たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

町見富士を眺めに岩殿山。

2023年12月15日 | 富士山見物
◎2023年12月13日(水)

 「町見富士」とは、自分の造語。日常的に町からでも見える富士山といったニュアンスだ。去年の四月に今倉山に行った際、終えてから岩殿山に回ろうとして、さすがに身体がきつく、岩殿山直下の丸山からの展望で間に合わせた。その時の岩殿山の印象がまさに町見富士といった感じで、大月の街並みの奥に富士山が鎮座して立派に見えた。大月の人は天気の良い日は毎日、富士山を眺められていいなと思ったものだ。
 今日は、紅葉抜きに、栃木の手頃な山を予定していたが、昨夜のうちにちょっと気になって、GPVとYamaYama GPVを確認すると、岩殿山と富士山の間は雲量0になっていた。こんなことはめったにない。予定は即変更。
 鶴ヶ島ICの先から富士山はよく見えた。期待は膨らんでいた。小仏トンネルを抜けると、晴れてはいるが、雲が低く立ち込めている。気が重くなった。ここまで来たら、河口湖あたりでブラブラするかとまで考えた。大月に入ると雲は上がったが、路面は濡れ、さっきまで雨が降っていたようだ。ちょっとやっかいだ。今日は「稚児落し」なる岩場を通る。滑ったらヤバいんじゃないのか。持参した山靴は8月にアマゾンで5千円もせずに買ったトレッキングシューズで、短時間歩きを20回ほど続けて履いていたら、安いだけあって、ソールがかなりすり減っている。特に落葉の上はよく滑る。何度か転倒もした。状況次第では、稚児落しの手前で戻るしかあるまい。この稚児落しだが、あれだけの景観ながら、恐かった、震えたという文字が列挙されていないのが気になる。その理由は後でわかる。

(岩殿山公園市営駐車場から出発)


(その先から)


(ここは素通り。ここから岩殿山には登れない。登山口看板も撤去すればいいのに)


(見上げて岩殿山)


 丸山下の岩殿山公園市営駐車場に車を入れる。水浸しだった。雨はかなり降ったようだ。他に車が2台。いずれも軽。作業服の2人が長靴を履いて突っ立っている。ちょうど、自分の前を走っていたライトバンが駐車場に入ったところで、その2人を乗せて出て行った。現場に向かうのだろう。つまり、ハイカーの車は自分のだけのようだ。
 以前は公園から直接、岩殿山に正面から行けたようだが(強瀬登山口)、今は崩壊の危険で通行禁止になっている。車道をさらに先に行き、裏手の畑倉登山口から大回りして登るしかない。登山口まで行くのに結構つらいかもしれない。現に、去年は、他の山を歩いた後では、公園に行くまでの上りすらきつかった。7時35分出発。公園入口は素通り。体力が残っていたら、戻ってから公園に行く。

(今回の道中で唯一接したモミジ。あとはもうかなり以前に終わっていた様子)


(路面は濡れている。国道からはすでに離れている)


(畑倉登山口)


(馬頭観音と何だったわからない石碑)


 車道をしばらく歩く。ここも上りになっていて、登山口までこうかなと気になったが、途中で平坦になり、やがては緩い下り。右手に教習所の看板を見て、すぐ先に畑倉登山口があった(7時55分)。入口は広場になっていて、ここも駐車場として使えるらしい。車はない。公園駐車場には12台分のスペースがあったが、こちらの方が広い。馬頭観音が置かれている。その脇に「鬼の岩屋」の幟があったのが気になった。

(山道もかなり濡れている)


(鬼の岩屋)


(見上げると大きなハチの巣)


 少し登ると、脇道に向けに「鬼の岩屋」の看板があった。行ってみる。大きな岩に洞窟風の岩屋が見える。看板には『大月桃太郎伝説めぐり』とあり、「鬼の棲み家」とある。ふーんで終わった。自然の造形に伝説をくっつけることはよくある。岩の上には露骨にハチの巣が見える。子供の頃の経験からしてカメバチの巣かとは思ったが、スズメバチかもしれない。洞窟には行けず、戻る。周囲にハチは見えない。

(畑倉大神とあった)


(山頂だろうか)


(クサリ場もあったが、頼るまでもなかった)


 やはり、こちらは山の裏側だ。陽もあたらず、ハイキングコースは落葉だらけで、その下は粘土質。さらに水分たっぷり。クネクネした登りになっているだけでも助かる。注意しながら登る。休んでは下を見る。だれかがいたらプレッシャーだ。

(岩殿山山頂。右の標柱には「烽火台跡」とある)


(電波塔)


