カラヴァジョオの絵と思われる「いばらの冠を頂いたキリスト」
カラヴァッジオ(Caravaggio/ 1573-1610)はイタリアのバロック絵画の巨匠です。当時のヨーロッパ美術界にカラヴァジェスキ(Caravageschi/カラヴァッジオの様式 )を生み、多数の画家がその影響を受けました。スペインのリベラやオランダのレンブラントもそうです。そのカラヴァッジオの絵がマドリードで見つかりました。初めは誰も信じず、贋作かよくてもカラヴァッジオの弟子が描いた絵だろうと思っていました。昔の巨匠が描いた絵がひょっこりと現れる話はよくある話ですが大方はマドリードの蚤の市(El Rastro/ラストロ)の笑い話で終わります。
良く聞いたのは、老婆が屋根裏に古い絵があるけど見てもらえないか、とツーリストに持ち掛ける話です。マドリードの実状に疎いアメリカ人などが良いカモで、二束三文にもならない絵に10万円も払った、などとニュースになりました。1970年代、1980年代の話で、スぺインがヨーロッパ連合に加盟(1986年)する前の話でした。そういえばその後、特にこの20年間はこの手のニュースを耳にしていません。それだけスぺインが発展し豊かになったのでしょう。カラヴァッジオのこの「いばらの冠を頂いたキリスト」の絵がマドリードの絵画オークションに出ましたがたったの15万ユーロ(約200万円)でした。本物なら1臆5千万ユーロ(200億円近く)の値が付きます。
カラヴァジョオのミラノ時代の画風が残る「トランプ詐欺師」
この絵は(カラヴァッジオの作品として)信憑性が高いのでプラド美術館は文部省に国外流失禁止作品と通知しました。その結果オークションから外されました。本物かどうかの鑑定調査は時間がかかる作業なので結果は数年先になるでしょう。修復も必要です。オークションには裸(額縁無し)で出ました。プラド美術館は自分のところでの鑑定調査と修正を申し出ました。もし本物ならプラド美術館のコレクションに加えるつもりです。
さてそのカラヴァッジオの話ですが、話の時代は16世紀後半から17世紀初め、舞台はイタリアです。本名はミケランジェロ・メリージ(Michelangelo Merisi)で、ミラノの北のカラヴァジョオ村で生まれました。それで美術史上ではカラヴァジョオと呼ばれています。絵の修行はミラノでしましたが画家として成功したのはローマでした。優れた写実力と人物をありのままに描く自然主義感覚の持ち主でした。その強い明暗法で表現された劇的な作品は、観る人に決定的な瞬間をあたかもその場に自分が居合わせる錯覚を与えました。他の画家には真似のできない絵画技法感覚でした。
カラヴァジョオの自画像とも言われる「病めるバッカス」
当時のローマはカトリック復興の中心都市とルネサンス古都として教会中心に建築ラッシュの華々しい都でした。教会相手に宗教絵画を描いていれば画家は生活には困らない時代でした。ところがカラヴァジョオはその天才的洞察力が絵筆を先走りさせてしまいました。光と陰が対比する演劇のワンカットシーンのように聖人を描くスタイルは斬新だったので、高い評価を得ましたが、自然主義の彼は聖母もモデルにした娼婦そのままを描いてしまいました。教義に則ったキリスト像、聖母像を求める教会には“下品”と映りました。画家としての才能と技量を認められながらも、注文主の教会とのいざこざは(作品の返却、描き直し)絶えず、私生活も喧嘩が絶えませんでした。
ミラノでも喧嘩から殺人を犯しローマに逃げたのでした。そのローマでも同じ過ちを繰り返し今度はナポリに逃げました。初めは男の意地で始まった剣を使っての決闘でしたが、持ち前の残忍さが出て相手のペニスを滅多切りにしてしまいました。このように逃げる先々の街で乱闘事件を起こしていました。当時ナポリはスペイン王国の属州でしたのでそこから今回のカラヴァジョオの絵がマドリードへ流れた説が有力です。そのナポリでも喧嘩沙汰を起こし、とうとう地中海のマルタ島へ逃げました。しかし、自分が遺族や役人から狙われているのを知ると、ローマ教皇に恩赦を請うために描いた三枚の絵を抱えて船に乗りました。その旅の途中で死にました。
ローマで傑作と評価された「聖マタイの命令」
37歳になる数か月前でした。このように各地を逃げ回っていたので自分のアトリエを構え直弟子を育てなかったので、一世を風靡したとは言え、品行の悪さもあって瞬く間にイタリア美術界から忘れさられ、絵の評判も下がりました。カラヴァジョオが再評価を受け、バロック絵画の巨匠の名誉を取り戻したのは20世紀なってからです。300年もの間は忘れられた画家でした。この度マドリードで見つかった絵がカラヴァジョオの絵かどうかの鑑定研究はこれから始まりますが、プラド美術館ではなくコルナギ美術商(Colnaghi)がそれを受け持ちました。200年の歴史を持つ古美術商でマドリード、ロンドン、ニューヨークに店を構えます。
1970年にこの絵を買った人はすでに亡くなりその子供たちが今の持ち主ですが、この画商の手に委ねました。もしカラヴァジョオの作品となればスペインから持ち出して国外で売ることはできませんが、返却日のある貸し出しは可能です。例えば、ルーブル美術館からカラヴァジョオ展をするので貸して下さい、と頼まれたらスぺイン文部省はその絵がマドリードから出るのを断ることはできません。持ち主は売らなくても貸し料が入ってきます。200億円で売れなくても、プラド美術館に市価の十分の一の20億円で買い取られるよりは、この先世界中の美術館に貸しながら渡り歩く方がカラヴァジョオの作品らしいと思います。持ち主には家宝としてだけではなく株券よりも安全な22世紀、23世紀までも振り続ける金の小槌です。
ナポリで描かれた「ロザリオの聖母」