少々古くなった事件ですが、
スリランカでイスラム勢力による自爆襲撃事件がありました。
あの事件がニュースで報道されて、あなたはどう感じましたか?
私はやはり、不快感を覚えました。
同時に、
イスラム主義に対する不信を覚えました。
何故、信仰が殺人を犯してしまうのか?
一体、何を考えているのか?
そう感じたわけです。
ところが数日後、
BSテレビで、息子がイスラム戦士になった母親たちの
ドキュメンタリーを放映していました。
その息子は、ジハードに身を投げる喜びを流れるような口調で話していました。
その息子の話しぶりを聞いた母親は、
そんな子供ではなかったと、
どうしてそんなに変わってしまったんだと、
すごく嘆いていました。
母親の嘆きは大変なものでしたが、
息子がジハード(聖なる戦い)をテンション高く話していたのは、
母親に言わせると、洗脳されたからだというのがその理由でした。
その息子がジハード(聖戦)を主張し唱えるとき、私は理解したのです。
彼らだって、やり返さなきゃやられるんだと。
だから、
彼らは自己を守るための論理として、
報復あるいは復讐に対して、聖なる戦いだと言い換えているわけです。
自らの種族の代表としてのシンボルである、「神」に対する愛の証である「ジハード」。
神は種族の自己意識そのものであり、種族自我である。
だから、
聖なる戦いは、怒っている神=種族の心、を守るための戦いであり、報復戦である。
やられたらやり返す!やり返さなければやられるんだ。
だから、自分たちを守るために、俺たちは戦う。これは聖なる戦いだ。
そういう論理になるのでしょうね。
そうです、相手があるわけです。
これまでやられてきた相手がいるわけです。
それがイスラムの相手はキリスト教なんですね。
だから、
今回の攻撃の対象は、キリスト教の礼拝堂であり、
西洋人がよく利用するホテルであったわけです。
その建物を爆破した。
聖なる戦いとして。
ですが、
これは獣の心と同じです。
やったらやり返す、やり返さなければ俺たちがやられるんだ!
この論理は、獣の論理なんですね。
以前に、
こういうサルの話を聞いたことがあります。
新しいボスである雄猿は、雌猿の抱いている赤ちゃん猿を取り上げて、
叩きつけて殺すそうです。
雌の猿が赤ちゃんを抱いていると、
ボス猿の交尾の要求に応えなくなるからだそうです。
だから、
ボス猿は赤ちゃんを雌の猿から取り上げて、
地面にたたきつけて殺すのです。
私はその行為がてっきり猿だけだと思っていたのですが、
先日、ライオンも同様に、雌ライオンの子供をかみ殺すのだと知って、
動物はどれも同じなんだと知りました。
そういえば、
人間だって最近、幼児虐待という事件が頻発していますね。
それがなんと、子供の実の親だというのですから、空いた口が塞がらないです。
これなんかも、
やっぱり獣の心から発せられた行動ではないでしょうか。
そんなところから、
人間だって他の動物と変わらないんだと。
少しだけ頭が回転するだけで、心だけを見れば他の動物と全く同じですね。
そんなところから、
人間が獣と同じ心でもって、対立する人々と争っていれば、
争いはいつまでたっても無くなりはしない。
無くなるどころか、
争いはさらに争いを呼んで、
しまいには、やけっぱちになったどちらかのグループが、
相手に対して核爆弾を使用する。
一挙に殲滅する作戦に出る。
そういう流れが予想されるわけです。
これでは、本当に「平和な世界」はやってこない。
恨みに対して恨みの心で応じても、争いは無くなりはしない。
そんなことわかってるというでしょうね。
でも、それが止められないのでは、どうしようもないです。
人々も頭では分かっていると思うのです。
でも、
獣の心がそれを止めさせられないのですね。
仏教では、
獣の心がすべての苦しみの元だと説いています。
そして、その獣の心をなくすことが大事なんだと説きます。
しかしながら、
獣の心を動かすさらに大きい原因に、霊障があるのですね。
霊の障りと書いて、霊障と言います。
まさに、霊的な障りです。
それが、
成仏していないさまざまな霊的な存在。
それらが、私たちの心をうごかしている間は、
私たちが心の平和と、世界の平和を招来するのは難しい。
それを忘れてはいけないのです。
霊的な障りは私たちの心を、深いところから動かしている。
どうしようもなく抗えないレベルで、私たちを動かしている。
それが霊障。
成仏していない先祖たち。
その霊的な存在を、まず幸せにしてあげることから、
私たちの世界が幸福になる一歩なのです。
そこからしか、
私たちは世界の平和を招来することは出来ない。
それを私たちは学ばないといけない。
スリランカでイスラム勢力による自爆襲撃事件がありました。
あの事件がニュースで報道されて、あなたはどう感じましたか?
