たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

日光隠れ三滝と大山。

2024年01月15日 | 日光周辺の山
◎2024年1月12日(金)

つつじヶ丘駐車場(8:54)……丁字滝(9:17)……玉簾滝(9:29)……マツクラ滝(9:56)……猫ノ平付近(10:27)……車道横切り(10:57)……大山(11:26)……合柄橋標識(12:25)……つつじヶ丘分岐(12:32)……車道(13:26)……駐車場(14:06)

 年末から年始にかけてどこにも行かなかったわけではない。その間3回ほど歩いている。アド山、三毳山、そして沼田の雨乞山。記事にするまでもない山ばかりだ。雨乞山は今年の初歩きになる。三年前のほぼ同時期に登っている。その時は、イレギュラーなコースどりをし、ヒザ高のラッセルもどきをし、ルートを失いかけたりしたが、今回は、だれでも登れる普通のコース(友人のTに言わせれば「犬の散歩にはちょうど良い」コースだそうな)にしたはいいが、雪を目にすることもなく、山頂で河岸段丘、遠くの白い山並みを眺め、下りでは変化をつけようとヤブ尾根を使って車に戻っても一時間も歩いていなかった。短時間とはいえ、初歩きとしては楽しめた。ただ、車での往復は三時間もかかって損した気分もあり、ついでに戸神山と思ったりもしたが、ダブルで山歩きする趣味はないのでそのまま帰った。
 2019年の10月に日光の隠れ三滝(「隠れ」の意味は、巨瀑の霧降滝に比して上流の滝は存在感が薄いということかららしい)と大山を周回するつもりでいたが、マツクラ滝に至って雨に降られ、引き返してした。マツクラ滝は薄ぼんやりで、ヤマヒルには嫌になるほどにたかられた。今季は雪もかなり少ないようなので、ふと思い出し、歩き残しの大山に行ってみることにした。大山にはこれまで行ったこともなかった。実質的な歩き初めには相応しいかもしれない。わざわざ、天気の良いらしいこの日を選び、仕事は休んだ。
 足尾を経由して霧降滝観瀑台への入口。そして、奥のつつじヶ丘駐車場へ。その間、車道には、雪はおろか、凍結箇所すら見ることもなかった。駐車場に他の車はなく、この先、戻るまでにだれにも会うことはなかった。正確には、車道を歩くオッサン一人と出会っただけだ。見上げると、天気予報どおりに青空になっている。

(ここから出発。真っ青な空)


(片道4.5キロのコースになる)


(前回もここを行っていいのか迷った。通行止めは右方向で、直進は可能)


 出発時に二つの失敗をした。一つは服装。当初、厚手のフリースにアノラックかぶりにするつもりでいたが、駐車場周辺は暖かいとはいえないが風はない。アノラックは不要だろう。厚手のフリースのままに出発したが、これとて途中から暑くてたまらず、予備に用意していた薄手のフリースだけで十分だったが、すでに車の中に置いたままだった。二つ目の失敗は足。雪の有無はともかくとして、滝に寄るには、沢を歩く可能性もあり、凍り付いた石にでも滑ったらと、スパイク長靴にした。これは、前回、三滝を巡った際にノンスパイクの長靴で正解だったという経験から長靴を選んだだけのこと。大山に登るにはどうかは考えてもいない。確かに滝見には都合も良かったが、氷瀑になっているわけでもなく、沢に凍り付きはなかった。普通の登山靴でも問題はなく、この長靴歩きが、隠れ三滝後の大山への登り、復路の長い戊辰の道歩きにはかなり堪え、途中で芍薬甘草湯に頼る羽目になる。出発時点ではそんな考慮もしていない。

(この辺の標識は丁寧だ)


(先ずは丁字滝へ)


(炭窯跡かと思ったら「復元」とあった)


(左の岩場は、凍っていたら滑りに要注意だろう)


(丁字滝が見えた。普通に流れている)


(氷瀑とはいえまい)


(縦にして)


(右岸側にも滝があったかは記憶にない)


(次は玉簾滝へ)


(ここも凍り付いていたら危ない)


(玉簾滝。正面右側の滝)


(こちらは左側の滝)


(両方撮るには木が邪魔)


(マツクラの滝へ)


(お不動様)


