からの富嶽の眺めよりは良かった。視界が広い)
(ちょっと左に寄せて)
(肝心の天狗岩はこれ)
ようやく急坂は終わったようだ。傾斜も緩くなり、部分的に平らなところも出てくる。上から二人連れが下りて来た。そして「眺めよし 天狗岩→」の標識が目に入った。せっかくだし道外れをして行ってみる。ほどなく右手に富士山が見えた。さっきよりもかなり高度が上がっているのがわかる。あの急坂を登ったわけだから、そりゃそうだろう。しばらく眺めては写真を撮り、先に行こうとすると、5mも歩かずに天狗岩に着いた。名前のイメージは険しい岩だが、何ということもない高さ1mにも満たない平たい岩。とはいっても、登るとちょっと恐い。両手をついて後ずさった。
(まだ登る)
(ようやく稜線に出た)
(出たところで)
(冨士見平とあった)
登山道に復帰。また傾斜が増したが、ふと見上げると、ようやく左右に続く稜線が見えた。あれに乗って、左に行けば九鬼山山頂だろう。ほっとする。救心の効果もすでに切れていた。補充するつもりはない。救心依存症にはなりたくない。
数人のハイカーが歩いていた。その中に元気な5人のネエちゃんグループがいた。彼女たちとは、この先で御前山までずっと一緒になった。一緒とはいっても一緒に歩いたわけではない。コンニチワくらいの挨拶はしたが、こちらの方が離れて後ろを歩く形だ。接近すると変に思われかねない。歩くペースも自分に近かったし。
合流ポイントには「富士見平」の標識があった。ここでハイカーが増えたということは、多くの方が杉山新道から登って来たように思える。新道側を見ると、木立ちの間から富士山が顔を出している。ここは日陰になっていて寒い。平らな道を行くと九鬼山の山頂に着いた。
(九鬼山山頂。ここで三角点標石を入れて撮るものだろうが、三角点峰とは意識もしなかったから気づきもしなかった)
(そして九鬼山からの富嶽。視野は狭い)
(アップで)
(やはりこれくらいか。残念ながら、九鬼山が富嶽十二景の山とはいっても、このアングルでしか撮れない。なんだかなぁ)
山頂にはネエちゃんグループを加えて9人ほどいた。最初、どこに富士山が見えるのかいぶかしんだ。開けている方に富士山は見えない。それもそのはず。そちらは北だ。南に見えないとおかしい。山頂は狭い。まさかと思って振り向いた。「まさか」としたのは、そちら側は富士見平から樹木が続いていたからだ。そのまさかに富士山が浮かんでいた。見方によっては不自然でもある。見える部分だけ、周囲よりも樹木の高さが低くなっている。まぁそれはそれでいい。適度に伐採したから富嶽になったわけだろうし、余分な物が入らないすっきりした富士山だ。雪田爺さんの言葉をお借りすれば、大月富嶽十二景の九鬼山はこれでコンプリート。残るは御前山と岩殿山。
(これから行く先にこんな標識もあった。御前山に行きたいのに、これではわからない。道は一本しか気づかなかったから、これでいいのだろうけど)
(見るからにストンと下っている気配だ)
ネエちゃんたちは何をしに来たの? と聞きたくなるほどに富士山には関心がないようで、すでにオレが到着する前に見ていたのかもしれないが、富士山を眺めている姿を見ることはなかった。むしろ山名板を背景にスマホで撮りあい、最後はその辺に座っていたジイさんを使って5人まとめての写真を撮り、さっさと御前山方面に下って行った。ただ、そちら方面への標識は「朝日小沢方面」となっていて、道は戻る以外にそれしかない。
山頂に3人が残った。菓子パンを食べ、風が強いことをよい理由にアイコスを一服つけたが、陽もあたらずに寒く、ブルブルしながらタバコをゆっくり吸っているわけにもいかず、最後まで吸いきれずに立ち上がった。それでも20分は休憩したか。三角点標石は確認し忘れた。視界にはあったろうが。
この先は陽があたり、11時半頃になると風も止み(というか、北側なのに風はあたらない)、途中で厚手のジャケットを脱ぐ始末だった。
(やはり際限なく下る)
(こんなのがあったが、だれか向きを変えたのか。ただ、馬立山と下山の同居が意味不明)
(まだまだ下る)
(平らな平地に出た)
(鉄塔らしきものが二基)
(広場から富士山。まぁ、これもグッド)
どんどん下る。こちらから登ってくる方も何人かいる。半端ではない長い下り。危うそうなところには手添えのロープが巡らされている。ここが鞍部かと思ってもまだ先には下りがあった。御前山そのものは九鬼山よりも300m低いが、これでは登り返しがつらいだろう。実際、そうだった。その間、立ったままで食事中のネエちゃんたちを追い越した。
「馬立山 下山 ←」と記された意味不明な標識を見かけ、下り切ったつもりの平地は開けていて鉄塔のようなものが二基あった。電線はついていないので送電鉄塔の残骸だろうか。大方、送電鉄塔は伐採して開けた方に送電線が走っているものだし。ここからも富士山は見えるが、そろそろ逆光位置になりかけている。
(ここは猿橋駅方面だろう。御前山記載の標識はない)
(最低鞍部。札金峠だろう。標識には気づかなかった)
(延々と下った後だから、登りは応える)
