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【衝撃の事件】小児性愛や人身売買の犯罪が次々と摘発され浄化がはじまっています

2024年09月30日 22時54分31秒 | 心の法則
【衝撃の事件】小児性愛や人身売買の犯罪が次々と摘発され浄化がはじまっています。

 小児性愛の大物が逮捕されて大騒ぎだという。
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コロナに負けない!(Ⅸ)

2021年06月17日 06時47分46秒 | 心の法則

今回は、
心の問題について話をしてみたいと考えます。

あるチューバーさんの話を聞いていて分かったことがあります。
閃いたと言っても良いのですが、
何故、神様を私達は拝むのか。
いや、
私達人間は何故、
神を必要とするのか?

コロナのおかげで分かったんですけどね。
それは心にあるのです。
人間は肉体と心を持って生きているわけですが、
肉体だけで生きているわけではなく、
また、心だけで生きているわけでもない。

心だけで生きているのは、
すでに人間ではなく、別の存在です。
人間は心と肉体を持って生きている。 

と同時に、
相互に補い合う関係でもあるわけです。
その心は、
個人の領域の心があり、
また、家の領域の心の部分もあるんですね。

そして、
地域に関わるレベルの意識(心)もある。
それらは、
集合意識と呼ばれるものです。
規模が大きくなればなるほど、
大きい規模の心と関りがあるのです。

国の単位ならば、
日本という国の意識がかかわりを持ってきます。
民族意識と呼んでもいいのですね。

なるほど、
そういうことになると、
それぞれの集合意識には、
その集合意識のレベルと内容と、
そして強弱というものに違いが出てくるわけですね。

それが人格を持っているわけです。
我々が守られる上で大事なのは、
その帰属している「集合意識」なんです。

例えば、
昔から住んでいる人ならば、
その地域・村などの神社が有りますよね。
氏族の神社ならば、
その氏族の祀る神様の神社が有るはずです。

そして、
その神様は地域共同体の歴史を体現した方です。
あるいは、地域のカルマの象徴なんですね。
それらの質のすべてが神としてあるわけです。

だから、神社をお祭りすることは、
その地域の方、
そして関係ある者にとってとても重要なことなんです。

それはその関係者を守護する力、
心のバリア・防御力となるわけです。

だから、
よく他から力ある神様を勧請して、
鎮守のための神様として祀るのは、
そういう言う意味があるわけなんですね。

良い例として、八坂神社が有ります。
八坂神社のご祭神は牛頭天王さんです。
牛頭天皇さんは、
疫病などの祟りを抑え込む力と徳をもっていらっしゃる。

その徳と力を戴きたいために、
勧請して拝むわけですが、
それは守護していただくために、
その神様の心の中に入り込むわけです。
あるいは、
その神様の心を受け入れるわけです。

契約すると言っても良いのではないでしょうか。
その神様の力をいただくために、
神様と契約する。
あなたを信仰する代わりに、
貴方に守っていただきたいと。

具体的には、毎日お供え物を捧げ、あなたの御名を唱え、
あなたのことを敬い尊びますと。
貴方様には、このお住まいに降りていただいて、
そして、
この気持ちをお受けしていただきいと呼びかける。

これが信仰の形態ではないでしょうか。
そして、
コロナに負けないためには、
その集合的な意識のレべルから、
守っていただくことを願うことが大事だと思うんです。

それは、コロナは心の部分に深い関係を持っているからです。
コロナは人類の滅亡のカルマと深い関係を持っているので、
その滅亡のカルマに対抗するには、
心を守っていただくことをする必要が有るのです。

ただし、
守護する力が弱い神様に頼んでも、
それはあなたの願いは叶えられないかもしれない。
だから、
貴方を守る力を持った神様にお願いしないといけません。
破滅のカルマ=悪神に対抗する力を持たないといけないのです。

中には、
国を越えて、民族を越えて、
卓越した力を持った神霊もいらっしゃるわけです。
その中には、
カルマを断つ力を持った神霊が存在します。
それはお釈迦様です。

お釈迦さまは「カルマ」を断つ力と徳を備えた方です。
そして、
晴れてカルマを断って、完全にカルマを断ってしまわれた。
そして、ニルバーナに入られたのです。
もう二度と輪廻しない状態に入られたのです。