(マツクラ滝)


(正面から)


(岩盤に仏様のような姿が浮かんでいる)


(両側に氷柱。ここは日陰だから氷瀑になるかもしれない)


(脇にちんまりとした滝があった)


 丁字滝、玉簾滝を難なく観て、大山コースから少し外れたマツクラ滝はどうするか迷ったが、前回は雨の中のマツクラ滝だったから、晴れた日に観ておきたくもあって寄り道する。それぞれに、前述のように氷瀑にはなっていなかったし、暖冬予報ではこれからもこのままなのかもしれない。元より、自分の好みは氷瀑ではないので、この時季としては、普通の水流の滝見に満足した。おそらく、三滝ともに、暖かくなれば、嫌なヤマヒルだらけになる。もしかすれば、今が束の間のタイミングかもしれない。

(大山へ)


(左手に見えてきた)


(御大もお出まし)


(そろそろ猫の平か)


(いいねぇ)


(東屋があって)


(そこにあった看板には、「猫の平」は牛寄りになっている)


(行ってみると、有刺鉄線で先には行けなかった)


 大山コースに戻って大山へ向かう。緩斜面ではあるが、どこまで登るのか先が見えないのがプレッシャーだ。早速の息切れ。追い打ちをかけて失敗要因の二つが出てくる。暑くて上半身が汗ダクになった。背中を汗が流れ落ちる。フリースを脱げばよいだけのことだが、微妙に冷たい風が流れていて、ザックに入れ込んでシャツだけで歩くのもためらわれる。そして、長靴の甲部分に隙間があり過ぎて、登りではかなり歩きづらく、つい足首に力が入ってしまう。ともに我慢するしかない。何度も立ち休みをし、ようやく上に稜線が見えてほっとする。さらに緩くなってほどなく東屋。ここが猫の平とすれば、マツクラ滝からここに出るまでは標高差はわずか160m程度のものなのに30分も費やしている。かなり弱くなったものだ。東屋付近に「猫の平」の標識はない。
 小休止。ここが猫の平だとすれば、標高点974m地点になるわけだが、東屋に置かれたイラストマップでは、「現在地」から東に「猫の平」とある。ということは、ここではないのかもと、ササヤブの中を東に行くと、有刺鉄線で遮られ、その先には行けない。元より、イラストマップが正しいものかは疑問がある。現に、大山山頂は、この先のハイキングコースから外れた西側に記されながら、その山頂にもあった東屋の後ろに三角点標石があった。

(男体山の下に見える白い建物は日光市民病院だろうか。あそこに入院している時、窓から男体山を毎日眺めていた。だが、こうして見ると、ちょっと邪魔な存在だ)


 話は前後するが、稜線に出てからの歩きは気持ちがよかった。一面がササ原。その中にポツンポツンと樹が立っている。樹の名前は敢えて記さない方がいい。樹木もヒノキとスギを区別できるレベルだ。何の樹であろうが、ササの原に点在している風景はなかなか風情もある。ここもまた牧場地なのか、すこぶる展望が良い。赤薙山、女峰山、離れて男体山。その中間奥のピークは太郎山だろうか。何度も立ち止まっては眺めていた。登りながらも都度に富士山を眺める気分と同じだ。猫の平からの展望に飽きることはなかった。いや、厚手のフリースのことは身体に慣れてしまい、もう不快に感じることはなくなっていたが、長靴の歩きづらさだけはずっと続いていて、それを騙しながら、休んでは眺めていたのが正直なところだろう。

(左のピークが大山かと思う)


(下って猫の平を振り返る)


(こういうところがいくつかあったが、仔牛なら抜けられるだろう)


(孤高の樹を入れてみた)


(しつこく同じ写真が続くが、なかなかいいねぇ)


 東屋から、コース先が牧草地だか放牧場の中を経由して大山まで続いているのが見える。途中に舗装道が横切っているようだ。昭文社マップを見ると、その車道を通って迂回して歩かないといけないらしい。足のことを考えるとほっとしながらも、車道歩きの嫌らしさを予想してしまう。あれがそうだろうかと思われる大山そのものの山容は、ここから見る限りではみすぼらしい。

(車道に出た。やはり舗装道を歩くようだ)


(どなたさんが間隔を広げてくれた有刺鉄線から入る)


