変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




人間のイマジネーションというのは、留まる所を知らない。
個人の限界はそんなに高くなくとも、一人一人が違うことを考えるから、
人類としてのサマリーは凄まじい広がりを持つ。
「悪魔」だってそうだ。
欧米人のキリスト教というかダンテの神曲が言う地獄というか、そんな
イメージの延長線で考案された、コンスタンチンの世界の悪魔。
何とも言えない感性で作り出されたデスノート的悪魔。
醜いということ以外に両者の共通点は少ないが、人々が受け入れるに
どちらも紛れも無い悪魔だ。

遅ればせながら、コンスタンチンをビデオで見たわけさ。
正直、面白いと思った。
悪魔の存在を信じさせる過程に労力を割かない設定に好感が持てる。
確か、サタン(ルシファー)って堕天使。つまり、元天使だよ。天使の長
という存在だったかな。てことは、ガブリエルと同列じゃん。この映画で
は、随分と差が強調されていたが。それでも、神の絶対性は描かれて
いたように思う。サタンは決して神と軸を異にしただけの同列の存在で
は無い、という主張が見えた。違うかな。

ということで、悪魔繋がりでデスノートが頭をよぎった。
友人に借りて読んだことがある。最新刊までは進んでいないが、エル
が死んで次のヤツが出て来た辺りまで読んだ。
これはどうしようも無いハナシだ。救えねぇ。
娯楽性はあるけどね。

それはそれとして、どちらも人間の力を超越した存在の恐ろしさを表現
している。上手だ。
更に、人間の本質に潜む別の意味の恐ろしさも表現したいのだろう。
これもよくやっていると思う。
怖いね、どちらも。

しかし、淡々と営まれる自然の力の前に、どれ程の影響力を持ち得る
だろうか。結局、人間が超越し難いと思っているのか、あるいは克服
したくてしょうがない、自然というものに人が挑戦し続けて来た事実の
一つの現れなんだろう。

そんなことを考えていたら、ヘミングウエイの「老人と海」が浮かんで
来た。自然の一つの姿を描き出した名作である。
映画はお世辞にも誉められたものではなかったが、原作は素晴らしい。
いや、和訳しか読んでいないおいらが原作を語るのは生意気か。
ま、それはいいことにしてもらって、読み終わった後に味わう独特な後味。
その深さというか、深さを感じさせる力というか。
デスノート vs 対コンスタンチン、
おいらの中では、圧倒的にコンスタンチンの勝ち。
ヘミングウエイまで後、、、まだ暫くかかりそうだね。


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