六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

自らの色眼鏡を外せ!

2020年05月29日 16時15分58秒 | 心の法則
人は様々なカルマに縛られて生きています。
つまり、この人生は一回きりで、
まったく新しい、
これから自分が創っていくべき人生なんだと。
そうあなたは、
お考えになっていると思うんですよね。

ところが、
カルマについて理解が深まると、
そうではないことが分かるようになるのです。

言うならば、
この現在の人生は、
過去世において為した行為の結果なんだと。
さらに言うならば、
過去世と現在世は、渾然一体なんだと言えるのです。

まったく理不尽な世界だと思っているでしょう。
ですが、そう思いながらも、
生きていかざるを得ないから、
このまま生きているわけで、
止めれるならばやめたい、
そう多くの方が思っているのではないですか?

まったく同感ですね。
しかしながら、
自分の人生に一縷の望みを、まだ託せるので、
やっぱりこれからも、もう少し頑張ろうと。

やっとこさ、人生の終わりに臨んだときには、
もう意識はあいまいとなり、
また、突然に終わったリして、
反省することも、振り返る余裕も十分になくて、
気がついた時には、
死出の旅についていたということになっていた。

死んで人は終わってしまうのではなく、
また次の人生を生きるために、
休みなく生き続けることになるのです。

思わず、嗚呼大変だなあと嘆息するでしょうね。
また逆に、
新しい人生を生きるチャンスに恵まれるんだから、
良いじゃないか?
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。

ですが、
そうじゃないんですね。
次の人生も大体の軌道は同じ、
楽しみや苦しみの内容も同じ。

何故ならば、 
来世は過去世の結果として繰り返される!
からです。
それを、仏教の古い経典である
『スッタ・ニパータ』では、
“業によって農夫なのであり、業によって職人なのである。
業によって商人なのであり、業によって技芸者なのであり、
業によって奴僕なのである。
業によって盗賊であり、業によって祭官であり、王である。
賢者たちはこのように、如実に業を知る。”
そう、縁起の法を説いています。

だから、永遠に繰り返しが待っているのです。
それを《輪廻》と言います。
輪廻は迷信ではありません。
三次元の法則が、物理的法則として厳然とあるように、
四次元の世界にも、
厳然とした法則があるのです。

人はその法則に則って、永遠の生命を生きていくのです。
そして、
お釈迦様は、輪廻からの脱出を説かれたのですね。
輪廻から脱出して、
その苦しみの人生を断て!と。

その苦しみを断つための方法がある。
それが本当の仏教であり仏法なんだと、
そうおっしゃるわけです。
それは、
阿含経という経典の中にのみ説かれている、
『七科三十七道品』と呼ばれている修行法です。
その修行法を学び実践することで、
初めて、人は輪廻の輪から脱出できるのだと、
成仏法を説いたお釈迦様は説かれるのです。

その業を解いていくことで、
自らがかけている色眼鏡が取れてくるんです。
おのれの世界観というものは、
おのれの因縁を通して、世界が成り立っていますから、
因縁が動くと、
おのれという存在自体が変化するわけです。

これは『唯識』の思想を理解すると分かるのですが、
唯識の考え方を正しく理解している人は、
かなり少ないのではないでしょうか。

長々と説明しましたが、
要は、因縁を解脱していくと、
自分を縛っていたそれまでの世界観から、
解放されていくということなんですね。

だから、
私達はカルマからの解放を目指すべきなのです。
間違いなく、
悪夢から解き放たれますよ。



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人類の新しい理念!

2020年05月29日 08時44分14秒 | 未来
理念とは、
一体、どういうものなのでしょう?

