お釈迦様は何を説かれたのか?
「成仏」することを説かれた。
では、
成仏するってどういうことなのか?
ここですよね、大事なのは。
で、「成仏」って上の空にあるような、
そんな現実味のないイメージ、(概念)だと
思えると思います。
でも、とんでもないことなんです。
さすがに、お釈迦様だなあと感心するのは、
ここなんですね。
これまでの偉い人々が、苦心し見つけてきた事柄の上に立つことで、
やっと、お釈迦様のお説きになった内容が理解出来るレベルになってきた。
そういう地点に来ることができた人類。
では、
お釈迦様の説かれた仏教は、どういう内容なのであろうか?
仏教とは、正式には成仏陀教という。
仏陀に成る教えであり、
さらに言うと、
仏陀に成る教えと方法ということである。
では、仏陀とはどういう存在なのであろうか?
仏陀とは、
霊的にも人格的にも、最高度に発達させた存在を言う。
霊的な覚醒を開顕させ、人格的にも福徳円満の存在。
これこそ、仏陀と呼ぶべき、
人類最高のお方である。
ではどうすれば、そういう存在になれるのだろうか?
仏陀に成るとは、
前世の悪業を断ち切り、悪念を解消したお方である。
人は数限りない輪廻転生を繰り返してきている。
だから、
それぞれの個人は、とつぜんぽつんと、
この世に生まれて来たのではなく、
数限りない前世を経て、今に至っているのである。
そこには、
無数の行為が積み重ねられているのである。
良い行為、悪い行為、そのど知らでもない行為。
それらの上に立って、
今の自分は存在している。
そして、
その存在のゆえに、私たちは行為の報いを受けているのである。
それを密教では、正報・依報という。
過去世の業によって、現在の私がさまざまな条件を持って生まれつき、
過去世の業によって、現在の環境の下に生まれてきている。
それが私という存在であり、その私は人生を生きていくのである。
いろんない人と出会い、いろんな体験を味わう。
よろこび、苦しみ、泣き叫び、病を得て老いて死んでいく。
それは過去の業そのものであり、過去世の縁の繰り返しなのだ。
それを解くことが成仏への道を歩むことになる。
すべては縁である、その縁を解放することだ。
縁は原因と結果で成り立っている。
だから、
その出会いの理由となる原因を解消するのだ。
良き縁はそのまま保っておいて良い。
だが、
悪い縁ははやり解消せねば、
もう一度出会って、
それぞれにとって不幸な結果を招くことになる。
だから、因と縁を切るのが成仏法になる。
つまり、
成仏法とは、因縁解脱法のことなのだ。
それが、
これからの正しい信仰となり、
宗教となるのだ。
もう過去の時代遅れの信仰には目を向けないで、
真実の宗教に目を向けよう。