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まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

未来を決めるやり方

2009-03-31 04:11:46 | 異文化
3月23(月)~27日(金)。

この週、うちの組織、国際家畜研究所では、年間プランニング・ミーティングという大きな会議をやりました。世界中の支所から職員が一同に会し、一週間に渡って、今後の方向性を決めるのです。

驚いたのは、ほとんど全ての内容について、職員の位は関係無しに、自由に討論したり、参加型手法を使って意思決定をしていったことです。

ポスドクで、いわば契約社員の僕にもその権利は与えられ、積極的な(もしくは黙っていられない)性格の僕から出た言葉や意見が、ちゃんと今後数年間の組織の方向性に取り入れられていくのです。

いい職場に来たなあと感動したのと同時に、確かに激動の世の中を生き残り、リードしていくには、職員全員の能力と可能性を最大限に活用していかないとだめなのかも知れない、と感じました。

全員が研究者としての資質を生かし、どうやったら仕事の効率が良くなるのだろう、どうやったら世界の貧困削減により貢献できるのだろう、と知恵を絞って考えていく。

全体に渡って印象的だったことは、コミュニケーションの重要性とジョークでした。両方とも、組織と個人が生き生きとしているためには不可欠なんですね。ジョークのお陰で組織全体が健康的になれる。日本だと、よく「オヤジギャグー」と言って、オヤジがギャグを言えない雰囲気が出来てしまう。確かに、うちの職場だと、実際オヤジが本当に気の効いたジョークばかり言うので、若者も楽しめ、さらにジョークで返す雰囲気が出来ている。これはやっぱり、日本の未来のためには、オヤジに、ギャグではなくジョークの磨きをかけてもらうしかないですね。

手話は言語

2009-03-21 05:42:31 | 異文化
3月13日(日)。

ナイロビで、日本から来たとても可愛らしい女学生と会う機会がありました。
この学生さんは、耳が不自由なので、対話は紙に文章を書くか、手話で行います。

僕は、これまで手話に興味はあったのですが、学んだことは一度もありませんでした。今回は、その学生さんが来られたことがきっかけで、ナイロビ在住で、以前日本で手話の先生をされていた方から、10人ほど集まって、50音と、ごく初歩の手話を土曜日に習いました。

学生さんは、数日前に、うちの子の幼稚園を訪問されたようですが、その際、うちの子が頑張って学生さんに日本語で手紙を書きました。すごく集中して書いたようで、下心というのは、学問に上手く作用することがあるということを、改めて思い出したのでした。

なので、日曜日に会った時に、たどたどしく僕の名前を手話で伝えると、嬉しそうに、あの子のお父さんですね、と伝えてくれました。何故か分からず驚いていると、うちの子が手紙を書いているところのデジカメの写真を見せてくれ、私に手紙を書いてくれたんですよ、と教えてくれました。

他にもたくさん人がいたので、会話はそれだけでしたが、気が付いたのは、手話は僕のカテゴリーでは、完全に一つの言語だと認識したことです。明日はそういえばネパール語を使いますが、僕のナイロビでの日常では、ほぼ毎日、英語、日本語、フランス語とスワヒリ語の4ヶ国語を使って生活しています。手話でたどたどしくも意思が通じたときの喜びは、新しい言語、今はスワヒリ語で意思が通じたときの喜びと、全く同じなのです。

手話も、話し言葉と一緒で、国により全く言語が異なるようです。なので、ちょっと習った日本語の手話はケニヤでは通じないようですが、いつか手話を習いたい、と思いました。

そういえば、その一週間前には、うちの職場のホステルで働いている、やはり耳の不自由なケニヤ人の男性と、職場のパブ(あるのです、驚きでしょ)で会いました。この日はアフリカン・ダンスの催し物があったので、何人か踊っていました。その耳の不自由な人は、興味ありそうにしていたので、誘ってみました。

最初は、耳が聞こえないから、と断る仕草をしたのですが、身振りで、目で見てリズムを感じれば大丈夫、と伝えると、了解して立ち上がりました。踊りの輪に連れて行くと、アフリカ人の血なのでしょうか、上手に踊り始めました。