そして、
お釈迦さまは人々をすべて救済するぞ!
という強い意思をお持ちになっている。
そのお釈迦様の意思に呼びかけるのです。

どうか私たちをお救いください。
私たちをこの危難からお守りください。
そう呼び掛けるのです。

人間は愚かで弱い存在です。
その愚かで弱い存在であることを自覚する時、
私たちは神霊に祈るのです。

そこから信仰は始まるのですね。
宗教というものをよく考えると同時に、
私たちは本来のあるべき姿に立ち帰るべきだと、
私は思うのです。

良い意味での心の強化、上昇、
ひいては、人格の完成。
それが信仰するということなのではないか。

心を高め、清め、強めて、
そして肉体を強化して、
心身ともに健全なる存在となる。
それが信仰の究極の目的である。
そう考えるのです。
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自らの色眼鏡を外せ!

2020年05月29日 16時15分58秒 | 心の法則
人は様々なカルマに縛られて生きています。
つまり、この人生は一回きりで、
まったく新しい、
これから自分が創っていくべき人生なんだと。
そうあなたは、
お考えになっていると思うんですよね。

ところが、
カルマについて理解が深まると、
そうではないことが分かるようになるのです。

言うならば、
この現在の人生は、
過去世において為した行為の結果なんだと。
さらに言うならば、
過去世と現在世は、渾然一体なんだと言えるのです。

まったく理不尽な世界だと思っているでしょう。
ですが、そう思いながらも、
生きていかざるを得ないから、
このまま生きているわけで、
止めれるならばやめたい、
そう多くの方が思っているのではないですか?

まったく同感ですね。
しかしながら、
自分の人生に一縷の望みを、まだ託せるので、
やっぱりこれからも、もう少し頑張ろうと。

やっとこさ、人生の終わりに臨んだときには、
もう意識はあいまいとなり、
また、突然に終わったリして、
反省することも、振り返る余裕も十分になくて、
気がついた時には、
死出の旅についていたということになっていた。

死んで人は終わってしまうのではなく、
また次の人生を生きるために、
休みなく生き続けることになるのです。

思わず、嗚呼大変だなあと嘆息するでしょうね。
また逆に、
新しい人生を生きるチャンスに恵まれるんだから、
良いじゃないか?
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。

ですが、
そうじゃないんですね。
次の人生も大体の軌道は同じ、
楽しみや苦しみの内容も同じ。

何故ならば、 
来世は過去世の結果として繰り返される!
からです。
それを、仏教の古い経典である
『スッタ・ニパータ』では、
“業によって農夫なのであり、業によって職人なのである。
業によって商人なのであり、業によって技芸者なのであり、
業によって奴僕なのである。
業によって盗賊であり、業によって祭官であり、王である。
賢者たちはこのように、如実に業を知る。”
そう、縁起の法を説いています。

だから、永遠に繰り返しが待っているのです。
それを《輪廻》と言います。
輪廻は迷信ではありません。
三次元の法則が、物理的法則として厳然とあるように、
四次元の世界にも、
厳然とした法則があるのです。

人はその法則に則って、永遠の生命を生きていくのです。
そして、
お釈迦様は、輪廻からの脱出を説かれたのですね。
輪廻から脱出して、
その苦しみの人生を断て!と。

その苦しみを断つための方法がある。
それが本当の仏教であり仏法なんだと、
そうおっしゃるわけです。
それは、
阿含経という経典の中にのみ説かれている、
『七科三十七道品』と呼ばれている修行法です。
その修行法を学び実践することで、
初めて、人は輪廻の輪から脱出できるのだと、
成仏法を説いたお釈迦様は説かれるのです。

その業を解いていくことで、
自らがかけている色眼鏡が取れてくるんです。
おのれの世界観というものは、
おのれの因縁を通して、世界が成り立っていますから、
因縁が動くと、
おのれという存在自体が変化するわけです。

これは『唯識』の思想を理解すると分かるのですが、
唯識の考え方を正しく理解している人は、
かなり少ないのではないでしょうか。

長々と説明しましたが、
要は、因縁を解脱していくと、
自分を縛っていたそれまでの世界観から、
解放されていくということなんですね。

だから、
私達はカルマからの解放を目指すべきなのです。
間違いなく、
悪夢から解き放たれますよ。



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