(オバチャングループが先に見えた)
平坦道が続けば、だれしもそろそろ馬立山への登りになると思うもの。さにあらず。まだ下る。分岐があった。左に日野倉駅。直進は猿橋駅とある。ここは猿橋駅方面だろう。ここでオッサンに抜かれる。そしてようやく最低鞍部の札金峠に着く。九鬼山から350mも下っていた。最低鞍部とわかったのは、目の前にヒノキ林の中の上り坂が待ち構えていたからだ。
ここからきつくなる。御前山まで登り下りを繰り返す。ヒノキ林はすぐに消えたものの、一旦平らになって登り。抜かれたオッサンの姿はすでになく、代わりにオバちゃん4人組。そしてその先を引率らしきオッチャンがいる。抜くまい、抜くまいと距離を離して歩いたが気づかれ、先行する羽目になった。こうなると、いくら鈍足のオバちゃん連中とて後ろにいること自体がプレッシャーだ。下って来る方に聞いた。ここから御前山までどれくらいでしょうか。一時間くらいとのこと。くたびれた身体には一時間はつらい。
(登りきって)
(またストーンと下る)
小ピークに出た。リーダー格のオッチャンがオバちゃん達が上がって来るのを待ちがてら休んでいた。御前山に行くのかと聞くときょとんとしてご返答なし。どうも聞き方が悪かったのか、唐突の質問で瞬時、自分らの行く山の名を忘れたのかは知らない。大月駅に出るのか猿橋駅に出るのか改めて聞くと大月駅とのこと。これでやっぱりと納得。というのは、オッチャンの言葉に栃木なまりがあり、栃木なら群馬同様に車で来ているはず。となると、道の駅つるも含めて、大月駅側に車を置いているだろう。少なくとも、猿橋駅に下るなら、電車利用で東京、神奈川方面ということになる。自分の偏見にも近い一方的な見方だが。栃木ではなく茨城だったら失礼。
(繰り返しの登りにうんざり)
(登ったところでこの標識を見て、ここが馬立山かと思って休んだ)
(九鬼山)
(腰掛けているところで、通り過ぎるネエちゃんたちをパチリ)
先行して平坦な道を行くと、このままで済みそうもなく、正面にでーんと構えた山が見えた。おそらくあれが馬立山か。やはり下って登り上げ。そのピークがてっきり馬立山かと思った。山名の入りの標識もあった。倒木に腰掛けて休憩。菓子パンとアイコス。田野倉駅からここに直登するコースもあるようで、そちらから何人か登って来て立ち休みをしている。振り返ると九鬼山が見える。かなり下って登り返してここまで来たことは一目瞭然。そんなことを思いながらのんびりしている間に、オバちゃんグループとネエちゃんグループが休みもせずに先に通り過ぎて行った。何だかおかしな気配だなと標識を改めて見ると、その標識は矢印型になっていて、馬立山はまだ先。がっくりして立ち上がって歩き出す。かなり足と腰が重くなっている。よっこらしょだった。道の駅からまだ3時間少々なのに、今日はえらく長く感じる。もうダメだなこりゃ。このまま田野倉駅に下りちゃおうかといった誘惑も芽生える。耐える。
(馬立山山頂。御前山はまだ先)
(そして沢井沢ノ頭)
馬立山にはだれもいなかった。ここから富士山は見えもしない。ただのピーク。こちらも素通り。ここでようやく「御前山」の標識が現れた。
また下る。ネエちゃん達も先を下っている。付かず離れず。トラバース歩きになり、ロープが設えられている。どうも、ネエちゃんグループの中に苦手な方がいるようで、かなり遅い。こちらも立ち止まって、50m後ろから通過し終わるのを待っている。また登りになって沢井沢ノ頭。ここにもだれもいない。九鬼山はかなり遠くなった。
さて、そろそろ御前山も見えているようだが、木立が続いていて、どうも特定できないが、岩山っぽいのが続いている。おそらくは右端かと思う。ここよりも標高は低そうだが、また下っての登り返しであることは間違いない。
(菊花山分岐)
(また登り。何も感じなくなりつつある)
(まさかの岩峰。右にしっかりとトラバース道)
(ごちゃごちゃしているがトラバース道)
(振り返る。直登して下るのは無理ではない様子だが、冷や汗はかくだろうな)
次第に岩がちになった。ロープに手をかけながらの下り。そして鞍部。左に「菊花山」、右に「御前山」の標識。予定では、御前山からここに戻って菊花山経由で大月駅に出るつもりでいるが、御前山そのものがもうどうでもいい気分。
鞍部からまた登りになり、オバちゃんグループを再び抜く。先方もかなりまいっている様子だ。登りきれば御前山と思ったのは甘く、小ピークの正面には岩峰が並んでいた。どうも奥が御前山らしいが、手前の岩峰を越えなきゃいけないのか。がくっとなったが、まさかねぇ。大月富嶽十二景で険しい修験道の道を歩かせるわけはない。やはり、岩峰の裾の右にトラバース道が通っていた。
ここは慎重だ。足を踏み外して右に転落したらかなり落ちそうだ。岩場にはなっていないから、骨折だけで済みそうではある。ただ、樹も疎らな斜面で、樹に引っかからないと、かなり下まで流される。携帯がつながるかは確認もしていないが、ヘタをすれば救助要請はできまい。
(御前山下の鞍部)
(御前山のようだ)
