今の世界を見ていると、
運気が衰退していると感じます。
昨年、家運衰退の星が巡ってきて、
世界を見渡すと、南米諸国はいうまでもなく、
韓国は文在寅大統領の政策によって、
大きく国運を落としてしまいました。
そして、今、
国運の衰えている国から、コロナウイルスが
広がっているように感じられます。
家の運気が衰退すると、『家運衰退』になります。
国の運気が衰えてくると、『国運衰退』になります。
そういう意味で、運気は一番重要ですね。
運が悪いと、
どんなに能力や素質に恵まれていても、
それを発揮する場に出会えないし、
出会えても、能力を発揮することができないようになる。
まったく、
運っていうものはどうしようもないものです。
運が良いというときに、
人は運のよいのを、単なる偶然のできごとように解釈します。
偶然的に、今日は良いことが有ったとか、
偶然的に、自分は運よく助かったとか、
偶然的に、宝くじに当たったとか、
(これは偶然に出会っても、当たりたいものですねえ。)
また、
偶然的に、自分は彼女と結婚できたとか、
(これは偶然とは言わないのかな?)
偶然的に、鳥の糞が頭上から墜ちてきたとか、
(いや、それは必然的かも・・・?)
偶然的に、自分は事件の犯人目撃したとか、
いろいろと偶然だと思いがちです。
ですが、
偶然なんてものは無い、そんなものはないのですね。
すべては必然の下に起きるのです!
だから、悪いことも、良い出来事も、
すべては必然性の下に起きるのだと考えると、間違いないですね。
それらは、余計なことですが、
運が衰えてくると、ろくなことがない。
そこで、
今年はさらに運気が衰えてきているのが実感されますね。
そして、
運気の流れを元に、来年の運を見ると、
これまた良くないんじゃないかと、
具体的には、詳しく述べられないのですが、
成長する運勢を止めてしまうような雰囲気ですね。
例えば、
子供は生命力の権化で、元気そのものですが、
その元気そのものの子供が、剋害されるように思えます。
そうすると、未来の姿が見えにくくなります。
新しい生命が伸びないということは、
大変に深刻な問題ですから、
大切に育てることがことが大事ですね。
そして、親子の争いが、社会問題となる。
そんな怖れを感じるのです。
こうなると、家庭の崩壊が現実的となり、
家庭の崩壊は、社会の崩壊を招くこととなります。
そして、社会の崩壊は国の崩壊につながっていく。
それが、
この先の社会現象となるのではないか?
単なる現象ではすまないですね。
相親しむべき関係の間柄が、憎みあうことは、
これだけは避けたいことです。
心の平和が保てないことは、何よりも不幸を人にもたらします。
“中絶” “流産” “夭折”などは、
とても危険な行為です。
せっかく、お父さんお母さんの下で、
生まれてきたいと希望して、胎児として霊的な存在が宿るのです。
しかし、お父さんお母さんは、どんな事情であれ、
そのこの世に生まれてくることを望んで、
お腹に宿った子供を、中絶してしまうと、
胎児の子供は、
ちゃんとした一人前の心を備えているのですから、
医師のメスを感じると、
殺される―という大変な命の恐怖心を抱く。
その殺される時の恐怖心は、
ものすごくあとに残ってしまう。
どこに残るかというと、
お母さんの意識に、お父さんの意識に、
そして、
先に生まれている姉妹・兄弟たちの意識に残るのです。
その殺されたという意識は、
残された縁者に、怨念として刻まれて残る。
これが恐ろしい。
その意識は、肉親血縁の間に、剋害する心となって、
家庭の運気に浸透するのですね。
そうすると、楽しい雰囲気が、
また、家庭和合の心が、
いつの間にか、ぎすぎすした、
とげとげしい雰囲気に変わり、
明るい会話は無くなります。
代わりに、
憎しみの気持ちが生じてきます。
そして、
肉親の何気なく発した言葉が、
妙にイラついた気分にさせあるのです。
言葉が良い方に感じられなく、
皮肉や悪口を言っているように感じられる。
そんな家庭が生まれると、
もうその家庭は、地獄に早変わり。
それが、
来年の運気の兆しとして感じられる。
そうすると、
子供たちは愛すべき家庭に寄り付かなくなるわけです。
そうすると、
やがて、一家離散状態となります。
北朝鮮やベネズエラなどの国は、
すでに前から、この状態になっておりますね。
そして、家から国から離れて出ていった人々は、
浮浪者です。
つまり、
運気が定まらないで、浮いたり沈んだりして、浮浪の命をたどる。
で最後は、
結局、家を無くし、家庭を無くし、独り身の浮浪者ですね。
大なり小なり、そういう運命をたどることになるのです。
これだけは避けたいなと思います。
だから、霊的な浄化を進めることが、
緊急の課題です。
最近、
先祖供養のことを書いているブログがあります。
でも、
先祖供養は慰霊供養なら、一般家庭でも、なんとか対応できますが、
慰霊では、亡くなった嬰児の魂を救うことはできません。
前回も書いたように、慰めるだけですね。
成仏させて、あの世の向こうに連れていく。
これは絶対に欠かすことができないご供養なんです。
救われない魂は、この世とあの世の中間的存在として、
迷っているのですから、
その悪影響は、甚大な精神的な被害を、
その縁ある者達に与えるのです。
そして、
個人だけでなく家庭をも、
そして社会をも崩壊させて、滅ぼしていくのです。
それが、
具体的に迫っている。
この運気をのがれるには、
成仏供養という、霊的浄化を進める魂の救済法が、
欠かせない、いや、ぜったいに必要なのです。
この成仏供養の施されない国家は、
早急に滅びていくのだと、神仏が断言しましょう。
そのときは、早急に迫っている。