◎2022年4月8日(金)
※1.道坂トンネル登山口(8:45)……今倉山(9:55~10:08)……御座入山・西峰?(10:26)……西ヶ原(10:40)……赤岩(11:08~11:26)……林道(12:06)……二十六夜山(12:28~13:02)……林道(13:12)……西ヶ原コース入口(13:53)……林道ゲート(13:55)……トンネル前駐車場(14:00)
※2.岩殿山丸山公園(14:55~15:30)
毎朝、リアルタイムで更新する岩殿山丸山公園の桜の開花状況をチェックしていた。桜と富士山のセットを見たかったし、下手なりに写真に収めてにんまりしたかった。以前、河口湖でこれをやろうとして失敗している。富士山の上半分が雲に隠れていた。丸山公園の桜がようやく満開になったと知ると、今度は天気やらこちらの都合で出かけられない。何とか、8日に休暇を取って出かけることにした。花は散り始めているかもしれない。
ただ、岩殿山だけではもったいない。稚児落し経由で周回したとしてもわざわざそれだけで大月まで出かけるのでは時間と高値のガソリン、高速代がもったいない。それ以前に、満開の桜と富士山を合わせて見られれば幸いだが、満開情報から一週間も経っている。満足度が出費気分以上のものであれば、それで十分なのだが、果たしてそううまくはいかない可能性もある。必ずしも天気予報通りにはならないし、霞みや黄砂は天気予報ではチェックもできない。いずれにせよ、今回の目的はあくまでも岩殿山だ。
現地でがっかりしないよう、フォローとして、道志の山でかねて気になっていた菜畑山(読み方は「なばたけうら」とのこと)立ち寄りを考えた。菜畑山も富士山見物の山だ。「菜畑山」というネーミングのやさしさが気に入っていた。岩殿山のことがなければ、ワラビタタキ、赤鞍ヶ岳、菜畑山で周回したいが、岩殿山を加えるとなると、時間的にすでに富士山は霞んで見えませんでしたで終わりそうだ。菜畑山はあきらめるとして、他の道志の山を調べると、菜畑山の西側に、赤岩、二十六夜山というのがあった。ともに富士見スポットとしては抜群のようだ。道坂峠から今倉山を経由して周回するコースだが、下りは長い林道歩きで、林道歩きを一時間とすれば、休憩、昼食込み5時間で何とか回れそうだ。これなら、岩殿山に登るのは無理としても、その下の丸山公園から、桜付きの富士山を見られるのではないだろうか。
結果として、これは甘かった。確かに今倉山、二十六夜山を5時間少々で回りはしたが、富士山のかすみは思いのほか早く、白くなった空に同化してしまい、付録のはずの、たいしたこともない桜見物で終わってしまった。
(トンネルの脇から登る)
(見下ろす。駐車場があり、左の茶色の建物はトイレ)
道坂トンネル入口の都留市側の駐車場には車が3台あった。自分の思い込みの何ものでもないが、トンネルを抜けて道志村に入ると、駐車スペースにはロープが張られ、駐車の余地はなく、Uターンして都留市側に車を置いた。この道坂峠に来るのは初めてで、13年前に登った御正体山と石割山に登ったのは山伏峠からだった。山伏峠と道坂峠を混同し、記憶の風景が違うので戻ったわけだが、トンネルの左にはご丁寧に「今倉山登山道入り口→」の看板がある。幸先からこれではどうもよろしくない。駐車場の他の3台にはすでに人の気配はない。ワークマンズックにしたかったが、4日だか5日に同じコースを歩いた方のYAMAP記事には今倉山を過ぎてから50cmの積雪があったとあり、仕方なく登山靴にし、スパッツとチェーンスパイクを持参した。
(こんな中を登って行くと)
(すぐに道坂峠)
(峠から御正体山方面)
トンネルの上に出ると、後はずっと広葉樹の明るい疎林の中の歩きになる。最初のうちはなだらかだったが、急斜になると、登山道はクネクネ状になっていく。今のところ雪はなく、道も湿気ってはいない。普通なら、適度な斜面で気持ちよく歩けるはずではあるが、息が上がり、早速、ストックを2本出してしまった。鳥のさえずりが聞こえる。今年初めて山中で聞くさえずりだが、まだホーホケキョではなく、ただのピーピーだ。景色そのものは緑の息吹は感ぜず、冬枯れのまま。尾根に出ると、右に御正体山のコースが分岐していた。ここが本来の道坂峠のようだ。
(左の展望。富士山は左の御正体山に隠れている。奥に見えるのは南アルプスだろうか)
(今倉山かねぇ)
(見えたはいいが、これでは立ち止まるまでもない)
(尾根伝いの登山道)
(残雪が出てくる)
高度を上げるに連れ、左手後方には御正体山の後ろに富嶽の姿が出てくる。雑木の枝ですっきりしない。それでもつい写真を撮ってしまう。先日の菰釣山の時と違って空は抜けるような青空だ。霞みもない。かなり期待した。このコース上、今倉山は展望には恵まれず、先の赤岩(松山)まではすっきり富嶽は期待できないようだ。ところどころに残雪が見えてくる。コース上にはないから、歩行に何らトラブルはない。
(今倉山山頂)
(菜畑山までは約2時間とある)
(今倉山からの富士山。これ以上にすっきりしたスポットはなかった)
相変わらず立ち休みを続け、コースタイムの1時間15分よりも5分早く今倉山(1470m)に到着。登山口からの標高差は450mほどかと思う。山頂はほどなく広く、三角点もあって陽あたりでくつろげるところだが、やはり展望は乏しい。来た方向に少し下ると、富士山がこれまでよりは少しはましに見える程度といったところだ。山頂の周囲は木立に囲まれている。これでも山梨百名山。
ここで、突然、体調に異変を感じた。手袋を外した途端に手のひらが無性に痒くなり、続いて首筋。皮膚の露出した部分だから、虫にでも刺されたかと思ったが、そんな記憶も痕跡もない。そのうちに腕の内側が猛烈に痒くなった。上から掻きむしったが、しばらく、全身が痒くて、このまま歩き続けるのはつらいのではないかと、場合によっては、先の西ヶ原(1385m)から下ることも考えるほどの痒みだった。幸い、痒みは30分ほどでやわらぎ、予定通りに続行はしたが、何で突然そうなったのか思い当たる節はない。山頂到着でやったことは水を二口飲んでアイコスを一本吸っただけ。ただ、水はカルピスソーダが入っていた空きペットボトルに入れていたから、カルピス味が少しは残っていたくらいだ。これは後の話。帰宅して風呂に入ろうとしたら、左右内側の腕が広範囲に鬱血状に紫色というか黒くなっていた。打撲はしていない。腫れも痛みもない。濃く変色しているだけ。鼻血騒動からすでに3か月。直後の健診の血液検査では要精密検査とされ、先々週に改めて血液検査をしたところ、極端に下がった赤血球数は回復していたものの、ヘモグロビン数値が若干少なめだからと、貧血向けのクエン酸第一鉄Na錠なる薬を処方され、ここ5日ほど服用していた。この薬が原因じゃないかと調べると、やはり、副作用として発疹、かゆみが出るとあった。自己判断だが、多分そうだろう。