ようやく御前山の真下に来た。標識を見ると、ここから菊花山を経由せずに大月駅に行くコースもあって、帰路は登り作業がなくて済みそうなここを下ることにしよう。名前のある菊花山がどんな山なのか興味もあるが、そんな体力はなく、とにかくは目の前の御前山だ。それでなくとも、さっさと下りたい邪念を排してここまでやって来た。余裕があればラストの岩殿山なんてのはとんでもない話で、ここまで至って真上の御前山に改めて登りに来るわけにもいかない。
(御前山から富嶽。雪煙がたなびいて雲に合流しているようだ)
(ここでもアップで)
(あまり好みではないがどアップで)
(やはり、これが無難だ)
(松と岩を入れてみた)
(山頂の岩)
(遅ればせながらの大月富嶽の山名板)
やはり御前山は岩山だった。岩とはいっても角のない岩が山頂にへばりついた感じだ。ここからの富士山は、九鬼山からのそれよりも遠くはなっているものの自分には素晴らしく感じる。左の雪煙は相変わらず停滞している。角度を変えていろいろ眺めては撮った。どうも松を入れた方が良いかもしれないなどと考えながら。
そんなことをやっていると、岩の向こう側に人がいるのに気づいた。二人連れ。前からいたのだろう。ちょうど下山するところで、挨拶だけはした。これが時間的には近い、前述のYAMAP記事掲載の方々のようで、記事にはその後に菊花山経由で大月駅に下られている。
ところで、オバちゃん達は抜いたからいいが、ネエちゃん達はどうしたのだろう。もうとっくに御前山は終えて下っているのか、もしくは菊花山にでも行ったのか。いずれかだろうが、どちらでもなかった。御前山から下った鞍部でおしゃべりをしていて、これから御前山に登るところだった。どこをどう歩いたのだろう。菊花山を先行したとすれば早過ぎる。
(大月駅に下る)
(厄王山神社の奥の院。巨大な岩だった。この周辺の山塊の岩は尖っていず、角が丸い。風化かと思うが)
(短い区間だが、急坂下り)
(鳥居があった)
(そして合目標石)
(また鳥居。もう車道だか林道に出た。下りはあっという間だ)
まぁどうでもいいかと、まよわずに鞍部から大月駅に下る。岩場が切れるところに大きな岩が見え、その下にコンクリートで造られた「厄王山」のプレートをはめ込んだ神社があった。その時はあまり気にも留めなかったが、急な坂を下って行くと、赤い鳥居を見かけ、先には厄王山の合目標石を見かけた。後で調べると、大月市内に厄王山神社があり、山腹の神社は奥の院らしい。
(菊花山にはここからでも登れるようだ。その気はないが)
(ほどなく国道に出る)
(振り返って。ここが厄王山、御前山の入口になる)
急坂が緩くなり、鳥居をもう一つくぐると舗装道に出た。林道かどうかは知らない。その先の左に菊花山登山口。山と高原地図を見ると、菊花山からの破線路になっている。やがて国道20号線に出た。駒橋というところらしい。ここから富士急の大月駅に向かう。マスクを着用。
ここでおかしなことが気になり出した。雪田爺さん記事にもあったが電車のこと。つまらぬことだが、乗車する時に恥をかかねばいいがということ。実は、電車に乗るのは丸2年ぶりなのだ。それまで、高校生になって以来、通学、通勤と何十年も気動車、電車には乗っていた。丸2年のブランクは東京に用事がなかったこともさることながら、コロナの関係もあって、密室のバスや電車利用は避けていたこともある。今は、さながらお上りさんと同じ立場だ。
(岩殿山かと思う。これを見ると、登山意欲はなくなってしまう)
(大月駅)
(隣接して、こちらが富士急大月駅。写真撮りしている人がいるから有名な特急なのだろう)
(何となくあやふやな駅の入口。このまま入っていいものかためらってしまう)
富士急の大月駅はJRの大月駅に隣接していた。JRの大月駅で、定期は無効のままながらもそのままスイカとして使用している。念のため千円をチャージしたら、5千円の残高になっていて、チャージする必要もなく損をした。富士急駅はどうも改札口がはっきりせず、駅員さんにスイカなんですがと聞く始末。そこにタッチしてくれと言われ、「そこ」がわからずにまた聞いた。河口湖行きの電車がホームに止まっていた。これに乗っていいものかわからず、今度はホームにいた運転士さんに聞いた。これは後でわかったことだが、富士急の始発は大月で、河口湖行きに乗るしかなかったのだ。おそらく、変なことを聞く人だなと思われたろう。道の駅つるまで行くには田野倉駅でも禾生駅でもいずれでも構わないのだが、久しぶりに乗った電車。少しは長く乗りたいと禾生駅まで乗った。禾生駅は無人駅のようだった。
(禾生駅から感だけで歩いている)
(寒々とした川)
(道の駅に到着)
(かき揚げそばを頼んだら、3分もせずにぬるめのそばが出てきた。駅そば以下かも。今は電車通勤もしていないから、駅そばの相場料金は知らないが、これで600円とは、高速のパーキング並みかと思った。量は決して多くはなく、むしろ軽量で居眠りもせずに帰れた)
方向感覚はさしてないが、何となく歩いていると20分ほどで道の駅が見えた。また風が出てきて、脱いでいたジャケットを羽織る。道の駅に着くと寒く、滅多にこういうことはしないが、暖かいものを食べたくて、手頃なかき揚げそばをすすった。
