Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

THE MERCHANT OF VENICE (Sat, Jun 12, 2010) 後編

2010-06-12 | 演劇
前編より続く>

2004年の映画に登場した女優は、全然イメージが違う、、とがっかりさせられたポーシャ役。
今日この役を演じているリリー・レーブは、アップの写真を見ると全然美人な感じはしないのですが、
(2008-9年シーズンのメトのオープニング・ナイトにも観客として姿を見せていました。)
舞台では非常に魅力的に見える女優で、
一幕二場で初めて姿を現したときには、長いブロンドの髪が
大柄(に見える。この場合、決してオペラで言うところの大柄=横に太い、ではなく、
背が高くて、体型もちょうど良い、という意味。)な舞台姿に映えて、
”おお!これはかなり私が持っていたポーシャのイメージにぴったり!”とわくわくしました。



しかし、彼女が自分の台詞を喋り出してびっくり!、、、、
このルックスに似合わない、がまがえるみたいな声は一体、、?!
何十年もアルコール漬けだったおばあさんのような声に我々二人ともぼー然です。
第五幕でポーシャとネリッサの帰宅を、ポーシャの声で気づいたロレンツォを、
"He knows me as the blind man knows the cuckoo,
By the bad voice!"と受けるポーシャの台詞がありますが、まるでしゃれになってません。
彼女の場合、声だけでなく、特に今回はシェイクスピア劇ということで、
発音、発声を意識した部分も多少裏目に出たのか、
インターミッション中に、私の連れも、”彼女は見た目はいいのだけれど、
イタリアの金持ちの令嬢というより、たくましいNY女みたいな喋り方で違和感があるなあ、、。”と言っておりました。
ただし、我々二人とも、インターミッションの後の彼女の演技は悪くなかった、というので意見が一致し、
特に法廷に男装で登場する場面は、自然な演技で、ポーシャ自身として登場している時よりも魅力的なくらいでした。
また、彼女はアントニオ役、バッサニオ役の二人と比べると、自身の役と作品全体におけるこの役の位置づけを、
最も的確に把握していたと思います。



私は先にこの作品から『フィガロの結婚』に共通したものを感じると書きましたが、
それは、ポーシャとバッサニオがラブラブな状態を経て結婚しながら、
最後には、彼らは一つなんかではなく、別々の独立した人間であることを意識し、
また二人の関係が昔と全く同じには戻らないことを知りながら、
それでも一緒に生きることを選ぶからです。
(だからリンクレーターの、”二人が後に離婚する”なんていう、
上手く行かなきゃすぐ別れりゃいいだろう的な現代風の仮定は、馬鹿馬鹿しいと思う。)

バッサニオは一旦、ポーシャが変装した若い法学者に、指輪を渡すことを拒みます。
それから、彼女が去った後で、アントニオに説得されて、わざわざ遅れて遣いを送り、
指輪をポーシャに届けさせる。シェイクスピアが意味無くこんな手間をとるわけは決してなく、
このことでシェイクスピアが描写したかったのは、ポーシャが、二度、
バッサニオに落胆させられた、ということなんではないか、と私は思います。



彼女はこの場面で、非常に矛盾した二つの感情を持っています。
一方では、バッサニオに自分との約束は、理由が大事な親友であれ、何であれ、死んでも守って欲しい、という気持ち、
それから、その一方で、恋愛を超えた人間としての尊厳を大事にして欲しい気持ち。
そして、後者であったなら、きちんと説明すれば、ポーシャもそれをきっと理解するであろう、という、
彼女への真の信頼を持っているかどうか、ということ。
しかし、あろうことか、バッサニオは、この両方の面でテストに落第してしまうのです。

最初に指輪を手放すことを拒むことによって、彼女との約束を尊重することは証明できましたが、
それはすなわち、親友のために誇らしい行為を行う勇気がない、ということと同義であり、
また、ポーシャはこの事態を理解しないであろう、という考えが根底にあることを意味し、
彼女への絶対の信頼の欠如を示しています。

さらに、バッサニオの駄目駄目なところは、アントニオに促されて、決心を変え、
指輪を手放すことを決める点です。
これにより、彼は、ポーシャとの約束も守れず、尊厳ある行為を行うのも、
アントニオという友人の助けを借りないと無理、ということが露呈してしまいました。