余談だが、鼻血の後に2回、定期的にやっている献血に行ったが、ともに、事前検査でヘモグロビン数値が低い(つまり貧血気味ということ)ということで採血はできなかった。精密検査でのヘモグロビン標準数値は献血対象の基準値よりも高くなっていたので、数日後に献血に行くと問題なくクリアした。結局、鼻血の後遺症は3か月近く続いたということになる。たかがの鼻血がとんでもないことになっていた。
つまらないことを記してしまった。歩きながら、痒みは薄れていき、そのうちに気にならなくなった。普通、掻きむしると赤くなったり腫れたりするものだが、少なくとも手のひらには出ていなかった。
(次に向かう。雪はまばらに残っている)
(西峰だったかと思う)
(西峰ピーク)
(「後座入山」の手書きが添えられている)
ここの西に向かう稜線もまた起伏があるようで、小ピークが先にいくつか見えている。景観そのものは今倉山までと同じで、左手に富士山がずっと見えていれば楽しいだろうが、雑木の枝が邪魔ですっきりした姿は見えないでいる。前述のYAMAP記事では今倉山から先は雪が深かったとあり、山頂でスパッツだけは付けたが、期待するほどの雪は、周囲はともかく、登山道に限っては妨げにもならない。泥濘状の道にもなっていない。わずか3、4日くらいで50cmがこんなに融雪するものだろうか。ただ、この辺、2日、3日にかけて降雪があったことは確からしい。
目の前に高いピークが見えた。しんどいなと思いながら登ると、あっけなくピークに着く。標識には「御座入山 1480m」と手書きで付け加えられていたが、『山と高原地図』の今倉山「西峰」のことで、さっきの山頂は東峰ということになる。このピークからの眺望も東峰と同じで悪い。かすかに、北側に街並みが小さく見える。
今日はGPSを忘れてきた。いつもGPS頼りに歩いているわけではないが、距離が長くて地形に特徴がなくなると、自分がどこにいるのか気になり、GPSを見ては地図と照らすことがある。それを今回はできず、そういえばスマホがあったなと、スマホに入れた『山と高原地図』で現在位置を確認してはたまに見るようになる。これは帰りの長い林道歩きでは助かった。
(極度に急なところはないが、アップダウンは続く)
(ようやくすっきり見えた)
(西ヶ原の標識)
岩のあるところですっきり富士が見えた。手前には御正体山。右は杓子山だろうか。コブが二つある。右手には八ヶ岳か南アルプスらしき白い峰が続いていた。しばらく眺めた。狭い視界だから、枝がどうも邪魔にはなる。すっきり富士を拝めるらしい赤岩に早いとこ着きたい。もう痒みは気にはなりながらも消えている。
登山道にも雪が出てくる。積雪は薄く、チェンスパを付けるほどではない。新しい足型も残っている。滑りもしない。下って行くと鞍部になり、そこが西ヶ原で、道坂方面に下る標識が置かれている。地理院地図は破線路だが、高原地図では実線になっている。二十六夜山まで行って、林道歩きをしたくなければ、手頃な尾根も谷筋もない以上、ここに戻るしかないが、あまり賢い選択とはいえまい。ここまでの登り返しはきついだろう。
(赤岩へ)
(岩がちになったから、あれが赤岩だろうか)
(別に赤くはないが、これが赤岩のようだ。)
(赤岩の標識と、右に展望盤)
(富嶽の眺め)
(少しアップして)
(相模湾方面)
(秩父方面)
(展望盤には左から聖岳、赤石岳、荒川岳とある。三ツ峠山も見えている)
(名残惜しいが)
(下って赤岩ピークを振り返る)
緩い登りになる。雪は消えたり出てきたり。起伏が続く。これがちょっと嫌らしくてしんどい。先にぽっかり空けたところに岩が見えた。あれが赤岩ではないだろうか。まさにそうだった。すっきりした富嶽が真正面に見え、視界も広がっている。
展望盤が置かれていた。それによると、先ほど右側の杓子山と思っていたのは鹿留山で、その右奥が杓子山だった。自分には特定もできない。というよりも、正確には山座固定そのものに興味がほとんどなく、山並みが広く見渡せるならそれで十分。日光の男体山、筑波山、赤城山、太田の金山が特定できればラッキー。後は頭のアバウトな地図配置で適当に山を特定する。展望盤によれば南北のアルプス、八ヶ岳が見えているはず。白い峰々がそうだろう。反対の北側には秩父の山々。南東方面には相模湾も記されているから、相当に視界が良ければ見えるのだろうが、これは目を凝らしても見えない。この圧倒される360度の景色をしばらく楽しんだ。富士山をバックにセルフ撮りをしたり、アイコスを吸ってくつろいだ。この景色を見られただけでも、このまま下山したところで損はないが、今回のコース上では、赤岩からの富嶽もさることながら、自分には、この先の二十六夜山(都留市)からの眺めを楽しみたくやって来ている。二十六夜山は、この界隈では上野原にもある(秋山二十六夜山とも呼ばれているらしい)が、『高原地図』には「展望なし」と記されている。両山ともに二十六夜の月待ち講にちなんだ山なのだろう。江戸期の頃は、地元の人々が飲食物を背負って山に登り、ゴザでも敷いて、月明かりの富士山を眺めながら、飲めや歌えで朝まで過ごしたのか。信仰からは離れ、いい口実の飲み会になっていたのかもしれない。ずっといたいが、岩殿山に行く都合もあるので二十六夜山に向かう。青空が何となく白くなりかけているのが気になる。
(先に二十六夜山)
(何だか、ずっとこんな道を歩き続けているような気がする)
(稜線上でここが落葉で歩きづらかったが、雪融けで湿っているわけでもなかった)
(先がストーンとしているから、ここから林道に出て二十六夜山への登りになるはず)
二十六夜山と思しき山は先に見えていた。意外と遠い。ここも稜線歩きが続く。このコース、気に入ったのは植林地帯を目にしないこと。広葉樹の疎林がスタートからずっと続いている。だが、これがある意味では裏目に出て、同じ景観の中をずっと歩き続けていると、少々飽きてもくる。花というものも目にしない。ずっと薄茶の中を歩いている。林道までは下り一方かと思いながらも起伏は続いている。周囲の雪はすでに消え、気まぐれに小さく溜まっている程度で、繰り返しになるが、3、4日前の積雪50cmというのが信じがたくなってくる。少なくとも泥濘の道になっているはず。