(今回の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
道の駅つる(8:40)……池の山コース登山口(8:55)……池ノ山(9:33)……天狗岩(10:10~10:15)……九鬼山(10:30~10:50)……札金峠(11:23)……休憩(12;00~12:12)……馬立山(12:19)……沢井沢ノ頭(12:33)……御前山(12:53~13:11)……舗道(13:37)……大月駅(14:05 14:17)──禾生駅(14:28)……道の駅つる(14:46)
大月、都留方面の18日は強風で寒いものの、終日晴れの予報が出ていた。寒いなら翌日に回せばよかったろうが、晴れの保証はない。悪条件を承知の上で行った。上空が荒れている方が富士山もすっきり見えるかもしれない。予想通りに、道の駅つるで車から出ると冷たい強い風が吹きすさんでいて、気温も2℃だった。青空が広がっていることだけが救われる。
(今回も道の駅つるからの出発)
(登山口に向かう住宅地の高台から。ここに住んでいる方は幸せだ)
(池ノ山コースは右。川を渉る)
九鬼山には、禾生駅側から登る人が多いようだが、田野倉駅寄りの池ノ山を通るコースを歩いてみることにした。特に理由はない。結果としてはそれで良かったのかもしれない。天狗岩までの間に2か所、開けた富士山スポットがあったからだ。もっとも、禾生駅からのコース情報は知らないし、そちらにも展望スポットはあるかもしれない。
これでいいのだろうかと、半信半疑に民家を抜けて山の方に向かうと、川沿いに標識が置かれ、直進は「札金沢コース」、右手は川を渉って「池ノ山コース」とあった。川とはいっても水量は少なく、難なく渉れた。話は戻るが、このコース分岐の手前に広めの駐車場があり、車は一台もなかったが、九鬼山だけに行くには都合の良い駐車地だろう。
(地味に急ではある。写真では表現できないが、強い冷たい風が流れている)
クネクネ道が続いていた。薄暗い杉林を抜けると強風にあおられ、木の葉が踊っている。特に急なわけでもないが、すぐに息切れし、ストックを一本出し、救心を2錠飲む。救心はたまに服用することがある。山歩きの動悸、息切れには効果があるらしく、現に、しばらく経つと楽になった。ブログには出してはいないが、菅峰以来の久しぶりの山行ではない。その後に4回ほど出かけている。12日の日曜日は赤城山に霧氷見物が目的で行ったが、黒檜の山頂こそ積雪はあったものの、気温が高くて霧氷が付く状態ではなく、泥んこの歩きになってしまった。それはともかく、救心頼りの歩きでは、もうきつい歩きはできなくなっている。
あちこちに霜柱を見かける。歩くとザクザクと音を立てる。上りはともかく、下りでは凍結に要注意だ。天気予報では、昨日は雪マークになっていたから、念のためチェーンスパイクだけは持参した。結果は、コース上で雪を見ることはなかった。
(登山道の最初の展望地から)
(なおも登って。ここは乾燥した落葉が乱舞していた)
(次の展望地から)
(アップで。左の雪煙は最後まで消えなかった)
尾根に出た。傾斜は緩い。右手の樹間から富士山がチラチラと見える。無理に写真に撮ろうと、いくらかマシに写りそうなところを探したが、そんな必要はなかった。ポッカリと開けた展望地が先にあった。都留市の街並みが入ったなかなかの富士山だ。高速とリニアの線路も入り込む。高度感はあまりないが、例えば、年賀状に入れる富士山を撮影する程度なら、このスポットで十分かと思う。
先に行く。5分ほど歩くとまた好展望地。5分程度ではたかが知れたものだが、少しは高度が上がった分、気分的には高いところから眺めているといった感じになる。自分には、こちらの眺めが良かった。澄み渡った青空に浮かぶ富士山を見ながら気になったのが左の雪煙。富士山には強風が吹き荒れているようだ。
(池ノ山。平らな中継地)
(先に行くと九鬼山が見えてくる)
(これがずっと続いて、風がなければ良いハイキングだ)
平らなピークに出た。三角点標石が置かれている。ここが637.6m標高の池ノ山かと思う。展望はないが周囲の葉が落ちているせいか明るいところだ。ここから逆光ながら九鬼山らしき山が初めて正面に見えた。標高差は330mほどになる。歩き出しから一時間近い。先を考えるとちょっとうんざりする。
風は相変わらず冷たく、立ち休みをすると寒い。周囲は雑然とした葉が落ちた雑木が続き、陽があたるから、歩き続けている限りは汗すら出てくる。
(ここで禾生駅方面からのコースが入り込む。ここに登ってくるハイカーには出会わなかった)
(コース合流点からの富士山。禾生駅からは、あれを眺めながら登れたのかもしれない)
右からコースが入り込む。地図を見ると、禾生駅、愛宕神社の方から登るコースのようだ。標識には、自分が登って来た方向に「田子倉駅」、右コースは「禾生駅」とあり、コース名としては「愛宕神社コース」となっている。ここからも富士山は見えるが、高い枝ですっきりしない。細い木を2本切るだけですっきりするとは思うが。後で雪田爺さんのブログを改めて確認したが、師はこの愛宕神社コースで登られたようだ。その先は、基本的には同じだ。