しばらく踊って席に戻ったときの笑顔は、汗もかいて、とても嬉しそうでした。僕だって、日常的に、未だに英語や異文化のハンデを感じることはあります。人にも自分にも、ハンデや違いを超えて生きていくゆとりと思いやりを持たなくては、と再認識しました。そうすれば、毎日がもっと楽しくなることでしょう。

モザンビーク

2009-03-15 05:40:43 | 異文化
3月4日(水)~6日(金)。

南アフリカ共和国でいろいろ考えさせられた後だったからか、モザンビークはとても気に入りました。

南アに比べたら、かなり田舎っぽいモザンビーク。公用語はポルトガル語です。首都マプトは海に面していて、食べ物が何でもおいしい。蟹の入ったトマトソースのかかったご飯はとても美味しく、やはりシーフードのパスタも美味しかった。

この国ではインターネットがあまり普及しておらず、国中の情報を集めるに一番いいのは、知識を持っている人達を集めて一気に会議するに限ります。

会議をしないと、文章でお願いしただけでは、疑いを持たれて協力も得られない。でも、一度納得してもらえると、一生懸命考えてくれる。会議の白熱した討議は、ポルトガル語で行われたため、ほとんど分からなかったけれど、それでも一生懸命なことは理解出来ます。

闇市を見に行ったのですが、とても不衛生な食肉の売り方をしていました。こういう国にこそ、僕達のプロジェクトが役に立ってほしいと思いました。モザンビーク、がんばれ!

南アフリカ共和国

2009-03-10 06:59:53 | 異文化
3月1日(日)~4日(水)。

研究のため、南アフリカ共和国へ行って来ました。

仕事は成功でしたが、僕としては珍しく、違和感を覚える、好きになれない国でした。

人間が人間を差別する。ある民族が、しかももともと住んでいなかった人達が、もともと住んでいた人達を、自分より格下の民族とみなし、差別する。

ネルソン・マンデラが1992年かな?に大統領選挙で勝つまでは、獣医の大学にも、「色の付いた」人間は入ることが出来なかったそうです。「色の付いた」人達は、今でも「色のついていない」人達に、同じテーブルで食事をしていて笑っていても、受け入れられない感情を持ち、またその逆もしかり。

日常会話にそんなタブーな言葉が結構出てくるこの国。しかも、相当治安が悪い。

気候は暖かくて春のようで最高だったけど、絶対に住みたくない。今は国際の仕事で海外に住んでいるけれど、流れて移民になって日本人でなくなってしまうのは嫌だなあ、と居心地が悪いからか、そんなことを考えながら、次の目的地、モザンビークの首都、マプトへ向って旅立つのでした。

疑惑のナイロビ

2009-02-18 05:45:21 | 異文化
2月17日(火)。

車の売買に必要な書類は、依然として手に入らず、今日も一日待っていましたが(仕事はしてたよ)、ようやく保険に加入することは出来ました。うちの職員に、とりあえず半年の保険にして、とお願いしていたのに、車の窓ガラスに貼ってあるステッカーを見ると、ちゃっかり一年分保険に掛けられていました。ま、これで生活は出来るので当面何とかなります。

さて、人を疑うのは良くない、という言葉もよく使われますが、御人好し過ぎてもいけないとも言いますね。ナイロビのダウンタウンを歩くときに、今では警戒せずにいる人は、ケニヤ人でもいないし、警戒していても白昼堂々襲われたりします。

シエラレオネ人の経済学者が、オーストラリアに職を得て、うちの研究所を去ることになり、彼の家に僕達家族が入りました。彼は、会うとフレンドリーで、仕事もとても優秀です。でも、約束の期日を守らない癖があります。

家を出て行く約束の期日を3週間も遅らせたし、譲り受ける物品の譲渡証明のレターをもらう約束を、毎日毎日、「また明日」と言って一週間以上遅らせました。モノは衛生テレビのチューナーなのですが、ケニヤでは、譲渡証明書なしには、契約変更や、次の売買も出来なくなってしまいます。野郎、面倒くさいのでこのまま逃げるつもりだな、と疑い、先週土曜に、とうとうアクションを起こしました。携帯メールで、「レターなんか5分で書けるだろう、約束を守れ」と送り、彼が住んでいた友人宅に行き、その場でサインさせました。すると彼はふてくされた様子で、「どうしてそんな行動に出るんだ、俺のことをペテン師とでも思っているのか」と言いました。僕も、少々やり過ぎたかと反省しましたが、どう思いますか?

