人生転落!
タロットの塔(タワー)の意味がやっと分かった。
今思い返すと、
そんな思いがするんですね。
それ以外に、
衝撃的なとつぜんの出来事とか、
家族の夜逃げ、
事業の失敗による倒産、
自身の中の価値観の崩壊、
信用していた人に裏切られる等々。
そういう出来事が、
塔の暗示するものであると。
そして、
それは『家運衰退の星』のシンボルでもあると考えて良いでしょう。
そして、
塔の暗示するものを乗り越えるには、
少々の時間が必要だということです。
まず、
後遺症というものが出てくると思います。
これがけっこう長い。
人によっては3年~4年かかる場合もある。
そういうプロセスというものが、
人生には必要なんだということが、
ようくわかるようになったんですけどね。
人生上の問題には、
短期決戦というのは無いんでしょうね。
それ相応の時間をかけることが必要なんでしょう。
そして、
その問題の克服と解決には、
それ相応の解決策が有るということでしょうね。
それをつかめれば、
後遺症の傷跡を遺さないで、
次のステップに移っていけるわけです。
問題点を残したまま、次の人生を歩むならば、
必ず、次の人生においても、
その問題はカルマとして再度出てくるのです。
そんなことを考えるようになったのも、
最近、
今生きている「今世」だけではなく、
「過去世」とか「来世」とかを、
時間の観念の中に入れるようになったんですね。
つまり、
人の生命を一個の魂ととらえて、
その魂が生と死の両面において進んでいくと考えるのです。
仏教では❝生死一如❞と言って、
人生の生と死を、生命の裏と表と考えるのです。
生命の裏と表が、生と死の状態なんだというわけです。
生と死を生命状態の0(ゼロ)ポイントとすると、
その上降波動を作るのが、
我々の生命=魂という存在なんだと考える。
誰にも、
その魂の生と死を越えたサイクルというものがあって、
その人独特のサイクルパターンを持っているんだと考えれば、
その人の死が何歳になってると。
つまり、
人生の終わりになってから、
新しい周期を始めたりすることもあるということです。
ですから、その続きが次の人生にそのままつながっている。
そういう場合もあるというパターンですね。
例え、
その人が若くこの世での生命活動を終えたとしても、
その人独自の生命の活動パターンを描いているのであって、
単に寿命が短いというだけの考えで、
その人が不幸であると解釈するのは正しいとは言えない。
そう考えるわけです。
ただ、人生の去り際の想いは重要です。
どういう想いを持ってこの世を去るのか。
これははなはだ重要です。
人生に満足してこの世を去るのか、
あるいは、
不満な思いで人生を後にするのか。
はたまた、
未練を持ったり、人を恨んだり、執念を持ったり、苦しんだり。
そういう心の有り方は、
かならず、来世の在り方を、
ある意味決めてしまうのですね。
その個々の在り方を決めるのが『タンハー』なんだと、
そうお釈迦さまはおっしゃられるわけですね。
タンハーとは、
その心の状態を言うんだと考えて良いんです。
まず、
以上のような想いを持つと、
三途の川を越えることはまず不可能なんです。
三途の川を越えられないのは、
凡夫の輪廻転生を繰り返すことになる。
凡夫の輪廻転生とは、六道輪廻のことで、
心の六つの世界を繰り返しつつ生存し続けることです。
六つとは、①地獄世界、②餓鬼世界、③畜生世界、
④修羅世界、⑤人間世界、⑥天上世界。
以上の六種類の世界を永遠に繰り返していく。
それが、
六道輪廻の転生だと言われています。
例えば、
ある人の今世が、静かな平凡なものであったとすれば、
来世においては、
その人は波乱万丈の人生を送るかもしれない。
はたまた、
良い家に生まれて、富豪としての一生を送るかもしれない。
あるいは、
静かな人生において満たされなかったものを得るために、
その満足を求める人生を、来世において選ぶのかもしれない。
それを決定するのは「タンハー」なんだと、
タンハーの内容がそれを決めるのだという。
そういうように、
人それぞれの生命の状態が創られていく。
その中には、
長寿の人生もあったり、
人生の途上で生命を終えることもあったりするかもしれない。
つまり、
一概に良かったとか悪かったとか、
人が決める事ではないということなのだ。
その人が幸せだったかどうかは、
その人の内面にあるのであって、
他人からの印象では決まらない。
そうとは言え、
やはり他人の評価も欠かせないよね。
それは言える。
だけど、
一番大事なのは、
その本人の「想い)しだいなんだと言いたい。
最近、
周囲で人の死ぬことが多いので、
自分自身もやはり死について考えることが多くなっで、
そういうことを考えた次第です。