(ヒノキ林の中の歩きに入る)
(つい構えてしまう)
(確かに急だ)
(急坂登山道にはガードがあった。下にはなかったから、おそらく、下りハイカー向けかと思う)
ここまで明るい中の歩きが出来たのに、この先からヒノキ林に入り込み、薄暗くなってくる。そして、傾斜もきつくなる。汗をかいた身体はひんやりする。上から青年が走り下って来た。トレランだろう。ザックも小さい。本日初の出会い人。実は、後でYAMAP記事で知ったことだが、自分よりも少し先を歩いている二人連れがいたらしい。
急になった。「これより急坂 要注意」と記された看板が置かれている。確かにしんどい。ストックをもう一本出したが、二段式の一段が空回りしてバカになっているので使い物にならない。一本で行くしかない。
そのうちに急坂は直進の「急坂登山道」と「新登山道」に分かれる。急坂を選択したつもりでいたが、途中で新登山道を歩いていることに気づいた。というのは、急坂の方はまさに直登で、新はクネクネなのだが、その急坂の方はトレースというか歩く人があまりいないのか、踏み跡らしきものも見えていず、ただの窪み状になっていた。これでは分岐標識も意味がない。最後には、その新の方はトラロープでふさがれていた。さっきのトレランの青年、ここを走って下ったのだろうが、よくやるわと思う。
(ほっとしたところで)
(天狗岩に寄ってみる)
(天狗岩から。少なくとも九鬼山からの富嶽の眺めよりは良かった。視界が広い)
(ちょっと左に寄せて)
(肝心の天狗岩はこれ)
ようやく急坂は終わったようだ。傾斜も緩くなり、部分的に平らなところも出てくる。上から二人連れが下りて来た。そして「眺めよし 天狗岩→」の標識が目に入った。せっかくだし道外れをして行ってみる。ほどなく右手に富士山が見えた。さっきよりもかなり高度が上がっているのがわかる。あの急坂を登ったわけだから、そりゃそうだろう。しばらく眺めては写真を撮り、先に行こうとすると、5mも歩かずに天狗岩に着いた。名前のイメージは険しい岩だが、何ということもない高さ1mにも満たない平たい岩。とはいっても、登るとちょっと恐い。両手をついて後ずさった。
(まだ登る)
(ようやく稜線に出た)
(出たところで)
(冨士見平とあった)
登山道に復帰。また傾斜が増したが、ふと見上げると、ようやく左右に続く稜線が見えた。あれに乗って、左に行けば九鬼山山頂だろう。ほっとする。救心の効果もすでに切れていた。補充するつもりはない。救心依存症にはなりたくない。
数人のハイカーが歩いていた。その中に元気な5人のネエちゃんグループがいた。彼女たちとは、この先で御前山までずっと一緒になった。一緒とはいっても一緒に歩いたわけではない。コンニチワくらいの挨拶はしたが、こちらの方が離れて後ろを歩く形だ。接近すると変に思われかねない。歩くペースも自分に近かったし。
合流ポイントには「富士見平」の標識があった。ここでハイカーが増えたということは、多くの方が杉山新道から登って来たように思える。新道側を見ると、木立ちの間から富士山が顔を出している。ここは日陰になっていて寒い。平らな道を行くと九鬼山の山頂に着いた。
(九鬼山山頂。ここで三角点標石を入れて撮るものだろうが、三角点峰とは意識もしなかったから気づきもしなかった)
(そして九鬼山からの富嶽。視野は狭い)
(アップで)
(やはりこれくらいか。残念ながら、九鬼山が富嶽十二景の山とはいっても、このアングルでしか撮れない。なんだかなぁ)
山頂にはネエちゃんグループを加えて9人ほどいた。最初、どこに富士山が見えるのかいぶかしんだ。開けている方に富士山は見えない。それもそのはず。そちらは北だ。南に見えないとおかしい。山頂は狭い。まさかと思って振り向いた。「まさか」としたのは、そちら側は富士見平から樹木が続いていたからだ。そのまさかに富士山が浮かんでいた。見方によっては不自然でもある。見える部分だけ、周囲よりも樹木の高さが低くなっている。まぁそれはそれでいい。適度に伐採したから富嶽になったわけだろうし、余分な物が入らないすっきりした富士山だ。雪田爺さんの言葉をお借りすれば、大月富嶽十二景の九鬼山はこれでコンプリート。残るは御前山と岩殿山。
(これから行く先にこんな標識もあった。御前山に行きたいのに、これではわからない。道は一本しか気づかなかったから、これでいいのだろうけど)
(見るからにストンと下っている気配だ)
ネエちゃんたちは何をしに来たの? と聞きたくなるほどに富士山には関心がないようで、すでにオレが到着する前に見ていたのかもしれないが、富士山を眺めている姿を見ることはなかった。むしろ山名板を背景にスマホで撮りあい、最後はその辺に座っていたジイさんを使って5人まとめての写真を撮り、さっさと御前山方面に下って行った。ただ、そちら方面への標識は「朝日小沢方面」となっていて、道は戻る以外にそれしかない。