かなり暑くなってきた。ここまで着ていたフリースは脱いだが、下のシャツは少し厚手だったから涼しくもならない。風自体がない。ようやく、正面に二十六夜山が間近に見えた。ここからは下りだけで林道に出て、林道を少し歩いて二十六夜山への登り返しになるはず。ここまで左に富士山を垣間見して来たが、何となくどころか、具体的に空が白くなりつつある。あせってもしょうがない。ここから駆け足という体力はないし、岩殿山からのすっきり富嶽はムリだろうなと半ばあきらめた。
(林道への階段。余計なことだが、ここはふれあい道ではないようだ。関東じゃないからなのか)
(林道を歩いて、二十六夜山の登山口)
(林道から)
(標識。ピントを標識に合わせたせいなのか、空が白くなっていて、富士山は青空に映えていない)
林道に下る。立派な林道だ。舗装され、大型車どうしでさえ待機なくすれ違える。この林道が通行止めになっているのは後でわかったことだが、下山で確かに落石やら部分崩壊は少しはあったものの、車の通行に支障はない。何のための通行止めなのか、それ以前に、何のための舗装林道なのか、税金の無駄遣いとしか言いようがない。行政側にもそれなりの正当な言い分はあるだろうが、税金支払い側の一般車両が通れない林道ではもっともらしい言い訳にしかなるまい。
(二十六夜山へ)
(ここからの眺めが良かった)
(左の枝がじゃまで)
(アップして。いずれにしても富嶽が傾いて写る)
数分で二十六夜山の登山口。ここからは登りになるわけだが、休憩を取りながらも、ここに至ってかなりバテている。ほんの少しの傾斜がきつい。何度も立ち休みをする。ここで、本日初めてのハイカーを見る。年齢的には自分と同じくらいのGB隊(G1+B3)が下って来た。先行している道坂峠の3台の一台分かと思ったが、後で道坂峠に戻るとそうでもないらしく、あるいは、自分とは逆歩きだったのかもしれない。それはどうでもいいことだが、4人ともに軽快な足取りで、G1は先の岩に乗って富嶽を撮影したりしていた。先行してもらい、自分もその岩に立つ。とはいっても、岩に乗ると、広角でもない自分の目には富嶽の半分は隠れていたので、岩の手前からカメラを引いて撮った。ここからの富嶽は岩と右に緑の樹が入って良いポイントかもしれない。ただ、どうも富嶽が斜めに撮れる。
(二十六夜山の山頂が見えた)
(二十六夜山)
(まずはこれ)
(右寄せアップ)
(二十六夜碑。山頂は後ろ)
(いいもんだねぇ。第一、飽きない)
(年代物の山名板と三角点標石を入れて)
だらだらと登って行くと、ようやく二十六夜山の山頂に到着した。ここもまた開けた山頂だ。赤岩からの富嶽も素晴らしかったが、山頂には標識と展望盤しかなかった。ここには古い山名板と三角点があって、ともに添え物になる。ただ…、空がさっきよりも白くなってきているのが残念で、岩殿山に行く頃にはもう絶望的かもしれない。
ここでゆっくりしている場合でもないのだが、期待どおりの風景だったから、時間をかけ過ぎてしまった。ここでも富嶽をバックに自撮りなんかをしていた。今回、二回もやったのは珍しい。山頂の先には二十六夜碑もある。だれもいない。菓子パンを食べ、アイコスを吸い、ボーっと富嶽を眺めていた。30分以上もいた。後があるのに長居し過ぎたが、空が時間的に白んでいくのはどうしようも止めようがない。自分には岩殿山は大月市秀麗富嶽十二景のラストであって、いわばノルマの最後。桜の時期に合わせはしたが、ダメならそれで仕方もない。いつまでもこだわってもいられまい。山梨からの秀麗は大月に限らない。
(下る)
(あの林道の斜面、絶えず崩れているんじゃないの)
(林道歩き)
(右手。これが続けば良かったが、そうはならなかった)
(こんなところもあるが、せいぜいこの程度の凹み)
重い腰を上げてさらば。往路時では時間がかかった林道からの登りも、下りはあっという間。スパッツを外してストックを納めて林道下りにかかる。どれくらい歩くのか、『高原地図』には出ていないが、一時間はかかるまい。右手に富士山が大きく見えた。これを見ながらずっと林道を下るのもいいなと思っていたが、すぐに御正体山に隠れてしまい、舗装林道を淡々と下るようになり、気分的には長かった。
オジさんが一人、道端に腰掛けてカップヌードルを食べていた。周囲にはだれもいず、何かの作業関係者とは思うが、車すらない。出発時にトンネル前に軽トラが置かれていたのを見たから、そこから歩いて来たのだろうが、ゲートまでは結構な距離も残っていたし、林道入口からやる作業でもされていたのだろうか。
(カモシカがじっとしていた)
(近づいて。この後にさっと逃げて行った)
生きるモノとして次に見かけたのはカモシカ。林道の真ん中にたたずみ、こちらの様子をじっと眺めている。さすがに近づくと、猛烈な勢いで斜面を下って行った。このカモシカ、警戒心が薄いのか、人慣れしているのか、あるいは鈍感なのか、以前、黒斑山からの下りで付かず離れずの距離を保って、しばらく雪道の案内をしてもらったことがあった。こちらが休むと、あちらも待機してくれた。これに比べれば、シカはやはり恩知らずの馬鹿なのだろう。足尾の山でフェンスヒモに角を絡ませてもがいている大きなシカを助けようとしたら、暴れまくって必死にケリで攻撃してきた。それでも何とか放してやると、振り向きもせず必死に逃げて行った。放って置いたら、数日で死んでいたはずなのに、後でその恩義を受けることはなく、こちらは同じ足尾の山の岩場から転落して骨折し、いまだに後遺症を引きずっている。シカの恩返しはなかった。
(西ヶ原分岐からの道に合流し)
(林道ゲート)
(暑いから余計に長く感じる)
(道坂トンネル到着)
左手に「今倉山・赤岩 登山道→」の標識を見かけた。西ヶ原からの下り道がここに出るのだろう。少し行くと、すぐに林道の入口ゲートが見えていた。
ゲートから道坂トンネル前の駐車場までは5分ほどのものだったが、車道の登りはきつい。車が何台か通過する。かなり暑くなっているから余計につらい。