シェイクスピアのこの作品での見事さというのは、
まず、バッサニオが正しい箱を選んでポーシャを勝ち取るという感動的なシーンを置きながら、
アントニオの尊厳ある行動に、話を聞くだけでも心打たれたポーシャが自ら彼を助ける行為に身を乗り出し、
(ただ、この時点ではまだ、バッサニオの力になりたい、という動機が第一だったはず。)
そして、最後に、本当に確固とした自分を持ち、どんな時にも決心が揺るがなかったのは誰なのか?
ということを考えれば、ポーシャが本当に人間として愛しているのは、バッサニオではなく、
アントニオの方になっているであろうことは明らかで、
これらを段階を経て、きちんと観客に消化する時間を与えてくれている点です。

いや、大体、なぜ、指輪を手放すことを選択させる、というようなテストを、
バッサニオに対してポーシャが考え付いたかといえば、
それは、正しい箱を選ばせる、という、彼女の父親が編み出した結婚相手選別法に対して、
彼女自身が、自分にふさわしい相手を選ぶ方法を思いついたということなのです。
そして、彼女の父親ではなく、彼女自身が選んでいたなら、
バッサニオではなく、アントニオの方こそが彼女にふさわしい男性だったということが、
これではっきりするのです。



法廷の中で初めてアントニオと法学者に扮したポーシャが顔を合わせるシーンもわくわくしますが、
それ以上に、彼女の自邸で二人が、もう一度、顔を合わせる(今度はポーシャの本当の姿で)場面は、
ですから、私がこの作品で最も好きな、万感の思いがこみ上げる場面です。

しかし、時すでに遅し。ポーシャはすでにバッサニオと結婚した身。
それに、バッサニオの優柔不断な行動は、また、彼の愛すべきキャラクターの裏返しでもあるわけで、
彼女は、彼らの関係が、結婚したばかりの頃とは違う性質になってしまったのを承知で、
それでも彼を愛し続けていくことを選ぶのです。

ポーシャ役のレーブは、最後にきちんと、この複雑なレイヤーを感じさせる余韻を演技に残していて、
その点は、大きく評価します。
ただ、作品として、この余韻が最大に広がるには、
アントニオもバッサニオも魅力的な人間として描かれていなければならず、
私がジェニングスやリンクレーターの演技が、”普通の人すぎる”とか
”なよなよし過ぎ”と不満を持ったのはそういうわけなのです。



というわけで、この3人がメインの物語である、と思っているので、
シャイロック役にあまりにも大きな意味を持たせようとする演技や演出は、私は好みません。
その意味では、パチーノのような他の俳優を大きく演技力で凌駕してしまうような俳優を
この役にキャスティングすること自体がそもそも間違っているとも言えるのかもしれません。
もしくは、そのような場合、シャイロック役の俳優は、
演技があまりにフル・フォースにならないように、
意識してトーン・ダウンしながらこの役を演じる必要があるのではないかと思います。
その点で、あのBBCのテレビ映画でのオリヴィエの力の抜き方、シニカルな雰囲気はさすがだな、と思います。



パチーノは、映画に比べると、ずいぶん演技のアプローチを変えていて、
じめじめした感じがかなり払拭されていたのは、ほっとしました。
シャイロック役は必ずしもパチーノの得意とするタイプの役ではないと感じますが、
それでも、一瞬たりとも演技を流すということがなく、全力で取り組む姿勢は素晴らしい。
ただ、その一生懸命さが、このシャイロック役では裏目に出てしまうところがあるのが難しいところです。
また、これはパチーノよりも、演出家に責任を帰す方が適切だと思いますが、
法廷の場面の後で、実際にシャイロックがキリスト教に改宗させられるのを具体的に示すため、
例の”水が張れる床”の仕組みを利用して、洗礼を受けさせられたパチーノが、
キリスト教信者に無理やりに水に顔を突っ込まされ、立ち上がった後に、
仲間のユダヤ人に取り囲まれながら、毅然とした態度でキッパを被りなおす、という場面が挿入されました。
私は何度も言うように、この作品で、ユダヤ人であることの苦しみ、辛さをことさら訴えようとする演出は、
シェイクスピアがこの作品を書いた時点での本来の意図にそぐわないと思うし、
第二次世界大戦を経た後の世界観に基づいて、必要以上に意味を添えようとする演出は、見ていて正直、うんざりします。
このオーバードラマティックな、原戯曲にない場面が、作品の大きな流れを壊し、
舞台で浮きまくっているのがどうしてわからないんでしょう?



