市場に強敵を見つけた中国共産党
株式バブルを膨らませた罪は政府にあり、急落食い止めに必死2015.7.10(金)(2015年7月9日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44268
中国、大株主や企業役員の持ち株売却を6か月禁止
中国・浙江省杭州で、株価の電光掲示板を見つめる投資家ら〔AFPBB News〕
強力な勢力に抵抗することにかけては、中国共産党はかなり立派な成績を残してきた。創立からの90年間に、内戦、集団化の惨事(確かに、これは自らまいた種だったが)、学生主導の蜂起、そして比較的最近では2008年の世界金融危機を乗り越えてきた。この危機でも中国の猛烈な成長はほとんど鈍らなかった。だが、この数週間、政府が全く制御できなかった勢力が1つある。市場だ。
中国当局は、株式は上昇することしかできないと定めた法律を可決することを除いて、あらゆる手を尽くした。
対策が打ち出されるたびに、当局の措置は窮余の策のような趣が強まっていった。
当局が矢継ぎ早に打ち出した対策
当局は実証済みの策略から始めた。現金を持つことの魅力が減退するように金利を引き下げ、銀行がじゃぶじゃぶと回すお金が増えるように預金準備率を引き下げた。口先介入で相場を上昇させようとし、すでに膨れ上がった倍率で取引されていた株式の上昇余地について従順なメディアに記事を掲載させた。
さらに、年金基金を株式市場につぎ込み、信用取引の制限を緩和し、手数料を削減し、空売り筋を標的にした。
もっと最近では、市場を希薄化させないために新規株式公開を延期し、ファンドに株を買う――だが、絶対に売らない――よう促した。あるエコノミストが「中国の特色ある量的緩和」と呼んだ動きで、中央銀行は、証券会社に信用取引の資金を融通する政府機関に流動性を供給する。
危険な株式バブルを膨らませたレバレッジ(借り入れ)を抑制するどころか、当局は短期的な救済のためにレバレッジを煽っているのだ。
対策はうまくいっていない。1年半で価値が2倍以上になった後に市場が6月半ばにピークをつけて以来、市場価値が3割失われた。これで中国株の価値から3兆2000億ドルが吹き飛んだ。フランスとスペインの株式市場を合計した時価総額を優に上回る金額である。
欧州がユーロからギリシャを失うことを心配している間に、中国株式市場の大陸規模の大きな塊が粉々に砕け散ったのだ。
共産党の正統性が揺らぐ恐れ
中国が市場の暴落を食い止められないことは、少なくとも3つの互いに関連する疑問を投げかける。
まず、当局が信頼を失う恐れがあるのだろうか。共産党の正統性の大部分は、その技術的な能力に対する、概ね受けるに値する評判に基づいている。
ここ数週間の行動は、よくても受動的、最悪の場合は不器用に見える。
当局者自身が、そもそもバブルが膨らむのを許した責任の多くを負わなければならない。中国の指導者たちは2008年、根拠なき熱狂を助長した西側の規制当局と中央銀行の共謀行為と彼らが正しく判断したものを見て、ほくそ笑んだ。
今、自国の当局者たちが同じ罪に問われている。中国の当局者は意図的に市場を上昇させることで、弾ける運命にあるバブルを膨らませることに手を貸したのだ。
システミックリスクは大きくなさそうだが・・・
2つ目は、システミックリスクの問題だ。このリスクは、純粋な市場経済の場合よりは小さい。中国の株式時価総額――最近の下落の後の時価総額――は、国内総生産(GDP)の66%だ。これに相当する米国の数字は140%だ。
それでも、信用取引のために資金を貸し付けた銀行と証券会社は、もし借り手が返済できなければ、苦境に陥るかもしれない。
2007~08年には上海総合指数が6000超から2000割れまで下落した。これは励みになるかもしれない。経済は株安などお構いなしに前進を続けた。
だが、これは現在の下げがまだ続き得ることを示唆している。今回は違うかもしれない――悪い意味で、だ。
前回の弱気相場の際は、経済が2ケタのペースで成長していた。今では、公式発表で7%に減速した。
損失を被った多くの人は、使えるお金が減った。これは、中国が資本支出への依存から脱却しようとする中で成長の主因とされる消費の減退を意味するかもしれない。
本当の改革が先送りに
3つ目は、改革の問題だ。ここには相反する2つの側面がある。一方では、中国の市場は統制経済の中で動いている。もう一方では――例えば上場企業の緩い会計基準において――、むしろ開拓時代の米国西部のような無法地帯に見えることもある。
当局がどの程度の統制力を行使する用意があるかを示す兆候として、株式市場の報道では微妙なフレーズ――「株の惨事」「市場を救済する」といった言葉――を使うことが禁じられた。
遅かれ早かれ市場は大底をつけるだろう。だが、その頃には何かが失われている。市場がより大きな役割を担うのを認めるといった話にもかかわらず、状況が困難になると、介入しようとするのが政府の本能だ。それは無理からぬことだ。
しかし、中国はうまく機能している資本市場を持っている状況とはほど遠い。そして本当の改革は、また別の機会を待たねばならないのだ。