駐車場には6台。うち一台はエンジンをかけたままだからハイカーとは無関係かと思う。他の一台は後続のハイカーだとして、残りの自分以外の3台は出発時のままのような気がする。二十六夜山で行き会った4人組は姿も見えないから、車利用だとすれば、やはり逆歩きなのかもしれない。皆さん、どこをどう歩かれたのか気になる。御正体山だとすれば、ここからのアクセスは悪いし、菜畑山ならピストンになる。ここに車を置いて今倉山、菜畑山を往復し、さらに二十六夜山まで歩く方もいる。自分には無理な歩きだ。
片付けやら荷物の入れ直しをしていたら2時15分になってしまった。その間に、隣の車のオッサンがどこからともなく帰って来ていた。ここから岩殿山丸山公園までは30分ほどかかる。もうこの時点で、行っても富士山は見られまいと「信じている」に近くなっている。それならそれでいい。シルエット富士山でもいい。とにかく岩殿山へのこだわりは今日で終わりにしよう。今回の赤岩と二十六夜山から満足な富嶽を見ることができたし、それがなかったら、「終わりにしよう」なんて気持ちは起きることもなかったはずだ。何だか、岩殿山が「ついで」になってしまった。
【岩殿山編】
大月に入ると、晴れてはいるものの空はかなり白くなっていた。その間、岩殿山の歩き方予定はどんどん縮小していった。稚児落し回りは時間的にも無理。何せ3時近くになっている。次に考えたのは北側の畑倉登山口からのピストン。所要時間は70分。何とかなるかと、登山口の駐車場にナビをセットした。平日のこの時間、駐車場が空いていないわけがない。
車道を上がって行くと、左にちらりと市営駐車場の看板が見え、その先には左手に「岩殿城跡入口」の門柱があった。つまり岩殿山の下にある丸山公園。この時点で岩殿山はあきらめ、その先で車をUターンさせて市営駐車場に車を入れた。公園に隣接した駐車場はない。
車から出る。富士山は見えなかった。いや、かろうじて見えた。シルエットでしかない。ただ、ここからなら、青空なら、たとえば今日の午前中だったら、富士山も大月市街を眼下に、さぞ見応えがあるだろうと思う。何せ、大月の街並みが眼下にあるし、富嶽も大きい。
車道に沿った坂道の歩道を公園入口まで向かい、中に入るとさらに登り坂が続く。足がまったく上がらなかった。周りに親切な方がいたら、「どうしたんですか?」と声をかけられそうな歩き方。答えは用意していた。「最近、足首を痛めて、今日はリハビリ歩きのようなものですよ」と。最後までだれからも声をかけられることはなかった。
正直のところ、そんなに見事な桜園でもなかった。岩殿山のそびえ立つ岩盤の麓付近の桜が多くて見頃のようだが、そちらには進入禁止で行けないようになっている。やはり、桜はかなり散り始めていた。
シルエット富士に桜を入れて撮ろうと何枚も試みた。オートでは、どうしても手近な桜にピントがいってしまい、富士山は消えてしまう。まあ、感じは肉眼でわかった。それで十分かもしれないが、ここに至って、十二景をこれで切り上げるつもりでいたものが、いずれ、来年のこの時季にでも来なくてはならないかなぁなんて、自分でも、岩殿山をどう始末つければいいのかわけがわからなくなってしまった。桜にこだわらなければいいだけのことなのだが。
これは後日談。翌日の9日に富士急ハイランドに遊びに行った職場のオバさんの話では、夕刻まで遊んでいて、富士山がずっときれいに見えていたそうだ。この時季だからということではなく、自分の運が悪かったと言えなくもないようだ。
このことが気になった。直近の記録を遊園地ではなく山登りの次元で調べると、10日に今倉山経由で菜畑山に行かれた方のYAMAP記事があった。その方は道坂トンネルから菜畑山ピストン歩きのようだったが、菜畑山で休んでいる間に、青空なのに富士山の頭は次第に霞みで隠れていき、その前後の写真を出されていた。時間は10時15分。まだまだの時間のはずだが、これもまたタイミングといったところだろう。その後にまたすっきりしたのかもしれない。これに比べれば、自分の方がまだまだ幸いで、青空歩きの中で富嶽が半端な景色で終わったのでは、いつでも行ける現地の方ならともかく、遠方から訪ねたハイカーにはがっくりだろう。それでも、一時的にせよすっきり富士を見られただけでも良かったのではないかと思う。まぁ、こんなものでしょうなで済ませられことではあるけれど。
(丸山公園入口。とはいっても、この先、長い登り坂が続いているし、駐車場からここまででもゼーゼーだった)
(鳥居かと思ったが横二本がない。城跡だから城門なのか)
(このままでは気づかないので)
(補正して何とか)
(岩殿山。こちらからのコースは閉鎖されている)
(満開の桜)
(城を象った記念館)
(丸山山頂の標識)
(これもまた肉眼ではなかなかわかりづらい)
(極端に補正してみた。こういうロケーションということになる。上の岩殿山からならもっと広範囲に見えるだろうけど)
(ゲートがあって、先には行けない。桜は上がきれいなのだが。ここを通れる時は、岩殿山まではかなりスリリングなコースだったようだ)
(どアップでようやく富士山とわかる)
(何とも残念でした)
(駐車場に戻る。かなり疲れた。暑いし、帰りに居眠りが出なきゃいいが。オートマの車だったらきっと睡魔に襲われる)
※1.道坂トンネル登山口(8:45)……今倉山(9:55~10:08)……御座入山・西峰?(10:26)……西ヶ原(10:40)……赤岩(11:08~11:26)……林道(12:06)……二十六夜山(12:28~13:02)……林道(13:12)……西ヶ原コース入口(13:53)……林道ゲート(13:55)……トンネル前駐車場(14:00)
※2.岩殿山丸山公園(14:55~15:30)
毎朝、リアルタイムで更新する岩殿山丸山公園の桜の開花状況をチェックしていた。桜と富士山のセットを見たかったし、下手なりに写真に収めてにんまりしたかった。以前、河口湖でこれをやろうとして失敗している。富士山の上半分が雲に隠れていた。丸山公園の桜がようやく満開になったと知ると、今度は天気やらこちらの都合で出かけられない。何とか、8日に休暇を取って出かけることにした。花は散り始めているかもしれない。
ただ、岩殿山だけではもったいない。稚児落し経由で周回したとしてもわざわざそれだけで大月まで出かけるのでは時間と高値のガソリン、高速代がもったいない。それ以前に、満開の桜と富士山を合わせて見られれば幸いだが、満開情報から一週間も経っている。満足度が出費気分以上のものであれば、それで十分なのだが、果たしてそううまくはいかない可能性もある。必ずしも天気予報通りにはならないし、霞みや黄砂は天気予報ではチェックもできない。いずれにせよ、今回の目的はあくまでも岩殿山だ。