 左手上にアンテナが見えると、岩殿山山頂に到着(8時30分)。目の前に富士山が見え、看板には本丸跡と「烽火台跡」の標柱もあるのに、アンテナの方が気になった。確認しに行ったのに、もう忘れた。山梨放送だったような気がする。山頂には岩殿山城の本丸があったようで、武田氏系の小山田氏の城だったとか。調べると、その後は真田やら北条もからんでいたようで、この先に馬場跡番所跡やらいろんな城の施設があることからして、城というより、岩殿山そのものが岩峰だし、堅固で大きな砦だったらしいことがうかがえる。堀切じみたものは見かけなかった。

(山頂から富士山。右端に三ッ峠山)


(少し大きく。大きくすると、素人では空の青さが薄れるのが難点)


(もう少し大きく)


(これ以上は撮りたくない)


(このアングルもいい。左の方は陽があたって、逆光でまともな写真が撮れなかった)


(しつこく)


(山名標柱を入れて)


(同じような写真ばかりになったが、左がうるさいが自分にはこれだな)


 それはともかく町見富士の観察。真っ青な空に御前が控えていた。着雪のレベルは自分好み。しっかりと大月市街が入っている。遠くに小さく街並みが見えるのもいいが、眼下というのもおもしろい。山並みとしては、三段構えで、左に九鬼山、その奥は御正体山、右手に高川山、その奥に三ッ峠山だけはわかった。三ッ峠山だけは山頂に電波塔群が見えたから確実だろう。他の山名は誤っているかもしれないので余計なこととして記さない。しかしラッキーだった。雨上がりの澄み切った視界に、街並みも入れた富士山は格別だ。どうせ、だれもいないからと、一人でゆっくりくつろいだ。ただ、濡れたベンチには腰掛けられない。タバコを忘れたのは失敗だった。

(先に下る)


(下る途中で)


 「こんにちは」と声をかけられてびっくりした。オッちゃんが登って来ていた。オッちゃんはアノラックを脱ぎ、その下は厚手のシャツ。それじゃ、ここまで来ただけで暑かったろう。こちらは、すでにフリースを脱いでシャツだけになっている。富士山眺めもそろそろ潮時かと思っていた。オッちゃんが来たのが、ふんぎりになった。先に行くか。オッちゃんに聞いた。常連かと思ったからだ。「この先、滑りやすいですかね」。一番の心配事だ。そしたら、「私も、ここは初めてだけど、結構、滑りやすいようですよ」。やはりなぁ。そこまで調べたのなら、この先はオッちゃんも行くのだろう。「ダメなら戻りますから」と先に下る。8時45分。このオッちゃんには二度と会うことはなかったし、山中と、戻ってからの公園でもだれにも会うことはなかった。
 下ったはいいが、ずっとクネクネの下りっぱなしで、ダメなら戻るというのはきつそうだ。どこまで下るんだろうか。地図を見れば、すくなくとも150mは下りそうだし、その先は尾根伝いとかではないようで、地味な上りになっている。つまりは、大月の山ならではの律儀に置かれた標識としっかりした道を頼りにして歩くしかない。
 粘土質は普通の土になり、落葉も少なくなった。水気は乾いていず滑りやすい。オッちゃんの「滑りやすい」がかなり気になっている。ストックはすでに収納し、両手フリーにしている。ストックのゴムキャップが意外と滑りを招く。

(馬場跡)


(先の高台から)


 烽火台跡(山頂にもあった)、馬場跡と続く。馬洗池への標識もあった。その場、その場で広場になっていて、東屋さえある。ここには「兵舎」とある。富士山はまだきれいに見えている。大月駅の北側に高いビル。あれは東横イン。その他に高いビルはない。このホテル、ウワサによれば、中央特快の大月行き最終で寝過ごした客を拾うのを目的で建てられたとか。そんなことはあるまいが。

(番所跡)


(急坂下り)


(どこに導かれているのか、地図を見てもわからない)


 標識の浅利登山口方面に下る。番所跡通過。こうなると、かなりの規模の山城(砦?)だったようだ。ここの下りでまた落葉が溜まってきた。助かったことに、部分的に手すりが設置されている。また標識が出てきて「兜岩・稚児落し」とあり、さらに「危険 この先はクサリ場のあるコースです」とまである。険しそうな下りなのに、初心者向けのような手すりが何であるのだろうか。尾根状ではないから、どちらの方向に導かれるのか、視界を見ても依然としてわからない。

(築坂峠。城域はここから始まることになるらしい)


(この先。嫌な予感がする)


(平坦で歩きやすい)


(林間コースとクサリ場コースの分岐標識)


(クサリ場登り)