山頂に3人が残った。菓子パンを食べ、風が強いことをよい理由にアイコスを一服つけたが、陽もあたらずに寒く、ブルブルしながらタバコをゆっくり吸っているわけにもいかず、最後まで吸いきれずに立ち上がった。それでも20分は休憩したか。三角点標石は確認し忘れた。視界にはあったろうが。
この先は陽があたり、11時半頃になると風も止み(というか、北側なのに風はあたらない)、途中で厚手のジャケットを脱ぐ始末だった。
(やはり際限なく下る)
(こんなのがあったが、だれか向きを変えたのか。ただ、馬立山と下山の同居が意味不明)
(まだまだ下る)
(平らな平地に出た)
(鉄塔らしきものが二基)
(広場から富士山。まぁ、これもグッド)
どんどん下る。こちらから登ってくる方も何人かいる。半端ではない長い下り。危うそうなところには手添えのロープが巡らされている。ここが鞍部かと思ってもまだ先には下りがあった。御前山そのものは九鬼山よりも300m低いが、これでは登り返しがつらいだろう。実際、そうだった。その間、立ったままで食事中のネエちゃんたちを追い越した。
「馬立山 下山 ←」と記された意味不明な標識を見かけ、下り切ったつもりの平地は開けていて鉄塔のようなものが二基あった。電線はついていないので送電鉄塔の残骸だろうか。大方、送電鉄塔は伐採して開けた方に送電線が走っているものだし。ここからも富士山は見えるが、そろそろ逆光位置になりかけている。
(ここは猿橋駅方面だろう。御前山記載の標識はない)
(最低鞍部。札金峠だろう。標識には気づかなかった)
(延々と下った後だから、登りは応える)
(オバチャングループが先に見えた)
平坦道が続けば、だれしもそろそろ馬立山への登りになると思うもの。さにあらず。まだ下る。分岐があった。左に日野倉駅。直進は猿橋駅とある。ここは猿橋駅方面だろう。ここでオッサンに抜かれる。そしてようやく最低鞍部の札金峠に着く。九鬼山から350mも下っていた。最低鞍部とわかったのは、目の前にヒノキ林の中の上り坂が待ち構えていたからだ。
ここからきつくなる。御前山まで登り下りを繰り返す。ヒノキ林はすぐに消えたものの、一旦平らになって登り。抜かれたオッサンの姿はすでになく、代わりにオバちゃん4人組。そしてその先を引率らしきオッチャンがいる。抜くまい、抜くまいと距離を離して歩いたが気づかれ、先行する羽目になった。こうなると、いくら鈍足のオバちゃん連中とて後ろにいること自体がプレッシャーだ。下って来る方に聞いた。ここから御前山までどれくらいでしょうか。一時間くらいとのこと。くたびれた身体には一時間はつらい。
(登りきって)
(またストーンと下る)
小ピークに出た。リーダー格のオッチャンがオバちゃん達が上がって来るのを待ちがてら休んでいた。御前山に行くのかと聞くときょとんとしてご返答なし。どうも聞き方が悪かったのか、唐突の質問で瞬時、自分らの行く山の名を忘れたのかは知らない。大月駅に出るのか猿橋駅に出るのか改めて聞くと大月駅とのこと。これでやっぱりと納得。というのは、オッチャンの言葉に栃木なまりがあり、栃木なら群馬同様に車で来ているはず。となると、道の駅つるも含めて、大月駅側に車を置いているだろう。少なくとも、猿橋駅に下るなら、電車利用で東京、神奈川方面ということになる。自分の偏見にも近い一方的な見方だが。栃木ではなく茨城だったら失礼。
(繰り返しの登りにうんざり)
(登ったところでこの標識を見て、ここが馬立山かと思って休んだ)
(九鬼山)
(腰掛けているところで、通り過ぎるネエちゃんたちをパチリ)
先行して平坦な道を行くと、このままで済みそうもなく、正面にでーんと構えた山が見えた。おそらくあれが馬立山か。やはり下って登り上げ。そのピークがてっきり馬立山かと思った。山名の入りの標識もあった。倒木に腰掛けて休憩。菓子パンとアイコス。田野倉駅からここに直登するコースもあるようで、そちらから何人か登って来て立ち休みをしている。振り返ると九鬼山が見える。かなり下って登り返してここまで来たことは一目瞭然。そんなことを思いながらのんびりしている間に、オバちゃんグループとネエちゃんグループが休みもせずに先に通り過ぎて行った。何だかおかしな気配だなと標識を改めて見ると、その標識は矢印型になっていて、馬立山はまだ先。がっくりして立ち上がって歩き出す。かなり足と腰が重くなっている。よっこらしょだった。道の駅からまだ3時間少々なのに、今日はえらく長く感じる。もうダメだなこりゃ。このまま田野倉駅に下りちゃおうかといった誘惑も芽生える。耐える。
(馬立山山頂。御前山はまだ先)
(そして沢井沢ノ頭)
馬立山にはだれもいなかった。ここから富士山は見えもしない。ただのピーク。こちらも素通り。ここでようやく「御前山」の標識が現れた。
また下る。ネエちゃん達も先を下っている。付かず離れず。トラバース歩きになり、ロープが設えられている。どうも、ネエちゃんグループの中に苦手な方がいるようで、かなり遅い。こちらも立ち止まって、50m後ろから通過し終わるのを待っている。また登りになって沢井沢ノ頭。ここにもだれもいない。九鬼山はかなり遠くなった。
