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iPhone7、Suicaが選ばれた理由

2016年09月11日 | 国際ビジネス
iPhone7、Suicaが選ばれた理由 編集委員 関口和一
2016/9/11 3:30 日経新聞


 米アップルが7日、スマートフォンの「iPhone7」と腕時計型端末「アップルウオッチ」の新モデルを発表しました。カメラや防水性などの機能を高めたのが特徴ですが、日本のユーザーにとって最も歓迎すべきことは、電子乗車券の「Suica(スイカ)」などに採用されている非接触型ICチップ「Felica(フェリカ)」を採用したことです。ネットメディアなどでは以前から噂になっていましたが、「世界共通モデル戦略」を掲げるアップルが日本独自の技術を採用したことは衝撃的なニュースといえるでしょう。アップルはなぜフェリカを採用することにしたのでしょうか。

iPhone7とアップルウオッチの新モデル。Suica(スイカ)などに採用されているFelica(フェリカ)を採用した。写真はアップル提供

 フェリカはもともとソニーの研究所で生まれた技術で、データを読み書きする処理速度が非常に速いことから、東日本旅客鉄道(JR東日本)が電子乗車券「スイカ」に採用し、それをきっかけに利用が広がりました。携帯電話会社の電子決済手段「おサイフケータイ」や「楽天Edy(エディ)」「WAON(ワオン)」「nanaco(ナナコ)」といった電子マネーなどにも採用され、これまでに10億個近いチップが出荷されています。1日あたりの利用件数は1億6000万件を超え、日本の電子決済市場におけるデファクトスタンダードといえる技術です。
 スマートフォンが登場する以前の日本の携帯端末のことをよく「ガラケー」と呼びます。「赤外線通信」「おサイフケータイ」「ワンセグ放送」といった日本特有の技術が搭載されていることから、「ガラパゴスケータイ」と呼ばれたのが始まりです。一方、アップルのiPhoneはNTTドコモの携帯情報サービス「iモード」にヒントを得て生まれた製品ではありますが、日本のガラパゴス技術とは距離を置いてきました。ドコモが最後までiPhoneの発売に二の足を踏んでいたのは、日本国内で定着した日本の技術を守ろうとしていたからだともいえます。



関口和一(せきぐち・わいち) 82年日本経済新聞社入社。ハーバード大学フルブライト客員研究員、ワシントン支局特派員、論説委員などを経て現在、編集局編集委員。主に情報通信分野を担当。東京大学大学院、法政大学大学院、国際大学グローコムの客員教授を兼務。NHK国際放送の解説者も務めた。著書に「パソコン革命の旗手たち」「情報探索術」など。

 一方、アップルは2014年秋のアップルウオッチの発売にあわせ、「NFC(近距離無線通信)」というおサイフケータイに似た無線技術を使った「アップルペイ」と呼ばれる決済手段を投入しました。しかし日本のおサイフケータイとの間には互換性がなく、日本のガラケー機能を求めるユーザーからはiPhoneを敬遠する1つの理由になっていました。アップルはグローバルな商品展開の効率性を上げるため、周波数なども同じ端末で複数の地域に対応するなど世界共通モデル戦略を展開していたので、日本市場だけに特別な端末を開発するという考えは毛頭ありませんでした。
■20年東京五輪が後押し
 アップルにフェリカの採用を促す1つのきっかけとなったのは20年の東京五輪開催です。オリンピックが開かれる日本でアップルペイが使えるようにするには、日本の店舗にもNFCに対応した読み取り装置を配備する必要にアップルは迫られました。NFCの読み取り装置は米国本土では約130万台、英国で32万台に増えましたが、日本ではそれをはるかに上回る190万台のフェリカ用の読み取り装置が普及していました。アップルはNFC用の読み取り装置の配備を日本の事業者に呼びかけたようですが、バスやタクシーなどフェリカが様々な公共交通機関などにも浸透したことで、容易にはNFC用のインフラを普及させることができなかったのです。
 アップルにはもう1つ背中を押される出来事がありました。非接触IC技術の国際標準化団体である「NFCフォーラム」が今年春、フェリカをNFCの新しい規格として認める方針を打ち出したことです。NFCとフェリカは規格上、対抗軸のように語られてきましたが、実際にはNFCは「短い距離で無線データ通信を行う技術」を指しており、広い意味でフェリカもその1つだったのです。NFCの国際規格としては、ロンドンの交通カード「oyster(オイスター)」などで使われている「Type(タイプ) A」と呼ばれる技術と、日本の住民基本台帳カードなどに使われている「Type B」という2つの技術があり、フェリカは当初、国際規格とはみなされていなかったため、別な技術のように語られてきました。