現地でがっかりしないよう、フォローとして、道志の山でかねて気になっていた菜畑山(読み方は「なばたけうら」とのこと)立ち寄りを考えた。菜畑山も富士山見物の山だ。「菜畑山」というネーミングのやさしさが気に入っていた。岩殿山のことがなければ、ワラビタタキ、赤鞍ヶ岳、菜畑山で周回したいが、岩殿山を加えるとなると、時間的にすでに富士山は霞んで見えませんでしたで終わりそうだ。菜畑山はあきらめるとして、他の道志の山を調べると、菜畑山の西側に、赤岩、二十六夜山というのがあった。ともに富士見スポットとしては抜群のようだ。道坂峠から今倉山を経由して周回するコースだが、下りは長い林道歩きで、林道歩きを一時間とすれば、休憩、昼食込み5時間で何とか回れそうだ。これなら、岩殿山に登るのは無理としても、その下の丸山公園から、桜付きの富士山を見られるのではないだろうか。
結果として、これは甘かった。確かに今倉山、二十六夜山を5時間少々で回りはしたが、富士山のかすみは思いのほか早く、白くなった空に同化してしまい、付録のはずの、たいしたこともない桜見物で終わってしまった。
(トンネルの脇から登る)
(見下ろす。駐車場があり、左の茶色の建物はトイレ)
道坂トンネル入口の都留市側の駐車場には車が3台あった。自分の思い込みの何ものでもないが、トンネルを抜けて道志村に入ると、駐車スペースにはロープが張られ、駐車の余地はなく、Uターンして都留市側に車を置いた。この道坂峠に来るのは初めてで、13年前に登った御正体山と石割山に登ったのは山伏峠からだった。山伏峠と道坂峠を混同し、記憶の風景が違うので戻ったわけだが、トンネルの左にはご丁寧に「今倉山登山道入り口→」の看板がある。幸先からこれではどうもよろしくない。駐車場の他の3台にはすでに人の気配はない。ワークマンズックにしたかったが、4日だか5日に同じコースを歩いた方のYAMAP記事には今倉山を過ぎてから50cmの積雪があったとあり、仕方なく登山靴にし、スパッツとチェーンスパイクを持参した。
(こんな中を登って行くと)
(すぐに道坂峠)
(峠から御正体山方面)
トンネルの上に出ると、後はずっと広葉樹の明るい疎林の中の歩きになる。最初のうちはなだらかだったが、急斜になると、登山道はクネクネ状になっていく。今のところ雪はなく、道も湿気ってはいない。普通なら、適度な斜面で気持ちよく歩けるはずではあるが、息が上がり、早速、ストックを2本出してしまった。鳥のさえずりが聞こえる。今年初めて山中で聞くさえずりだが、まだホーホケキョではなく、ただのピーピーだ。景色そのものは緑の息吹は感ぜず、冬枯れのまま。尾根に出ると、右に御正体山のコースが分岐していた。ここが本来の道坂峠のようだ。
(左の展望。富士山は左の御正体山に隠れている。奥に見えるのは南アルプスだろうか)
(今倉山かねぇ)
(見えたはいいが、これでは立ち止まるまでもない)
(尾根伝いの登山道)
(残雪が出てくる)
高度を上げるに連れ、左手後方には御正体山の後ろに富嶽の姿が出てくる。雑木の枝ですっきりしない。それでもつい写真を撮ってしまう。先日の菰釣山の時と違って空は抜けるような青空だ。霞みもない。かなり期待した。このコース上、今倉山は展望には恵まれず、先の赤岩(松山)まではすっきり富嶽は期待できないようだ。ところどころに残雪が見えてくる。コース上にはないから、歩行に何らトラブルはない。
(今倉山山頂)
(菜畑山までは約2時間とある)
(今倉山からの富士山。これ以上にすっきりしたスポットはなかった)
相変わらず立ち休みを続け、コースタイムの1時間15分よりも5分早く今倉山(1470m)に到着。登山口からの標高差は450mほどかと思う。山頂はほどなく広く、三角点もあって陽あたりでくつろげるところだが、やはり展望は乏しい。来た方向に少し下ると、富士山がこれまでよりは少しはましに見える程度といったところだ。山頂の周囲は木立に囲まれている。これでも山梨百名山。
ここで、突然、体調に異変を感じた。手袋を外した途端に手のひらが無性に痒くなり、続いて首筋。皮膚の露出した部分だから、虫にでも刺されたかと思ったが、そんな記憶も痕跡もない。そのうちに腕の内側が猛烈に痒くなった。上から掻きむしったが、しばらく、全身が痒くて、このまま歩き続けるのはつらいのではないかと、場合によっては、先の西ヶ原(1385m)から下ることも考えるほどの痒みだった。幸い、痒みは30分ほどでやわらぎ、予定通りに続行はしたが、何で突然そうなったのか思い当たる節はない。山頂到着でやったことは水を二口飲んでアイコスを一本吸っただけ。ただ、水はカルピスソーダが入っていた空きペットボトルに入れていたから、カルピス味が少しは残っていたくらいだ。これは後の話。帰宅して風呂に入ろうとしたら、左右内側の腕が広範囲に鬱血状に紫色というか黒くなっていた。打撲はしていない。腫れも痛みもない。濃く変色しているだけ。鼻血騒動からすでに3か月。直後の健診の血液検査では要精密検査とされ、先々週に改めて血液検査をしたところ、極端に下がった赤血球数は回復していたものの、ヘモグロビン数値が若干少なめだからと、貧血向けのクエン酸第一鉄Na錠なる薬を処方され、ここ5日ほど服用していた。この薬が原因じゃないかと調べると、やはり、副作用として発疹、かゆみが出るとあった。自己判断だが、多分そうだろう。
余談だが、鼻血の後に2回、定期的にやっている献血に行ったが、ともに、事前検査でヘモグロビン数値が低い(つまり貧血気味ということ)ということで採血はできなかった。精密検査でのヘモグロビン標準数値は献血対象の基準値よりも高くなっていたので、数日後に献血に行くと問題なくクリアした。結局、鼻血の後遺症は3か月近く続いたということになる。たかがの鼻血がとんでもないことになっていた。
つまらないことを記してしまった。歩きながら、痒みは薄れていき、そのうちに気にならなくなった。普通、掻きむしると赤くなったり腫れたりするものだが、少なくとも手のひらには出ていなかった。
(次に向かう。雪はまばらに残っている)
(西峰だったかと思う)
(西峰ピーク)
(「後座入山」の手書きが添えられている)