今度は、我が家にて、一週間に2度掃除等をお願いしている新しく来た家政婦さんに、盗難の疑惑が持ち上がりました。これはかなり確かなことだったので、ドライバーも悲しい、と残念がっています。

ケニヤに来て分かったのは、ほとんど大多数は、安心出来るいい人だということです。市内で百貨店が火事になった時も、盗難など治安の悪化が懸念されたのですが、消防車を通らせるのに、市民が車を持ち上げて動かしたり、消火活動に積極的に協力する姿が、テレビで映し出されました。

人間とは弱いもので、ほとんどの人は、出来心や、喧嘩したという経験があるのではないでしょうか?しかし、悪い癖のある人は、とことん繰り返してしまうもの。ケニヤ人の警察OBにも、疑うことは悪くない、と助言されました。ああ、疑惑のナイロビ。これもまた、人生です。

車事情、危機一髪!

2009-02-14 09:01:50 | 異文化
2月14日(土)。

数年前に、ナイロビに住んでいた、当時国連ボランティアをされていた友人F君の日記を読んでいて、車の購入がナイロビではとても忍耐を要することは分かっていました。それなりに覚悟はしていたのですが、本当に困った状況に陥りました。

もう一ヶ月も前から、日本に帰国される日本人から車を購入することを決め、手続きを始めていたのですが、一向に必要書類が揃わない。売る側が、僕と同じ免税待遇を持っているのに、車の購入で必ず発行されるはずの書類を持ち合わせていなかったのです。うちの担当職員に頑張ってもらっているのですが、とにかくケニヤの手続きは面倒くさくて時間がかかる。F君は自分でやらなければならなかったので、さらに相当なストレスを感じたに違いありません。

この購入しようとしている車、両側の窓が壊れているは、クーラーの効きは悪いはで問題が多いのですが、長年の勉強ですっかり貧乏になった我が家には、これ以上高価な車を買う余裕がありませんでした。さらに、買うかどうかしっかり決まっていない車に投資は出来ないので(書類が揃わないと結局買えない)、待っているうちに、とうとう本日で保険が切れることになりました。昨日、仕方がないので半年の保険を買うことにし、うちの職場が使っている保険屋に査定に持っていってもらったのですが、電子表示の走行距離が壊れて表示されず、手続きが完了しませんでした。その後表示が復活して読めたので、ドライバーが一生懸命会社に電話しようとしたのですが、電話が繋がらず、結局保険を掛けられずじまい。

こんな我が家を救ってくれていたのは、ネパール協力隊時代の友人、Mさんの車でした。彼女が事情があって日本に帰国していたので、使わせてもらっていたのです。友人としては、もちろん早く帰って来て欲しいのですが、本日帰って来ます。ああ、でも自分のことは考えないようにしなくちゃね。うーん、難しい。

これから子供の幼稚園への送り迎えも大変です。職場内で同じ幼稚園に行く子供達は、うちのドライバーが連れて行っていました。車はみんなのを順番に使ってましたが、どうなるんだろう??そんな状況でーす。

うるせえ!

2009-02-14 08:41:52 | 異文化
2月13日(金)。

最近では、下品な言葉はほぼ使うことがない僕ですが、今夜ばかりは、

「うるせえ!」と言いたい。

カンパラに住んでいた時も味わったし、そう言えば夏のエディンバラでもブログに書きましたが、金曜の夜、土曜の夜だからと言って、音楽を野外で大音量で垂れ流すのはやめて欲しい。かと言って、ナイロビで文句を言いに行ったら、まじで危ないのでここに書くことにしました。只今午前2時50分。

ベースの音が、大音量でうんばばうんばばうんばばうんばばうんばば、ずーーっと続いているのです。他ではない、アフリカのリズムです。

敷地内で引っ越したのは良かったけど、今度は通り沿いなので、敷地外の大音量がうるさくってかなわない。

でも、良かったことが二つ。

普段は「おかあちゃーーん!」と母しか呼ばない息子は、何か怖いことがあると、必ず父親の僕のところへ来ます。寝ていた息子は、「おばけの音がするぅ、おとうちゃーん!」と叫び、お母ちゃんはいらない、と抱き付いて来ました。こんなことは、こういう非常事態じゃないと起きないことです。いやあ、良かった。