むしろ、今日の公演で意外にも楽しめたのは上の4人以外のキャストで、
特に、ネリッサとグラティアーノのコンビと、
ポーシャの結婚相手候補として謎解きに挑戦し、
いきなり間違った金の箱を引いてしまう、モロッコの王子です。

ネリッサ役を演じたマリアンヌ・ジャン=パプティストは、"Without a Trace"(2002年から2009年にわたって出演)、
グラティアーノ役を演じたジェシー・L・マーティンは、”ロー・アンド・オーダー”(1999年から2008年まで出演)と、
いずれも人気テレビ番組に出演していた二人で、これらの番組はよく再放送されていたりするので、
いつもテレビで見ている彼らが、生の舞台ではどういう演技をするのだろう?という興味もあり、
こういう部分も、シェイクスピア・イン・パークが観客の人気を呼ぶ一つの要素だと思います。

ジャン=バプティストは、”Without a Trace"の頃から、独特の存在感があって、
面白い俳優だな、と思っていましたが、演技のスタイルがそれぞれ違う俳優の寄せ集めで、
つい、個々が頑張りすぎてしまう嫌いのある今日のような公演で、
最もアンサンブルの意味を理解し、役にきちんと合わせた規模の演技をし、
周りの共演者とのケミストリーにもきちんと気を配っていた彼女の力はなかなか目を見張るものがあります。
特に彼女は黒人なので正直、ネリッサ役を演じるには不利な部分もあったと思うのですが、
舞台の最後にいたるまでには、全然そのようなディスアドバンテージを感じない演技で、
この役をきちんと自分のものにしていたのは素晴らしいと思います。
プレイビルに掲載されていたプロフィールで知ったのですが、彼女は英国王立演劇アカデミーの出身だそうで、
出身学校で俳優の実力が測れるほど単純なものでもないとは思いますが、
もしかしたら、今回のシェイクスピアの公演で、主要な役柄のうち、
彼女の演技が最も的を射た感じがしたのは、その事実と全く無縁ではないのかもしれません。



そんな彼女に引っ張られた部分もあったかもしれませんが、マーティンとジャン=バプティストの二人の方が、
ポーシャとバッサニオのコンビよりも、強力なケミストリーがあったと思います。
マーティンの演技は最初はどう見ても黒人のお兄さん的で、シェイクスピアというコンテクストの中ではどうなんだろう、、?
と思わなくもないのですが、最後には力で持っていってしまう感じです。

それを言うと、驚いたのは、今回の公演で、非常に台詞が聴き易かったことで、
最初は、”うふふ。私の予習が実を結んだのだわ。”と思っていたのですが、
よく考えてみれば、それだけ出演者の発音がアメリカ的(=シェイクスピア的ではない。)だっただけなのだと思います。
中には、おそらく観客にわかりやすいように、との配慮からなんでしょうが、
言葉自体まで置き換わっている部分もあって、
イギリスからいらっしゃった方がご覧になったら、憤死間違いなし、ですが、
一方で、興味深かったのは、シェイクスピアの作品自体が持つパワーで、
演じる側が、その精神をきちんと理解して演じている限り、ちょっとした細かい部分はものともしない力を、
作品自体がきちんと備えている点です。



