カジョス・ア・ラ・マドリレニャ
日本から来た友達をマドリードの繁華街の裏にある“飲み屋街”へよく連れて行く。マドリードは石を投げればバルに当たると言われるほどバル(bar)と呼ばれる飲み屋が多い。バルはビールやワインだけではなくコ-ヒ-も甘いものも出すのでカフェでもあり、何よりもトイレが使えるのがありがたい。
マドリードのソル広場(Puerta del Sol )やマヨール広場(Plaza Mayor)界隈は昔からバルが集まっている。東京の新宿で飲み歩く人は“しょんべん横丁”と呼ばれているヤキトリ屋の集まった飲み屋街を知っていると思う。何となくそこに似た一角がソル広場とサンタ・アナ広場(Plaza Santa Ana)の間にあるので、僕が勝手に飲み屋街と呼んでいるだけです(ちなみにマヨール広場界隈のは“メソン街”と勝手に名づけました)。カフェよりもタベルナ(taberna)と呼ぶ居酒屋みたいなバルが連なっています。
飲み屋街。軒並みバル、バル、バル
マドリードは元々よそ者たちが集まって大きくなった街なので、スペイン各地の名物料理も集まりました。北のガリシアのゆでタコ、地中海のバレンシアのパエジャ、南のアンダルシアのガスパッチョスープなどなど、レパートリーは広い。ひと昔はやはり地元の味にはかなわない、と言われたが輸送機関がスピードアップした今日では地方の新鮮な素材がマドリードに集まるので、それは昔話となった。日本でも知られるようになった“タパス”と呼ばれるつき出しもマドリードでスペイン各地のタパスが味わえる。
タパスではないが何故か不思議なのが、海の無いマドリードなのに、イカのリング揚げサンドイッチがマドリード名物なことだ。ボカディージョ・デ・カラマ-レス(bocadillo de calamares fritos)と呼びます。ボカディージョとはスペイン版サンドイッチで、小さいバゲットを縦に切り開いて中にイカリングを詰めます。マヨール広場界隈のバルやアトーチャ駅(Estación de Atocha)近くのバルのボカディージョ・デ・カラマーレスがマドリっ子たちのお勧めです。
おっと話は飲み屋街だった。僕が通い始めた40年前の飲み屋街のバルにはまだまだ地方の味が残っていました。しかし近頃はマドリード全体の味が、ファーストフード的若者の味が当たり前になったせいか、はてはガイジンツーリストの激増のせいか、誰の口にも合う無国籍になってきてしまった。それだけではなく何にでもソースをかけてしまう。それは味を騙すだけではなく、素材の持ち味までも殺してしまう。
飲み屋街。左のバルの豚の耳が旨い。
そんな現代の風潮のなかでも変わらないのが“豚の耳(オレハ/oreja)”です。日本からきた友達が「あれは何だ?」と指差すので注文しますが、反応はまちまちです。沖縄の友達は美味しいと顔をほころばせますが東京の友達は残します。同じ都会人でも東南アジアを旅する“ゲテモノ好き”は綺麗に平らげます。
豚の耳のぶつ切りにニンニクのみじん切りを加えて鉄板焼きにします。よく見ると豚の毛などが付いたままですが気にしないことです。日本では豚足などを調理する前に火で毛を焼いてゲテモノの欠点をそれなりに処理しますが、スペインではそんなことには気を使わず丸出しです。焼きあがった豚の耳には好みでパプリカソースをかけてもらいますが僕はそのままが好きです。焦げた豚の皮のコリコリ感と白いゼラチン質を直に味わいたいからです。これはスペイン中央部から北部のタパスです。
次に友だちが「あれは何だ?」と覗きこむのは、カジョス・ア・ラ・マドリレニャ(callos a la madrileña)です。昔から“マドリードの下品料理”と呼ばれ、貧乏人が食べる内蔵煮込み料理でした。牛の胃袋を脚の肉、豚の鼻先、豚の腸詰め等と6時間煮込みます。美味しい食べ方は二日前に作っておいて食べる時に温めます。材料は牛の胃袋や豚の鼻先と言う下品な代物ですが、それを綺麗にするのに手間がかかります。胃袋は酢やレモンと一緒に丁寧に水洗いして、茹でます。これを何回も繰り返してネバネバや臭いを取り除きます。
僕は料理には手間暇を惜しまない方だと思います。例えば、マドリードの闘牛が始まると殺された闘牛の肉が市場に出るので、闘牛の尻尾のぶつ切り煮込み料理のラボ・デ・トロ(rabo de toro)も作ります。皮を剥いた尻尾のぶつ切りを赤ワインに浸し、すりおろした人参を加えて半日ほど煮込みます。スペイン人は白ワインで煮込みますが僕は赤ワインの方が好きなので自分でつくります。ワインを足しながらとろ火で煮続けるのも結構面倒で家を空けることもできません。
それに比べてもカジョスは面倒すぎます。カスケリア(casquería)と呼ばれる臓物は本来安いものですが、肉屋で綺麗に下ごしらえした胃袋パックを買うとそれなりの値になり、大人数分を作るなら自分で下処理から始めないと高いものとなります。だから1人分や2人分ならバルで食べるか、スーパーで出来上がったパック詰めを買ってきます。幸い近所に“スペインのお惣菜屋さん”の自家製カジョスがあるので買いますが、4人分で2~3千円くらいだと思います。
やっぱり貧乏人料理を謳うには一人分百円じゃないといけません。パック詰めカジョスは1キロ千円くらいで、4~5人分です。高カロリー、高コレステロールと悪名高きカジョスなので、肥満のオヤジや痛風持ちのグルメには厳禁ですがたまに食べるには問題ありません。18世紀の王室画家・ゴヤの大好物でした。
21世紀のマドリードでは高級レストランでも出します。一皿3500円も取るので白い皿に盛られたカジョスを銀のスプーンで食べますが、やはりカスエラ(cazuela)と呼ばれる茶色の土の皿に盛られたのがシックリします。パンをちぎっては浸して食べ、フォークとパンでカジョスを挟んで食べるのが僕は好きです。最後に残る汁もパンを浸して“下品に平らげます”。
カスエラに盛ったカジョスはパンを浸して食べる。ワインはコップで。
で、何が美味しいか? 長時間煮込んだ胃袋や鼻先から出るあのとろみ、豚の耳のゼラチン質とは違う甘みじゃ無いでしょうか。辛いパプリカと甘いパプリカを合わせて煮込むので、それらが腸詰めから出た肉汁と絡まってあの胃袋の内部のヒダヒダにへばりついて、噛んだ感触と味はこってりです。これもジーと見ると、胃袋のシワやヒダ、海綿状のフワフワが目につきますが、あまり気にしないことです。
カジョスが下品料理のナンバーワンならナンバーツーはコシード(cocido)でしょう。両方共ア・ラ・マドリレニャと呼ばれるようにマドリードを代表するごっちゃ煮料理でワインは赤でも白でも合います。庶民的にハウスワインをワイングラスではなくコップのがぶ飲みといきたいです。