昨日は知人と会うこともあり、仕事を少し早く上げて退社した。
夕方から降り始めた雨の中、まず銀座の村松画廊へ向かい、加藤康成個展「 さかしま 」を鑑賞する。加藤氏は金村ワークショップの先輩で、これまではほとんど話らしい話もしたことは無かったのだが、会場ではいろいろと突っ込んだお話も聞かせていただいた。
加藤氏の作品は、作家自身の価値観や方向性を明確に示しつつ、非常に優れたプリント技術によって、美的にもきわめて高い水準に到達しており、率直に言って圧倒されてしまった。また、インスタレーションの完成度も高く、展示空間の美しさもすばらしかった。
おとといの段階では知人も来る予定だったのだが、スケジュールが押してしまい、共に鑑賞できなかったのは、本当に残念なことだった。
ギャラリーの終了時間まで作品を鑑賞させていただき、それから知人と会うために有楽町へ向かった。
知人と会うのは本当に久しぶりで、また第一線で活動している作家氏でもあるだけに、会うまではかなり緊張していたが、昔の思い出をだらだら話している間にだいぶほぐれてきた。
知り合ったきっかけは、自分がスタッフとして参加したセクシャルマイノリティに関するイベントだったが、そのときは特に深い話をすることも無かった。だが、知人が「『週刊金曜日』の差別表現事件」に巻き込まれ(「オカマは差別」か『週刊金曜日』の差別表現事件参照)、その際に自分が知人とあれこれやり取りしたことから、ほかのテーマについてもいろいろと話をするようになったといういきさつがある。
まぁ、自分は以前から言葉狩りの類に強く反対し続けていたし、その当時はむしろ当然の感想を述べただけと思っていたのだが、知人には思いのほか強い印象を与えていたようだ。ただ、 その後はなんとなくそういった話題が上らなくなり、やがて知人もひどく忙しくなって疎遠になったため、知人から話が出るまでは気がついていなかったというのが正直なところだ。
差別的な表現を規制するよう求めたセクシャルマイノリティに対し、当時の自分が「彼らは社会の目線を気にしているばかりで、実は当事者の幸福を考えていないのではないか」とか、はたまた「マイノリティが自らの特定部分を切り捨て、社会に迎合することは二重の意味で差別だ」などと怪気炎をあげていた話をされるたび、こっちは文字通り「顔から火が出るかと思うほど」恥ずかしく、またそのことが「強く印象に残った」などと言われると、本当に消えてしまいたくなった。
その上、そういった若気の至りとしか言いようの無い、ぶっちゃけ中二病全開の言動に対して、こちらが思っているほど知人は否定的な捉え方をしておらず、むしろ肯定的に捉えていただいていると聞かされると、かえってますます恐縮してしまう。ともあれ、知人が自分という存在を面白く感じてくれるきっかけのなったのは間違いないのだから、中二病も捨てたものでもないかと思い始めた瞬間、知人の言葉で止めを刺された。
展示観たけど、実はまったく他人の目線を意識して無いでしょ。
隠してるようでほとんど素っ裸なアタリ、あのころと全然変わってないな!
まぁ、他者の目線をあまり意識してなかったのはその通りなのですけど、そんなに露骨にイワンでもねぇ~
とかなんとかいったところで、出しちゃったものは仕方ないのですけどさ…
とりあえず、知人もミネラルショーはパスするらしいので、自分も土曜の集まりはご遠慮させていただくとして、ありがたくも激しく痛いお言葉を胸に、足取り重く家路についたのでした。