(垂直に近い)


(登り切って見下ろす。V字を登った。10mもなかったろう)


(眺める余裕はあった)


(まだ上があった)


 クサリを頼らずとも下れた。鞍部といった感じのところにあった解説板は「築坂」。いわゆる築坂峠のことらしく、ここが城への入口のようだ(9時05分)。クマ出没注意の看板もあるが、こんなところに…と思いながらも、今は、どこにクマがいても不思議ではない。
 目の前にピークが現れた。その手前に、直進クサリ場、右は林間コース、つまりは巻き道のことだろう。ここはクサリ場を選ぶ。狭っ苦しい岩の間にクサリが垂れ、上部には鉄の足掛けが何段かある。かなり急だ。滑りそうな感じはない。クサリをつかみ、後はクサリと足掛け。一旦、平らになり、右奥に富士山。まだ先はあった。今度はロープ。使わずともに済んでピーク。ここで林間コースが合流した。たっぷりと汗をかいた。その半分は冷や汗だったかも。腕の筋肉もかなり衰えたものだ。

(ほっとして歩いているが、右手の姿のはっきりしないピークが気になっている)


(岩峰じゃないの。二つ連なっている)


(岩峰の下から)


(はい、残念でした。自己責任を負ってまで行く気はない)


(巻いても岩場はある)


(おとなしくなったが)


(ここにも。二つ目の岩峰か?)


(登り切って岩殿山)


 しばらく平坦な尾根が続く。左手奥に富士山を見ながらの歩き。街並みの半分以上が消えている。
 正面に、明らかに岩峰が現れた。まさか、あれを登るのではあるまいな。心配無用だった。崩落により通行止めになっていて、右手にある巻道に誘われる。通行止めでなかったら、おそらく意地でも行ったろう。こちらも岩場登りはあるものの、垂れたロープを使うまでもない。かなり巻いたような気がする。先のピークから振り返ると、電波塔が立っているところからしてあれが岩殿山らしい。たいして歩いていない距離だ。不格好な山だ。思うに、この先、兜岩と記した標識は見なかったから、おそらく、巻いた岩峰は兜岩だろう。

(天神山)


(天神山から)


(三ッ峠山を入れて)


(天神様)


(ちょっと失礼。ドアはオレが開けたわけではない。最初から開いていた。念のため)


 何となくといった感じで送電鉄塔のある天神山の標識(9時40分)。石かコンクリート製の小さな祠を覗くと、天神様が笏を持ってお立ちになっていた。ここからの富士山は枝が邪魔になるが、ちょっと先に行くと、きれいな富士山を眺められる。

(稚児落しが見えた)


(ここを行く。このまま岩の上歩きになると思っていたが)


(まさか、岩の上から富士山にうつつを抜かしていたら感覚がおかしくなったということでもあるまい)


(本当にどう歩いたのか記憶がない。気づいたらこんなところを歩いていた)


 軽い登り下りを繰り返すと、いよいよ、あれが稚児落しかと思われる岩壁が見えた。緊張する。今回の歩きではここが最大の難所だろうとその時まで思っていた。巻き道がまた林間ルートの名前で右に向かっていたが、恐いもの見たさで、そちらには行かない。
 丸みのある幅2.5mほどの岩の上を歩いて行くと、またしつこく林間ルート分岐。無視。稚児落しの岩壁が迫ってくる。富士山がちらり。この辺りになると頭と左の斜面だけ。このまま岩の上を歩いて行くものとばかりに思っていた。もしくは、途中で林間ルートに入り込んでしまったのかよくわからない。記憶がさだかではない。こんなところを歩くの? と思ったものだが、岩の上をずっと歩いたわけではなく、途中からなぜか岩からは離れ、疎林の中のステップのあるところを歩いていくと、すでに稚児落しの突端の台地に着いていた(10時05分)。つまりは終点。二つ目の林間コース分岐看板からわずか5分。わけがわからないが、岩壁の上を通しで歩いてはいないようだ。歩いていたら、また大汗をかいていたはずだ。

(稚児落し。向こうからやってきた。この岩壁そのものが稚児落しなのか、今、眺めている場所が稚児落しなのかは知らない。しかし、オレはどこを歩いて来たんだ?)