ここの西に向かう稜線もまた起伏があるようで、小ピークが先にいくつか見えている。景観そのものは今倉山までと同じで、左手に富士山がずっと見えていれば楽しいだろうが、雑木の枝が邪魔ですっきりした姿は見えないでいる。前述のYAMAP記事では今倉山から先は雪が深かったとあり、山頂でスパッツだけは付けたが、期待するほどの雪は、周囲はともかく、登山道に限っては妨げにもならない。泥濘状の道にもなっていない。わずか3、4日くらいで50cmがこんなに融雪するものだろうか。ただ、この辺、2日、3日にかけて降雪があったことは確からしい。
目の前に高いピークが見えた。しんどいなと思いながら登ると、あっけなくピークに着く。標識には「御座入山 1480m」と手書きで付け加えられていたが、『山と高原地図』の今倉山「西峰」のことで、さっきの山頂は東峰ということになる。このピークからの眺望も東峰と同じで悪い。かすかに、北側に街並みが小さく見える。
今日はGPSを忘れてきた。いつもGPS頼りに歩いているわけではないが、距離が長くて地形に特徴がなくなると、自分がどこにいるのか気になり、GPSを見ては地図と照らすことがある。それを今回はできず、そういえばスマホがあったなと、スマホに入れた『山と高原地図』で現在位置を確認してはたまに見るようになる。これは帰りの長い林道歩きでは助かった。
(極度に急なところはないが、アップダウンは続く)
(ようやくすっきり見えた)
(西ヶ原の標識)
岩のあるところですっきり富士が見えた。手前には御正体山。右は杓子山だろうか。コブが二つある。右手には八ヶ岳か南アルプスらしき白い峰が続いていた。しばらく眺めた。狭い視界だから、枝がどうも邪魔にはなる。すっきり富士を拝めるらしい赤岩に早いとこ着きたい。もう痒みは気にはなりながらも消えている。
登山道にも雪が出てくる。積雪は薄く、チェンスパを付けるほどではない。新しい足型も残っている。滑りもしない。下って行くと鞍部になり、そこが西ヶ原で、道坂方面に下る標識が置かれている。地理院地図は破線路だが、高原地図では実線になっている。二十六夜山まで行って、林道歩きをしたくなければ、手頃な尾根も谷筋もない以上、ここに戻るしかないが、あまり賢い選択とはいえまい。ここまでの登り返しはきついだろう。
(赤岩へ)
(岩がちになったから、あれが赤岩だろうか)
(別に赤くはないが、これが赤岩のようだ。)
(赤岩の標識と、右に展望盤)
(富嶽の眺め)
(少しアップして)
(相模湾方面)
(秩父方面)
(展望盤には左から聖岳、赤石岳、荒川岳とある。三ツ峠山も見えている)
(名残惜しいが)
(下って赤岩ピークを振り返る)
緩い登りになる。雪は消えたり出てきたり。起伏が続く。これがちょっと嫌らしくてしんどい。先にぽっかり空けたところに岩が見えた。あれが赤岩ではないだろうか。まさにそうだった。すっきりした富嶽が真正面に見え、視界も広がっている。
展望盤が置かれていた。それによると、先ほど右側の杓子山と思っていたのは鹿留山で、その右奥が杓子山だった。自分には特定もできない。というよりも、正確には山座固定そのものに興味がほとんどなく、山並みが広く見渡せるならそれで十分。日光の男体山、筑波山、赤城山、太田の金山が特定できればラッキー。後は頭のアバウトな地図配置で適当に山を特定する。展望盤によれば南北のアルプス、八ヶ岳が見えているはず。白い峰々がそうだろう。反対の北側には秩父の山々。南東方面には相模湾も記されているから、相当に視界が良ければ見えるのだろうが、これは目を凝らしても見えない。この圧倒される360度の景色をしばらく楽しんだ。富士山をバックにセルフ撮りをしたり、アイコスを吸ってくつろいだ。この景色を見られただけでも、このまま下山したところで損はないが、今回のコース上では、赤岩からの富嶽もさることながら、自分には、この先の二十六夜山(都留市)からの眺めを楽しみたくやって来ている。二十六夜山は、この界隈では上野原にもある(秋山二十六夜山とも呼ばれているらしい)が、『高原地図』には「展望なし」と記されている。両山ともに二十六夜の月待ち講にちなんだ山なのだろう。江戸期の頃は、地元の人々が飲食物を背負って山に登り、ゴザでも敷いて、月明かりの富士山を眺めながら、飲めや歌えで朝まで過ごしたのか。信仰からは離れ、いい口実の飲み会になっていたのかもしれない。ずっといたいが、岩殿山に行く都合もあるので二十六夜山に向かう。青空が何となく白くなりかけているのが気になる。
(先に二十六夜山)
(何だか、ずっとこんな道を歩き続けているような気がする)
(稜線上でここが落葉で歩きづらかったが、雪融けで湿っているわけでもなかった)
(先がストーンとしているから、ここから林道に出て二十六夜山への登りになるはず)
二十六夜山と思しき山は先に見えていた。意外と遠い。ここも稜線歩きが続く。このコース、気に入ったのは植林地帯を目にしないこと。広葉樹の疎林がスタートからずっと続いている。だが、これがある意味では裏目に出て、同じ景観の中をずっと歩き続けていると、少々飽きてもくる。花というものも目にしない。ずっと薄茶の中を歩いている。林道までは下り一方かと思いながらも起伏は続いている。周囲の雪はすでに消え、気まぐれに小さく溜まっている程度で、繰り返しになるが、3、4日前の積雪50cmというのが信じがたくなってくる。少なくとも泥濘の道になっているはず。
かなり暑くなってきた。ここまで着ていたフリースは脱いだが、下のシャツは少し厚手だったから涼しくもならない。風自体がない。ようやく、正面に二十六夜山が間近に見えた。ここからは下りだけで林道に出て、林道を少し歩いて二十六夜山への登り返しになるはず。ここまで左に富士山を垣間見して来たが、何となくどころか、具体的に空が白くなりつつある。あせってもしょうがない。ここから駆け足という体力はないし、岩殿山からのすっきり富嶽はムリだろうなと半ばあきらめた。
(林道への階段。余計なことだが、ここはふれあい道ではないようだ。関東じゃないからなのか)
(林道を歩いて、二十六夜山の登山口)
(林道から)
(標識。ピントを標識に合わせたせいなのか、空が白くなっていて、富士山は青空に映えていない)
