Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

I PURITANI (Thurs, Jan 11, 2007)

2007-01-11 | メトロポリタン・オペラ
ヨーロッパほどではないかもしれませんが、ここニューヨークでも、ネトレプコの人気は勢いを増してます。
”真のベルカントレパートリーは彼女の声にあってない”とか、
”声自体はそれほど印象的じゃない”とか
”彼女の歌唱は劇場で見ないと真価がわからない(そして、当然、そのあとに、声だけでつたえられないとだめなのだ!と、まくしたてるコアなファンがおり。。)”
など、いろいろ言われていますが、
やっぱり、それだけいろいろ言われること自体、やはり”人気”があるといえるでしょう。
ましてや、多分新支配人ゲルプ氏の作戦でしょうが、今シーズンの彼女の扱いはまるでセレブ。
この状態で、なかなか彼女の歌をフェアに聞くのは難しい!がんばります!!

まず、申し上げておきますと、
私は基本的に、ネトレプコのファンだし、これからの活躍もおおいに期待するものです。
去年、メトで演じたドン・パスクワーレのノリーナは、
うるさがたのファンには、あれは正統なベルカント唱法ではない、とかいろいろいわれてましたが、
このサイトの紹介にもあるとおり、私は音楽の専門家でなく、
限りある財力と時間の中で、どれだけ心を動かされる演奏に出会えるか、という
まるっきり独自の好き勝手な聴き方をしているだけなので、
感動的な演奏に寄与するテクニックは大いに歓迎するのですが、
テクニックのためのテクニック、スタイルのためのスタイルのようなものはあんまり興味がなく、
(とはいえ、多くの場合、やはり技術やスタイル感のある歌手の方がドラマに深みを与えうるのもまた事実ですが。。)
それゆえに、むしろオーソドックスではなくても、いきいきと役を演じきった様子、
何度高音を出しても後から後から湧き出るような声にエキサイトしたものでした。
またその高音も、”ring "とでもいいますか、空気がぴーんとなるような響きがあって、すばらしかったのです。
近頃、漫画”ガラスの仮面”をまた読み始めたのですが、その例を借りれば、
姫川亜弓演じる、原作からぬけでたような”たけくらべ”のみどりをオーソドックスなノリーナとするなら、
ネトレプコのそれは、おきゃんで型破りだけど、観客にとっては不思議と目がはなせない、北島マヤ演じるみどり、といった趣でした。
それから、ヴォルピ総支配人のさよならガラの時の、夢遊病の女からのアリアも、よかったですし。。

そんなネトレプコですが、この”清教徒”、初日のラジオ放送では、
ちょっとにわかに信じがたい(悪い意味で)歌いっぷり。
彼女のCDで聴ける狂乱の場、Qui la voceが本当に素晴らしいのですが、
そこで聴ける歌唱と比べ、声がだいぶ暗くて重たい感じに聞こえたのと、
とにかくトリルが重たくてどうにもこうにも。。
まあ、その日は調子も悪かったのかもしれません。



さて、今日の公演ですが、初日より全然良くなってました。
またトリルもきちんと決まってましたし、ピッチも良かった。
ただ、惜しむらくは、やはり、初日に思ったほどではないとはいえ、
オペラハウスで聴いても声の質の変化が感じられた点。
また、最高音域が出にくくなっているように感じました。
去年のようなringが聴かれず、音にかすかに”すかすか感”が残るときも。



しかし、この方の声による存在感はやはりただものではありません。
多くの人が、ネトレプコのことを、”見た目が綺麗で得して!”と思っているようですが、
私がこの日、もっとも胸を打たれたシーンは、
狂乱の場のはじめ。
みんなが階段の踊り場にたたずんでいるところに、
2階から、正気を失い始めたエルヴィラの声が聞こえるシーン、
アルトゥーロが他の女性と駆け落ちしたと勘違いして、
(実はスチュアート家の女王を安全に逃がすための偽装工作)
O rendetemi la speme, o lasciatemi morir (私に希望を返して。そうでなければ死を。。)と歌いだすシーン、
ここはオフステージで歌われ、彼女の姿など全然見えないのですが、
このフレーズからあふれ出る悲しみのなんとリアルなこと。。
声だけにこれだけの心情がこめられるとは、
ルックスだけのソプラノにできることとは思われません。



ヴェルディ中後期の作品やプッチーニ作品のように情熱的な音楽よりは、
むしろ、モーツァルトの作品やベルカントのレパートリーの方が彼女にはあっているように思われるのも興味深いところ。あと、フランスもののレパートリー(マノンなど)も、私は聴いていないのですが、大変評価が高いようです。
(椿姫やリゴレットも歌っていますが、ヴェルディの作品の中では比較的に早い時期の、まだベルカントレパートリーの影響を受けているころの作品ですし。)
実際、ボエームのミミを歌ったときは全然しっくりこなくて、
役作りにも疑問が残りました。

あと、ひとつは、忙しくて、役を十分歌いこめる時間がないのではないか、と思いました。今日も、プロンプターにだいぶたすけられ、2幕のカーテンコールでは、
狂乱の場で抱えていた花束を、プロンプターボックスに差し入れる場も。。
長丁場なので、時に助けが必要なのもわかりますが、ラジオ放送の時から、
かなりひんぱんにプロンプターの声が確認されているので、
もうちょっと役を覚えてこなしてほしいところ。
変な箇所でブレスをするのが多かったのも気になりましたが、
それも、能力というよりは、どちらかというと、役の研究時間の不足から来ているのではないかと思われました。



さて、ネトレプコ以外のキャストについてですが、
まず、Cutler。まだ若手のアメリカ人テノールで、だいぶ期待がかかっているようですが、
高音でテンションがかかるのが、なんとも聴いていてつらい。
声量はあって、舞台栄えもする体格なのですが、
フレージングとか高音の発声とか、まだまだ磨かれる前の原石状態。
VassalloとRelyeaは、手堅く脇を固めていたと思います。



さて、しかし、この作品も、狂乱の場が信じられないよさだからともかく、
一幕の拷問のような長さ(そのくせ、ほとんどが2幕にいたる単なる状況説明)、
ストーリーのご都合主義ぶりといい、(なんで発狂したはずのエルヴィラが正気にもどる!)
”この作品の現代版がFirst Emperor?”疑惑(2006/12/26の記事参照)が発生しました。

Anna Netrebko (Elvira)
Eric Cutler (Arturo)
Franco Vassallo (Riccardo)
John Relyea (Giorgio)
Conductor: Patrick Summers
Production: Sandro Sequi
Grand Tier B Odd
ON
***ベッリーニ 清教徒 Bellini I Puritani***