(すっきりした道はないが、以前はここを歩いたのではあるまいか)


(ここはガードが二重になっていて、この有刺鉄線の上にガードレール状に柵が置かれている。ここの鉄線越えはスムーズにはいかず、ザックとズボンが引っかかった)


(ここに出た。標識が向こうにあるということは、やはり、以前は登山道だったということか)


(舗装路歩き)


(舗装路から離れる。しかし、これまでも、標識は年代物だ)


 猫の平から下って行くと舗装道にぶつかった。やはり、大山への標識は舗装道歩きになっている。これを無視して直進できないものかと入り込んでみると有刺鉄線。だが、自分と同じような考えを持つ人はいるようで、簡単に抜けられるような隙間ができていた。ザックを背負ったままでも通り抜けできた。お薦めできる歩き方ではない。念のため。
 踏み跡はないが、適当に登って行くと、上でまた舗装道にぶつかる。舗装道はカーブしていた。ここは有刺鉄線ではなく鉄柵になっていて、ザックを向かいに置いてからまたいだ。何のことはなかった。距離は稼いでも、時間短縮にはならず、むしろ余計な手間と時間をかけただけだった。この先は標識に合わせて登った。舗装道歩きはわずか。あとはせいぜいあと30~40mの標高差だ。

(足がかなりくたびれている)


(大山山頂に到着)


(山頂から。正直のところ、どれが赤薙で、女峰はどれなのか、さっきからわかっていない)


(三角点標石)


 大山に到着。長靴歩きで普段の歩きに負荷が加わっていたので、足がかなり疲れた。しばらく休む。猫の平からの眺望とさして変わりはないが、牧場の広がりがある分、視界も広い。男体山と女峰山の姿もより迫って見える。もう14年前の2月のことだが、霧降高原から雪が降る中をスノーシューとアイゼンで赤薙山まで登った。視界も悪く、雪は深く、トレースも不明瞭。それでも何とか山頂に至ったが、その際、チラリと晴れ間が女峰山をとらえた。その気になって女峰山に足を向けたが、女峰山はすぐに姿を消し、まして時間的に無理な話。赤薙から女峰まで3時間半はかかる。すごすごと戻った。今はそんな元気もないが、ここから見る限りは雪が少ない。14年前の体力なら楽勝とはいかずとも、目の前の今日の積雪状態ではツボ足でも行けるかもしれない。

(筑波山を眺めて大休止)


 東に目を向けると、雲海の上に筑波山と加波山が浮かんでいる。それを見ながら一服し、大福を3個食べた。無風で青空。ここに雪でもあったら、おそらくは、そんな気分的な余裕はあるまい。矛盾した話だが、暖冬はそれでうれしいが、冬にセットの雪がないのでは、この時季に雪山を歩いた満足気分が得られないのは物足りない。

(間違ってこっちに行ってしまった)


(ゲレンデが見えている。20年前に閉鎖されているはず。14年前に赤薙山に行った際、スキーも持参したので滑ってみたが、何十年もやっていなかったので、転びまくりだった)


(こちらもアップで)


 至福の時を過ごして下る。いきなり間違えた。ここは西に下らないといけないのだが、ここまでの延長で、北側に行ってしまった。踏み跡もあったし。その踏み跡が途切れたところでミスに気づき、迂回して正規ルートに戻った。これがササの原だったからよかったものの、樹林帯だったら、迂回はできずにそのまま戻ったろう。

(正規の道に戻って下山)


(しつこかったが、これが見納め)


(最初のうちは感じのよい、歩きやすい道だった)


(次第に歩きづらくなる。ほどなく足が痛くなってきた)


 さて、正規のコースに戻ったところで、この先がとにかく長かった。散々に歩き飽きた。女峰山が見えなくなってからは、視界に見るべきものはまったくなく、雑木林の中の歩きになった。明るいからまだましだ。取りあえずは「高原ハウス」への標識を頼りに下り、合柄橋先の分岐道を見落とすことのないように注意しないと。ここの下りは曲者で、歩道がいつしか深い溝状になって歩きづらく、脇に上がったり、下り一辺倒と思っていると、地味な登りになったりする。ただ、少なくとも、高原ハウスから大山に登る人はそれなりにいるようで、歩道に不明瞭なところはなかった。