林道に下る。立派な林道だ。舗装され、大型車どうしでさえ待機なくすれ違える。この林道が通行止めになっているのは後でわかったことだが、下山で確かに落石やら部分崩壊は少しはあったものの、車の通行に支障はない。何のための通行止めなのか、それ以前に、何のための舗装林道なのか、税金の無駄遣いとしか言いようがない。行政側にもそれなりの正当な言い分はあるだろうが、税金支払い側の一般車両が通れない林道ではもっともらしい言い訳にしかなるまい。
(二十六夜山へ)
(ここからの眺めが良かった)
(左の枝がじゃまで)
(アップして。いずれにしても富嶽が傾いて写る)
数分で二十六夜山の登山口。ここからは登りになるわけだが、休憩を取りながらも、ここに至ってかなりバテている。ほんの少しの傾斜がきつい。何度も立ち休みをする。ここで、本日初めてのハイカーを見る。年齢的には自分と同じくらいのGB隊(G1+B3)が下って来た。先行している道坂峠の3台の一台分かと思ったが、後で道坂峠に戻るとそうでもないらしく、あるいは、自分とは逆歩きだったのかもしれない。それはどうでもいいことだが、4人ともに軽快な足取りで、G1は先の岩に乗って富嶽を撮影したりしていた。先行してもらい、自分もその岩に立つ。とはいっても、岩に乗ると、広角でもない自分の目には富嶽の半分は隠れていたので、岩の手前からカメラを引いて撮った。ここからの富嶽は岩と右に緑の樹が入って良いポイントかもしれない。ただ、どうも富嶽が斜めに撮れる。
(二十六夜山の山頂が見えた)
(二十六夜山)
(まずはこれ)
(右寄せアップ)
(二十六夜碑。山頂は後ろ)
(いいもんだねぇ。第一、飽きない)
(年代物の山名板と三角点標石を入れて)
だらだらと登って行くと、ようやく二十六夜山の山頂に到着した。ここもまた開けた山頂だ。赤岩からの富嶽も素晴らしかったが、山頂には標識と展望盤しかなかった。ここには古い山名板と三角点があって、ともに添え物になる。ただ…、空がさっきよりも白くなってきているのが残念で、岩殿山に行く頃にはもう絶望的かもしれない。
ここでゆっくりしている場合でもないのだが、期待どおりの風景だったから、時間をかけ過ぎてしまった。ここでも富嶽をバックに自撮りなんかをしていた。今回、二回もやったのは珍しい。山頂の先には二十六夜碑もある。だれもいない。菓子パンを食べ、アイコスを吸い、ボーっと富嶽を眺めていた。30分以上もいた。後があるのに長居し過ぎたが、空が時間的に白んでいくのはどうしようも止めようがない。自分には岩殿山は大月市秀麗富嶽十二景のラストであって、いわばノルマの最後。桜の時期に合わせはしたが、ダメならそれで仕方もない。いつまでもこだわってもいられまい。山梨からの秀麗は大月に限らない。
(下る)
(あの林道の斜面、絶えず崩れているんじゃないの)
(林道歩き)
(右手。これが続けば良かったが、そうはならなかった)
(こんなところもあるが、せいぜいこの程度の凹み)
重い腰を上げてさらば。往路時では時間がかかった林道からの登りも、下りはあっという間。スパッツを外してストックを納めて林道下りにかかる。どれくらい歩くのか、『高原地図』には出ていないが、一時間はかかるまい。右手に富士山が大きく見えた。これを見ながらずっと林道を下るのもいいなと思っていたが、すぐに御正体山に隠れてしまい、舗装林道を淡々と下るようになり、気分的には長かった。
オジさんが一人、道端に腰掛けてカップヌードルを食べていた。周囲にはだれもいず、何かの作業関係者とは思うが、車すらない。出発時にトンネル前に軽トラが置かれていたのを見たから、そこから歩いて来たのだろうが、ゲートまでは結構な距離も残っていたし、林道入口からやる作業でもされていたのだろうか。
(カモシカがじっとしていた)
(近づいて。この後にさっと逃げて行った)
生きるモノとして次に見かけたのはカモシカ。林道の真ん中にたたずみ、こちらの様子をじっと眺めている。さすがに近づくと、猛烈な勢いで斜面を下って行った。このカモシカ、警戒心が薄いのか、人慣れしているのか、あるいは鈍感なのか、以前、黒斑山からの下りで付かず離れずの距離を保って、しばらく雪道の案内をしてもらったことがあった。こちらが休むと、あちらも待機してくれた。これに比べれば、シカはやはり恩知らずの馬鹿なのだろう。足尾の山でフェンスヒモに角を絡ませてもがいている大きなシカを助けようとしたら、暴れまくって必死にケリで攻撃してきた。それでも何とか放してやると、振り向きもせず必死に逃げて行った。放って置いたら、数日で死んでいたはずなのに、後でその恩義を受けることはなく、こちらは同じ足尾の山の岩場から転落して骨折し、いまだに後遺症を引きずっている。シカの恩返しはなかった。
(西ヶ原分岐からの道に合流し)
(林道ゲート)
(暑いから余計に長く感じる)
(道坂トンネル到着)
左手に「今倉山・赤岩 登山道→」の標識を見かけた。西ヶ原からの下り道がここに出るのだろう。少し行くと、すぐに林道の入口ゲートが見えていた。
ゲートから道坂トンネル前の駐車場までは5分ほどのものだったが、車道の登りはきつい。車が何台か通過する。かなり暑くなっているから余計につらい。
駐車場には6台。うち一台はエンジンをかけたままだからハイカーとは無関係かと思う。他の一台は後続のハイカーだとして、残りの自分以外の3台は出発時のままのような気がする。二十六夜山で行き会った4人組は姿も見えないから、車利用だとすれば、やはり逆歩きなのかもしれない。皆さん、どこをどう歩かれたのか気になる。御正体山だとすれば、ここからのアクセスは悪いし、菜畑山ならピストンになる。ここに車を置いて今倉山、菜畑山を往復し、さらに二十六夜山まで歩く方もいる。自分には無理な歩きだ。
片付けやら荷物の入れ直しをしていたら2時15分になってしまった。その間に、隣の車のオッサンがどこからともなく帰って来ていた。ここから岩殿山丸山公園までは30分ほどかかる。もうこの時点で、行っても富士山は見られまいと「信じている」に近くなっている。それならそれでいい。シルエット富士山でもいい。とにかく岩殿山へのこだわりは今日で終わりにしよう。今回の赤岩と二十六夜山から満足な富嶽を見ることができたし、それがなかったら、「終わりにしよう」なんて気持ちは起きることもなかったはずだ。何だか、岩殿山が「ついで」になってしまった。
【岩殿山編】