例えば、モロッコの王子の登場シーン。
ここは、シェイクスピアが観客を思いっきり笑わせようとして書いたに違いない場面ですが、
このモロッコの王子を演じたニャンビ・ニャンビ(なんちゅう名前、、)という俳優の演技の
突き抜けぶりは、実にそのシェイクスピアの気持ちを代弁したものとなっています。
こんなのモロッコの方が見たら、あなた射殺されますよ、と忠告すらしたくなるような
(ちなみに彼はアフリカ人ではなく、れっきとしたアメリカ生まれの黒人です。)
強烈なアフリカ訛りで、ポーシャを”ぽるてぃあ”と呼び、他の単語もまともに発音できない様子や、
箱の中に入ったどくろを見て、”しまったー!全然違う箱を開けてもうた!!”と、固まる場面の恐ろしいまでの長さ、
どくろの口の中に納まった、ポーシャの父親からの”なぜ君は選択を誤ったか”を説明した巻紙を
延々と繰り出す様子やらは、何より本人がこの役を最高に楽しんで演じている雰囲気が伝わってきて、
理屈抜きで最高に楽しい場面でした。
シェイクスピアが天からこの公演を見ていたなら、彼もきっと大笑いしたと思います。
全キャストの中で、このモロッコ王子の演技が最も印象に残っているというのも、皮肉な話ではありますが、
結局のところ、スタイルや細かい部分以前に、
この作品のスピリットをきちんと自分のものにして演じれた人ほど、その演技が魅力的だったように思います。

ランスロットを演じたファーガソンの演技は、少し考えすぎで、
道化役にしては、”俺って気が利いてるでしょ?”的な匂いが少しきついように個人的には思います。
シャイロックの娘、ジェシカを演じたヘザー・リンドは、ナイーブな役に果敢にチャレンジしてましたが、
少し演技のスケールが小さい感じがするのが残念。
ロレンツォを演じたヘックの演技は、特に印象深いものは何もなく、
翌日から違う俳優が演じても、何の影響もないと思います。

今まで書いた個々の問題とは別に、公演全体でおそらく一番大きな問題は、
各俳優の演技のスタイルがあまりに違っていて、統一性に欠けることでしょうか?
同じ場面に登場する俳優同士はまだ息が合っている部分もあるのですが、
場面通しになると、全然トーンが統一されていなくて、
これは演出監督側にも責任があると思います。
もしかすると、今回の初日で、キャストが初めて通しで公演を見た、なんてこともあったかもしれません。
その場合、これから改善されていく部分もあるでしょう。

これらの問題点にも関わらず、今回の公演を見に行って全く時間の無駄だったと感じるどころか、
連れも私もインターミッションでも帰る気にならず、
終演後に大いにディスカッションして盛り上がれたのは、ひとえに、シェイクスピアの作品自体が持つ力で、
2004年の映画のように、この作品の素晴らしさを完全にぶち壊してはいない演出だったのは、幸いでした。


THE PUBLIC THEATER
SHAKESPEARE IN THE PARK "THE MERCHANT OF VENICE"

Byron Jennings (Antonio)
Francois Battiste (Salerio)
Matthew Rauch (Solanio)
Hamish Linklater (Bassanio)
Bill Heck (Lorenzo)
Jesse L. Martin (Gratiano)
Lily Rabe (Portia)
Marianne Jean-Baptiste (Nerissa)
Al Pacino (Shylock)
Nyambi Nyambi (Prince of Morocco)
Jesse Tyler Ferguson (Launcelot Gobbo)
Heather Lind (Jessica)
Max Wright (Prince of Arragon)
Richard Topol (Tubal)
Gerry Bamman (Duke of Venice)
Directed by: Daniel Sullivan
Scenic design: Mark Wendland
Costume design: Jess Goldstein
Lighting design: Ken Posner
Composer: Dan Moses Schreier
Sound design: Acme Sound Partners
Fight Director: Thomas Schall
Production Stage Manager: Stephen M. Kaus

Delacorte Theater, Central Park
Section G Row P

*** シェイクスピア ヴェニスの商人 Shakespeare The Merchant of Venice ***

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27 コメント

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ああ沙翁 (ぶらっくたいがあ)
2010-06-20 20:21:01
Madokakipさん、お久しぶりです。
私はシェイクスピアに関しては全くの門外漢で、『ヴェニスの商人』もずいぶん前に日本語訳版を一度読んだきりという体たらくなのですが、ご感想の中でたいへん共感したところがありました。
>作品として、この余韻が最大に広がるには、
>アントニオもバッサニオも魅力的な人間として描かれていなければならず、
おっしゃること、分かります。先日(というには時間が経ってしまいましたが)観に行った舞台で、全く同じことを感じましたので。
特に主役級の場合、役そのものの長所や欠点、作品全体における役のスタンスと舞台進行において果たす役割を踏まえてあますことなく表現するには、脚本の意図するところを的確に読み取る力や表現力の上に、あくまでその人物を「魅力的な人間として描く」ことが必要になると思います。例外もあるかもしれませんが……。
難題ではありましょうが、それができるか否かで、作品の真髄に迫れるか否かが決まってしまうともいえますよね。先日観た舞台ではこの難題を見事にクリアした好例を観ることができて、改めてその重要性を確認しました。