私はやはり、不快感を覚えました。
同時に、
イスラム主義に対する不信を覚えました。
何故、信仰が殺人を犯してしまうのか?
一体、何を考えているのか?
そう感じたわけです。
ところが数日後、
BSテレビで、息子がイスラム戦士になった母親たちの
ドキュメンタリーを放映していました。
その息子は、ジハードに身を投げる喜びを流れるような口調で話していました。
その息子の話しぶりを聞いた母親は、
そんな子供ではなかったと、
どうしてそんなに変わってしまったんだと、
すごく嘆いていました。
母親の嘆きは大変なものでしたが、
息子がジハード(聖なる戦い)をテンション高く話していたのは、
母親に言わせると、洗脳されたからだというのがその理由でした。
その息子がジハード(聖戦)を主張し唱えるとき、私は理解したのです。
彼らだって、やり返さなきゃやられるんだと。
だから、
彼らは自己を守るための論理として、
報復あるいは復讐に対して、聖なる戦いだと言い換えているわけです。
自らの種族の代表としてのシンボルである、「神」に対する愛の証である「ジハード」。
神は種族の自己意識そのものであり、種族自我である。
だから、
聖なる戦いは、怒っている神=種族の心、を守るための戦いであり、報復戦である。
やられたらやり返す!やり返さなければやられるんだ。
だから、自分たちを守るために、俺たちは戦う。これは聖なる戦いだ。
そういう論理になるのでしょうね。
そうです、相手があるわけです。
これまでやられてきた相手がいるわけです。
それがイスラムの相手はキリスト教なんですね。
だから、
今回の攻撃の対象は、キリスト教の礼拝堂であり、
西洋人がよく利用するホテルであったわけです。
その建物を爆破した。
聖なる戦いとして。
ですが、
これは獣の心と同じです。
やったらやり返す、やり返さなければ俺たちがやられるんだ!
この論理は、獣の論理なんですね。
以前に、
こういうサルの話を聞いたことがあります。
新しいボスである雄猿は、雌猿の抱いている赤ちゃん猿を取り上げて、
叩きつけて殺すそうです。
雌の猿が赤ちゃんを抱いていると、
ボス猿の交尾の要求に応えなくなるからだそうです。
だから、
ボス猿は赤ちゃんを雌の猿から取り上げて、
地面にたたきつけて殺すのです。
私はその行為がてっきり猿だけだと思っていたのですが、
先日、ライオンも同様に、雌ライオンの子供をかみ殺すのだと知って、
動物はどれも同じなんだと知りました。
そういえば、
人間だって最近、幼児虐待という事件が頻発していますね。
それがなんと、子供の実の親だというのですから、空いた口が塞がらないです。
これなんかも、
やっぱり獣の心から発せられた行動ではないでしょうか。
そんなところから、
人間だって他の動物と変わらないんだと。
少しだけ頭が回転するだけで、心だけを見れば他の動物と全く同じですね。
そんなところから、
人間が獣と同じ心でもって、対立する人々と争っていれば、
争いはいつまでたっても無くなりはしない。
無くなるどころか、
争いはさらに争いを呼んで、
しまいには、やけっぱちになったどちらかのグループが、
相手に対して核爆弾を使用する。
一挙に殲滅する作戦に出る。
そういう流れが予想されるわけです。
これでは、本当に「平和な世界」はやってこない。
恨みに対して恨みの心で応じても、争いは無くなりはしない。
そんなことわかってるというでしょうね。
でも、それが止められないのでは、どうしようもないです。
人々も頭では分かっていると思うのです。
でも、
獣の心がそれを止めさせられないのですね。
仏教では、
獣の心がすべての苦しみの元だと説いています。
そして、その獣の心をなくすことが大事なんだと説きます。
しかしながら、
獣の心を動かすさらに大きい原因に、霊障があるのですね。
霊の障りと書いて、霊障と言います。
まさに、霊的な障りです。
それが、
成仏していないさまざまな霊的な存在。
それらが、私たちの心をうごかしている間は、
私たちが心の平和と、世界の平和を招来するのは難しい。
それを忘れてはいけないのです。
霊的な障りは私たちの心を、深いところから動かしている。
どうしようもなく抗えないレベルで、私たちを動かしている。
それが霊障。
成仏していない先祖たち。
その霊的な存在を、まず幸せにしてあげることから、
私たちの世界が幸福になる一歩なのです。
そこからしか、
私たちは世界の平和を招来することは出来ない。
それを私たちは学ばないといけない。