大月に入ると、晴れてはいるものの空はかなり白くなっていた。その間、岩殿山の歩き方予定はどんどん縮小していった。稚児落し回りは時間的にも無理。何せ3時近くになっている。次に考えたのは北側の畑倉登山口からのピストン。所要時間は70分。何とかなるかと、登山口の駐車場にナビをセットした。平日のこの時間、駐車場が空いていないわけがない。
車道を上がって行くと、左にちらりと市営駐車場の看板が見え、その先には左手に「岩殿城跡入口」の門柱があった。つまり岩殿山の下にある丸山公園。この時点で岩殿山はあきらめ、その先で車をUターンさせて市営駐車場に車を入れた。公園に隣接した駐車場はない。
車から出る。富士山は見えなかった。いや、かろうじて見えた。シルエットでしかない。ただ、ここからなら、青空なら、たとえば今日の午前中だったら、富士山も大月市街を眼下に、さぞ見応えがあるだろうと思う。何せ、大月の街並みが眼下にあるし、富嶽も大きい。
車道に沿った坂道の歩道を公園入口まで向かい、中に入るとさらに登り坂が続く。足がまったく上がらなかった。周りに親切な方がいたら、「どうしたんですか?」と声をかけられそうな歩き方。答えは用意していた。「最近、足首を痛めて、今日はリハビリ歩きのようなものですよ」と。最後までだれからも声をかけられることはなかった。
正直のところ、そんなに見事な桜園でもなかった。岩殿山のそびえ立つ岩盤の麓付近の桜が多くて見頃のようだが、そちらには進入禁止で行けないようになっている。やはり、桜はかなり散り始めていた。
シルエット富士に桜を入れて撮ろうと何枚も試みた。オートでは、どうしても手近な桜にピントがいってしまい、富士山は消えてしまう。まあ、感じは肉眼でわかった。それで十分かもしれないが、ここに至って、十二景をこれで切り上げるつもりでいたものが、いずれ、来年のこの時季にでも来なくてはならないかなぁなんて、自分でも、岩殿山をどう始末つければいいのかわけがわからなくなってしまった。桜にこだわらなければいいだけのことなのだが。
これは後日談。翌日の9日に富士急ハイランドに遊びに行った職場のオバさんの話では、夕刻まで遊んでいて、富士山がずっときれいに見えていたそうだ。この時季だからということではなく、自分の運が悪かったと言えなくもないようだ。
このことが気になった。直近の記録を遊園地ではなく山登りの次元で調べると、10日に今倉山経由で菜畑山に行かれた方のYAMAP記事があった。その方は道坂トンネルから菜畑山ピストン歩きのようだったが、菜畑山で休んでいる間に、青空なのに富士山の頭は次第に霞みで隠れていき、その前後の写真を出されていた。時間は10時15分。まだまだの時間のはずだが、これもまたタイミングといったところだろう。その後にまたすっきりしたのかもしれない。これに比べれば、自分の方がまだまだ幸いで、青空歩きの中で富嶽が半端な景色で終わったのでは、いつでも行ける現地の方ならともかく、遠方から訪ねたハイカーにはがっくりだろう。それでも、一時的にせよすっきり富士を見られただけでも良かったのではないかと思う。まぁ、こんなものでしょうなで済ませられことではあるけれど。
(丸山公園入口。とはいっても、この先、長い登り坂が続いているし、駐車場からここまででもゼーゼーだった)
(鳥居かと思ったが横二本がない。城跡だから城門なのか)
(このままでは気づかないので)
(補正して何とか)
(岩殿山。こちらからのコースは閉鎖されている)
(満開の桜)
(城を象った記念館)
(丸山山頂の標識)
(これもまた肉眼ではなかなかわかりづらい)
(極端に補正してみた。こういうロケーションということになる。上の岩殿山からならもっと広範囲に見えるだろうけど)
(ゲートがあって、先には行けない。桜は上がきれいなのだが。ここを通れる時は、岩殿山まではかなりスリリングなコースだったようだ)
(どアップでようやく富士山とわかる)
(何とも残念でした)
(駐車場に戻る。かなり疲れた。暑いし、帰りに居眠りが出なきゃいいが。オートマの車だったらきっと睡魔に襲われる)
赤岩、二十六夜山と、本当に展望の良い山なんですね。富士山を眺めるには絶好のポイントですね。赤鞍が岳、菜畑山、今倉山などは、この地域の地図を見ていると、すぐに目がいく山々ですね。しかし中央本線から見て2列目の連なりで、なかなか手がでないところでした。ああっ、行っておけばよかったなぁと、後悔いたしました。
岩殿山は残念でしたね。まぁ春なので、早い時間でないと厳しいのかなぁ。「極端補正」の写真を見ると、やはり当たるとかなりの風景なんでしょうね。
「行っておけばよかった」なんて寂しいことはなしにしてくださいよ。ぶなじろうさんの山行記事を拝見すると、徐々に上向きの歩きをされているじゃないですか。
岩殿山については、事前にぶなじろうさんの記録を拝見しようとしたのですが、お伊勢山とともにまだ行かれたことがないようでしたね。
実は、当初の予定では、岩殿山経由でお伊勢山のつもりでいたのですよ。お伊勢山からの富嶽は見ているのですが、あそこも桜のきれいなところでしたからね。結局、今回のコースでの富嶽の誘惑が重くなってしまいました。
いずれ、菜畑山方面の歩きはするつもりでいますが、まずは目先のアカヤシオですよ。富嶽の残雪はまだしばらくは持つでしょうから。
(帰りに芭蕉の湯に入り)
岩殿山の先は残念でしたね。「稚児落とし」ちょっと
面白いところですよ。
コメントありがとうございます。
ブログを拝見いたしました。足しげく、いろんなところをご夫婦でお歩きなんですね。うらやましい限りです。果たして、自分が山歩さんのお年になって歩けるかどうか…。
岩殿山の記事はないかと探しましたが、仕事中のさぼりなものですから、時間もなく確認できませんでした。改めてチェックさせていただきます。
岩殿山はいずれ改めて行くつもりではいますが、その稚児落しですが、私は数年前に足尾の山で、岩場から転落して骨折なんかしているものですから、以来、どうも岩場は確実に上り下りできない限りは遠慮したいところなんですよ。ただ、皆さん平気で歩かれているようですから、さほどでもないような気はするのですが。
今倉山界隈、何度か歩かれたとのこと。紅葉時ですか。きれいなんでしょうね。その紅葉と富士山の冠雪が重なったタイミングだったら行くのもいいかななんて思いました。
https://73422uzawa.at.webry.info/201312/article_1.html
私は岩殿山は電車で行きました。3時間で大月駅から回れます。次の冬にでも行かれてください。