最近、拝み屋さんとか占い師さんの本を何冊か読みました。
感心したり、驚いたり、改めて認識したり・・・。
感心したり、驚いたり、改めて認識したり・・・。
そこでは共通することがありました。
それは、
相談に来た人の問題が解決されるように「祈る」ことでした。
そして、親身になってその相談を乗り、相談を受けることでした。
もちろん、
問題にはそのトラブルの原因があるわけですから、
原因を運命鑑定によって調べて、問題点とかを教えてあげたりするわけですが。
だから、
昔から、共通のやり方があったんだろうと、
それらの方々の本を読んで理解したわけです。
密教で言うところの、
“上求菩提下化衆生”という修行ですよね。
考えてみると、
このことはどういう行者がやっても、どういう宗教が行っても、
同じことなんじゃないでしょうか。
信仰の方法は大きく言うと同じなんだと、
そう思います。
人を助けて、その功徳によって自分もまた救われるのだという。
そこで拝まれる仏様や神様は、いろいろ違います。
古来より霊験あらたかな仏様や神様に、一心に信仰するならば、
それぞれに功徳はあるようです。
そこで初めて、
改めて信仰する理由が分かるように思ったわけですね。
つまり、
人間の力を超えたものを、仏さまや神様の力で解決する。
それが基本的にいう、《信仰》というものであると感じました。
つまり、『ご利益』ですよね。
人はみななにかしらの御利益を得ようとする。
それが人間の力では得られないものであるほど、
神や仏の持つところの力を戴きたいと願うわけですよね。
戦国時代の武将などは、自分の命を懸ける戦いに、
神仏に、必勝祈願の助けを戴くように信心しましたよね。
だから、
困っている人、助けを求めている人、自分をさらに向上させたい人、
そういうような人以外は、
あまり信仰に関心を持たないように感じられますね。
私は信仰を必要とする人間であり、
また人間に信仰は必要不可欠だと考える者ですから、
いろんな信仰の形態があって良いと思うのですが、
仏教でいう『本尊』がどういう存在であるかということは、
とても大事だと考えます。
本尊の内容ですね。
本尊の持つ徳であり力です。
それが大事だと思います。
昔から拝まれている神や仏には、それなりに徳や力が備わっているから、
いろいろと信仰の対象になるんですが、
こと、
この準提観音さまだけは他の存在とは趣が違っているんです。
普通の神さまや仏さまは、
その備えているところの力を与えることができるわけです。
つまり、それがご利益ですが、
準提観音さまは、そういうご利益でも、
悪い星を消すご利益を備えていらっしゃるんですよ。
それはどういうことかというと、
人には良い徳とそれから良くない徳=不徳を持っています。
普通、良い徳を伸ばすことや、悪い徳を消すなんてことはできません。
本尊の持っている徳を与えたり、災難を除けたりすることで、
拝む人を助けるわけです。
ですが、
準提観音さまはそれだけでなく、
拝む人の持っている才能をさらに輝かせたり、
悪い徳を消したりする力を持っていらっしゃるわけです。
これを《因縁解脱力》といいます。
これは他の神や仏にはない力=徳なんです。
いくら人のうらやむような素晴らしい能力や才能があっても、
その人に悪い徳がひとつあれば、すべては帳消しになります。
帳消しになるだけじゃない、
逆にその良い能力や才能が、自分を苦しめる元になるんですよ。
ここが一番重要なんです。
悪い徳がひとつあるために、
自分の長所や能力が、逆に自分を苦しめてしまう原因となる。
これって大変でしょう?
そういうことは、世の中に山ほど見受けられますよ。
もう腐るほどあるわけです。
例えば、ずば抜けた能力を持ったために、
人から妬まれたり嫉妬されたり。
また、
何億というお金を宝くじで当てたがために、
人生を狂わせてしまったり。
本当にそんなことばかりではないですか。
多くの人は快いご利益をいただくことばかり考える。
そうでしょう?
良い就職先を見つけたいと、
縁故者を探して、愛想のよい態度を見せる。
いろんなことで、プラスになるように心の中で期待して、
笑顔を振りまくわけです。
それはまあ当然のことですね。
それは欲なんです。己の欲なんです。
そんなことしなくったって、
準提観音さまは自分の悪い部分を消すことで、
自ずと才能や能力を引き出せるようにしてくださる。
ここが他の神様や仏さまにはないお力なんです。
だから、稀有の仏さまなんですね、準提観音様は。
このことを分かれば、
ほしいほしいなんてことばかり考えないでも、
堂々と人生を生きていけるわけです。
多くの人は、欲しがるんです、むさぼるんです。
そればかりを求める。
そうではないんですね、
まず自分のマイナス部分の不徳を消すことが優先されるんです。
そうしないと、いくら得ても得た先から、
あなたの開いた笊のように、こぼしていく、失くしてしまう。
そういうことを知ることも、また信仰の長所ですよね。
正しい価値観とでも言えましょうか。
間違った価値観は、不幸な人生を生み出しますから。
本末顛倒という言葉があるでしょう。
元と末を間違うと、こりゃまずいわけです。
だから、
私たちは正しい智慧を身に着けるためにも、
正しい信仰を身に着けることが大事なんですね。
信仰なしに人は向上しないんです。
それを私は,自分の家庭から思い知らされました。
以上です。
上目線からか書きまくったと思いますが、
読んでいただいてありがとう!