(つい探してしまう。かろうじて)


 難所と思っていたところを何事もなく通過したのだから、手段の方は考えまい。また戻って確認に行くわけにもいかない。ここから岩壁を眺めているだけで十分だ。ところで、この稚児落しだが、岩殿山城が織田方に包囲された際、逃れるべくここにさしかかり、城主の側室の赤子が泣き出し、このままでは見つかると、護衛が赤子を谷底に落としたという伝承があるようだ。ただ、夜にここを歩けるものだろうか。昼だったら全体が見えて余計に恐い。
 ここの岩壁の周囲は、紅葉時期なら結構きれいかもしれない。その名残りを感じる。富士山はといえば、高川山に半分隠れている。周囲の東側の空が幾分白みがかってきているようだ。この時期だからと、安心して遅く出ると、澄み切った空の富士山は期待できないかもしれない。

(下る。途中で滑って転ぶ)


(急さはわかるだろう)


(大月駅の標識が出てくる。右に行ってもいいのだろうが、遠回りだろう)


(橋を渡って)


(車道歩き)


 あとは下るだけだ。大月駅への標識が出てくる。また落葉道になった。結構急だ。慎重に下っているつもりだったが、ここで両足ともに滑って尻もち。痛かった。注意して歩いていてもこのザマだ。今回滑ったのはこの一度だけ。
 緩くなったところで人家が間近になった。すでに富士山はここからでは山陰で見えない。橋を渡って車道に出た。10時33分。ここから駐車場までは退屈な車道歩きになる。車道とはいっても、車の量は至って少ない。

(二十三夜)


(高速の下)


(馬頭観音。撮るものもないから撮った。珍しくもない)


(岩殿山)


(橋を渡って)


(駐車場に戻る)


 途中、花咲山の標識を見かけた。時間も早いし、近ければ行ってもいいかと地図を確認した。1時間40分。往復を考えればちょっときつい。念のため、スマホで花咲山を調べると、富士山は頭だけがちらりと見えるようだ。今回はパス。すでに行っているが、桜の時期に合わせ、お伊勢山も加えて歩いてみるのもいいかも。
 近道をしたつもりでいても、後でGPSでみると遠回りをしているところもあった。駐車場には11時8分に到着。3時間半か。オレの足ではこんなものだろう。速い足なら2時間台かと思う。ハイカーと思われる車が5台増えていた。

 このまま帰るには往復の車の運転時間の方が長い。片道2時間。いつかは行きたいと思っていた、河口湖の河口浅間神社遥拝所にでもと思ったが、ナビをセットしてみると、一般道で一時間かかる。もう霞富士になっているかもしれない。仕方ない。岩殿山公園に行くか。

(公園へ)


(樹々の葉は枯れ落ちている)


(途中で)


(公園エリア。通行止めでなければ、ここからなら岩殿山まで20分ほどだろう)


(ふれあいの館。これ、もしかして岩殿山城の再現だろうか。だとすれば、砦や城ではなく館ということになるか。中に入りはしなかった)


(丸山から。前述のように、アップにすると白っぽくなる。いや、時間的にこうだろうか。12時前だが)


 駐車場のすぐ上とはいっても、上り坂はやはりきつかった。何度か立ち休みをした。町見富士は、やはりバックが出がけに比べて少し白くなっていた。富士見に来たのに、紅葉でもないが、公園に少しは紅葉が残っているかと期待したが、すでに終わっていた。今回は紅葉とは無縁で、唯一、畑倉登山口で見かけた、道路沿いで電線入りのモミジだけだった。この時期だし、山で紅葉を追うのはもう無理。紅葉が残っていたとしても、町見富士眺めには勝るまい。これで十分だ。

(今回の歩き)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)

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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2023-12-17 19:06:33
今晩は。
町見富士ですか!
桂川沿いの街並みと富士山がいいですね。
兜岩と稚児落としを恐れていたのですが、そういった所は少なくとも避けて歩けるという事が分かり少し安心しました。いずは行ってみたいと思っていますので。通行止め情報も助かりました。
岩殿城の本郭はもっと狭いと想像していたのですが、そこそこの広さがあるのですね。武田勝頼を迎い入れるはずの城だったので、ある程度の広さがあって当然かもしれませんね。
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2023-12-18 07:03:23
ぶなじろうさん、おはようございます。
そうでしたか。岩殿山城は、勝頼を迎えるつもりでいた城でしたか。山そのものはゴツゴツして見えますが、上は平地になっていて、ところどころが開けています。城の跡形はまったくありませんが、かなり大きな城だった感じがしました。
この山のきついところは、最初の岩場の登りでしょうか。腕力が少々必要です。ですが、多くのハイカーが登るし、巻きもありますから、難所というほどでもありません。兜岩は元より進入禁止ですから、登る必要もない。稚児落しは見た目ほどに危険スポットでもありませんでした。もっとも、自分がどう歩いたかさえ記憶に残っていませんけど。
この山、どこをどう歩いているのかわからなくなることもありますが、頭を使ってまで登るようなところはありませんでしたよ。

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