1945年、日本は大東亜戦争に敗れて、
条件付きの降伏を宣言しました。
そして、
連合国軍の占領が始まりました。
では、
日本が戦いに敗れて占領されたのは、
その大東亜戦争の時が初めてだったのでしょうか?
残念ながら、
それは違うんですね。
「白村江の戦い」というのが、
歴史を振り返るとありますね。
660年です。
この戦いは唐と新羅の軍勢が、
百済とその支援した倭国軍と戦って、
大勝利したという戦争でした。
ところが、
これに裏があるのですが、
それは後に回すとして、唐は軍事顧問団600人、
軍隊を2000人派遣して来ているんですね。
この時、
具体的な日本の中国化政策が始まったのです。
で、加治木義博氏の説によれば、
白村江というのは朝鮮半島の川の入り江だそうですが、
彼は直接行って、現地の形状を確かめたそうです。
そして、
この場所で唐の船団170艘、新羅の軍船180艘、
それを迎え討った百済・高句麗・倭国の軍船、
それらを考慮すると、
とても入りきれるものではないと判断されたようです。
やはり、
戦いの場は朝鮮半島ではなかったと判明したと。
まあこの部分は、一番重要な箇所ですが、
それはまた別のところで書いていきたいと思います。
ですから、
唐の軍隊の下、漢字の使用などを強いられて、
中国化をされてきたという歴史があるのです。
そういう過去の歴史を見ると、
今の自民党の政治が完全に親中派なにも分かるし、
また今後、
日本列島が中国の自治州化すると言われているのも、よく理解できるわけです。
そして、
観光や移住の中国人が、非常に失礼な、そして、
日本を侮辱し貶めるような言動をするのも、
何となく分かるように感じるのです。
このまま自民党や公明党に日本の政治を任せていたら、
近い将来は、日本は中国の属国・植民地にされてしまうのは断言出来ます。
見てみなさい、
あれだけ露骨に中国に有利な政策を進める閣僚たち。
どれだけ日本を売れば気が済むのか。
過去の先人たちが、どういう気持ちで、
日本を創り上げて来たか。
名前を言っても構いませんが、
もう少しだけ我慢するとして、
彼らに天罰がくだることを切望しているのですがね。