現在の混乱した世界的な状況。
例えば、
ロシアとウクライナの紛争、
その他の国における紛争、
世界的な食糧問題、環境問題、
その他のいろいろな問題をどう解決に持っていけばいいのか。
そういうことを考えると、
どうしようもないことに気がつくだろう。
もはやお手上げだと、
多くの人は思うに違いない。
だが、
いずれの問題にも共通点がある。
それは経済=お金の問題だということ。
それをさらに追及していくと、
お金は欲望の象徴なんだということがわかる。
特に資本主義の場合、
ビジネス社会では、
お金に還元してすべては回っている。
そこで、
お金は欲望の象徴だとわかるのだ。
ならば、
その欲望をどうすれば良いのだろうかと考えるだろう。
共産主義や社会主義のように、
個人の欲望を規制すればいいのか。
権力やモノを一点に集中して管理する。
それもひとつの考え方だろうと思う。
だが、
社会主義・共産主義の問題点は、
中国やロシアなどの例を見ても、
すでに露呈している。
国がその個人の欲望を規制するのだから、
おのずと、
国家権力が幅を利かせるようになる。
そして、
個人の基本的な権利を侵すことになる。
そして、
結局は自分たちの自由になるような社会を作って、
人民を使って、自分たちの暴利を貪るのだ。
それだけは勘弁してもらいたいと思う。
では、
どうすればいいのだろうか?
そこで、
私たちには「仏教」があることに気が付く。
私たちはお釈迦様の説かれた「仏教」というものを
すでに知っているのだ。
お釈迦さまは煩悩のコントロールを説かれた。
「煩悩」、
お釈迦さまは、
私たち生きる者の苦しみの元は何か?
と問われて、
それは煩悩であると説かれた。
そして、
煩悩の滅却を説かれた。
人は生まれ変わり死に変わりを繰り返すという。
その根本の原因は何かと。
それは「タンハー」であると言われるのである。
生存への根本的な渇愛。
それをお釈迦さまは、
『タンハー』という言葉で表現された。
砂漠の真ん中で、
一日中、灼熱の太陽に晒されて、
人の体も心も、
ひたすら水を求めるようになる。
水がなければ人は生きていけない。
水があれば、
人は何週間にもわたって、
生命を保つことができると言われる。
身体の約70%が水分からできているからだ。
水分が不足すると、
身体を維持するのができなくなる。
それほどに、
水は私たちの生命を維持するのに重要だという。
だから、
砂漠のような苛烈な環境においては、
水を求めて心身ともに飢えるような喉の渇きを覚えるという。
それをお釈迦さまは、
「タンハー」という言葉で表現されている。
それが私たち生ける者の、
根本的な生存への原動力だというのだ。
むさぼるように求める生への希求。
それをタンハーという言葉で、
お釈迦様は説明されている。
私たちの心の根底には、
そのタンハーが渦巻いているという。
そのタンハーがすべての人間の行動を支配している。
だから、
そのタンハーを制御し、浄化していくことで、
私たちの生命状態は、質的に改善し、
存在の上昇へと変容できるというのだ。
人間の心は、三つの層から成り立っていると言われる。
表面意識、潜在意識、深層意識。
表面的に改善するのはある程度容易だろう。
それを潜在意識、さらには深層意識にまでもっていくのは、
これはかなり至難の業だろう。
それをどの程度にまで変えていけるか。
これが問題なのだ。
お釈迦さまは、
深層意識にまでもっていくことを説かれた。
深層意識にまでもって行くことで、
開放が行われるという。
深層意識には、
根本煩悩であるタンハーがある。
その窮極のところに到達することで、
タンハーを解消できると言われる。
そうすると、
煩悩から生じるところの、
あらゆる問題が解消に進んでいく。
すべてのトラブルの元である『煩悩』、
ここから生じるところのあらゆる問題が起こらなくなる。
お釈迦さまはその到達方法を、
「成仏法」という教えとその修行法で説かれたのだ。
それを私たちは、今、持っている。
そのお釈迦様の説かれた『成仏法』が、
この混とんとした、
未来のない地球を救える唯一の方法なのだ。
その『成仏法』を修行して、
人間の持つ業の元になる「煩悩」を制御する。
そうすることで、
今ある世界の諸問題は、
解決へ向かうことができるだろう。
だから、
その『成仏法』を広めることは、聖なる行為なのだ。
世界を救う、
人類・地球を救う行為は、聖なる行動だ。
聖者とは、
個人の幸せを実現する人ではない、
人々の幸せを実現するべく行動するから聖者なのだ。
欧米は狩猟社会である。
だから、
他の動物の命を奪うことを生活の基本としている。
外の生命を奪うことで生活が成り立っている。
すると、
その思考が人生や社会の基盤になる。
(ただ、日本だって他から奪うことで成り立っているのは同じだ。
だから、それは程度の違いであろうと考える)
その煩悩を制御する方法を紹介することは、
世界的な紛争を解決へ向けての大きな前進になるのだ。
そして、
その実践方法を実地に紹介すること。
これこそ、
聖者の仕事ではないか?