(合柄橋の標識があったところで)


 合柄橋着。橋でも架かっているのかと思ったがそんなものはない。水のない沢には雪がかぶっていたので、橋の残骸らしきものも見えない。雪といえば、この先、ところどころに雪が出てくるものの、ここまでも、この先も雪上に足型を見かけることはなかった。四季を通じて、ここを歩くハイカーはさほどにいないように思われる。この時季のことだからということもあるだろう。

(つつじヶ丘はここから左折する)


(ヤブが濃くなった)


 沢から登り上がるとつつじヶ丘への分岐標識が置かれていた。3.3kmとある。実際のところ、そんな距離ではなかったと思う。基本的には下りなのに、駐車場までは一時間半かかっている。ここで脚がとうとう攣り出した。長靴歩きの無理がたたった。まだ軽いものだったが、用心して芍薬甘草湯を服んだ。薬に速効性と予防があるわけでもないので、しばらくは脚が痛いままに我慢して歩いた。次第に薄れはしたものの、最後まで痛みが消えることはなかった。
 さて、ここからは「戊辰の道」ということになるようだが、分岐から道はさらにヤブめいてきた。迷うことはないが、テープを見かけるとほっとする。ただ、テープの間隔がかなり開いていて頼りにはならず、しかも変色して古いテープだ。ササのかぶった薄い踏み跡を外れないように追うしかない。

(六方みねの石祠)


 途中、「六方みねの石祠」の解説板を見かけた。そこには2基の石祠。享保の年代のようだし、すでにその頃以前からの古道らしく、「戊辰の道」というからには、その当時の駆け抜けで、会津若松まで造られた道と思っていたが、少なくもその150年近く前に「山道安全、商売繁盛」を願って、地元かは知らないが、どこかの商家が石祠を安置したのだろう。戊辰の道は、それ以前から存在していた道ということになる。後で見る案内板には、板垣退助が今市まで大鳥圭介を追いかけたが、退軍したとあった。薬の効き目はまだなく、ここで、しばらく倒木に腰をおろしてタバコを吸い、残りの大福を一つ食べた。脚を伸ばすと太腿に痛みが走る。

(唐突に右に折れた。直進が本来の戊辰の道かもしれない)


(ここを渉る)


(ずっとこうだったらよかったのだが。足どりはかなり悪くなっている)


(気まぐれなテープ。別にテープを頼らずに歩けるが、しばらく消えると不安になる)


 腰を上げると、脚の痛みも少しは引いた。腰掛け休みは避けた方がいいみたい。歩き続ける。直進のつもりでいたら、いきなり右折の標識が出てきた。正面方向にうっすらと踏み跡はありそうだが、素直に標識に従う。この辺から九十九折れの道になり、果たして、つつじヶ丘に行けるのか不安になった。さっきの右折標識がどうも怪しい。水の流れる沢に出た。標識もテープもない。対岸に窪みが続いている。ここを渉るようだ。渉るには長靴だから問題もなかったが、登山靴では難しかろう。

(右下に車道が見えた)


(そして車道。ここからどうするかしばらく悩んだ)


(結局、このまま行く)


 踏み跡は続いているものの、相変わらずこれでいいのかと不安で、GPSを取り出して確認した。GPS地図には歩道線があったが、右折の標識から、どんどん右側に逸れて歩いている。ただ、予想される先は出発してからの歩き線にぶつかるようだ。それでも心配にはなったが、そのうちに右下に車道が見え、いざとなったら、あの車道に下りればいいだろう。
 登り下りして車道に出た。戊辰の道は車道をまたいで続いている。その先を示す標識は「日光東照宮」となっていて、つつじヶ丘ではない。東照宮まで行って引き返すわけにもいかず、地べたに腰掛けて地図を広げた。ここで、車道とはいっても通行止めだろうが、その車道を上から歩いて来たオッサンにコンニチワと声をかけられた。それだけのことで、会話はない。もう戊辰の道にも飽きていたし、車道歩きでも、いずれは霧降高原道路に出られるだろう。どうすんべぇと考えながら、一服していると、ふと思い出した。前に来た時もマツクラ滝から雨の中を、車道から戊辰の道を下っていた。地図上ではまだマツクラ滝の北側だ。先を見ると、登りになっている。車道は下り。我慢するか。戊辰の道をここまで来た。今さらの登りはいやだが、東照宮方面に向かった。