「Type A」のNFC技術を採用した英ロンドンの交通カード「オイスター」

■フェリカが国際規格に
 その流れを変えたのがJR東日本のNFCフォーラムへの参加です。JR東日本の主要駅は世界でも最も乗降客が多く、電子乗車券の導入にあたっては処理速度の速さが求められました。フェリカは1件あたりの処理速度が200ミリ秒以下で、1分間に60人が改札を通れるということから採用が決まりました。しかし、そうした高度な技術は日本のような特殊な国にしか必要がなく、ほかの技術に比べICカード自体のコストも高かったことから、国際規格への採用が見送られてきました。ところがJR東日本がNFCフォーラムに参加し、技術の優位性を訴えたことにより、最終的には「Type F」ということで正式にNFC規格の仲間に採用されたのです。



 携帯電話技術の標準化は英国に本部がある「GSMA」といった国際業界団体などが進めていますが、GSMAもNFCフォーラムの方針を踏襲し、17年4月以降に発売される携帯端末にはフェリカのチップを標準で搭載するという方向を打ち出しました。NFCフォーラムは技術の標準化や相互利用を促すため、フェリカを開発したソニーや「Type A」の技術を開発したオランダのフィリップスなどが04年に設立した組織で、その活動の成果がようやくあらわれたともいえます。アップルとしてもフェリカが国際規格に採用されれば、それをあえて排除することはできなくなったといえます。
 ではアップルは「Type F」の規格に決まったばかりのフェリカをなぜこのタイミングでiPhone7に搭載することにしたのでしょうか。
 規格が正式に決定され公表されたのは今年の夏ですので、アップルはそれ以前から水面下で開発に取り組まなければ9月の製品発売には間に合いません。最大の理由はそれまで好調だったiPhoneの人気に少し陰りが出てきたことが大きな要因だといえるでしょう。世界の携帯端末市場では、韓国のサムスン電子に加え、中国の華為技術(ファーウェイ)などのメーカーが高機能で値段のこなれた製品を次々と投入しており、シェアを食われるようになったからです。その点、日本市場はアップルのシェアが6割近くと非常に高い一方で、おサイフケータイ付きのスマートフォンを使っているユーザーが4割近くいます。アップルとしてはシェアをさらに上げるには、フェリカを採用し、アップル以外のユーザーの取り込みと、既存のiPhoneの買い替えを促すのが得策だと考えたのでしょう。
 ライバルの動きも気になるところです。携帯端末向け基本ソフトの「Android(アンドロイド)」を展開するグーグルも、三菱UFJフィナンシャル・グループと組んで、今年秋から「アンドロイドペイ」という電子決済サービスを日本で展開しようとしています。金融とIT(情報技術)を組み合わせたフィンテックがブームとなるなか、東京五輪は自社の電子決済サービスを宣伝する格好のショーケースになるわけですので、アップルとしても自らの規格を押しつけて普及に時間をかけるよりも、フェリカで築き上げられてきた日本の電子決済インフラを利用した方が早道だと判断したに違いありません。
 それではiPhone7やアップルウオッチにフェリカが搭載されると、今後、どんなサービスが使えるようになるのでしょうか。
 アップルジャパンによると、フェリカに対応したアップルペイのサービスが日本で使えるようになるのは10月末からで、「モバイルSuicaなどのiPhone向けアプリはそれに合わせて順次提供されていく」そうです。アップルペイはスイカ以外にもドコモの「iD」やJCBの「QUICPay(クイックペイ)」といった電子マネーにも対応し、クレジットカードにひも付けられた独自のIDを使うことで各種クレジットカードの代わりに端末をかざして使うこともできるようになります。

アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は「アップルペイの魅力を日本のユーザーに体験してもらえることに非常に興奮している」と表明し、米国や英国、中国などに比べアップルペイの普及が遅れている日本市場に参入できることに強い関心を持っているようです。
 さらにiPhone7に搭載される基本ソフト「iOS10」には、「マップス」と呼ばれるアップルの地図情報サービスに日本の公共交通機関の経路情報や運賃情報などが新たに搭載されることも注目されます。これまで自動車や徒歩の経路は表示できましたが、グーグルマップのように電車やバスなどの経路情報は表示できなかったからです。スイカやパスモといったフェリカ仕様の交通ICカード機能と一緒に使うことで、iPhoneやアップルウオッチの利便性は大きく高まることが予想されます。逆にいえば、おサイフケータイ機能を売り物にしてきた国内メーカーにとっては、新たな脅威にもなるといえるでしょう。
■日本の電子マネー技術、世界に
 またアップルがフェリカに対応することで、これまでガラパゴス技術と揶揄(やゆ)されてきた日本の電子マネー技術が海外に広がる可能性も出てきました。JR東日本がフェリカに目をつけたのは、香港の交通カード「Octopus(オクトパス)」で最初に採用され、実績を上げたことがきっかけでした。アップルはフェリカの搭載端末は当面、日本だけで販売する計画ですが、フェリカの新しい機能が日本で成功すれば、香港や他の地域にも広がる可能性は十分にあるといえるでしょう。その意味ではフェリカの国際規格化に尽力したソニーやJR東日本の努力は高く評価されるべきですし、日本発の技術をあえて採用することにしたアップルの英断にも敬意を表したいと思います。

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