今回は、
心の問題について話をしてみたいと考えます。
あるチューバーさんの話を聞いていて分かったことがあります。
閃いたと言っても良いのですが、
何故、神様を私達は拝むのか。
いや、
私達人間は何故、
神を必要とするのか?
コロナのおかげで分かったんですけどね。
それは心にあるのです。
人間は肉体と心を持って生きているわけですが、
肉体だけで生きているわけではなく、
また、心だけで生きているわけでもない。
心だけで生きているのは、
すでに人間ではなく、別の存在です。
人間は心と肉体を持って生きている。
と同時に、
相互に補い合う関係でもあるわけです。
その心は、
個人の領域の心があり、
また、家の領域の心の部分もあるんですね。
そして、
地域に関わるレベルの意識(心)もある。
それらは、
集合意識と呼ばれるものです。
規模が大きくなればなるほど、
大きい規模の心と関りがあるのです。
国の単位ならば、
日本という国の意識がかかわりを持ってきます。
民族意識と呼んでもいいのですね。
なるほど、
そういうことになると、
それぞれの集合意識には、
その集合意識のレベルと内容と、
そして強弱というものに違いが出てくるわけですね。
それが人格を持っているわけです。
我々が守られる上で大事なのは、
その帰属している「集合意識」なんです。
例えば、
昔から住んでいる人ならば、
その地域・村などの神社が有りますよね。
氏族の神社ならば、
その氏族の祀る神様の神社が有るはずです。
そして、
その神様は地域共同体の歴史を体現した方です。
あるいは、地域のカルマの象徴なんですね。
それらの質のすべてが神としてあるわけです。
だから、神社をお祭りすることは、
その地域の方、
そして関係ある者にとってとても重要なことなんです。
それはその関係者を守護する力、
心のバリア・防御力となるわけです。
だから、
よく他から力ある神様を勧請して、
鎮守のための神様として祀るのは、
そういう言う意味があるわけなんですね。
良い例として、八坂神社が有ります。
八坂神社のご祭神は牛頭天王さんです。
牛頭天皇さんは、
疫病などの祟りを抑え込む力と徳をもっていらっしゃる。
その徳と力を戴きたいために、
勧請して拝むわけですが、
それは守護していただくために、
その神様の心の中に入り込むわけです。
あるいは、
その神様の心を受け入れるわけです。
契約すると言っても良いのではないでしょうか。
その神様の力をいただくために、
神様と契約する。
あなたを信仰する代わりに、
貴方に守っていただきたいと。
具体的には、毎日お供え物を捧げ、あなたの御名を唱え、
あなたのことを敬い尊びますと。
貴方様には、このお住まいに降りていただいて、
そして、
この気持ちをお受けしていただきいと呼びかける。
これが信仰の形態ではないでしょうか。
そして、
コロナに負けないためには、
その集合的な意識のレべルから、
守っていただくことを願うことが大事だと思うんです。
それは、コロナは心の部分に深い関係を持っているからです。
コロナは人類の滅亡のカルマと深い関係を持っているので、
その滅亡のカルマに対抗するには、
心を守っていただくことをする必要が有るのです。
ただし、
守護する力が弱い神様に頼んでも、
それはあなたの願いは叶えられないかもしれない。
だから、
貴方を守る力を持った神様にお願いしないといけません。
破滅のカルマ=悪神に対抗する力を持たないといけないのです。
中には、
国を越えて、民族を越えて、
卓越した力を持った神霊もいらっしゃるわけです。
その中には、
カルマを断つ力を持った神霊が存在します。
それはお釈迦様です。
お釈迦さまは「カルマ」を断つ力と徳を備えた方です。
そして、
晴れてカルマを断って、完全にカルマを断ってしまわれた。
そして、ニルバーナに入られたのです。
もう二度と輪廻しない状態に入られたのです。
そして、
お釈迦さまは人々をすべて救済するぞ!
という強い意思をお持ちになっている。
そのお釈迦様の意思に呼びかけるのです。
どうか私たちをお救いください。
私たちをこの危難からお守りください。
そう呼び掛けるのです。
人間は愚かで弱い存在です。
その愚かで弱い存在であることを自覚する時、
私たちは神霊に祈るのです。
そこから信仰は始まるのですね。
宗教というものをよく考えると同時に、
私たちは本来のあるべき姿に立ち帰るべきだと、
私は思うのです。
良い意味での心の強化、上昇、
ひいては、人格の完成。
それが信仰するということなのではないか。
心を高め、清め、強めて、
そして肉体を強化して、
心身ともに健全なる存在となる。
それが信仰の究極の目的である。
そう考えるのです。