広辞苑によりますと、「理性によって到達する最高の概念。
カントは世界・神・霊魂など、経験を超えた対象を、先験的理念または純粋理性概念と呼び、
認識の限界や目標を定める規制的原理としての意義を認めた。
元々はプラトンのイデアから由来している。」
とあります。

なるほど、
私達の未来において、到達すべき理想としての
目標なんですね。

一方、
仏教では、
《仏陀》こそが理念そのものなんです。
《仏陀》とは、人が到達すべき理想としての、人格的完成者としての存在。
このように説明が可能です。
仏陀とは、人間の究極的存在としての可能性として認識されるのです。

そして、
その究極的可能性に到達するための方法が、
成仏法ということになります。

お釈迦様がお亡くなりになられて、
仏陀は憧れとしての夢になってしまいました。
それはお釈迦様の説かれた「成仏法」=七科三十七道品が、
その後、廃れてしまったのが、その原因です。

そして、時代は変遷し、
仏教のテーマは「慈悲と菩薩行」になりました。
縁起の法は「空」にすり変わり、「空の体得」が、
仏教の目標となってしまいました。

そして、お釈迦様の説かれた仏教は、
成仏のできない仏教となったのです。

ですが、
再び時代は、お釈迦様を蘇らせたのです。
偉大なる桐山靖雄師が、成仏法を復活されたのです。

成仏法は人類を救う法です。
人類救済の法です。
すなわち、メシアの法なんですね。
いや、宇宙を救う法です。
すべての生きとし生けるものを救うからです。

今や、“釈迦の教えと法に戻れ!”🅂
これが人々のスローガンであり、
新しい時代を引っ張っていく「理念」とならなければなりません。

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想い(Ⅴ)

2020年05月29日 07時12分54秒 | つぶやき

みなさん、おはようございます。
本日は晴天なり!で、
快晴なのは心にわだかまりのない状態ということで、
ウン、問題なし。

ということで、
「想い」がついに(Ⅴ)まで続きました。
あまり関心を呼ばないだろうと、
当方としては理解しておりましたが、
これって、
重要なファクターなんですね。

もうかなり前の事、
ある新聞で、動物の進化の原因について、
どこかの国立大学教授の説を紹介しておりました。

それはどういうことかというと、
動物の進化の原因は、
ダ―ヴィンの唱えた『突然変異説』が常識であるが、
実は、そうではないと私は考える。
それは何かというと、
動物の想いであるというのです。

古代において、
動物たちは弱肉朝食の論理で、
弱いものは強い動物に食われていった。
そのときに、
食われていった動物たちは、
もっと足が速ければ逃げおおせられたのに・・・。
あのとき、
空を飛べていたら、無事に生きていられたのに・・・。
もっと大きな体が欲しい。
もっと強烈な牙がほしい。

そういう必死の思いを、彼らは持っただろうと。
その動物たちの必死の想いが、
種としての《集合無意識》に積もり積もって、
あるとき、
体に希望する変化を起こさせていったという。

鳥たちの体に羽が生えて、空を飛ぶようになったのも、
カモシカの足が飛躍的に早くなったのも、
キリンの首が、長ーくなったのも、
すべて、
その動物たちの想いが、身体に変化を起こさせていったのだ。
そう、
その教授は主張していました。

私もその通りだと、同感し賛成します。
私たちには『意欲』が必要なのです。
私たちには『欲望』がいるのです。

その『意欲』は希望となり、
未来に夢を生み出します。
一人の夢は明日を生きる糧となります。
国民がともに生きる力を得るには、
みんなが一つになって見れる夢が必要です。

今、
私たちには、新しい時代を生きていく、
新しい夢が必要です。
新しい理念です。

敗戦の日本において、
その生きる力を与えてくれたのは、
美空ひばりさんの歌でした。
また、「リンゴの唄」でした。

そうやって、
私たちは苦しい時代を生き延びてきたのです。
そして今、
前例のない時代に、私たちは突入したのです。

このときこそ、
人類に勇気を与え、意欲を生み出す、
《共に見る夢》があれば好いなあと、
そう思うのです。

それは、ひとつの想念であり理念ですね。
想いですよ、
人の心を温かくし勇気を与える思いです。
それが歌になる時、
想念は大いなる力を、
人々に与えるのではないでしょうか。

人々をプラスにさせる想い=想念!
大事ですね。

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想い(Ⅳ)