もう一つは、新居には、インターネットのケーブル差込が子供部屋にしかなかったので、引越ししても、結局夜はインターネットが出来ず、ブログも更新できませんでした。しかし、今日はこの騒音のお陰で客部屋に子供を移動させたので、このように子供部屋でブログの更新をすることが出来たのです。いやあ、騒音様々。

こういう騒音がうるさいときは、無理に寝ようとしないで、酒でも飲んで起きているのが一番ですね。さあて、只今3時になりました。次のトピックに移りましょうか。

ようやく荷物が届く

2008-12-19 01:03:58 | 異文化
12月18日(木)。

エディンバラを出て約一ヶ月、ようやくアナカンの荷物が届きました。

箸を中に入れていたので、一ヶ月ぶりに箸で食事できました。やはり、箸はいいですね。驚いたことに、多分何も盗まれてません。エディンバラの友人達からもらった色紙や、エディンバラの写真が綴られているカレンダーなど、大切なものがそのまま届いたので、一ヶ月かかったけど、とても嬉しかったです。みんな元気にしてるかな?


ケニアはもうすぐそこに

2008-10-08 08:51:03 | 異文化
10月6日(月)。

日曜の夜と月曜日の丸一日を、ほとんど同級生の博士論文の最終編集に取られてしまったけど、この日はケニアでの仕事がかなり現実味を帯びた日でした。

そのタンザニア人の同級生は、パソコンの機能に詳しくないので、前以って手順を詳しく説明しておいても、いつも約束の時間までに終えているということが出来ないのです。なので、結局全て僕がやることになりました。彼も締め切りを過ぎているし、もう何日もちゃんと寝ていません。でも、僕も仕事の契約や仕事が始まるまでに終えておきたい学術誌への投稿作業で一杯なのです。

横で同級生の仕事もしながら、自分のコンピュータから、スカイプでナイロビのボスと通話して、具体的な仕事開始と、生活の準備を整えました。

ウガンダでは、所詮短期滞在だったけど、ケニアでは、家族との生活が始まります。一番手こずりそうなのが、車の購入のようです。車を買うのに、3ヶ月かかるのは当たり前、たまに6ヶ月かかる人もいて、中古車の金額も、日本やイギリスより、かなり高いようなのです。職場での事務処理もかなり遅いようなので、そういうイライラからのストレスを感じないように、頭を途上国モードに変えて行くことが必要です。ま、慣れれば天国、と友人達からは聞いているので、肩の力を抜いて、時間をかけて生活を整えていくようにしたいと思います。

良かったのは、新しいボスと相性が良さそうなことです。ナイロビでの生活では、当面ボスの奥様にかなり頼ることになりそうです。食材の買出しやら、幼稚園への送り迎えやらに、妻子を車で連れて行ってくれるそうです。

博士課程の口頭試問直後に家族でケニアに移り、翌日僕だけナイロビからエチオピアに飛んで、一週間の研修を受けます。その研修には、関係者のほとんどが出席することから、是非出席するように勧められたのです。そんな長距離の移動と国際的な仕事が、一本の電話でどんどん決まって行く。学生では経験出来なかった、実際の仕事の現場に、もうすでに突入しているのです。

わくわくするような国際的な仕事である反面、途上国での生活にはリスクは付き物です。昨年まで同じ建物で博士課程を学んでいたタンザニア人の卒業生が、ケニアでフィールド調査の帰りに、車で交通事故を起こし、この日亡くなりました。彼は、いつもティールームで会うと、穏やかな笑顔で僕とスワヒリ語の挨拶をしてくれました。

協力隊終了後、ネパールを再び訪れたときも、親しくしていた人達が、若いのにもう何人も亡くなっていました。途上国では、死は、先進国より確実に身近です。

そういう環境に赴くには、人それぞれ違っても、理由が必要です。僕の場合は、一人でも多く人を助けること、です。何より、その理由のために付いて来てくれる家族が、出来るだけ安全で快適に、楽しく暮らすことが出来ることを、願って止みません。

あと一ヶ月と2週間、ケニアでの生活は、もうすぐそこです。