今日はNHK-FMでコヴェント・ガーデンの『ドン・カルロ』(タイトルロールはカウフマン、ポーザ侯はキーンリーサイド)が流れていました。今度のMET来日公演『ドン・カルロ』、観にゆくか迷っていましたが、今日の放送を聴いて、頑張ってお金を貯めてみようかと思いました。男らしくて“影”を感じさせる歌声のドン・カルロ、観てみたいです。
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新しく学んだ言葉=沙翁 (Madokakip)
2010-06-22 15:44:15
ぶらっくたいがあさん、

こんにちは!お久しぶりです!!

ブログの方はいつも拝見させて頂いているのですが、なかなかご挨拶が追いつかず、
本当に申し訳ございません。
ミュージカルもお詳しくていらっしゃるんだなあ、と感嘆しながら、
楽しく読ませて頂いております。

>アントニオもバッサニオも魅力的な人間として描かれていなければならず

『ヴェニスの商人』はすごく何重もレイヤーがあるので、色んな解釈の仕方が可能でしょうが、
私はこの戯曲を読んだ時、最後が一見ハッピー・エンドに丸く収まるようでありながら、
独特の寂寥感、ほろずっぱさみたいな余韻が残るのが好きだなあ、と思いました。
それが十全に伝わるには、へなちょこバッサニオや、あまりに普通の人しているアントニオは駄目なんですよね、、。
ドラマというのは、単に現実にこういう人がいそう、という意味のリアリティだけを追い求めても駄目で、
作品が全体としてリアリティを持つことが一番大事なんじゃないか、と思うのです。
パラドックスみたいになってしまいますが、作品全体をリアルにするためには、
個々の登場人物が、“よく考えたらこんな人いるわけないわな、、。”と思うような人物描写であってもいいのではないか、、、?と。
色々考えさせられて、予想以上に楽しめたのですが、それはなんといっても、やはり作品そのものの力ですね。
さすが、沙翁!です。


>頑張ってお金を貯めてみようかと思いました。男らしくて“影”を感じさせる歌声のドン・カルロ、観てみたいです。

もう、ぜひ!!
私は残念ながら帰省できないと思いますので、一人でも多くの方に足を向けていただき、
ご意見を伺いとうございます!!
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お久しぶりです (Kuritakmi)
2010-06-22 23:09:36
お久しぶりです。4月の帰国以来、ようやく少し落ち着いてきました。
相変わらずの登場人物の(あるべき)心理にまで思いをはせた素晴らしい演劇評(普段はオペラ評ですが)に感心するとともに、セントラルパークの劇場でアルパチーノのシェークスピアを見られたとは。つくづく帰国辞令が少し早かった、と残念です。

お会いしたときにはあまりお話しなかったかも知れませんが、私も舞台での演劇を見るのが好きで、かつてロンドンに居た時に、ミーハーにもアンソニー・ホプキンスの現代劇(ルパートマードックを皮肉ったPravda(真実)という劇で、とにかくうまかった)、ベン・キングスレーのオセロ(これはオセロの悲しみが良く出ていて本当に良かった)、ヴァネッサ・レッドグレイブを見たり、日本でイアン・マッケランのリチャード3世を見たり、先日までのNYK滞在中は、レイフ・ファインズを見たりしています。
(と言いつつ、一番好き劇は第三舞台の「朝日のような夕日を連れて」だったりしますが。)
こんな話もしたかったですね。ではまた。
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お元気でいらっしゃいますか? (Madokakip)
2010-06-26 14:25:01
 Kuritakmiさん、

こんにちは!本当にあっという間に時間が経ってしまいますね。
ご帰国からもう二ヶ月!
お元気でいらっしゃいましたでしょうか?