さて、そろそろ御前山も見えているようだが、木立が続いていて、どうも特定できないが、岩山っぽいのが続いている。おそらくは右端かと思う。ここよりも標高は低そうだが、また下っての登り返しであることは間違いない。
(菊花山分岐)
(また登り。何も感じなくなりつつある)
(まさかの岩峰。右にしっかりとトラバース道)
(ごちゃごちゃしているがトラバース道)
(振り返る。直登して下るのは無理ではない様子だが、冷や汗はかくだろうな)
次第に岩がちになった。ロープに手をかけながらの下り。そして鞍部。左に「菊花山」、右に「御前山」の標識。予定では、御前山からここに戻って菊花山経由で大月駅に出るつもりでいるが、御前山そのものがもうどうでもいい気分。
鞍部からまた登りになり、オバちゃんグループを再び抜く。先方もかなりまいっている様子だ。登りきれば御前山と思ったのは甘く、小ピークの正面には岩峰が並んでいた。どうも奥が御前山らしいが、手前の岩峰を越えなきゃいけないのか。がくっとなったが、まさかねぇ。大月富嶽十二景で険しい修験道の道を歩かせるわけはない。やはり、岩峰の裾の右にトラバース道が通っていた。
ここは慎重だ。足を踏み外して右に転落したらかなり落ちそうだ。岩場にはなっていないから、骨折だけで済みそうではある。ただ、樹も疎らな斜面で、樹に引っかからないと、かなり下まで流される。携帯がつながるかは確認もしていないが、ヘタをすれば救助要請はできまい。
(御前山下の鞍部)
(御前山のようだ)
ようやく御前山の真下に来た。標識を見ると、ここから菊花山を経由せずに大月駅に行くコースもあって、帰路は登り作業がなくて済みそうなここを下ることにしよう。名前のある菊花山がどんな山なのか興味もあるが、そんな体力はなく、とにかくは目の前の御前山だ。それでなくとも、さっさと下りたい邪念を排してここまでやって来た。余裕があればラストの岩殿山なんてのはとんでもない話で、ここまで至って真上の御前山に改めて登りに来るわけにもいかない。
(御前山から富嶽。雪煙がたなびいて雲に合流しているようだ)
(ここでもアップで)
(あまり好みではないがどアップで)
(やはり、これが無難だ)
(松と岩を入れてみた)
(山頂の岩)
(遅ればせながらの大月富嶽の山名板)
やはり御前山は岩山だった。岩とはいっても角のない岩が山頂にへばりついた感じだ。ここからの富士山は、九鬼山からのそれよりも遠くはなっているものの自分には素晴らしく感じる。左の雪煙は相変わらず停滞している。角度を変えていろいろ眺めては撮った。どうも松を入れた方が良いかもしれないなどと考えながら。
そんなことをやっていると、岩の向こう側に人がいるのに気づいた。二人連れ。前からいたのだろう。ちょうど下山するところで、挨拶だけはした。これが時間的には近い、前述のYAMAP記事掲載の方々のようで、記事にはその後に菊花山経由で大月駅に下られている。
ところで、オバちゃん達は抜いたからいいが、ネエちゃん達はどうしたのだろう。もうとっくに御前山は終えて下っているのか、もしくは菊花山にでも行ったのか。いずれかだろうが、どちらでもなかった。御前山から下った鞍部でおしゃべりをしていて、これから御前山に登るところだった。どこをどう歩いたのだろう。菊花山を先行したとすれば早過ぎる。
(大月駅に下る)
(厄王山神社の奥の院。巨大な岩だった。この周辺の山塊の岩は尖っていず、角が丸い。風化かと思うが)
(短い区間だが、急坂下り)
(鳥居があった)
(そして合目標石)
(また鳥居。もう車道だか林道に出た。下りはあっという間だ)
まぁどうでもいいかと、まよわずに鞍部から大月駅に下る。岩場が切れるところに大きな岩が見え、その下にコンクリートで造られた「厄王山」のプレートをはめ込んだ神社があった。その時はあまり気にも留めなかったが、急な坂を下って行くと、赤い鳥居を見かけ、先には厄王山の合目標石を見かけた。後で調べると、大月市内に厄王山神社があり、山腹の神社は奥の院らしい。
(菊花山にはここからでも登れるようだ。その気はないが)
(ほどなく国道に出る)
(振り返って。ここが厄王山、御前山の入口になる)
急坂が緩くなり、鳥居をもう一つくぐると舗装道に出た。林道かどうかは知らない。その先の左に菊花山登山口。山と高原地図を見ると、菊花山からの破線路になっている。やがて国道20号線に出た。駒橋というところらしい。ここから富士急の大月駅に向かう。マスクを着用。
ここでおかしなことが気になり出した。雪田爺さん記事にもあったが電車のこと。つまらぬことだが、乗車する時に恥をかかねばいいがということ。実は、電車に乗るのは丸2年ぶりなのだ。それまで、高校生になって以来、通学、通勤と何十年も気動車、電車には乗っていた。丸2年のブランクは東京に用事がなかったこともさることながら、コロナの関係もあって、密室のバスや電車利用は避けていたこともある。今は、さながらお上りさんと同じ立場だ。
(岩殿山かと思う。これを見ると、登山意欲はなくなってしまう)
(大月駅)