(丁字の滝入口まで戻った)


(車道を少し歩いて戊辰の道に復帰)


(右下は霧降高原に至る車道。車を数台見かけた)


(くたびれた。せめて、足のトラブルがなかったら…)


 尾根を登り上げて、ゆっくりと下る。足はしっかりと上がらないままで、ちょっとした障害物に足先をぶつけては前のめりに転ぶ始末を繰り返す。下りきったところで丁字の滝の標識が目に入った。ようやく安堵した。ここが往路との合流点になる。近いからとはいっても改めて丁字の滝に行く気力はない。車道を歩き、戊辰の道にまた復帰。右下に車道を見ながらの歩きになった。
 ようやく駐車場に到着。くたびれた。この周回に5時間はかけてしまった。長靴でなかったら、脚の痛みが起きることもなく、せいぜい4時間半ほどで済んだかもしれないが、ヤマップあたりの記事を見ると、3時間半から4時間ほどで歩いているのが大半だ。それに比べたらと思うと情けなくもなるが、昭文社マップのタイムでは5時間標準のようだ。自分の山歩きの趣向は、ピークハントの記録写真と食べ物写真を並べたヤマップ記事利用者とはまったく違うと思えばそれでいい。まして、利用者の推測の年代層とはかけ離れている。短時間で歩けてあたり前。
 ここで霧降滝でも観に行きたいところだが、歩く自信はすでになく、家に帰ってからやることがかなりある。犬の散歩、車検に出した車の受け取り、休日にしたとはいっても夜の仕事はあった。久しぶりに温泉に入って、ラーメンでも食べるような余裕はない。簡単な着替えだけ済ませて家路に就いた。

 この夜のことだ。仕事を終えてゆっくりと風呂に浸かって夕食。ここまではいいが、寝付く段になり、足首が滅茶苦茶に痛くて眠れなかった。翌日は足が棒のようで、犬の散歩もようやくだった。痛みはその翌日まで続き、山行の予定も中止した。こうなるのは何年ぶりだろう。
 今回の長靴歩きには本当に失敗した。浅い沢歩きには向いているが、これに山登りを含めるなら、以降はこのスタイルはやらないようにしよう。とはいっても、前々から長靴歩きには慣れているし、すぐに忘れ、この繰り返しになるかもしれず、おそらく、長靴に懲りることに再びなるだろう。ただ、今回の大山に雪はまったくなかったが、それなりの雪があったら、チェンスパを付けた登山靴よりも快適な歩きになったかも知れない。一概に長靴の利便性を否定するわけでもなく、長靴で正解だったということもあるだろう。

(今回の歩き)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)

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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2024-01-16 19:24:21
今晩は。
昔、山小屋の従業員なんかが長靴で歩いているのをよく見かけましたが、長靴歩きもリスクがあるんですね。
大山は初めてでしたか!あそこ、のびやかで気持ちがいいですね。私は、毎回、霧降高原からの下り基調の楽な歩きしかしていません。
隠れ三滝、凍ると面白そうですね。なんか、考えたくなりました。
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2024-01-16 20:03:42
ぶなじろうさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そもそも、5年前に大山に行こうとしたのは、ぶなじろうさんの記事を拝見してからですが、あの辺は、急にヤマヒルが多くなったと知り、確かに自分もやられていたので、いずれはと思いながらも、この時季の今回までなってしまいました。
大山って、なかなかいいところですね。もう一度は行ってみたいのですが、戊辰の道を通らずに周回できる方法はないものですかね。地図を見れば、牧場内を実線がかなり走っているようですが、舗装道歩きになるのもまた嫌だし。さりとて、霧降川を遡行できるものやら。
長靴は選び方次第でしょう。たまたま、今回履いた長靴は軽いわりには甲の部分の隙間があり過ぎた。他にもスパイク長靴は車にあったのですが、こちらは隙間がさほどできないのに重くてごつい。結局はそんなところです。ふと、足首用のサポーターを巻けばどうかなと思ったりしています。歩き方次第では、長靴の歩きやすさも捨てがたいところがあります。
脚の痛みは昨日まで続きましたよ。

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