本当ですよ、一歩、ご帰国が早くていらっしゃった!
でも、NYはこの調子でいつも見たい、聴きたいものが出てきますので、
言い出すときりがないかもしれませんね。

Kuritakmiさんは演劇もお好きでいらっしゃるんですね。
お会いした時にオペラのお話を伺った時もそうでしたが、
私なんかより全然錚々たるメンバーの公演をご覧になっているんですよ。
アンソニー・ホプキンスとは実にうらやましいです!!

>こんな話もしたかったですね

本当に!
NYにいらっしゃる折は、ぜひご連絡ください!
返信する
年の功です (Kuritakmi)
2010-06-29 00:09:30

「私なんかより全然錚々たるメンバーの公演をご覧になっているんですよ。」

それは私の方が、Madokakipさんより少し長く生きているからですよ。でも理解、鑑賞の深さはMadokakipさんの方がはるかに凄いです。私はただ見ているだけだったりしますから。

ちなみに私はMusicalやRock, Jazzも好きだったりしまして、ロンドンでOriginal CastのLes Miserableや、Live Aidのコンサート(at Wembley Stadium)を見たりしています。
返信する
そういうことにしておきたいのですが、、 (Madokakip)
2010-06-29 15:07:38
 Kuritakmiさん、

>それは私の方が、Madokakipさんより少し長く生きているからですよ

と仰ってくださるので、そういうことにしておきたいのですが、
Live Aidと伺って、”おお!!”と反応してしまうのはなぜ、、?

鑑賞についても、私はここでは、
あれは何と言うのでしたか、、
お釈迦さまの手のひらで遊ばせて頂く、という感じに近いです。
皆様の方が全然、長く、良く、詳しくオペラのことを聴き、知っていらっしゃるにもかかわらず、
こうして私が好き放題、吠え放題しているのも、
温かく見守ってくださるのですから、、。

私も、オペラ沼にはまる前までは、ロックなどのライブに良く行ってましたが、
あれは、ビースティー・ボーイズのライブでしたか、
周りのみんながダイブを決めている時に、
”あたし、ついていけない、、”(気分的ではなく、
文字通り体力的に。)と、
ホール(オール・スタンディングの)の後ろにはけたことがあって、
その時にもうオペラ一本で行こう!と思いました。
あれが私の最後に行ったオペラ以外のライブです。
返信する
あ、思い出しました (Madokakip)
2010-06-29 15:09:23
 Kuritakmiさん、

いや、その後に、もう一つ、デュラン・デュランの再結成コンサートがありました。
ジョン・テイラー
返信する
私はQueenですね (Kuritakmi)
2010-06-29 22:17:07
ジョン・テーラーですか。なるほど。
Live Aidでは(当時日本に来れなかった)Paul McCartneyがLet It Beを歌うのを会場で見て涙が出ました。

私(と女房も)はQueenですね。特に私は彼らの初来日コンサートを中学生であるにもかかわらず見に行ったところからです。

ちなみにRock系のLiveではNYKからの帰国直前にMSGでEric ClaptonとJeff Beckのコンサートを見ました。

ますます、Blogのメインテーマから離れてしまいましたが....。
返信する
もっと離れます! (Madokakip)
2010-06-30 13:24:12
Kuritakmiさん、

ふふふ。ジョン・テーラーは私の中学時代のアイドルですよ。
下敷きに写真入ってましたからね。
まあ、デュラン・デュランはそういう懐かしさがあって聴きに行ったようなものです。
そんな中学時代の王子様、ジョン・テーラーが,
すっかりふけて天本英世みたいになっていたのはあまりにショックでしたけれども。

顔でなく、音楽の話をするなら、もちろん、クィーンは大好きです。
オペラ歌手とデュエットするボーカルがいるバンドが悪かろうわけがありません!
私は彼らの大ヒットチューンもさることながら、各アルバムに必ずといっていいほど入っている、
2分くらいで終わってしまう小品が大好きです。

後大好きだったのは、スミスですね。
(ロック好きの方には蛇足ですが、エアロスミスではありませんよ、スミスです。)
ジョニー・マーのギター、モリッシーのへなちょこな歌とインタビューでの毒舌、、
ああ、、、(遠い目)
返信する
そこまで離れますか (Kuritakmi)
2010-07-02 21:32:08
スミスはMadokakipくらいの年齢層には人気があるんですよね。
私はStravinskyをYes、MussorgskyをEL&Pで学んだ人ですので。
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