(隣接して、こちらが富士急大月駅。写真撮りしている人がいるから有名な特急なのだろう)
(何となくあやふやな駅の入口。このまま入っていいものかためらってしまう)
富士急の大月駅はJRの大月駅に隣接していた。JRの大月駅で、定期は無効のままながらもそのままスイカとして使用している。念のため千円をチャージしたら、5千円の残高になっていて、チャージする必要もなく損をした。富士急駅はどうも改札口がはっきりせず、駅員さんにスイカなんですがと聞く始末。そこにタッチしてくれと言われ、「そこ」がわからずにまた聞いた。河口湖行きの電車がホームに止まっていた。これに乗っていいものかわからず、今度はホームにいた運転士さんに聞いた。これは後でわかったことだが、富士急の始発は大月で、河口湖行きに乗るしかなかったのだ。おそらく、変なことを聞く人だなと思われたろう。道の駅つるまで行くには田野倉駅でも禾生駅でもいずれでも構わないのだが、久しぶりに乗った電車。少しは長く乗りたいと禾生駅まで乗った。禾生駅は無人駅のようだった。
(禾生駅から感だけで歩いている)
(寒々とした川)
(道の駅に到着)
(かき揚げそばを頼んだら、3分もせずにぬるめのそばが出てきた。駅そば以下かも。今は電車通勤もしていないから、駅そばの相場料金は知らないが、これで600円とは、高速のパーキング並みかと思った。量は決して多くはなく、むしろ軽量で居眠りもせずに帰れた)
方向感覚はさしてないが、何となく歩いていると20分ほどで道の駅が見えた。また風が出てきて、脱いでいたジャケットを羽織る。道の駅に着くと寒く、滅多にこういうことはしないが、暖かいものを食べたくて、手頃なかき揚げそばをすすった。
(今回の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
「松と岩を入れてみて・・・」 冒頭の写真素晴らしいですね、
コメント欄、復活なのでしょうか?それともアクシデント?
取り敢えず、短くコメントさせていただきました。
コメント欄の入れ込みはアクシデントではありません。意図的なものです。昨年来、大した山歩きはしていませんし、コメント欄がないことも不自然なので、復活させた次第ですが、精鋭なお歩きをされている方々からのコメントを期待しているわけでもありません。
冒頭の写真をお気に入りいただきありがとうございます。左の雲が邪魔なのですが、時間的に仕方がないでしょうね。
九鬼山は、ぶなじろうさんがおっしゃるように、正直のところつまらない山でした。無理に十二景に入れ込んだ感じがしました。
去年のうちに岩殿山に行きたかったのですが、暮れからどうも山歩きの気力が一時的かとは思うのですが、失せていて、富岡アルプスなる低山を歩いただけです。二時間歩きでした。そのレベルでちょうどいいかなと思ったりもしているのですが。いずれにしても、正月うちはどこに出かけるにも混んでいますから、大人しくしていますよ。
私は12/26に富士見に出かけたのですが、その時も左側から来る雲が邪魔で。季節的なものなんでしょうか。
高川山から九鬼山の間、市境を歩こうと考えており、たそがれさんが車を停めた道の駅つるはちょうどいい位置にあるなあと読んでいったのですが、市境歩きにこだわると今回のルートで一番富士山が良く見える御前山をスルーしてしまいますね。大月富嶽十二景の一つだし、馬立山から片道30分であればここは往復しておいた方がよさそうで。
大月富嶽十二景のラストは岩殿山ですか。この山だけを目当てに行くには少し遠いし、かといって縦走するにもちょうどいい距離にはよさげな山もないしでなんとも悩ましい山ですね。私は大月富嶽十二景半分くらい歩いたので、3年後くらいに岩殿山へ行こうと思います。
私もふみふみぃさん同様に、他の方のお歩きブログはあまり読んでおりません。ただ、自分の歩きのふがいなさを自覚するだけの気分になりますから。その点がふみふみぃさんとの違いでしょうかね。
「門戸開放」と言われても、決して、自分のブログは禁断の記事でもないですから、そうかたくなな態度をとるまでもないだろうといった思いへの変化といいますかね。
そうでしたか。常布の滝、夜後沢へのコメント入れですか。確かに、昨年の、自分にとっては思い入れのある歩きでした。常布の滝は2回目にして見られたし、夜後沢に至っては、このままで終わらせたくなく、日が長い時に鹿俣山に出たいと思っております。
富士見の件ですが、実は今日、道志の山に富士見に行くつもりでいましたが、5日から体調のアクシデントが重なって、今、自分の身体ではなくなっている感覚の状態で、山歩きどころではなくなりました。ただ、起き抜けにライブカメラで見た富士山にはやはり富士山日和だったなとがっかりしましたが、今の時間は、消えかけているスポットもあるようで、午後からは隠れてしまいそうで、行きました、見られませんでしたにならずに済みそうです。
岩殿山は数だけ十二景の数だけこなすなら、北側から簡単に行けるようです。やはりついでの山でしょうが、どうせなら桜の時期に行った方がよいみたいですよ。