2020年05月28日 07時12分40秒 | つぶやき

「BABE」を書いたら、
どうしてもJohn・Lennon(ジョン・レノン)の
「ビユーティフルボーイ」を書かなくてはなりません。

ジョンレノンは私も好きなアーティストの一人ですが、
ジョンはやはり、ソロになってからの歌は、
よりシンプルに、
そして自己の内面に向かう精神性が
とても普遍的なテーマへと向かったように感じます。

「マザー」にしても、「孤独」にしても、
そして、オノヨーコと出会ってからの彼は、
より深く、人生で大切なテーマを直視し、
そして、
彼は人類愛と呼んでも良いような、
そういうテーマについて歌うようになった。

深い思索によるものだと思う。
また、
彼は歴史についてもよく理解があったようですね。

(それらは結果的に、《反戦》という行動に駆りたてた。
彼は、この世界は狂人たちが支配している、と言ったことがある。)

特に、横変死の因縁と密接な関係のある、
深層意識に巣食う抑圧意識のせいで、
彼の意識はとても苦しみました。
その意識は、ときに激しい嘔吐を催したり、
他者への嫉妬や中傷・憎悪感となって、
ジョン自身を激しく苛んだようです。 

その彼がオノ・ヨーコとの出会いによって、
深い愛に目覚めて、本当の喜びを得ることができた。

その『ダブルファンタジー』は、 
新たな彼の新境地を示したと言っても良い、
素晴らしいアルバムです。
彼は男性でありながらも、
愛息「ショーン 」のために、
家庭主夫を五年?ほど続けたというんですね。
毎日、息子の顔を見て、
深い愛情を覚えたのが、
その歌によくあらわれていると思います。

それはオノ・ヨーコに対する愛情とともに、
ともに居る二人の姿を映す、
そのアルバムにもよく出ていますね。

ジョンは『愛』について、
それも愛の自然性みたいなものを表現しようとしてたのかな?
と思ったりしますね。

男女の愛にしても、
父と子との愛情にしても、
なんら他の動物と、愛情自体は変わらない。
そんなナチュラルなものを、
歌やビデオやアルバムの表紙などからは感じられる。

つまり、
人間の持つ愛情は、すべて他の生き物と同じである。
つまり、平等である。
そんな真理に気づかされる。

動物と話せるハイジさんってご存知でしょう?
あの方の動画を見ていたら、
ある動けなくなった白猫に、
彼女(ハイジ)がテレパシーで聞くんですよね。
これまで生きてきて、
幸せだなと思ったことある?と。
そうしたら、
それは子供を産んだ時だと答えたのです。
子供を産んだ時、とても幸せだったのを覚えていると。

それを聞いて、
人間も猫もそのほかの動物も、
みんな同じなんだなあって。

この『平等性』に気が付かなきゃいけないんですね。
姿・形は、人間も猫も犬もそれぞれに違う。
でも、
それは形態が各々独自に違い変わっているだけであって、
心はみんな同じように備わっている。
例え、昆虫であっても、人間と同じ心を備えている。

それが大事なんだと思う。
殺生はいけないという。
全くその通りではないだろうか。
蜂だって、自分の家庭を攻撃されたら、
ものすごく怒りますよ。
そして、
破壊した人を攻撃します。

誰だって、大切なものを持っていて、
それを大切に守っていこうとする。

ジョンはアメリカがベトナムに侵入して、
他国の土地をめちゃくちゃにしていたころ、
そのアメリカの行動を非難して、
『war is over』(戦争は終わった)を書いて歌った。
オノヨーコとともに、《ベッドイン》を行った。

それらは、
ジョンレノンの『愛』を表現したものだった。
当時は、とても興味本位に、
マスコミからは見られていたものだった。
今、
時代は変わり、ようやく彼の意図したこと、
試みの本質に気が付けるようになった。

今にぴったりとマッチするものが、
彼の一連の作品にはある。
彼は一時的に、教祖的な風貌を現していたけれど、
まったく教祖としての資格のある人物だったと、
今でも思う。
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想い(Ⅲ)

2020年05月27日 19時28分24秒 | 未来

カーペンターズの「スーパースター」のことを書いたら、
スーパースタ―に詳しい方から、作曲者の情報が入りまして、
カーペンターズはレオン・ラッセルのカバー曲だと
教えていただきました。

まことにありがとうございました。
私としては、
もう何十年も前の事で、
なんというか、専門外のことを書いたわけで、
本当にお恥ずかしい限りです。

私が知ったつもりの「スーパースター」について書いたこと、
私はすっかりカーペンターズが書いたものとばかり思っていたのですが、
実はそうではなかったのですね。

作曲者はレオン・ラッセルで、シンガーソングライターです。
名前は聞いていたのですが、
音楽を直接聞いたことはありませんでした。
でも、
洋曲に詳しい人はいるもので、
そういう人は、
私の及びもしないほど、詳しい情報をお持ちなんですね。
ほとほと、感心することの至りです。

そこで、
カーペンターズの「マスカレード」を、ついでに聞いてみたんですね。
これも良い曲ですね。
で、
聞いた後の感想としては、
「スーパースター」同様に、
人間って、悲しいねという思いです

愛し合う恋人同士の、理解しえない二人の心の溝。
それだけでなく、
人間同士がお互いに一つになれないことの不幸。
また、
空しい心に陥っている、人間の孤独。

それらを改めて感じさせられる「マスカレード」。
カレンの歌は素晴らしいけれど、
やっぱり、
人間のむなしさや孤独を、改めて認識させられて、

かつて、私が苦しんでいた、
人間は悲しいね!と思うばかりでした。

でも、今はその境地から抜け出してしまって、
私はそのような孤独感や空しさを感ずることはない。

だから、
人間のどうしようもなさに、
早くそこから抜け出せるように、
仏縁がつくことを祈るのですがね。

前回に書いた、
STYXのデニスデヤングが最近、
「ベイブ」を自宅で歌っていました。

改めて聞いて、
何とはなしに聞いていた歌が、
よく聞いてみると、
これって、
本当に自分のベイビーについて歌った歌なんだと、
そう思ったのですね。

ベイブと表現すると、
だいたいは、
自分の恋人のことを指す時に、表現する言葉じゃないですか?
でも、
この場合は、この穏やかな歌って、
心から愛していることを表現するBABEって、
生まれたばかりの自分の赤ん坊について歌っているんだなあと、
眠れない心の中で思うのでしたね。
 
というのも、彼の風貌って、ユダヤ人みたいじゃないですか。
STYXって、いつ頃売れ出したのか、
私は知らないけれども、
売れない時代に赤ん坊が生まれて、
売れないミュージシャンが、
生まれたばかりの我が子を抱いたときの
そのなんとも言えない感動が、自分の心に湧き上がってくる。
生まれたばかりの赤ん坊を見ていると、
無条件で、心から、愛していると思う。
その心境を歌っているんだと、
歌詞は分からないんですが、
心からそう思ったんですね。
そんなイメージが、歌っているデニスデヤングの
表情から、思わず浮かんだ。

だって、
こんな普通のフレーズでメロディで、
愛していると呟けるのは、我が愛する子供に思う気持ちじゃないと、
こんな普通に言えないよと、
そう思うんです。

なんとはなしに聞くメロディが、
はっと、その心境を現しているのでは?と考えると、
かけがえのないフレーズに感じるのは、
私の感覚が変わっているからでしょうかねえ?

デニスデヤングも、
自宅での歌で、このベイブを歌っているのは、
この歌を心から愛しているからなんでしょう。

なんだか、
彼らの気持ちが少しだけ、
わかったような気がした一瞬でした。

※私って、思い入れの激しいところがあるんですかね? 
以上

追記:
STYXっていうバンドの名前の由来って、
ご存知ですか?
調べてみると、
「三途の川」っていう意味があるらしいんですね。
これにはちょっと驚きました。
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